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Short × Short

邂り逅うふたり

※本文は多少ネタバレの要素を含みます。妖精図書館第3話の「ふたりの未来」をクリア後に読まれることをお勧めします。

 

アカシアの黄色い花が風に揺られて強い日差しを柔らかく反射している。
沿道に植えられたポプラが敷き詰められた石畳にまだらに影を落とす。城壁の外に点在する砂ナツメの樹がそよそよとかすかな音色を耳朶に乗せていた。


熱砂の王国アラハギーロ。
 

デフェル荒野の東に位置する巨大な砂漠に建国され、建国歴は200年を超える。

その王国の城門を2頭引の馬車4台が連なってくぐっていく。巻き上げた砂塵が風に舞い、灼熱の陽光をわずかに隠した。
慌ただしい様子に城門付近に居合わせた人々が怪訝そうに目を向ける。1台の馬車の天幕が大きくめくれ上がり、そこから姿を現した人影をみて周囲の雑踏から驚きの声が上がった。

 

「けが人を東町の詰め所へ連れていきな!担架に乗せてそっと運ぶんだ。アンタは一足先に医者のところにいって診療の準備をさせるんだ。毒に侵された人が多いからね。毒消し草だけじゃ手に負えないから、市場でありったけのニガヨモギも買い集めておいで!」

 

オーガ族を優に超える巨躯の持ち主。背負う武器は朴訥な鉄棍。
黒衣をまとった異相の持ち主は衛士にテキパキと指示を飛ばし、自身もまた魔術をもってけが人を癒していく。

 

数人の治癒を終え黒衣の主が一つ息を吐いて立ち上がると、積み荷の手配を終えた隊商の長が慌ててその傍らに駆け寄ってきた。

 

『賢者マリーン様、ありがとうございます!おかげさまで死者を出すことなく辿り着くことができました』

 

「…まぁ運がよかったね。あれだけの群れが一度に襲ってくることは稀とはいえ、少し気持ちに緩みがあったんじゃないのかい?慣れた道とはいえ城壁の外は魔物の縄張りだってことを忘れちゃいけないよ」

 

『はい…!お恥ずかしい限りです。本当になんとお礼を言ったらよいか…』

 

「ふふん。ま、これも天の配剤って奴だろうよ。たまたまあたしが通りかかったのもね。どれ、診療所の医者が泡食ってるだろうからちょいとそちらの様子も見てくるかね」

 

『ありがとうございます!これは少ないですが路銀の足しにしてください!』

 

隊長はそういって金貨の詰まった袋を差し出した。
賢者マリーンと呼ばれた黒衣の主は、一瞥して薄く口唇を綻ばせると、短く礼を言ってひょいと革袋を懐にいれた。
立ち去っていく後姿に深々と頭を垂れる隊長に、隊員の一人が声を忍ばせながら歩み寄った。

 

『隊長…あの方は一体何者ですか?あれだけの魔物に臆することもなく向かう武勇。治癒の魔術を操るだけでなく、医療自体にも造詣が深そうですが…』

 

『彼女は…賢者マリーンは放浪の賢者と呼ばれるお方だ…』

 

『放浪の賢者…!?それって古い伝説の方じゃないんですか?』

 

『うむ…私にも良くわからないが、現にあの方はこうして生きておられる。私がまだ駆け出しの頃にも一度お会いすることがあったが、今と全く変わることがない…』

 

『不老不死…ってことですか』

 

『かもしれん…。だが現にこうして我々は彼女のおかげで生きながらえることができた。まさに僥倖だよ…』

 

若い隊員は数刻前に自らの身におきた出来事を振り返って思わず身震いした。
山間の岩場を抜けようとしたその時に、突如として沸き起こった黒蚊の群れ。その一匹一匹が強い腐食毒をもつ。剣などの武器で立ち向かうにはあまりに小さく、天幕で防ぐには絶望的なまでに数が多かった。
隊商とは別にたまたま通りかかった彼女がいなければ…彼女の操る爆炎の魔術と結界の守りがなければあの場で全滅してしまってもおかしくはなかった。

 

隊長が僥倖と尊び、深く頭を下げる思いと同じくして、隊員も路傍に姿を消していく黒衣の背中に向かって深く頭を下げた。

 

*************************************

 

「よし…これで何とかなったね。おつかれさま」

最後の一人の治療を終え、マリーンはきしむ椅子から立ち上がった。
毒消し草とその効果を増すといわれるニガヨモギを煎じた異臭があたりを覆う。いつしか診療所には賢者の姿を一目見ようと群衆が押しかけていたが、その様子を意に介することもない。

 

と、その時である。
群衆を押し分けて、王家の紋章をまとった衛士が二人、マリーンの元へ進み出てきた。

 

『賢者マリーン。このたびは隊商の護衛…そしてけが人の治療とありがとうございました。国王より国賓として王宮にお招きしたいと書状を預かってまいりましたが、ぜひご同道をお願いできませんでしょうか』

 

「はは。この流れ者を国賓として招いてくれようってのかい。人助けってのはするもんだねぇ。よろしい。よろこんで伺わせてもらうよ」

 

にやりと笑う賢者の姿に釣り込まれるように周囲の人垣からも笑みがもれた。
マリーンは医師と患者の治療について少し打ち合わせを行うと、衛士に伴われて王宮へと向かうこととなった。

灼熱の太陽はすでに西の山嶺に沈み、辺りには濃紺の帳がおろされている。沖天には星々が煌々と輝き、沿道のたいまつがパチパチと爆ぜる音を立てた。

 

(アラハギーロ…太陽の民…あの人の王国…)

 

歩みながら思いにふけるマリーンの横顔にたいまつがゆらゆらと影を落とす。
かつてマリーンが賢者と呼ばれるより遙か昔…放浪を始めた頃に、国王としてこの地を収めた剣士の姿を彼女は遠く追憶の中に思い浮かべていた。

 

『賢者マリーンのおかげでまた大切な人々の命が無為に失われることなく永らえることができた。心よりお礼を言いますぞ!』

 

アラハギーロ王はそう言って人のよさそうな顔に満面の笑みを浮かべながら、宴席のマリーンに酒杯をすすめた。
杯を重ねるマリーンは時に笑い、時に王の質問に答えて見識をふるい、時に各地の情勢について思いを語った。アラハギーロ王国は開放的で陽気な気質と俗に言われるが、現国王もその多聞に漏れず、人懐っこい容貌から笑みが消えることがない。

 

ふとマリーンの視線が壁に掲げられた1枚の絵画の元で止まる。
席を立ち、そのすぐそばに歩み寄る賢者をみて、国王は怪訝そうな表情を浮かべたが、彼もまた同様に席をたって彼女の傍らに歩み寄った。

 

『…ああ、こちらは砂漠の狼王と呼ばれた賢君…アラハ・アルラウルの肖像ですな。私の遠い先祖にあたります』

 

「…ラウル…」

 

絵画には白銀の髪を短く切りそろえた精悍な男の姿が描かれている。
大剣を背負い、褐色の悍馬にまたがった男は鋭い視線を虚空に注いでいた。稀なる美男ではあるが、日に焼けた風貌に浮かぶ表情はどこか寂し気に描かれている。

 

『狼王はデフェル荒野を荒らした漂盗の民を鎮撫したり、数々の旅を重ねて今なおこの王国を支える数々の作物を持ち帰るなど、まさに稀代の名君と呼ばれるに相応しい方でした。一方で謎も多い方で、決して妻を娶らず、ある時弟皇子に玉座を譲られると、終生旅を続けられたとしても語り継がれている伝説の方です』

 

「…彼は…アルラウル王は王家の墓に眠っておられるのかな?」

 

『…いいえ。もちろんその名は霊廟に刻まれていますが、残念ながら亡骸はございません。ずっと何かを探しておられた放浪の方でしたが、最後の放浪より今なお戻られたという記録はないのです』

 

「…そうか。…どこか旅の果てで…」

 

続く言葉は夜の闇に吸い込まれていくようだった。
言葉を失った賢者を前に、国王が古の王についての話を紡いでいく。

 

『何せ二百年近くも前の方ですので、そのように考えるのが自然だとは思います。もちろん、貴女と同様に今なお流離っておられるのかもしれませんが…』

 

「…ふふ。あたしが二百を超えるババアだとでも言いたいのかい?」

 

『いえっ!けっしてそのような…これは私の失言でしたな。どうか気を悪くされないでください』

 

「冗談だよ…実際に彼とは面識があってね。ずいぶん昔のことになるが…命を助けられたことがあるんだ…」

 

『なんと…狼王と…それは数奇な巡り合わせですね…』

 

国王はそれ以上言葉を発することなく、ひたむきに絵画に視線を注ぐ賢者の傍らに佇んでいた。

 

*************************************

 

翌日、東の地平から太陽が上り、砂漠を渡る風に乗って蝶が水辺をひらひらと舞う頃、マリーンはアラハギーロ王国の書庫に立ち寄っていた。
国王自らが書庫への立ち入りを許したもので、王家の歴史を記した青史はもちろんのこと禁断の書物と噂されるものもある場所へも自由に出入りすることができる。
しかしながら、賢者と呼ばれるマリーンが今更特筆するべき書物は稀だったが、彼女はその一角を離れることができなかった。

 

砂漠の狼王アラハ・アルラウルの生涯を編纂した書物を食い入るように読んでいたのだ。

かつてジャイラ密林の奥地でともに旅し、そして別れたあの後、ラウルと呼んだ彼がその後どのような生涯を送ったのか。
マリーンは時を忘れてそれを読み進めていた。

 

数冊目の本を棚から引き出した時、その傍らにひっそりと収められた古い手帳の存在が目にとまった。心臓が早鐘を打つ。
しかし、手にした小さな黒い皮の手帳は真銀の鍵で閉ざされていた。ベルトを断てばあるいはその中身を見ることができるかもしれない。だがしかし、百年を超える時を経て誰にも解錠されることのなかった手記を読むことに躊躇いがあった。

 

きっとそれはアルラウル王の手記に違いない。

戸惑いながらそっと鈍色に輝く錠前に指を這わせた時、不意に高い音を放って鍵が二つに割れてしまった。
ベルトがするりとはずれ、記された中身がマリーンの元にさらされる。
自らの意志…だけではなく、何か別の力に誘われるようにマリーンは紙面をめくった。

 

記された文字は確かに彼女が知るラウルのものだった。
流麗だが、少し癖のある文字にふと笑みが浮かぶ。

 

手記には狼王とよばれたアルラウル王の放浪が記されていた。

 

リィンの姿を探し、レンダーシア大陸の僻地まで危険を省みずに流離った記録。
リィンと思われる銀髪の娘の情報が克明に記され、その噂を元に各地を旅し、遂に見つけることができなかった苦悩。
自らの姿を求めてさまよったラウルの姿が目に浮かび、マリーンは大粒の涙を落としていた。

その手記に記された一文を目にして、彼女は深く息を呑んだ。

 

呪い…姿を変える…リィンはもはやかつての姿ではない?…呪いを解くには…

 

懊悩したラウルが走り書いたものだろうか。
それ以降の手記にはリィンを探しての放浪の記録に加え、各地で魔族の呪いについて研究を重ねたことが記されるようになった。
頁を読み進めていくにつれ、ラウルが魔族の呪いについて身命を賭して探求していく姿がわかる。

 

手記がいよいよ残りわずかとなった時、あるページに記されたメッセージを読んでマリーンは膝から崩れ落ちた。


親愛なるリィンへ
いつか君がこの手記を読んでくれることを願って想いをつづります。
悔しいことにことの真相はわからないのだけれど、きっと君はもう私の知る姿ではないのだろうと思う。
もしそうなら…それでも私は君を見つけ出したい。見つけられると信じている。
けれども一方で…
君を探して旅する中で、呪いを解く方法についても研究を進めてきた。
私に残された時間はもう永くない。でもついに解呪の方法を探し出すことができたんだ。
以下のものを調合した秘薬を呑んで、ジャイラの奥地クドゥスの泉に身を捧げて欲しい。
神々の呪いですら解けるはずだ。
在りし日の君の面影を想って。

いつかまた共に世界を旅をしよう。                     ラウル


そこに記された品物の多くは…シャイニーメロンを含め、アルラウル王によってアラハギーロ王国にもたらされたものだとわかり、マリーンは愕然とする。
震える指先でラウルの筆跡を追う。
賢者として薬学・医学に精通した今のマリーンであれば、その調合は不可能ではない。

 

デフェル荒野の北西に位置するジャイラ密林は彼女にとって因縁の場所だ。
そこに刻まれた因縁があまりに暗く…深いためにこれまで意図的に避けてきたものの、アラハギーロ王国が城壁を築いてその地を警護していると旅のうわさで聞いたことがある。
彼が忌まわしき地を封ずるために築いたものだと思ってきたが…。

 

真意は別にあったのか。

 

リィンの姿を元に戻すために…戻すための秘泉を護るために…周囲から遠ざけたのではないだろうか。
ラウルが姿を消してから、すでに百年以上の時が過ぎているという。その間、彼女自身は思いを隠すようにレンダーシアを抜け、異種族の住まう他の大陸を彷徨っていた。
人である以上、ラウルはすでにこの世にはいないに違いない。
けれど、彼はきっと今もリィンを探し…待っているのだと思う。死しても彼が待つ…その地はあそこに違いない。

 

どんなに長命だと考えてもラウルがこの世を去ってから百有余年が過ぎている。
ようやく意を決してこの地を訪れてみたものの、これすらも運命の導きではないだろうか。

 

自らの忌まわしき姿から逃れるように各地を巡り、大陸を飛び出して諸国をさすらった月日の長さが後悔をともって押し寄せてくる。
しかし、その一方で生涯変わることのなかったラウルの想いの深さが何よりも愛おしい。

 

マリーンはわずかに逡巡し、懐に手帳を収めた。
本棚に戻そうか迷ったが、そこに綴られた想いを読み、また朽ちることのない真銀が二つに割れたことを思うと、手帳も彼女の元にあることを望んだように思えたから。

 

旅装を整え、国王の元に赴き別れの挨拶を告げる。
微笑みながらどこへ向かわれるのか、という国王の問いに彼女は笑って「ジャイラへ」と告げた。

 

*************************************

 

デフェル荒野の北西。ジャイラ密林。
そこに鎮座する忌まわしき遺跡の一角で、マリーンは夜の星空に浮かぶ白銀の月を見上げていた。

 

体中の水分を失うのではないかという止めどない涙の跡が頬に残っている。
泣きはらした目に冴えた砂漠の風が心地よい。それは遙かな昔にラウルが頬に触れた様子を思い出させた。

 

『リィン…それで人間の姿を取り戻すのかい?』

 

傍らに落ちた帽子がうごめいて声を発した。かつてマホッシーと呼び、その実は忌まわしき魔神ジャイラジャイラではあったが、奇縁因縁いずれかによって結び合わされて今なおこうして旅を共にする存在だ。

 

『魔族だから呪いをかけることはわかっても、解くことについてはわからないけど…きっとそれで呪いを解くことはできるよ…』

 

「随分親切ね…だったら最初に教えてくれればいいのに…」

 

『魔族にとって呪いは与えるもので、解くものじゃないんだ。だから解けるなんて考えたことがなかった。でもきっと呪いを解けば…』

 

「私は死んでしまう。…でしょ?」

 

『わかってたの?』

 

「なんとなくね。私は人としてはあまりに永く生きてしまった。それを可能にしたのは貴方の力よ。この力があったから救えた命もあるのよね…」

 

『人を救うなんて思ったこともなかったけどね』

 

「生き方までは貴方に奪わせないわ。私は頑固なの」

 

『…知ってる。頑固で強情だ』

 

「ラウルは私に人として死ぬ希望を残してくれた。私はもう死ぬことは怖くない。だって彼の元へ行けるのだから…」

 

『死を希望だなんて…君は変わってるね』

 

「私が死んだら…貴方はどうなるの?」

 

『呪いが滅びても魔族である僕が消えるわけじゃないからね。またマホッシーになって別の誰かに憑りついてやるさ』

 

「…あいかわらずサイテーね」

 

呟きに反してマリーン…リィンはくくくっと喉の奥を鳴らすように笑った。
魔法の帽子もそれに呼応するかのように石畳の上を跳ねる。

 

『魔族にとったらサイテーはリィンの方さ。魔族の力を使って人を助ける羽目になるなんて考えたこともなかったよ。まったく、この二百年…君を呪ったことを後悔しっぱなしだ』

 

「嫌われたものね…。だってせっかく与えられた力ですからね。好きなように活かしたいじゃない」

 

『ま、好きなように…為したいように為すのが魔族だけどね。でもまぁ、正直こんな強情な宿主から解放されて、もっと素直で邪悪な宿主に憑りつきたいよ』

 

「ひどい話ね…邪悪を願う人がいるとでもいうの?」

 

『…いるよ。人の心は光に満ちているけれど、そこにはいつだって闇もあるんだ。リィンだってわかってるだろ…』

 

「…そうね」

 

彼女は嘆息を漏らすと再び視線を沖天の月に戻した。
確かに人は善性に満ちている。しかし一方でその心には常に闇も潜む。妬み、嫉み、恨み、辛み、怒り、悲しみ、憎しみなど…。
彼女自身、異形の身に落ちた日々を呪わないではなかった。愛するものを護るため、自らが選んだ道でなければ踏み外さないではいられなかっただろう。
そもそも光の民と闇の民が争うことがなければ、彼女もラウルも非業を負うことはなかっただろう。

 

「さて…と」

 

『人間の姿を取り戻しにいくのかい?』

 

「ううん。それはもう少し後にする。ラウルが護り、育んでくれたこの世を貴方たちにかき回されるのは癪だしね…」

 

『え~っ!とっとと人間になって僕を解放してくれると思ったのに!』

 

「いずれそうするわ。もう少しだけやっておきたいことがあるから。それに今までだってラウルは待ってくれたから…きっとあと少しくらい待ってくれるわよ」

 

壁際に立てかけられた古びた大剣がその時、かすかに揺らめいて月光を反射した。
それはなぜか微笑んでいるように…やさしい光だった。

 

「じゃぁね、ラウル。行ってきます。いつかこの地に…世界を護るという勇者が現れたら…何をおいてもあなたの元へ駆けつけるから。それまでもう少しだから待っていてね」

 

冴えた空気が張り詰めた密林の夜に、天高くから月光が降り注いでいる。
それを受け止めるように…そして導くように遺跡を包む湖が満点の星空を映し出していた。

 

アークデーモンの嘆き

ちょちょちょ…
ちょっと聞いてくださいよ、マスター。

 

いやね。
私、この前の異動で天空の城勤務になりましたやん?ってこの前ってもう4年だか5年だかなりますけど。

 

そうそうネルゲル坊ちゃんが主管の天空の城ですがな。冒険者の連中は「冥王の心臓」とか言うてますけどな。んなもん心臓みたいにドックドック動いてたら住みにくくって仕方ありませんわ。アホいうたらあきませんで。
 

昔は結構賑わってましたけど、今じゃ冒険者もめっきり減ってもうて毎日閑古鳥が鳴いてますわ。こうなるとさすがにちょっと寂しいですな。

 

もうワテもすることがないですよって、ついつい暇つぶしにギガントヒルズやワイトキングと麻雀してますねん。
って、勤務時間に何しとんねんとか思てます?まぁそうですわな。

 

でもワテら基本的に悪魔ですやん?一生懸命に何かを生産するのはちょっと違うと思うんですわ。どっちかっちゅうと生産より破壊の方がしっくりきますやろ?
 

なんてったって悪魔ですもん。

 

でも、そない言うたかてなんでもかんでも破壊しまくり、好き放題暴れられるわけちゃうのはマスターならわかってくれますやろ?
 

冒険者の連中は結構ワテら魔族は好き放題やってると思うてますけど、実際は結構縄張りとか管轄とかうるさいですやん?
なんも考えずに人間やらなんやらを狩り倒して、うっかりドレアムさんとか災厄さんとかの縄張り荒らしてもうたら後で何されるかわかったもんちゃいますやん?

 

あの人らマジでキレたらハンパないんですわ。
 

ただでさえ乱暴者で回りピリピリしてますのに、ドレアムはんなんか人のこと「牛顔のくせにっ!」とか言いますねん。ちょいちょい毒吐きますねん。
ワテらに言わせたら、あんたこそ年中白目むいてますやんっ!ってとこですけど、そんなん言うたらボコボコにされますよって黙ってるんですわ。

 

昔はアトラスはんとかバズズはんとか話の分かる方も多かったですけどね。あの人らも今やすっかり閑職に追いやられて迷宮で碁打ってましたわ。

 

最近は外資系ちゅうやつですか?それともゆとり世代っちゅうやつですか?
 

キラークリムゾンとかイーギュアとかいう…。この前生協の前でうっかりばったり出くわしましたけど、目がヤバいですやん。話せばわかるって感じちゃいますやん。
あんなのに狙われたらこっちはいつも病院通いですがな。たまったもんちゃいますで。

 

ドン・モグーラはんなんか変な髪形言うただけでバンドメンバー引き連れて総出で襲撃してきますねんで。
 

もうちょい余裕というか温かみっちゅうもんが欲しいですわな。世の中思いやりが一番とか言いますやん。住みにくい世の中になりましたわ。

 

って話がそれましたな。

 

本題はうちのボス。
そうそうネルゲル坊ちゃんですがな。

坊ちゃん言うたら本人ゴリラみたいになって怒らはりますけどな。

 

普段はあの人、魂食うてますねん。
魂っちゅうか、霞みたいなもんですわな。

そんなもん腹の足しにならへんのそこらの小学生でもわかりますわ。
でもめっちゃ偏食家ですねん。

固形物たべませんねん。口にするもん言うたら基本は人の魂だけ。鼻だか口だかからすぅ~~~っいうて吸い込んだら終いですねん。
たま~に血酒も飲まはりますけどな。
ああ見えて結構酒に弱いんで、基本なめる程度ですねん。

 

魂みたいなもんばっか食べてるから、あんな顔色してますねん。
妙に下まつ毛気にしてはりますしな。

 

いや。

 

まじ美形なんは認めます。
ワテもあんな顔に生まれてたら、魔族イケメンコンテストとかにでて、かわいこちゃんをとっかえひっかえ食いまくってますわ。
手足もスラーっとしてよろしいがな。足組んだ格好もサマになってますわな。ワテら足組んだろ~と思うたかて長さが足りませんねん。ホンマ世の中不公平やと思いますわ。

 

え?実際最近色っぽい話ですか?

 

ありませんありません。
ちょっとこの前チャットでいい感じの子みつけましたけど、会うたらピンクいトロルですやん。

 

いや、実際に会ったわけとはちゃうんですけどな。
 

初めて会うのってちょっと緊張しますやん?待ち合わせ場所の近くで張り込んで、どんな奴が来るか確かめとったんですわ。
そしたら、なんかごっついアクセサリーメッチャつけ倒した厚化粧のトロルですやん。

そらジュリアンテはんとかまでは期待してませんでしたで?

でもトロルはないですわ~。しかも明らかに向こうの方が強そうでしたし。うっかり押し倒されたら抵抗できませんやん。
そんな輩にワテの貞操奪われたら泣くに泣かれへんっちゅうか、さすがにワテも立ち直られへんと思いましてん。

 

ワテ、こう見えてちょい亭主関白よりが希望なんですわ。

 

ってまたまた話それましたやん。
マスターが横からいらんチャチャいれますよって話が脱線してまうんですわ。

 

ま、ええんですけどね。

 

ほんでワテらが上司、ネルゲルはんですけどな。

ホンマはやったらできる人やと思うんですわ。
変に気取ってないで、現状ちゃんと見つめなおして努力したら、の話ですけど。

もちろんちゃんと好き嫌いなくメシも食わなあかんと思いますし、きちんとトレーニングもせなあかんと思いますけどな。

 

でもそういうの全然好きじゃないんですわ。
そこがネックちゅうか伸び悩みの根っこなんですけどね。

 

この前も冒険者来ましてん。
リーダーっぽい奴はそんなでもないんですけど、後ろにいる奴らがなんやメッチャいやな感じの奴らでしてん。

両手に黒光りするハンマーもって天下無双とか、大斧振りかぶってなんちゃら魔斬とかね。
 

昔は冒険者も結構空気読んでくれましたけど、最近は全く遠慮がありませんねん。いきなり丸焦げレベルの強化力ぶち込んできますねん。

 

坊ちゃんも最初っから必死のぱっちで本気出してくれたら少しは違うかもしらんのですけど。
普通にすかした感じで様子見ますねん。

 

そしたらボッコボコでしょ?

たぶん内心「これアカンやつや~」とか思わはるんでしょうな。
途中でワテら呼び出されますねん。

 

そりゃね。
 

上司がピンチってなったら部下としては飛んでいきますわな。ちょっと朝からお腹の具合が悪いとか言うてられませんわ。上司助けるために必死の覚悟で飛び出していったんですわ。

 

そしたら坊ちゃんったら何しはったと思います?

 

戦場にワテら残して、すい~って玉座に戻らはったんですで。信じられます?
 

ワテ、自分の目を疑いましたがな。思わず二度見しましたもん。

この期に及んで大物感ってやつです?ポテンシャルは認めますけど、今は泥臭く頑張らなあかん時ですやん。冒険者の目、明らかに獲物を見る目ぇしてますやん?
 

食うか食われるかっちゅう時に調子こいてる余裕なんか1mmもありませんわ。

てっきり一緒になって頑張ってくれるもんと思って飛び出した部下を見捨てて、玉座で頬杖でっせ。指パッチンしてる場合ちゃいますやん。

 

そらもう

 

「やれ」

 

言われましても、

 

「あ、はい」

 

みたいな答えになりますやん。

案の定ワテらいいようにボコボコにされましてな。
 

そないなってから、自慢の鎌を振り回したって時すでに遅しですわ。イケメンのプライドかなぐり捨てて、ブチ切れゴリラ顔になってももうワテらスリーアウトでチェンジでしたもんね。見守るしかできませんやん。

 

「ほら、言わんこっちゃない」

 

とは言いませんよ、言いませんったら。

でも、せっかく坊ちゃんいいもん持ってるんですからね。
もうちょっと気取ってないで本気出して頑張ってほしいと思うのはあかんことですかね。

 

てかこの前のイケメンコンテストだかなんだかで、あの人うっかりだかちゃっかりだかエントリーしてましてん。
結果もそこそこえーとこまで行ったみたいです。ほんま、ワテかてああいう病弱な感じのイケメンに生まれたかったですわ。

 

なんでワテ、こんな牛顔ですねん…。

筋肉質言われますけどずんぐりむっくり体形じゃマッチョもへったくれもありませんわ。
 

てかなんでワテらズボンはかしてもらえませんのん。支給されてるユニフォームが長靴だけって、総務課の連中の趣味ってどうなってますのん。これ、改善要求してもええとこですやろ?

 

あ~もう!マスター、テキーラおかわりっ!
今日はとことん呑みますねん。たまにはこないな日もないとやってられませんわ!

 

PLLLLL…

 

って…あれ?
LINE入りましたやん。え~っと…明日のシフトは7:00~22:00に変更?マジですか?朝から通しですか…。7連勤やったで久々の半休もらえる思て羽伸ばしてたのにっ!
ホンマいきなり人のシフト変えるンもなしやと思うんですけど…。

 

ちょっと労働監督局に苦情いってこよかな…
でも、下手に異動になってグラコスはんとかディーバはんとかにあたってもうたら、ワテ泳がれへんのに冒険者と一緒に水流にやられたらたまったもんちゃいますしな。

 

ジュリアンテはんやったら最高ですけど、マリーンはんにあたってもうて下手にそないな空気になってもめんどくさいしな…。

 

は~…結局今の職場で頑張るしかないんですなぁ。
たまに出張でいく魔幻迷宮で羽伸ばすしかないんですかねぇ。

 

漆黒の帳がおろされたとある街角。
冷気がそよぐ風に乗って肌をさす。蝙蝠をモチーフにした街灯から射す紫光が湿気を帯びた石壁を薄ぼんやりとおぼろげに照らし出していた。

 

アストルティアにあって誰にも知られざる街。
知られざる街の名もなき酒場。

 

こうしてまた夜は更けていく。

 

白熱するハーレムビーチ

初夏のきらめく陽光が透明度の高い水の中で万華鏡のように揺らめいて、見上げた先にある水面が一瞬ごとに美しい幻想画を描いている。
その様子を陶然と見やりながら、ふと彼は自分がなぜそこにいるのかを思い出せないことに気がついた。

 

(あれ?私はなぜこんなところを泳いでるんだろう?)

 

ウェディである彼は、当然の如くに泳ぎが達者だ。
流れるようにしなやかな泳ぎを見せて水面に浮上する。水から顔を出した瞬間、眩しい陽光が視界を奪う。

一瞬目を細め、顔についた海水を掌で拭うと同時に再び目を大きく見開く。
見覚えのある浜辺…彼は直ぐにそこがアストルティアで一番の海辺のリゾートであるキュララナビーチであることに気づいた。
季節は初夏だが、ウェナ諸島に降り注ぐ太陽はすでに常夏のそれにふさわしい熱気を帯びている。

 

『トロさ~ん♪』

 

呼ばれた先に視線をめぐらすと、白っぽいビキニに身を包んだねおんが手を振っている。

 

(おおおおおっ!!ねおんちゃんが水着だっ!ビキニだっ!)

 

ねおんの呼び声に「は~い♪」と声を返しつつ、感激で思わず目を凝らす。
そして細めた視線の先に、黒のビキニを身にまとうシャノアールの姿が映る。サングラスを額にそらし、眩しそうに太陽を見上げながら豪奢な髪をすきあげている。

 

(おおおおおおおっ!!!シャノたんまで水着だっ!しかも何だか色っぽいっ!!)

 

シャノアールが見事な肢体を披露しているそばで、パレオを身にまとったミカノがトロに向かって手を振っている。その傍らにはシャツの裾を胸元で結んだぽるかがいて、麦わら帽子が風に飛ばされないように片手でそれを押さえていた。
ユエが黒のやや露出度の高いビスチェを着ていると思えば、その後方ではユズたんとちなちながかき氷を片手にトロの方に向かって手を振っていた。

 

(なになになに!?チームの女の子たちが皆揃ってる~♪しかも何だか皆すっごく色っぽい~っ!!)

 

もはやトロのテンションは沸騰寸前に高まっていた。
両手を激しくふって岸辺の女の子たちの視線にこたえる。声を上げようとした時に海水を飲みこんで思わずむせ返った。その様子が岸辺の女の子たちの笑いを誘う。
まさにハーレムに相応しい光景がそこに広がっていた。

 

(あれ?そういえばこんな素敵な瞬間なのにデボさんの姿がみえないや…)

 

チーム随一…いやアストルティアでも屈指の女好きと思われるデボネアの姿が見えない。
彼がこのような光景を目にすれば、トロ以上にテンションが上がってそれこそ空も飛びかねない。もちろんそれにはけたたましい騒音がつきまとうはず。
それがない。

 

不思議に思ってトロは水をかく手を止め、波間に漂いながら視線をめぐらせる。

デボネアだけではない。
あいあも、しげも、マサキも、ぷみさくも…トロ以外の隊の男性陣の姿が見えない。彼らは何をしているというのだ。このような夢の瞬間を前にして。

 

『トロさ~ん♪早く~ぅ』

 

一瞬思考にふけろうとしたが、ぽるかの声がそれを中止させた。
岸辺では女の子たちがそれぞれ色っぽい水着を身にまとい、トロの到着を今や遅しと待ちかねている様子だ。

 

「いま行く~~~っ!」

 

トロは大きく息を吸い込み、勢いよく頭から水に潜っていった。
岸までの距離はおよそ20m程度。泳ぎが得意な彼にとっては造作もない距離だ。女の子たちの視線から消え、波打ち際から勢いよく飛び上がって驚かせよう。

先ほどまでの様子だと、彼女たちはトロの登場を歓声を上げて迎えてくれるにちがいない。

 

ライバルはいない!今はまさに私だけのハーレムビーチッ!

 

水中でトロが口許をだらしなくゆがめたその瞬間の事である。突如として彼の四肢が何か縄のようなものにからめとられて動きの自由を奪われてしまった。
網目状のそれがトロのしなやかに伸びた腕や足にからみつき、思うように泳ぐことが出来ない。

 

(漁網!?てかビーチに漁網なんてしかけないでよっ!)

 

彼はそれを波打ち際に仕掛けられた漁網だと考えた。
水面ではなく、水中に潜ったのが災いしたと言えるだろう。とはいっても多くの海水浴客が泳ぐキュララナビーチで漁をするのはどうかと思われる。

 

(ちょっと監視員さんに抗議しなきゃね…)

 

そう言いながら冷静に絡まった網から腕を抜き取ろうとした次の瞬間、今度は網が力強く上方へと引き上げられていくではないか。

 

(ちょっとちょっとっ!うわわわわっ!)

 

思わず息を漏らす。
吐き出した空気が大きな気泡となって海水にはじけていく。その瞬間も網はぐいぐいと引き上げられ、それにからめとられる形でトロの身体も上へと引き上げられていく。

 

『うぇ~い!大物がかかってるぞ~♪』

 

シャノアールの声がする。
水から引き揚げられた瞬間、トロは先ほどと同様眩しい陽光に思わず瞼をぎゅっと閉じる。
どうやら仲間たちが漁網ごとトロを引き上げてくれたらしい。少しかっこ悪い登場になってしまったが、下手をすれば水底で溺れることも考えられたのだから、これはこれでありがたいというところだろう。

 

礼を言おうとした瞬間、トロは自分が言葉を発せないことに気づいた。
それだけではない。手足の感覚がない。視界の端に見えるのは見慣れた自身の手足ではなく、大きな魚の尾びれだった。どうしたことかトロは巨大な魚に姿を変えられていたのだ。

 

『私、赤身の刺身が食べたいな~♪』

 

ミカノが嬉々とした声をあげて長剣を鞘走らせた。そこに顕れたのは闘争用の剣ではなく、巨大な出刃包丁だ。

 

(やめて~!私ですっ!ミカリンっ!)

 

懸命に悲鳴をあげるが声が出ない。水揚げされた巨大なマグロが口をパクパクと開くのみだ。

 

『私は白身の魚が好きなんだけどな~』

 

『ぽるぽる…』

 

『ん?どしたのユエちゃん?』

 

『ちょいとアレの内臓引きずりだして、塩漬けにしてみるとかどうだろう?』

 

『お~!塩辛!?そういえば食べたことないね』

 

『バラ身はちょいと爆炎であぶってみよう』

 

『おっ!それイイね。マグロの油は上質の牛肉にも引けを取らないらしいしね!』

 

ユエとぽるかが口許をにやりと歪ませているとシャノアールまでがそれに便乗してきた。

 

『霜降りをちょいとメラミでローストしようぜ♪』

 

トロは必至で身をくねらせて逃げようとするが、漁網の一部が引っかかって身動きが取れない。それだけではなく、いつのまにやら自身は巨大なまな板の上に寝かされており、周囲をぐるりと隊の女性陣がとりかこんでいるではないか。

 

『お寿司の用意出来ました♪ネタをよろしくおねがいしま~すっ』

 

ねおんの嬉しそうな声が響く。ユズたんやちなちな、クーニャンまでもが箸と小皿をもって今や遅しと垂涎の様子だ。

 

『それじゃ捌きますね~♪』

 

ミカノが巨大な出刃包丁を頭上に掲げる。

 

(やめて~~~っ!さばかないで~~~っ!!)

 

『ええかげんやかましいわっ!』

 

ユエの怒声が響き、次の瞬間トロの視界は白熱に包まれた。
ホワイトアウトして意識を失うトロ。

 

『どひ~っ…ノーモーションでメラゾーマってユエちゃんえげつない…』

 

『問題ない。多少の手加減はしておいた。死んではいないはず』

 

『あらあら…トロさん、酔っぱらって寝ちゃったかと思ったら盛大に寝ぼけましたね』

 

ミカノがプスプスと白煙を上げるトロを見ながらクスクスと笑う。『大丈夫、生きてますね~』と笑顔のままトロの生存を報告する。

 

『寝ぼけて蚊帳に引っかかったかと思ったら、じたばたぎゃーすかやかましいねん』

 

『最初はなんだか幸せそうな声をあげてたけどね』

 

デボネアはそう言って酒杯を傾けた。
その日、隊員の有志でジュレット海岸に出かけ、そのままの流れでバーベキューを行っていたのだ。
トロはいつものように嬉々として酒杯を重ね、気がつけば酩酊して近くに設置された蚊帳の中で横になっていたのだが…

 

『酒に酔って寝ぼけるのも大概にしとかないと、きつーいお灸をすえられることになるってやつですな』

 

あいあがぴくぴくと痙攣するトロをしり目に誰にとはなく呟いた。
 

遥かな水平に巨大な太陽が、橙の陽光を水面にきらめかせながら沈んでいく。

ある初夏の夕べの出来事であった。

 

海洋都市の落日

ウェナ諸島は水と風の精霊の影響を強く宿し、ジュレットの街では一年を通して泳げるほどの温暖な海流が流れている。
夏ともなれば浜辺の楽園とも言われるキュララナ・ビーチには、アストルティア各地から多くの観光客が訪れ、浜辺にはリズミカルな音楽が流れ、色とりどりの水着と嬌声に包まれて賑わいを増す。
俺の住処があるアズランや、隊の拠点があるメギストリスでは吐く息が白く宙を揺蕩うこの季節にあっても、海洋都市を行きかう風はかすかに温かさを残していた。

 

海洋都市ヴェリナード。
ヴェリナード王国の中枢を成すこの都市には、流麗かつ荘厳な白亜の王城が中央に鎮座し、強固な城壁の内部に円筒状に住宅地が広がり、その合間を埋める水路には澄み切った水が流れている。
ウェディの王国でもあり、水の都市に相応しい景観がそこにあった。

 

現在ヴェリナード王国は女王ディオーレが統治し、その在位は20有余年を数える。ラーディス王以降女王による統治を布いてきたが、現在王家には姫はなく、王位継承者はオーディス王子ただ一人だ。
それでも国民の王家、王子に対する信任は厚い。先だって王子の謡う恵みの歌がこの国に新たな脈動の火を灯していた。

 

オーディス王子が恵みの歌を謡うにあたっては、密かに俺も一枚噛んでいるのだが、それを御大層に誇示するつもりは毛頭ない。
俺はあくまで影の功労者の一人であり、えてしてそうした陰徳は秘めてこそ評価されるものだ。

堂々と光のあたる王子の横にしゃしゃりでて、無駄な反感を買うのはばかばかしい。

 

「皆おっそいなぁ…日にち間違えてんじゃねぇかな」

 

ヴェリナード城の2F。大階段の一番下に腰かけながら俺は小さく呟いた。
城内を行きかう女官に軽く声をかけてみるが、得られるのは柔らかな笑顔のみだ。

今度オーディスに合コンでも開いてもらおうか。無駄にイケメンだから何とかなるだろ。王子に余計な傷をつけるなって言われるかな?ディオーレ女王に睨まれるのは面白くないな。はてさてどうしたものか。

 

『ごめんなさい…遅れちゃった?』

 

思考に耽っていたせいか、俺はシェルが階段を上がって声をかけてくれるまで全くその存在に気づかなかった。
金色に縁どられた瀟洒な絹服を身にまとい、明るい栗色の髪が肩口で揺れている。

 

『おつかれさまです。間に合ったかな?』

 

次いで姿を現したのは赤褐色の短髪の戦士だった。楡の大樹のように鍛え上げられた長身から野生の獣がもつような秘めた躍動感が感じられる。

 

「シェルさん、ぷみさん、いらっしゃい。集合場所は3階のバルコニー前で。上でデネブが一人で暇つぶしてるはずだから先に上がって待ってて~」

 

言い終えると同時に桃色の髪をゆらせた小柄な女戦士が階段を駆け上がってきた。

 

「おお…アトちゃん、時間ギリギリだよ!」

 

『ゴメン…ちょっとピラミッド探索に時間がかかっちゃって…』

 

「えぇ!?一人でピラミッドの内部を探検してたん?」

 

『うん。まだ途中だけどね』

 

俺は言葉を失った。ピラミッドは数多くの罠が仕掛けられ迷宮と化した階層と、呪われた魔物たちが蠢く階層とに大きく二分される。
アトムが探索に行っていたのは迷宮層。熟練の冒険者であれば迷宮の探索もそれほど驚きではないが、なんといってもアトムは迷子の代表格だ。決定的に方向感覚に乏しいはず。それが複雑に入り組んだピラミッドの迷宮層を単身で探索しているなど、少し前では想像すらできなかった。

 

「アトちゃんがピラミッドの中を探索ねぇ…もう迷子扱いはできないね」

 

『ぶいっ!!』

 

誇らしげにピースサインを突き出すアトム。何だろう…この敗北感は。

 

『ごめん、デボさん。遅くなっちゃった』

 

『おまたせです~!』

 

ぽるかとアンチェインがあらわれる。続々と姿を見せるメンバーたち。時刻は待ち合わせの5分前。結局皆、時間をちゃんと覚えてたってことか。

 

「ぽるちゃん…アトちゃん、ピラミッド一人で探索できちゃうんだって」

 

『えっ!!?ピラミッドってレンダーシアの?迷路の方?』

 

『そうそう。もうだいぶ迷わなくなったよ』

 

『そ、そんなバカなっ!!』

 

迷子の双璧と称されるぽるかの受けた衝撃は俺の比ではなかったかもしれない。
絶句するぽるかをみて、少しだけ安心する。そうそう。ぽるちゃんはずっと迷子でいてくれればいいのです。

 

「リリちゃんがいたら、うっかりも二分できるのにね」

 

『うっかりでリリちゃんには敵いません…そうか…リリちゃんがいれば迷子も一人にならなくても良かったのに…リリちゃんめっ!』

 

踊るように階を昇るアトムに対し、アンチェインに引きずられるようにして茫然自失のぽるかが続く。
隊で屈指のリアクションの大きさというと何と言ってもらきしすだろうが、ぽるかのネタ芸人っぷりも蛍雪に冠絶すると言って良いだろう。

 

『安心して下さい。はいてます』

 

意味不明な一言を発しながらシャノアールが姿を見せた。普通に挨拶が出来ないのだろうか、我が師匠は。
シャノアールと同じくしてあいあ、ユズたんが続いている。

 

「シャノ、エリちゃんは?」

 

『ん…エリな…詰所の炬燵でつっぷして寝てた。頑張って起こしたけどどーにもこーにも起きる気配がないからほってきた』

 

「あちゃ…エリちゃん…らしいっちゃらしいか。あとは…ユエちゃんは?」

 

『昨日、毒の沼地の様子を見てくるって言うてたけど…』

 

「毒の沼地…ありきたりに魔物討伐とかじゃないよな。なんや変な研究でもしてへんやろな…」

 

思わずシャノアールと目を合わせて二人でははは…と乾いた笑いを洩らす。
おそらくシャノアールの脳裏にも同じようなビジョンが浮かんだのだろう。毒の試験管を前にニヤリと不穏な笑みを浮かべるユエの姿が。

 

『ちなさんはちょっと具合悪そう。少し前に隊にしばらく静養するって連絡があったみたいだよ』

 

あいあの言葉で俺たちは現実に引き戻される。
ユエが狂える科学者となってしまったかどうかはまた後日、本人に直接訊けば良い。

 

『そっか…ちなちゃん、心配だね』

 

「ん~…あとはトロさんとチアロさんってとこか。他の皆はバルコニー通路に集まってると思うよ」

 

『えっと…りょうも連れてきて良いです?』

 

ユズたんが控えめに訊ねてくる。もちろん断る理由なんか欠片もない。二つ返事で快く了承する。

 

「ま、トロさんとチアロさんもおいおい来てくれるだろ。タ~さんとらきちゃんは用事で来れないって連絡あったし、フェロさんは…釣りにでもいってんのかな?」

 

『ミカノさんは?マサキさんはどうでしょう?』

 

『ミカノさん、少し前にその日はどこかの王族との会食が入ってるとか言ってたかも…』

 

「王族と会食!?ミカノさんってどこに向かってんねん」

 

『はは。才媛にはいろんなところから引手数多ってことだよ』

 

「ん?じゃシャノには?引手数多ってこと?それとも…」

 

『うっさいよ。一回ここから飛んどきたい?』

 

「結構です!」

 

『マサキさんは…ちょっとまだ来れないかもしれないね』

 

そのままの流れで談笑しながら階段を上っていく。
磨き上げられた大理石の階を手入れされた燭台の灯りが朱く照らし出していた。

 

『お~!結構集まってるね』

 

恵みの詩を謡うバルコニーへと続く回廊は蛍雪のメンバーであふれていた。
そうこうしている内にトロとチアロも合流し、回廊をいく他の冒険者からの問いかけるような視線が痛い。

 

「おー!そんじゃ皆で記念撮影すんでー!」

 

『折角だから皆で踊ってみるのも面白いんじゃない?』

 

「じゃサイクロンでもやっちゃう?」

 

『いいね。ドラザイルとして売り出しちゃう?』

 

『アン、それはないから…』

 

『あ、りょうってばまだ踊れない!』

 

『いいよいいよ!先頭で座って不動のセンターで』

 

『はいはい!背の順に並んで~』

 

『あっ!デボさんが私のおしり触った~!』

 

「違うよ!それはあいあさん!」

 

『なぬっ!?』

 

「俺はまだぽるちゃんとシェルさんのしか触ってないっ!」

 

『通報通報っ!』

 

『もうね…たいていのことには驚かないというか何というか…』

 

「や~~め~~て~~~っ!!」

 

平素は王国を穏やかな風が流れ、恵みの詩が海流に宿り豊穣をもたらす海洋都市。
その日は俺たちの歓声、嬌声、笑声が弾け、それは大空が茜色に染まり、その後幾星霜の星々が瞬く頃になるまで続いた。

 

とある冒険の寄り道。
冬のある日の出来事だった。

ピラミッドとニワトリと

『誰かピラ7層から9層あたり行く人いないかな?』

 

カラコロと隊の詰所の扉が開かれた矢先、姿を見せたトロがそう言って声をかけた。
ピラミッド高層階。兇悪なモンスターたちが跋扈する魔窟である。

 

『あたしが行くよ』

 

悩むそぶりも見せずに奥のカウンターで果実酒の杯を傾けていたシャノアールが返答した。ほぼ即答に近い。
さすがに数多くの死線を乗り越えてきた歴戦の士だけのことはあるな、と内心唸っていたところに古豪の女戦士は意外な言葉をつなげてきた。

 

『デボも連れて行く』

 

ぶぼへっと俺は思わず飲みかけていた酒を吹き出すところだった。

 

おいおい、本気かいな。

 

俺自身、戦場に身を置いてきた時間は短くはない。手にした武器は数多の魔物たちの血と肉を断ち切ってきた業物だ。
 

が、一方でここしばらくは魔物の討伐はおろか、死を身近に感じるような窮地に身を置いてこなかった。冒険者たちがごく自然に身につけている動物的な勘…生死をわかつ空気を読み取る力が鈍りきっている。
 

現状、第一線で活躍する冒険者たちですら手を焼くほどの魔窟において、俺に仲間たちの背を守れるとは到底思えなかった。

 

『リハビリが必要だろ?』

 

そんな俺の葛藤をよそに、シャノアールが悪戯っぽく笑ってみせる。戸口に立つトロもなぜか笑顔だ。
 

こいつらはドSなのか。ドMなのか。

 

仲間たちの性癖はともかくとして、俺も覚悟を決めた。
これは要するに仲間たちの信頼の証だ。俺自身に対して仲間たちの『お前ならできるだろ?』という期待であり、俺の仲間に対する『こんな俺でも彼らとなら何とかなるかもしれない』という信頼。

 

休息は終わりだ。獲物をもつ手に汗がにじむ。
俺は同席していた弟子のデネブに短く指示を残し、杯をあおって空にすると重い腰を上げて席を立った。

 

*****************************************************************

 

中天に星々が瞬き始める頃、俺たちは転移の飛石の力を使い、レンダーシアのピラミッド前に辿りついた。
 

巨大な遺跡のシルエットが、煌めく星空の下で漆黒の存在感を顕わしている。アラハギーロの守衛が正門を固めているが、魔窟から滲み出している負の瘴気はとどめようがない。

 

さて…と。

 

俺は傍らでいななきを上げる黒馬の首筋を撫でた。
白のキラーパンサー〝シロ〟に変わって冒険の足を新たにつとめてくれているのは、ちまたでは黒竜丸と呼ばれている妖獣の一種だ。

 

漆黒の毛並に、灰白の鬣。身にまとった妖気が蹄に宿り、半ば宙に舞うように走る後ろには妖気の煌めきが残光を刻んでいく。
レンジャー協会が長い研究の果てにようやく騎獣として飼いならすことが出来るようになったもので、先日アラハギーロの市場で売りに出されていたのを買い求めたところだった。

 

『お~、黒竜丸じゃん』

 

「んむ。〝クロ〟いうねん」

 

『ひねりもへったくれもないな…』

 

「うっさいわ」

 

傍らのシャノアールと談笑をかわす。俺は巨大な黒馬の背にまたがり、見下ろす形になった盟友に手を差し伸べる。

 

『乗りや』

 

黒竜丸は騎獣として初めて2人乗りが出来ることで知られている。
確かにその背は大きく、しかも力強くて大の大人が2、3人乗ったところでびくともしないだろう。

 

シャノアールは猫科の獣を思わせるしなやかな動きをみせて、その長身を騎獣の上に跳ね上げてきた。彼女が腰をおちつけるのを感じて、俺は軽く馬腹を蹴った。
黒竜丸が小さな嘶きを上げて軽やかに疾走を開始する。

半ば浮遊している妖獣の背に揺られ始めると、俺の後背から小さく感嘆の声があがった。

 

『こりゃ楽だね』

 

同時に俺も思わず独白を洩らす。

 

「胸があたって気持ちいいな、こりゃ」

 

『アホか』

 

ツッコミにしては強すぎる一撃が後頭部を直撃する。
アブナイアブナイ。力加減を考えろよ、一瞬意識が遠のいただろ!

 

先発のトロは既に霊廟の前室にまで移動していた。
もう一人、ケイミーという小柄な女性を伴っている。フードを目深にかぶっているが人見知りだったりするんだろうか。

 

『おお…』

 

トロは黒竜丸の背にまたがった俺たちを見とめ、小さく声を上げる。

 

「トロさん、これいいよ。デートに最適♪」

 

『なるほど…さすが師匠』

 

トロは時折俺のことを師匠と呼ぶ。
彼は冒険者としての技量は俺の数段上を行く。実力として優れる彼に師事される覚えは全くないのだけれど、どうやらナンパだの日頃の言動に見える対女人特性を評価してくれているらしい。

 

単なる女性に対する重度の奴隷気質なだけなんだけど。

 

装備をあらため、ポーションなどを確認する。久々のピラミッド深層への討伐行に思わず生唾をのむ思いがする。
錫杖をもったトロが首肯き、ケイミーに目配せをする。振り返ったシャノアールがニヤリと目を細め、閉ざされていた遺跡の扉を押し開いていった。

 

*****************************************************************

 

アストルティアにも雪は降る。

グレンの住宅地の一角などは大地深くに宿った雪の精の影響を強く受け、一年を通して一面を雪に覆われている。オーグリード大陸は五大陸の中でも特に雪の精霊の力が強いのかランガーオ山地のラギ雪原やランドンフットは永久凍土に閉ざされていた。

 

季節はとうに秋を過ぎて、本格的な冬を迎えている。
オーグリードに比べ、遥かに温暖なエルトナやプクランドでも強い寒波の影響をうけて路面が凍ることがあった。吐く息は白く宙を揺蕩い、人々は外套を厚くし、襟元を掻きよせるようにして冷気を防ぐ。

 

火の妖精の影響を強く受けるドワチャッカのみが、一年を通して雪を見ない。温暖な海流の影響で一年を通して穏やかなウェナには雪は降らないものの、年に数日間だけ強い寒波が押し寄せることがあるという。

 

その日、俺は日課である討伐を、後輩の戦士アルビレオと昨年入隊したユズたんと挑み無事に成果を収めていた。

 

メギストリスで協会に報告を果たし、その日の報酬を得る。
1日の収入自体はそれほどではないが、冒険者として生活していく上で協会の討伐要請は無視できない貴重な収入源の一つだった。

 

「だいぶ腕をあげてきたね。そろそろ単身でもあれこれ挑戦していいかもよ」

 

『ふふふ。これも師匠のおかげです』

 

「それ、その師匠っていうの禁止な。俺はそんな大したもんちゃう」

 

『自分やってシャノさんのこと、師匠!って呼ぶやん』

 

「いや、シャノは俺の剣の師やもん。嘘は言うてへん。でも俺はそないに大したことを教えられるわけちゃうやん」

 

『そかな~?そ~でもないと思うけど』

 

「とにかく禁止な。弟子入りするならトロさんとかシャノとかシェルさんにし。ぽるちゃんは実力はあるけどネタ星人だからあかんで。アトちゃんは気をつかいすぎるけど、人選としては良いと思う。エリちゃんだとユズちゃんがセクシー路線に行くことになるかもね。それはそれでいいと思うけど…」

 

『デボさん…時々顔がやらしいで』

 

「!!?やかましわい!」

 

メギストリスの街道を歩きながら二人で談笑していると、角を曲がったところで明るい薄橙色の長髪を結い上げたちなちなと行き違った。
 

ほとんど同時にちなちなもこちらを見とめたのか、微笑みを浮かべて片手をあげて挨拶を交わす。

 

「ちなちゃんやん?あれ?なんか髪型変えた?」

 

『ふふ…ですです。ちょっと着物が似合うように結い上げてみました』

 

「いいね!良く似合ってると思うよ。長い髪も結い上げるとだいぶイメージかわるもんだね」

 

『うんうん。すご~く可愛いと思います』

 

『ふふふ…ありがとうです』

 

かつては新米冒険者だったちなちなも今や熟練の冒険者だ。
今でこそ平服に身を包み、魅力あふれる女性そのものだが、一転戦場にあっては長斧を閃かせ、あるいは爆炎を操り敵を屠る激しさを宿している。

 

寒さを凌ぐため厚手の外套の襟元を寄せ、頬が冷気でわずかに朱く色づいている。
 

3人は陽光が長く石畳に影を伸ばす夕刻に、メギストリスの一角でしばし時を忘れて談笑にふけっていた。

冒険の合間のつかの間の休息というやつだ。

 

と、その時である。

 

微笑みを浮かべていたちなちなが、俺の後背の何かに気づき目を見開く。
怪訝に思い、振り返った先に長大なニワトリの冠を身にまとい、色鮮やかな黄色のシャツに白いタイトなスリムパンツという何とも凄まじい装いに身を包んだアトムが衣装屋の扉を開けて出てきたところだった。

 

『アトムさん…』

 

ちなちなの言葉に明らかにびくっと激しく体を硬直させ、アトムが機械仕掛けの人形のようにぎこちない様子で首をぎぎぎ・・・とこちらにむける。

 

目があった。

 

アトムの大きな瞳に瞬く間に涙が浮かぶ。

 

『見ないでぇ~~~~~~~っ!!!』

 

悲鳴をあげて疾走を開始したアトムの背を俺は追うことが出来なかった。リアルすぎるニワトリの被り物。奇抜すぎるカラーリングの衣装。妙齢の女性としては最も見られたくない一瞬であったに違いない。

 

『ぐぎゃっ!』

 

姿を消した先でニワトリの首をひねったような奇妙な悲鳴が聞こえた。
慌てて駆け寄ってみると、凍った路面で足を滑らし、腰を痛打したアトムが石畳に転がっている。

 

貸衣装の革靴は確かタップダンス用につるつるに仕上げてあったはずだ…。
あのスピードで凍った石畳の上を走ったら、例え熟練の旅芸人であろうともアトムと同じ結末を迎えるに違いない。

 

『アトムさん、大丈夫!?』

 

駆け寄ろうとした俺たちをアトムは涙目で制する。どうやら足を滑らした際に奇妙な姿勢で踏ん張った影響か腰を酷く痛めたらしい。

 

『ううっ…こんな姿を見られるなんて…ううっ』

 

涙を浮かべながら、アトムは懐から転移の飛石を取り出した。

飛石の魔力に身を包み、飛翔を開始するその直前、アトムは涙をいっぱいに浮かべた視線を俺に飛ばした。

 

『デボさんもニワトリかぶってる姿見せてよねっ!』

 

返答を待たず遥か彼方へと飛翔するアトムに、俺はついに言葉を返せなかった。

 

『デボさん、あれって…』

 

「うん。プクレット村の村長がどーせまた芸人大会の審査員を募集してるんだろ。俺も昔かぶらされたことがあるもん」

 

『アトムさん、優しいから…断れなかったんですね』

 

「そやねぇ…。プクレットの村長、可愛らしい年頃の女性をつかまえてあんなムゴイかぶりものをさせるなんて、人のよさそうな外見をして、実際はとんでもないサド男に違いないね」

 

『ですねぇ…』

 

『じゃ、アトムさんもああ言ってたし、デボさんも今度あれかぶって見せてよね!』

 

ユズたんが抜群にいたずらっ子な顔をみせて満面の笑顔でこちらを見ている。

ちなちなも同じ笑顔でこちらをみる。俺は生まれて初めて笑顔に恐怖を覚えた。

 

「いやいやいやいや…俺はもう審査員やったし!二回やる義理はないしっ!」

 

『アトムさん一人にあんな恰好させて可哀想とか思わないんですか?』

 

「いやいやユズちゃん、言ってることおかしいよ。それを言うならユズちゃんもちなちゃんも一緒やん」

 

『デボさんのニワトリ姿、私見てみたいです』

 

『うんうん。おねーさんの言うことを聞きなさい』

 

日頃穏やかなちなちなの笑顔の圧力。人を師匠と呼びながら、一転して俺を従えようとするユズたんの狂気。

メギストリスの街角が、俺にとって突如脱出不能な迷宮にも感じられた。

 

『ぐぎゃっ!!』

 

刹那、不意に響いた悲鳴に救われる形で視線を移すと、見慣れた長身の女戦士が石畳に盛大に尻もちをついていた。
 

アトムと同じく凍った路面に足を滑らしたのであろうか。紫紺のスカートのすそから見えるすらりと伸びた四肢が妙になまめかしい。

 

『ぁいったぁ…もう凍った道キライ。コワい。おウチに帰りたい…』

 

痛打した尻をさすりながら、シャノアールが恨み言をこぼして立ち上がる。金色の長髪が陽光を映して茜色に輝いている。

 

『しっぽ持つの禁止っ!』

 

「だれもそんなもん持たんがな…」

 

意味不明に鋭く制するシャノアールに俺が嘆息する。
ちなちなが微笑み、ユズたんが短く切りそろえた金髪をゆらせて笑声をあげた。

 

あるアストルティアの冬の一日。

夕闇に沈むメギストリスの石畳に、空からの純白のギフトが、軽やかにちらほらと舞い降りていた。

 

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