Short × Short
邂り逅うふたり
※本文は多少ネタバレの要素を含みます。妖精図書館第3話の「ふたりの未来」をクリア後に読まれることをお勧めします。
アカシアの黄色い花が風に揺られて強い日差しを柔らかく反射している。
沿道に植えられたポプラが敷き詰められた石畳にまだらに影を落とす。城壁の外に点在する砂ナツメの樹がそよそよとかすかな音色を耳朶に乗せていた。
熱砂の王国アラハギーロ。
デフェル荒野の東に位置する巨大な砂漠に建国され、建国歴は200年を超える。
その王国の城門を2頭引の馬車4台が連なってくぐっていく。巻き上げた砂塵が風に舞い、灼熱の陽光をわずかに隠した。
慌ただしい様子に城門付近に居合わせた人々が怪訝そうに目を向ける。1台の馬車の天幕が大きくめくれ上がり、そこから姿を現した人影をみて周囲の雑踏から驚きの声が上がった。
「けが人を東町の詰め所へ連れていきな!担架に乗せてそっと運ぶんだ。アンタは一足先に医者のところにいって診療の準備をさせるんだ。毒に侵された人が多いからね。毒消し草だけじゃ手に負えないから、市場でありったけのニガヨモギも買い集めておいで!」
オーガ族を優に超える巨躯の持ち主。背負う武器は朴訥な鉄棍。
黒衣をまとった異相の持ち主は衛士にテキパキと指示を飛ばし、自身もまた魔術をもってけが人を癒していく。
数人の治癒を終え黒衣の主が一つ息を吐いて立ち上がると、積み荷の手配を終えた隊商の長が慌ててその傍らに駆け寄ってきた。
『賢者マリーン様、ありがとうございます!おかげさまで死者を出すことなく辿り着くことができました』
「…まぁ運がよかったね。あれだけの群れが一度に襲ってくることは稀とはいえ、少し気持ちに緩みがあったんじゃないのかい?慣れた道とはいえ城壁の外は魔物の縄張りだってことを忘れちゃいけないよ」
『はい…!お恥ずかしい限りです。本当になんとお礼を言ったらよいか…』
「ふふん。ま、これも天の配剤って奴だろうよ。たまたまあたしが通りかかったのもね。どれ、診療所の医者が泡食ってるだろうからちょいとそちらの様子も見てくるかね」
『ありがとうございます!これは少ないですが路銀の足しにしてください!』
隊長はそういって金貨の詰まった袋を差し出した。
賢者マリーンと呼ばれた黒衣の主は、一瞥して薄く口唇を綻ばせると、短く礼を言ってひょいと革袋を懐にいれた。
立ち去っていく後姿に深々と頭を垂れる隊長に、隊員の一人が声を忍ばせながら歩み寄った。
『隊長…あの方は一体何者ですか?あれだけの魔物に臆することもなく向かう武勇。治癒の魔術を操るだけでなく、医療自体にも造詣が深そうですが…』
『彼女は…賢者マリーンは放浪の賢者と呼ばれるお方だ…』
『放浪の賢者…!?それって古い伝説の方じゃないんですか?』
『うむ…私にも良くわからないが、現にあの方はこうして生きておられる。私がまだ駆け出しの頃にも一度お会いすることがあったが、今と全く変わることがない…』
『不老不死…ってことですか』
『かもしれん…。だが現にこうして我々は彼女のおかげで生きながらえることができた。まさに僥倖だよ…』
若い隊員は数刻前に自らの身におきた出来事を振り返って思わず身震いした。
山間の岩場を抜けようとしたその時に、突如として沸き起こった黒蚊の群れ。その一匹一匹が強い腐食毒をもつ。剣などの武器で立ち向かうにはあまりに小さく、天幕で防ぐには絶望的なまでに数が多かった。
隊商とは別にたまたま通りかかった彼女がいなければ…彼女の操る爆炎の魔術と結界の守りがなければあの場で全滅してしまってもおかしくはなかった。
隊長が僥倖と尊び、深く頭を下げる思いと同じくして、隊員も路傍に姿を消していく黒衣の背中に向かって深く頭を下げた。
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「よし…これで何とかなったね。おつかれさま」
最後の一人の治療を終え、マリーンはきしむ椅子から立ち上がった。
毒消し草とその効果を増すといわれるニガヨモギを煎じた異臭があたりを覆う。いつしか診療所には賢者の姿を一目見ようと群衆が押しかけていたが、その様子を意に介することもない。
と、その時である。
群衆を押し分けて、王家の紋章をまとった衛士が二人、マリーンの元へ進み出てきた。
『賢者マリーン。このたびは隊商の護衛…そしてけが人の治療とありがとうございました。国王より国賓として王宮にお招きしたいと書状を預かってまいりましたが、ぜひご同道をお願いできませんでしょうか』
「はは。この流れ者を国賓として招いてくれようってのかい。人助けってのはするもんだねぇ。よろしい。よろこんで伺わせてもらうよ」
にやりと笑う賢者の姿に釣り込まれるように周囲の人垣からも笑みがもれた。
マリーンは医師と患者の治療について少し打ち合わせを行うと、衛士に伴われて王宮へと向かうこととなった。
灼熱の太陽はすでに西の山嶺に沈み、辺りには濃紺の帳がおろされている。沖天には星々が煌々と輝き、沿道のたいまつがパチパチと爆ぜる音を立てた。
(アラハギーロ…太陽の民…あの人の王国…)
歩みながら思いにふけるマリーンの横顔にたいまつがゆらゆらと影を落とす。
かつてマリーンが賢者と呼ばれるより遙か昔…放浪を始めた頃に、国王としてこの地を収めた剣士の姿を彼女は遠く追憶の中に思い浮かべていた。
『賢者マリーンのおかげでまた大切な人々の命が無為に失われることなく永らえることができた。心よりお礼を言いますぞ!』
アラハギーロ王はそう言って人のよさそうな顔に満面の笑みを浮かべながら、宴席のマリーンに酒杯をすすめた。
杯を重ねるマリーンは時に笑い、時に王の質問に答えて見識をふるい、時に各地の情勢について思いを語った。アラハギーロ王国は開放的で陽気な気質と俗に言われるが、現国王もその多聞に漏れず、人懐っこい容貌から笑みが消えることがない。
ふとマリーンの視線が壁に掲げられた1枚の絵画の元で止まる。
席を立ち、そのすぐそばに歩み寄る賢者をみて、国王は怪訝そうな表情を浮かべたが、彼もまた同様に席をたって彼女の傍らに歩み寄った。
『…ああ、こちらは砂漠の狼王と呼ばれた賢君…アラハ・アルラウルの肖像ですな。私の遠い先祖にあたります』
「…ラウル…」
絵画には白銀の髪を短く切りそろえた精悍な男の姿が描かれている。
大剣を背負い、褐色の悍馬にまたがった男は鋭い視線を虚空に注いでいた。稀なる美男ではあるが、日に焼けた風貌に浮かぶ表情はどこか寂し気に描かれている。
『狼王はデフェル荒野を荒らした漂盗の民を鎮撫したり、数々の旅を重ねて今なおこの王国を支える数々の作物を持ち帰るなど、まさに稀代の名君と呼ばれるに相応しい方でした。一方で謎も多い方で、決して妻を娶らず、ある時弟皇子に玉座を譲られると、終生旅を続けられたとしても語り継がれている伝説の方です』
「…彼は…アルラウル王は王家の墓に眠っておられるのかな?」
『…いいえ。もちろんその名は霊廟に刻まれていますが、残念ながら亡骸はございません。ずっと何かを探しておられた放浪の方でしたが、最後の放浪より今なお戻られたという記録はないのです』
「…そうか。…どこか旅の果てで…」
続く言葉は夜の闇に吸い込まれていくようだった。
言葉を失った賢者を前に、国王が古の王についての話を紡いでいく。
『何せ二百年近くも前の方ですので、そのように考えるのが自然だとは思います。もちろん、貴女と同様に今なお流離っておられるのかもしれませんが…』
「…ふふ。あたしが二百を超えるババアだとでも言いたいのかい?」
『いえっ!けっしてそのような…これは私の失言でしたな。どうか気を悪くされないでください』
「冗談だよ…実際に彼とは面識があってね。ずいぶん昔のことになるが…命を助けられたことがあるんだ…」
『なんと…狼王と…それは数奇な巡り合わせですね…』
国王はそれ以上言葉を発することなく、ひたむきに絵画に視線を注ぐ賢者の傍らに佇んでいた。
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翌日、東の地平から太陽が上り、砂漠を渡る風に乗って蝶が水辺をひらひらと舞う頃、マリーンはアラハギーロ王国の書庫に立ち寄っていた。
国王自らが書庫への立ち入りを許したもので、王家の歴史を記した青史はもちろんのこと禁断の書物と噂されるものもある場所へも自由に出入りすることができる。
しかしながら、賢者と呼ばれるマリーンが今更特筆するべき書物は稀だったが、彼女はその一角を離れることができなかった。
砂漠の狼王アラハ・アルラウルの生涯を編纂した書物を食い入るように読んでいたのだ。
かつてジャイラ密林の奥地でともに旅し、そして別れたあの後、ラウルと呼んだ彼がその後どのような生涯を送ったのか。
マリーンは時を忘れてそれを読み進めていた。
数冊目の本を棚から引き出した時、その傍らにひっそりと収められた古い手帳の存在が目にとまった。心臓が早鐘を打つ。
しかし、手にした小さな黒い皮の手帳は真銀の鍵で閉ざされていた。ベルトを断てばあるいはその中身を見ることができるかもしれない。だがしかし、百年を超える時を経て誰にも解錠されることのなかった手記を読むことに躊躇いがあった。
きっとそれはアルラウル王の手記に違いない。
戸惑いながらそっと鈍色に輝く錠前に指を這わせた時、不意に高い音を放って鍵が二つに割れてしまった。
ベルトがするりとはずれ、記された中身がマリーンの元にさらされる。
自らの意志…だけではなく、何か別の力に誘われるようにマリーンは紙面をめくった。
記された文字は確かに彼女が知るラウルのものだった。
流麗だが、少し癖のある文字にふと笑みが浮かぶ。
手記には狼王とよばれたアルラウル王の放浪が記されていた。
リィンの姿を探し、レンダーシア大陸の僻地まで危険を省みずに流離った記録。
リィンと思われる銀髪の娘の情報が克明に記され、その噂を元に各地を旅し、遂に見つけることができなかった苦悩。
自らの姿を求めてさまよったラウルの姿が目に浮かび、マリーンは大粒の涙を落としていた。
その手記に記された一文を目にして、彼女は深く息を呑んだ。
呪い…姿を変える…リィンはもはやかつての姿ではない?…呪いを解くには…
懊悩したラウルが走り書いたものだろうか。
それ以降の手記にはリィンを探しての放浪の記録に加え、各地で魔族の呪いについて研究を重ねたことが記されるようになった。
頁を読み進めていくにつれ、ラウルが魔族の呪いについて身命を賭して探求していく姿がわかる。
手記がいよいよ残りわずかとなった時、あるページに記されたメッセージを読んでマリーンは膝から崩れ落ちた。
親愛なるリィンへ
いつか君がこの手記を読んでくれることを願って想いをつづります。
悔しいことにことの真相はわからないのだけれど、きっと君はもう私の知る姿ではないのだろうと思う。
もしそうなら…それでも私は君を見つけ出したい。見つけられると信じている。
けれども一方で…
君を探して旅する中で、呪いを解く方法についても研究を進めてきた。
私に残された時間はもう永くない。でもついに解呪の方法を探し出すことができたんだ。
以下のものを調合した秘薬を呑んで、ジャイラの奥地クドゥスの泉に身を捧げて欲しい。
神々の呪いですら解けるはずだ。
在りし日の君の面影を想って。
いつかまた共に世界を旅をしよう。 ラウル
そこに記された品物の多くは…シャイニーメロンを含め、アルラウル王によってアラハギーロ王国にもたらされたものだとわかり、マリーンは愕然とする。
震える指先でラウルの筆跡を追う。
賢者として薬学・医学に精通した今のマリーンであれば、その調合は不可能ではない。
デフェル荒野の北西に位置するジャイラ密林は彼女にとって因縁の場所だ。
そこに刻まれた因縁があまりに暗く…深いためにこれまで意図的に避けてきたものの、アラハギーロ王国が城壁を築いてその地を警護していると旅のうわさで聞いたことがある。
彼が忌まわしき地を封ずるために築いたものだと思ってきたが…。
真意は別にあったのか。
リィンの姿を元に戻すために…戻すための秘泉を護るために…周囲から遠ざけたのではないだろうか。
ラウルが姿を消してから、すでに百年以上の時が過ぎているという。その間、彼女自身は思いを隠すようにレンダーシアを抜け、異種族の住まう他の大陸を彷徨っていた。
人である以上、ラウルはすでにこの世にはいないに違いない。
けれど、彼はきっと今もリィンを探し…待っているのだと思う。死しても彼が待つ…その地はあそこに違いない。
どんなに長命だと考えてもラウルがこの世を去ってから百有余年が過ぎている。
ようやく意を決してこの地を訪れてみたものの、これすらも運命の導きではないだろうか。
自らの忌まわしき姿から逃れるように各地を巡り、大陸を飛び出して諸国をさすらった月日の長さが後悔をともって押し寄せてくる。
しかし、その一方で生涯変わることのなかったラウルの想いの深さが何よりも愛おしい。
マリーンはわずかに逡巡し、懐に手帳を収めた。
本棚に戻そうか迷ったが、そこに綴られた想いを読み、また朽ちることのない真銀が二つに割れたことを思うと、手帳も彼女の元にあることを望んだように思えたから。
旅装を整え、国王の元に赴き別れの挨拶を告げる。
微笑みながらどこへ向かわれるのか、という国王の問いに彼女は笑って「ジャイラへ」と告げた。
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デフェル荒野の北西。ジャイラ密林。
そこに鎮座する忌まわしき遺跡の一角で、マリーンは夜の星空に浮かぶ白銀の月を見上げていた。
体中の水分を失うのではないかという止めどない涙の跡が頬に残っている。
泣きはらした目に冴えた砂漠の風が心地よい。それは遙かな昔にラウルが頬に触れた様子を思い出させた。
『リィン…それで人間の姿を取り戻すのかい?』
傍らに落ちた帽子がうごめいて声を発した。かつてマホッシーと呼び、その実は忌まわしき魔神ジャイラジャイラではあったが、奇縁因縁いずれかによって結び合わされて今なおこうして旅を共にする存在だ。
『魔族だから呪いをかけることはわかっても、解くことについてはわからないけど…きっとそれで呪いを解くことはできるよ…』
「随分親切ね…だったら最初に教えてくれればいいのに…」
『魔族にとって呪いは与えるもので、解くものじゃないんだ。だから解けるなんて考えたことがなかった。でもきっと呪いを解けば…』
「私は死んでしまう。…でしょ?」
『わかってたの?』
「なんとなくね。私は人としてはあまりに永く生きてしまった。それを可能にしたのは貴方の力よ。この力があったから救えた命もあるのよね…」
『人を救うなんて思ったこともなかったけどね』
「生き方までは貴方に奪わせないわ。私は頑固なの」
『…知ってる。頑固で強情だ』
「ラウルは私に人として死ぬ希望を残してくれた。私はもう死ぬことは怖くない。だって彼の元へ行けるのだから…」
『死を希望だなんて…君は変わってるね』
「私が死んだら…貴方はどうなるの?」
『呪いが滅びても魔族である僕が消えるわけじゃないからね。またマホッシーになって別の誰かに憑りついてやるさ』
「…あいかわらずサイテーね」
呟きに反してマリーン…リィンはくくくっと喉の奥を鳴らすように笑った。
魔法の帽子もそれに呼応するかのように石畳の上を跳ねる。
『魔族にとったらサイテーはリィンの方さ。魔族の力を使って人を助ける羽目になるなんて考えたこともなかったよ。まったく、この二百年…君を呪ったことを後悔しっぱなしだ』
「嫌われたものね…。だってせっかく与えられた力ですからね。好きなように活かしたいじゃない」
『ま、好きなように…為したいように為すのが魔族だけどね。でもまぁ、正直こんな強情な宿主から解放されて、もっと素直で邪悪な宿主に憑りつきたいよ』
「ひどい話ね…邪悪を願う人がいるとでもいうの?」
『…いるよ。人の心は光に満ちているけれど、そこにはいつだって闇もあるんだ。リィンだってわかってるだろ…』
「…そうね」
彼女は嘆息を漏らすと再び視線を沖天の月に戻した。
確かに人は善性に満ちている。しかし一方でその心には常に闇も潜む。妬み、嫉み、恨み、辛み、怒り、悲しみ、憎しみなど…。
彼女自身、異形の身に落ちた日々を呪わないではなかった。愛するものを護るため、自らが選んだ道でなければ踏み外さないではいられなかっただろう。
そもそも光の民と闇の民が争うことがなければ、彼女もラウルも非業を負うことはなかっただろう。
「さて…と」
『人間の姿を取り戻しにいくのかい?』
「ううん。それはもう少し後にする。ラウルが護り、育んでくれたこの世を貴方たちにかき回されるのは癪だしね…」
『え~っ!とっとと人間になって僕を解放してくれると思ったのに!』
「いずれそうするわ。もう少しだけやっておきたいことがあるから。それに今までだってラウルは待ってくれたから…きっとあと少しくらい待ってくれるわよ」
壁際に立てかけられた古びた大剣がその時、かすかに揺らめいて月光を反射した。
それはなぜか微笑んでいるように…やさしい光だった。
「じゃぁね、ラウル。行ってきます。いつかこの地に…世界を護るという勇者が現れたら…何をおいてもあなたの元へ駆けつけるから。それまでもう少しだから待っていてね」
冴えた空気が張り詰めた密林の夜に、天高くから月光が降り注いでいる。
それを受け止めるように…そして導くように遺跡を包む湖が満点の星空を映し出していた。
アークデーモンの嘆き
ちょちょちょ…
ちょっと聞いてくださいよ、マスター。
いやね。
私、この前の異動で天空の城勤務になりましたやん?ってこの前ってもう4年だか5年だかなりますけど。
そうそうネルゲル坊ちゃんが主管の天空の城ですがな。冒険者の連中は「冥王の心臓」とか言うてますけどな。んなもん心臓みたいにドックドック動いてたら住みにくくって仕方ありませんわ。アホいうたらあきませんで。
昔は結構賑わってましたけど、今じゃ冒険者もめっきり減ってもうて毎日閑古鳥が鳴いてますわ。こうなるとさすがにちょっと寂しいですな。
もうワテもすることがないですよって、ついつい暇つぶしにギガントヒルズやワイトキングと麻雀してますねん。
って、勤務時間に何しとんねんとか思てます?まぁそうですわな。
でもワテら基本的に悪魔ですやん?一生懸命に何かを生産するのはちょっと違うと思うんですわ。どっちかっちゅうと生産より破壊の方がしっくりきますやろ?
なんてったって悪魔ですもん。
でも、そない言うたかてなんでもかんでも破壊しまくり、好き放題暴れられるわけちゃうのはマスターならわかってくれますやろ?
冒険者の連中は結構ワテら魔族は好き放題やってると思うてますけど、実際は結構縄張りとか管轄とかうるさいですやん?
なんも考えずに人間やらなんやらを狩り倒して、うっかりドレアムさんとか災厄さんとかの縄張り荒らしてもうたら後で何されるかわかったもんちゃいますやん?
あの人らマジでキレたらハンパないんですわ。
ただでさえ乱暴者で回りピリピリしてますのに、ドレアムはんなんか人のこと「牛顔のくせにっ!」とか言いますねん。ちょいちょい毒吐きますねん。
ワテらに言わせたら、あんたこそ年中白目むいてますやんっ!ってとこですけど、そんなん言うたらボコボコにされますよって黙ってるんですわ。
昔はアトラスはんとかバズズはんとか話の分かる方も多かったですけどね。あの人らも今やすっかり閑職に追いやられて迷宮で碁打ってましたわ。
最近は外資系ちゅうやつですか?それともゆとり世代っちゅうやつですか?
キラークリムゾンとかイーギュアとかいう…。この前生協の前でうっかりばったり出くわしましたけど、目がヤバいですやん。話せばわかるって感じちゃいますやん。
あんなのに狙われたらこっちはいつも病院通いですがな。たまったもんちゃいますで。
ドン・モグーラはんなんか変な髪形言うただけでバンドメンバー引き連れて総出で襲撃してきますねんで。
もうちょい余裕というか温かみっちゅうもんが欲しいですわな。世の中思いやりが一番とか言いますやん。住みにくい世の中になりましたわ。
って話がそれましたな。
本題はうちのボス。
そうそうネルゲル坊ちゃんですがな。
坊ちゃん言うたら本人ゴリラみたいになって怒らはりますけどな。
普段はあの人、魂食うてますねん。
魂っちゅうか、霞みたいなもんですわな。
そんなもん腹の足しにならへんのそこらの小学生でもわかりますわ。
でもめっちゃ偏食家ですねん。
固形物たべませんねん。口にするもん言うたら基本は人の魂だけ。鼻だか口だかからすぅ~~~っいうて吸い込んだら終いですねん。
たま~に血酒も飲まはりますけどな。
ああ見えて結構酒に弱いんで、基本なめる程度ですねん。
魂みたいなもんばっか食べてるから、あんな顔色してますねん。
妙に下まつ毛気にしてはりますしな。
いや。
まじ美形なんは認めます。
ワテもあんな顔に生まれてたら、魔族イケメンコンテストとかにでて、かわいこちゃんをとっかえひっかえ食いまくってますわ。
手足もスラーっとしてよろしいがな。足組んだ格好もサマになってますわな。ワテら足組んだろ~と思うたかて長さが足りませんねん。ホンマ世の中不公平やと思いますわ。
え?実際最近色っぽい話ですか?
ありませんありません。
ちょっとこの前チャットでいい感じの子みつけましたけど、会うたらピンクいトロルですやん。
いや、実際に会ったわけとはちゃうんですけどな。
初めて会うのってちょっと緊張しますやん?待ち合わせ場所の近くで張り込んで、どんな奴が来るか確かめとったんですわ。
そしたら、なんかごっついアクセサリーメッチャつけ倒した厚化粧のトロルですやん。
そらジュリアンテはんとかまでは期待してませんでしたで?
でもトロルはないですわ~。しかも明らかに向こうの方が強そうでしたし。うっかり押し倒されたら抵抗できませんやん。
そんな輩にワテの貞操奪われたら泣くに泣かれへんっちゅうか、さすがにワテも立ち直られへんと思いましてん。
ワテ、こう見えてちょい亭主関白よりが希望なんですわ。
ってまたまた話それましたやん。
マスターが横からいらんチャチャいれますよって話が脱線してまうんですわ。
ま、ええんですけどね。
ほんでワテらが上司、ネルゲルはんですけどな。
ホンマはやったらできる人やと思うんですわ。
変に気取ってないで、現状ちゃんと見つめなおして努力したら、の話ですけど。
もちろんちゃんと好き嫌いなくメシも食わなあかんと思いますし、きちんとトレーニングもせなあかんと思いますけどな。
でもそういうの全然好きじゃないんですわ。
そこがネックちゅうか伸び悩みの根っこなんですけどね。
この前も冒険者来ましてん。
リーダーっぽい奴はそんなでもないんですけど、後ろにいる奴らがなんやメッチャいやな感じの奴らでしてん。
両手に黒光りするハンマーもって天下無双とか、大斧振りかぶってなんちゃら魔斬とかね。
昔は冒険者も結構空気読んでくれましたけど、最近は全く遠慮がありませんねん。いきなり丸焦げレベルの強化力ぶち込んできますねん。
坊ちゃんも最初っから必死のぱっちで本気出してくれたら少しは違うかもしらんのですけど。
普通にすかした感じで様子見ますねん。
そしたらボッコボコでしょ?
たぶん内心「これアカンやつや~」とか思わはるんでしょうな。
途中でワテら呼び出されますねん。
そりゃね。
上司がピンチってなったら部下としては飛んでいきますわな。ちょっと朝からお腹の具合が悪いとか言うてられませんわ。上司助けるために必死の覚悟で飛び出していったんですわ。
そしたら坊ちゃんったら何しはったと思います?
戦場にワテら残して、すい~って玉座に戻らはったんですで。信じられます?
ワテ、自分の目を疑いましたがな。思わず二度見しましたもん。
この期に及んで大物感ってやつです?ポテンシャルは認めますけど、今は泥臭く頑張らなあかん時ですやん。冒険者の目、明らかに獲物を見る目ぇしてますやん?
食うか食われるかっちゅう時に調子こいてる余裕なんか1mmもありませんわ。
てっきり一緒になって頑張ってくれるもんと思って飛び出した部下を見捨てて、玉座で頬杖でっせ。指パッチンしてる場合ちゃいますやん。
そらもう
「やれ」
言われましても、
「あ、はい」
みたいな答えになりますやん。
案の定ワテらいいようにボコボコにされましてな。
そないなってから、自慢の鎌を振り回したって時すでに遅しですわ。イケメンのプライドかなぐり捨てて、ブチ切れゴリラ顔になってももうワテらスリーアウトでチェンジでしたもんね。見守るしかできませんやん。
「ほら、言わんこっちゃない」
とは言いませんよ、言いませんったら。
でも、せっかく坊ちゃんいいもん持ってるんですからね。
もうちょっと気取ってないで本気出して頑張ってほしいと思うのはあかんことですかね。
てかこの前のイケメンコンテストだかなんだかで、あの人うっかりだかちゃっかりだかエントリーしてましてん。
結果もそこそこえーとこまで行ったみたいです。ほんま、ワテかてああいう病弱な感じのイケメンに生まれたかったですわ。
なんでワテ、こんな牛顔ですねん…。
筋肉質言われますけどずんぐりむっくり体形じゃマッチョもへったくれもありませんわ。
てかなんでワテらズボンはかしてもらえませんのん。支給されてるユニフォームが長靴だけって、総務課の連中の趣味ってどうなってますのん。これ、改善要求してもええとこですやろ?
あ~もう!マスター、テキーラおかわりっ!
今日はとことん呑みますねん。たまにはこないな日もないとやってられませんわ!
PLLLLL…
って…あれ?
LINE入りましたやん。え~っと…明日のシフトは7:00~22:00に変更?マジですか?朝から通しですか…。7連勤やったで久々の半休もらえる思て羽伸ばしてたのにっ!
ホンマいきなり人のシフト変えるンもなしやと思うんですけど…。
ちょっと労働監督局に苦情いってこよかな…
でも、下手に異動になってグラコスはんとかディーバはんとかにあたってもうたら、ワテ泳がれへんのに冒険者と一緒に水流にやられたらたまったもんちゃいますしな。
ジュリアンテはんやったら最高ですけど、マリーンはんにあたってもうて下手にそないな空気になってもめんどくさいしな…。
は~…結局今の職場で頑張るしかないんですなぁ。
たまに出張でいく魔幻迷宮で羽伸ばすしかないんですかねぇ。
漆黒の帳がおろされたとある街角。
冷気がそよぐ風に乗って肌をさす。蝙蝠をモチーフにした街灯から射す紫光が湿気を帯びた石壁を薄ぼんやりとおぼろげに照らし出していた。
アストルティアにあって誰にも知られざる街。
知られざる街の名もなき酒場。
こうしてまた夜は更けていく。
白熱するハーレムビーチ
初夏のきらめく陽光が透明度の高い水の中で万華鏡のように揺らめいて、見上げた先にある水面が一瞬ごとに美しい幻想画を描いている。
その様子を陶然と見やりながら、ふと彼は自分がなぜそこにいるのかを思い出せないことに気がついた。
(あれ?私はなぜこんなところを泳いでるんだろう?)
ウェディである彼は、当然の如くに泳ぎが達者だ。
流れるようにしなやかな泳ぎを見せて水面に浮上する。水から顔を出した瞬間、眩しい陽光が視界を奪う。
一瞬目を細め、顔についた海水を掌で拭うと同時に再び目を大きく見開く。
見覚えのある浜辺…彼は直ぐにそこがアストルティアで一番の海辺のリゾートであるキュララナビーチであることに気づいた。
季節は初夏だが、ウェナ諸島に降り注ぐ太陽はすでに常夏のそれにふさわしい熱気を帯びている。
『トロさ~ん♪』
呼ばれた先に視線をめぐらすと、白っぽいビキニに身を包んだねおんが手を振っている。
(おおおおおっ!!ねおんちゃんが水着だっ!ビキニだっ!)
ねおんの呼び声に「は~い♪」と声を返しつつ、感激で思わず目を凝らす。
そして細めた視線の先に、黒のビキニを身にまとうシャノアールの姿が映る。サングラスを額にそらし、眩しそうに太陽を見上げながら豪奢な髪をすきあげている。
(おおおおおおおっ!!!シャノたんまで水着だっ!しかも何だか色っぽいっ!!)
シャノアールが見事な肢体を披露しているそばで、パレオを身にまとったミカノがトロに向かって手を振っている。その傍らにはシャツの裾を胸元で結んだぽるかがいて、麦わら帽子が風に飛ばされないように片手でそれを押さえていた。
ユエが黒のやや露出度の高いビスチェを着ていると思えば、その後方ではユズたんとちなちながかき氷を片手にトロの方に向かって手を振っていた。
(なになになに!?チームの女の子たちが皆揃ってる~♪しかも何だか皆すっごく色っぽい~っ!!)
もはやトロのテンションは沸騰寸前に高まっていた。
両手を激しくふって岸辺の女の子たちの視線にこたえる。声を上げようとした時に海水を飲みこんで思わずむせ返った。その様子が岸辺の女の子たちの笑いを誘う。
まさにハーレムに相応しい光景がそこに広がっていた。
(あれ?そういえばこんな素敵な瞬間なのにデボさんの姿がみえないや…)
チーム随一…いやアストルティアでも屈指の女好きと思われるデボネアの姿が見えない。
彼がこのような光景を目にすれば、トロ以上にテンションが上がってそれこそ空も飛びかねない。もちろんそれにはけたたましい騒音がつきまとうはず。
それがない。
不思議に思ってトロは水をかく手を止め、波間に漂いながら視線をめぐらせる。
デボネアだけではない。
あいあも、しげも、マサキも、ぷみさくも…トロ以外の隊の男性陣の姿が見えない。彼らは何をしているというのだ。このような夢の瞬間を前にして。
『トロさ~ん♪早く~ぅ』
一瞬思考にふけろうとしたが、ぽるかの声がそれを中止させた。
岸辺では女の子たちがそれぞれ色っぽい水着を身にまとい、トロの到着を今や遅しと待ちかねている様子だ。
「いま行く~~~っ!」
トロは大きく息を吸い込み、勢いよく頭から水に潜っていった。
岸までの距離はおよそ20m程度。泳ぎが得意な彼にとっては造作もない距離だ。女の子たちの視線から消え、波打ち際から勢いよく飛び上がって驚かせよう。
先ほどまでの様子だと、彼女たちはトロの登場を歓声を上げて迎えてくれるにちがいない。
ライバルはいない!今はまさに私だけのハーレムビーチッ!
水中でトロが口許をだらしなくゆがめたその瞬間の事である。突如として彼の四肢が何か縄のようなものにからめとられて動きの自由を奪われてしまった。
網目状のそれがトロのしなやかに伸びた腕や足にからみつき、思うように泳ぐことが出来ない。
(漁網!?てかビーチに漁網なんてしかけないでよっ!)
彼はそれを波打ち際に仕掛けられた漁網だと考えた。
水面ではなく、水中に潜ったのが災いしたと言えるだろう。とはいっても多くの海水浴客が泳ぐキュララナビーチで漁をするのはどうかと思われる。
(ちょっと監視員さんに抗議しなきゃね…)
そう言いながら冷静に絡まった網から腕を抜き取ろうとした次の瞬間、今度は網が力強く上方へと引き上げられていくではないか。
(ちょっとちょっとっ!うわわわわっ!)
思わず息を漏らす。
吐き出した空気が大きな気泡となって海水にはじけていく。その瞬間も網はぐいぐいと引き上げられ、それにからめとられる形でトロの身体も上へと引き上げられていく。
『うぇ~い!大物がかかってるぞ~♪』
シャノアールの声がする。
水から引き揚げられた瞬間、トロは先ほどと同様眩しい陽光に思わず瞼をぎゅっと閉じる。
どうやら仲間たちが漁網ごとトロを引き上げてくれたらしい。少しかっこ悪い登場になってしまったが、下手をすれば水底で溺れることも考えられたのだから、これはこれでありがたいというところだろう。
礼を言おうとした瞬間、トロは自分が言葉を発せないことに気づいた。
それだけではない。手足の感覚がない。視界の端に見えるのは見慣れた自身の手足ではなく、大きな魚の尾びれだった。どうしたことかトロは巨大な魚に姿を変えられていたのだ。
『私、赤身の刺身が食べたいな~♪』
ミカノが嬉々とした声をあげて長剣を鞘走らせた。そこに顕れたのは闘争用の剣ではなく、巨大な出刃包丁だ。
(やめて~!私ですっ!ミカリンっ!)
懸命に悲鳴をあげるが声が出ない。水揚げされた巨大なマグロが口をパクパクと開くのみだ。
『私は白身の魚が好きなんだけどな~』
『ぽるぽる…』
『ん?どしたのユエちゃん?』
『ちょいとアレの内臓引きずりだして、塩漬けにしてみるとかどうだろう?』
『お~!塩辛!?そういえば食べたことないね』
『バラ身はちょいと爆炎であぶってみよう』
『おっ!それイイね。マグロの油は上質の牛肉にも引けを取らないらしいしね!』
ユエとぽるかが口許をにやりと歪ませているとシャノアールまでがそれに便乗してきた。
『霜降りをちょいとメラミでローストしようぜ♪』
トロは必至で身をくねらせて逃げようとするが、漁網の一部が引っかかって身動きが取れない。それだけではなく、いつのまにやら自身は巨大なまな板の上に寝かされており、周囲をぐるりと隊の女性陣がとりかこんでいるではないか。
『お寿司の用意出来ました♪ネタをよろしくおねがいしま~すっ』
ねおんの嬉しそうな声が響く。ユズたんやちなちな、クーニャンまでもが箸と小皿をもって今や遅しと垂涎の様子だ。
『それじゃ捌きますね~♪』
ミカノが巨大な出刃包丁を頭上に掲げる。
(やめて~~~っ!さばかないで~~~っ!!)
『ええかげんやかましいわっ!』
ユエの怒声が響き、次の瞬間トロの視界は白熱に包まれた。
ホワイトアウトして意識を失うトロ。
『どひ~っ…ノーモーションでメラゾーマってユエちゃんえげつない…』
『問題ない。多少の手加減はしておいた。死んではいないはず』
『あらあら…トロさん、酔っぱらって寝ちゃったかと思ったら盛大に寝ぼけましたね』
ミカノがプスプスと白煙を上げるトロを見ながらクスクスと笑う。『大丈夫、生きてますね~』と笑顔のままトロの生存を報告する。
『寝ぼけて蚊帳に引っかかったかと思ったら、じたばたぎゃーすかやかましいねん』
『最初はなんだか幸せそうな声をあげてたけどね』
デボネアはそう言って酒杯を傾けた。
その日、隊員の有志でジュレット海岸に出かけ、そのままの流れでバーベキューを行っていたのだ。
トロはいつものように嬉々として酒杯を重ね、気がつけば酩酊して近くに設置された蚊帳の中で横になっていたのだが…
『酒に酔って寝ぼけるのも大概にしとかないと、きつーいお灸をすえられることになるってやつですな』
あいあがぴくぴくと痙攣するトロをしり目に誰にとはなく呟いた。
遥かな水平に巨大な太陽が、橙の陽光を水面にきらめかせながら沈んでいく。
ある初夏の夕べの出来事であった。
海洋都市の落日
ウェナ諸島は水と風の精霊の影響を強く宿し、ジュレットの街では一年を通して泳げるほどの温暖な海流が流れている。
夏ともなれば浜辺の楽園とも言われるキュララナ・ビーチには、アストルティア各地から多くの観光客が訪れ、浜辺にはリズミカルな音楽が流れ、色とりどりの水着と嬌声に包まれて賑わいを増す。
俺の住処があるアズランや、隊の拠点があるメギストリスでは吐く息が白く宙を揺蕩うこの季節にあっても、海洋都市を行きかう風はかすかに温かさを残していた。
海洋都市ヴェリナード。
ヴェリナード王国の中枢を成すこの都市には、流麗かつ荘厳な白亜の王城が中央に鎮座し、強固な城壁の内部に円筒状に住宅地が広がり、その合間を埋める水路には澄み切った水が流れている。
ウェディの王国でもあり、水の都市に相応しい景観がそこにあった。
現在ヴェリナード王国は女王ディオーレが統治し、その在位は20有余年を数える。ラーディス王以降女王による統治を布いてきたが、現在王家には姫はなく、王位継承者はオーディス王子ただ一人だ。
それでも国民の王家、王子に対する信任は厚い。先だって王子の謡う恵みの歌がこの国に新たな脈動の火を灯していた。
オーディス王子が恵みの歌を謡うにあたっては、密かに俺も一枚噛んでいるのだが、それを御大層に誇示するつもりは毛頭ない。
俺はあくまで影の功労者の一人であり、えてしてそうした陰徳は秘めてこそ評価されるものだ。
堂々と光のあたる王子の横にしゃしゃりでて、無駄な反感を買うのはばかばかしい。
「皆おっそいなぁ…日にち間違えてんじゃねぇかな」
ヴェリナード城の2F。大階段の一番下に腰かけながら俺は小さく呟いた。
城内を行きかう女官に軽く声をかけてみるが、得られるのは柔らかな笑顔のみだ。
今度オーディスに合コンでも開いてもらおうか。無駄にイケメンだから何とかなるだろ。王子に余計な傷をつけるなって言われるかな?ディオーレ女王に睨まれるのは面白くないな。はてさてどうしたものか。
『ごめんなさい…遅れちゃった?』
思考に耽っていたせいか、俺はシェルが階段を上がって声をかけてくれるまで全くその存在に気づかなかった。
金色に縁どられた瀟洒な絹服を身にまとい、明るい栗色の髪が肩口で揺れている。
『おつかれさまです。間に合ったかな?』
次いで姿を現したのは赤褐色の短髪の戦士だった。楡の大樹のように鍛え上げられた長身から野生の獣がもつような秘めた躍動感が感じられる。
「シェルさん、ぷみさん、いらっしゃい。集合場所は3階のバルコニー前で。上でデネブが一人で暇つぶしてるはずだから先に上がって待ってて~」
言い終えると同時に桃色の髪をゆらせた小柄な女戦士が階段を駆け上がってきた。
「おお…アトちゃん、時間ギリギリだよ!」
『ゴメン…ちょっとピラミッド探索に時間がかかっちゃって…』
「えぇ!?一人でピラミッドの内部を探検してたん?」
『うん。まだ途中だけどね』
俺は言葉を失った。ピラミッドは数多くの罠が仕掛けられ迷宮と化した階層と、呪われた魔物たちが蠢く階層とに大きく二分される。
アトムが探索に行っていたのは迷宮層。熟練の冒険者であれば迷宮の探索もそれほど驚きではないが、なんといってもアトムは迷子の代表格だ。決定的に方向感覚に乏しいはず。それが複雑に入り組んだピラミッドの迷宮層を単身で探索しているなど、少し前では想像すらできなかった。
「アトちゃんがピラミッドの中を探索ねぇ…もう迷子扱いはできないね」
『ぶいっ!!』
誇らしげにピースサインを突き出すアトム。何だろう…この敗北感は。
『ごめん、デボさん。遅くなっちゃった』
『おまたせです~!』
ぽるかとアンチェインがあらわれる。続々と姿を見せるメンバーたち。時刻は待ち合わせの5分前。結局皆、時間をちゃんと覚えてたってことか。
「ぽるちゃん…アトちゃん、ピラミッド一人で探索できちゃうんだって」
『えっ!!?ピラミッドってレンダーシアの?迷路の方?』
『そうそう。もうだいぶ迷わなくなったよ』
『そ、そんなバカなっ!!』
迷子の双璧と称されるぽるかの受けた衝撃は俺の比ではなかったかもしれない。
絶句するぽるかをみて、少しだけ安心する。そうそう。ぽるちゃんはずっと迷子でいてくれればいいのです。
「リリちゃんがいたら、うっかりも二分できるのにね」
『うっかりでリリちゃんには敵いません…そうか…リリちゃんがいれば迷子も一人にならなくても良かったのに…リリちゃんめっ!』
踊るように階を昇るアトムに対し、アンチェインに引きずられるようにして茫然自失のぽるかが続く。
隊で屈指のリアクションの大きさというと何と言ってもらきしすだろうが、ぽるかのネタ芸人っぷりも蛍雪に冠絶すると言って良いだろう。
『安心して下さい。はいてます』
意味不明な一言を発しながらシャノアールが姿を見せた。普通に挨拶が出来ないのだろうか、我が師匠は。
シャノアールと同じくしてあいあ、ユズたんが続いている。
「シャノ、エリちゃんは?」
『ん…エリな…詰所の炬燵でつっぷして寝てた。頑張って起こしたけどどーにもこーにも起きる気配がないからほってきた』
「あちゃ…エリちゃん…らしいっちゃらしいか。あとは…ユエちゃんは?」
『昨日、毒の沼地の様子を見てくるって言うてたけど…』
「毒の沼地…ありきたりに魔物討伐とかじゃないよな。なんや変な研究でもしてへんやろな…」
思わずシャノアールと目を合わせて二人でははは…と乾いた笑いを洩らす。
おそらくシャノアールの脳裏にも同じようなビジョンが浮かんだのだろう。毒の試験管を前にニヤリと不穏な笑みを浮かべるユエの姿が。
『ちなさんはちょっと具合悪そう。少し前に隊にしばらく静養するって連絡があったみたいだよ』
あいあの言葉で俺たちは現実に引き戻される。
ユエが狂える科学者となってしまったかどうかはまた後日、本人に直接訊けば良い。
『そっか…ちなちゃん、心配だね』
「ん~…あとはトロさんとチアロさんってとこか。他の皆はバルコニー通路に集まってると思うよ」
『えっと…りょうも連れてきて良いです?』
ユズたんが控えめに訊ねてくる。もちろん断る理由なんか欠片もない。二つ返事で快く了承する。
「ま、トロさんとチアロさんもおいおい来てくれるだろ。タ~さんとらきちゃんは用事で来れないって連絡あったし、フェロさんは…釣りにでもいってんのかな?」
『ミカノさんは?マサキさんはどうでしょう?』
『ミカノさん、少し前にその日はどこかの王族との会食が入ってるとか言ってたかも…』
「王族と会食!?ミカノさんってどこに向かってんねん」
『はは。才媛にはいろんなところから引手数多ってことだよ』
「ん?じゃシャノには?引手数多ってこと?それとも…」
『うっさいよ。一回ここから飛んどきたい?』
「結構です!」
『マサキさんは…ちょっとまだ来れないかもしれないね』
そのままの流れで談笑しながら階段を上っていく。
磨き上げられた大理石の階を手入れされた燭台の灯りが朱く照らし出していた。
『お~!結構集まってるね』
恵みの詩を謡うバルコニーへと続く回廊は蛍雪のメンバーであふれていた。
そうこうしている内にトロとチアロも合流し、回廊をいく他の冒険者からの問いかけるような視線が痛い。
「おー!そんじゃ皆で記念撮影すんでー!」
『折角だから皆で踊ってみるのも面白いんじゃない?』
「じゃサイクロンでもやっちゃう?」
『いいね。ドラザイルとして売り出しちゃう?』
『アン、それはないから…』
『あ、りょうってばまだ踊れない!』
『いいよいいよ!先頭で座って不動のセンターで』
『はいはい!背の順に並んで~』
『あっ!デボさんが私のおしり触った~!』
「違うよ!それはあいあさん!」
『なぬっ!?』
「俺はまだぽるちゃんとシェルさんのしか触ってないっ!」
『通報通報っ!』
『もうね…たいていのことには驚かないというか何というか…』
「や~~め~~て~~~っ!!」
平素は王国を穏やかな風が流れ、恵みの詩が海流に宿り豊穣をもたらす海洋都市。
その日は俺たちの歓声、嬌声、笑声が弾け、それは大空が茜色に染まり、その後幾星霜の星々が瞬く頃になるまで続いた。
とある冒険の寄り道。
冬のある日の出来事だった。
ピラミッドとニワトリと
『誰かピラ7層から9層あたり行く人いないかな?』
カラコロと隊の詰所の扉が開かれた矢先、姿を見せたトロがそう言って声をかけた。
ピラミッド高層階。兇悪なモンスターたちが跋扈する魔窟である。
『あたしが行くよ』
悩むそぶりも見せずに奥のカウンターで果実酒の杯を傾けていたシャノアールが返答した。ほぼ即答に近い。
さすがに数多くの死線を乗り越えてきた歴戦の士だけのことはあるな、と内心唸っていたところに古豪の女戦士は意外な言葉をつなげてきた。
『デボも連れて行く』
ぶぼへっと俺は思わず飲みかけていた酒を吹き出すところだった。
おいおい、本気かいな。
俺自身、戦場に身を置いてきた時間は短くはない。手にした武器は数多の魔物たちの血と肉を断ち切ってきた業物だ。
が、一方でここしばらくは魔物の討伐はおろか、死を身近に感じるような窮地に身を置いてこなかった。冒険者たちがごく自然に身につけている動物的な勘…生死をわかつ空気を読み取る力が鈍りきっている。
現状、第一線で活躍する冒険者たちですら手を焼くほどの魔窟において、俺に仲間たちの背を守れるとは到底思えなかった。
『リハビリが必要だろ?』
そんな俺の葛藤をよそに、シャノアールが悪戯っぽく笑ってみせる。戸口に立つトロもなぜか笑顔だ。
こいつらはドSなのか。ドMなのか。
仲間たちの性癖はともかくとして、俺も覚悟を決めた。
これは要するに仲間たちの信頼の証だ。俺自身に対して仲間たちの『お前ならできるだろ?』という期待であり、俺の仲間に対する『こんな俺でも彼らとなら何とかなるかもしれない』という信頼。
休息は終わりだ。獲物をもつ手に汗がにじむ。
俺は同席していた弟子のデネブに短く指示を残し、杯をあおって空にすると重い腰を上げて席を立った。
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中天に星々が瞬き始める頃、俺たちは転移の飛石の力を使い、レンダーシアのピラミッド前に辿りついた。
巨大な遺跡のシルエットが、煌めく星空の下で漆黒の存在感を顕わしている。アラハギーロの守衛が正門を固めているが、魔窟から滲み出している負の瘴気はとどめようがない。
さて…と。
俺は傍らでいななきを上げる黒馬の首筋を撫でた。
白のキラーパンサー〝シロ〟に変わって冒険の足を新たにつとめてくれているのは、ちまたでは黒竜丸と呼ばれている妖獣の一種だ。
漆黒の毛並に、灰白の鬣。身にまとった妖気が蹄に宿り、半ば宙に舞うように走る後ろには妖気の煌めきが残光を刻んでいく。
レンジャー協会が長い研究の果てにようやく騎獣として飼いならすことが出来るようになったもので、先日アラハギーロの市場で売りに出されていたのを買い求めたところだった。
『お~、黒竜丸じゃん』
「んむ。〝クロ〟いうねん」
『ひねりもへったくれもないな…』
「うっさいわ」
傍らのシャノアールと談笑をかわす。俺は巨大な黒馬の背にまたがり、見下ろす形になった盟友に手を差し伸べる。
『乗りや』
黒竜丸は騎獣として初めて2人乗りが出来ることで知られている。
確かにその背は大きく、しかも力強くて大の大人が2、3人乗ったところでびくともしないだろう。
シャノアールは猫科の獣を思わせるしなやかな動きをみせて、その長身を騎獣の上に跳ね上げてきた。彼女が腰をおちつけるのを感じて、俺は軽く馬腹を蹴った。
黒竜丸が小さな嘶きを上げて軽やかに疾走を開始する。
半ば浮遊している妖獣の背に揺られ始めると、俺の後背から小さく感嘆の声があがった。
『こりゃ楽だね』
同時に俺も思わず独白を洩らす。
「胸があたって気持ちいいな、こりゃ」
『アホか』
ツッコミにしては強すぎる一撃が後頭部を直撃する。
アブナイアブナイ。力加減を考えろよ、一瞬意識が遠のいただろ!
先発のトロは既に霊廟の前室にまで移動していた。
もう一人、ケイミーという小柄な女性を伴っている。フードを目深にかぶっているが人見知りだったりするんだろうか。
『おお…』
トロは黒竜丸の背にまたがった俺たちを見とめ、小さく声を上げる。
「トロさん、これいいよ。デートに最適♪」
『なるほど…さすが師匠』
トロは時折俺のことを師匠と呼ぶ。
彼は冒険者としての技量は俺の数段上を行く。実力として優れる彼に師事される覚えは全くないのだけれど、どうやらナンパだの日頃の言動に見える対女人特性を評価してくれているらしい。
単なる女性に対する重度の奴隷気質なだけなんだけど。
装備をあらため、ポーションなどを確認する。久々のピラミッド深層への討伐行に思わず生唾をのむ思いがする。
錫杖をもったトロが首肯き、ケイミーに目配せをする。振り返ったシャノアールがニヤリと目を細め、閉ざされていた遺跡の扉を押し開いていった。
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アストルティアにも雪は降る。
グレンの住宅地の一角などは大地深くに宿った雪の精の影響を強く受け、一年を通して一面を雪に覆われている。オーグリード大陸は五大陸の中でも特に雪の精霊の力が強いのかランガーオ山地のラギ雪原やランドンフットは永久凍土に閉ざされていた。
季節はとうに秋を過ぎて、本格的な冬を迎えている。
オーグリードに比べ、遥かに温暖なエルトナやプクランドでも強い寒波の影響をうけて路面が凍ることがあった。吐く息は白く宙を揺蕩い、人々は外套を厚くし、襟元を掻きよせるようにして冷気を防ぐ。
火の妖精の影響を強く受けるドワチャッカのみが、一年を通して雪を見ない。温暖な海流の影響で一年を通して穏やかなウェナには雪は降らないものの、年に数日間だけ強い寒波が押し寄せることがあるという。
その日、俺は日課である討伐を、後輩の戦士アルビレオと昨年入隊したユズたんと挑み無事に成果を収めていた。
メギストリスで協会に報告を果たし、その日の報酬を得る。
1日の収入自体はそれほどではないが、冒険者として生活していく上で協会の討伐要請は無視できない貴重な収入源の一つだった。
「だいぶ腕をあげてきたね。そろそろ単身でもあれこれ挑戦していいかもよ」
『ふふふ。これも師匠のおかげです』
「それ、その師匠っていうの禁止な。俺はそんな大したもんちゃう」
『自分やってシャノさんのこと、師匠!って呼ぶやん』
「いや、シャノは俺の剣の師やもん。嘘は言うてへん。でも俺はそないに大したことを教えられるわけちゃうやん」
『そかな~?そ~でもないと思うけど』
「とにかく禁止な。弟子入りするならトロさんとかシャノとかシェルさんにし。ぽるちゃんは実力はあるけどネタ星人だからあかんで。アトちゃんは気をつかいすぎるけど、人選としては良いと思う。エリちゃんだとユズちゃんがセクシー路線に行くことになるかもね。それはそれでいいと思うけど…」
『デボさん…時々顔がやらしいで』
「!!?やかましわい!」
メギストリスの街道を歩きながら二人で談笑していると、角を曲がったところで明るい薄橙色の長髪を結い上げたちなちなと行き違った。
ほとんど同時にちなちなもこちらを見とめたのか、微笑みを浮かべて片手をあげて挨拶を交わす。
「ちなちゃんやん?あれ?なんか髪型変えた?」
『ふふ…ですです。ちょっと着物が似合うように結い上げてみました』
「いいね!良く似合ってると思うよ。長い髪も結い上げるとだいぶイメージかわるもんだね」
『うんうん。すご~く可愛いと思います』
『ふふふ…ありがとうです』
かつては新米冒険者だったちなちなも今や熟練の冒険者だ。
今でこそ平服に身を包み、魅力あふれる女性そのものだが、一転戦場にあっては長斧を閃かせ、あるいは爆炎を操り敵を屠る激しさを宿している。
寒さを凌ぐため厚手の外套の襟元を寄せ、頬が冷気でわずかに朱く色づいている。
3人は陽光が長く石畳に影を伸ばす夕刻に、メギストリスの一角でしばし時を忘れて談笑にふけっていた。
冒険の合間のつかの間の休息というやつだ。
と、その時である。
微笑みを浮かべていたちなちなが、俺の後背の何かに気づき目を見開く。
怪訝に思い、振り返った先に長大なニワトリの冠を身にまとい、色鮮やかな黄色のシャツに白いタイトなスリムパンツという何とも凄まじい装いに身を包んだアトムが衣装屋の扉を開けて出てきたところだった。
『アトムさん…』
ちなちなの言葉に明らかにびくっと激しく体を硬直させ、アトムが機械仕掛けの人形のようにぎこちない様子で首をぎぎぎ・・・とこちらにむける。
目があった。
アトムの大きな瞳に瞬く間に涙が浮かぶ。
『見ないでぇ~~~~~~~っ!!!』
悲鳴をあげて疾走を開始したアトムの背を俺は追うことが出来なかった。リアルすぎるニワトリの被り物。奇抜すぎるカラーリングの衣装。妙齢の女性としては最も見られたくない一瞬であったに違いない。
『ぐぎゃっ!』
姿を消した先でニワトリの首をひねったような奇妙な悲鳴が聞こえた。
慌てて駆け寄ってみると、凍った路面で足を滑らし、腰を痛打したアトムが石畳に転がっている。
貸衣装の革靴は確かタップダンス用につるつるに仕上げてあったはずだ…。
あのスピードで凍った石畳の上を走ったら、例え熟練の旅芸人であろうともアトムと同じ結末を迎えるに違いない。
『アトムさん、大丈夫!?』
駆け寄ろうとした俺たちをアトムは涙目で制する。どうやら足を滑らした際に奇妙な姿勢で踏ん張った影響か腰を酷く痛めたらしい。
『ううっ…こんな姿を見られるなんて…ううっ』
涙を浮かべながら、アトムは懐から転移の飛石を取り出した。
飛石の魔力に身を包み、飛翔を開始するその直前、アトムは涙をいっぱいに浮かべた視線を俺に飛ばした。
『デボさんもニワトリかぶってる姿見せてよねっ!』
返答を待たず遥か彼方へと飛翔するアトムに、俺はついに言葉を返せなかった。
『デボさん、あれって…』
「うん。プクレット村の村長がどーせまた芸人大会の審査員を募集してるんだろ。俺も昔かぶらされたことがあるもん」
『アトムさん、優しいから…断れなかったんですね』
「そやねぇ…。プクレットの村長、可愛らしい年頃の女性をつかまえてあんなムゴイかぶりものをさせるなんて、人のよさそうな外見をして、実際はとんでもないサド男に違いないね」
『ですねぇ…』
『じゃ、アトムさんもああ言ってたし、デボさんも今度あれかぶって見せてよね!』
ユズたんが抜群にいたずらっ子な顔をみせて満面の笑顔でこちらを見ている。
ちなちなも同じ笑顔でこちらをみる。俺は生まれて初めて笑顔に恐怖を覚えた。
「いやいやいやいや…俺はもう審査員やったし!二回やる義理はないしっ!」
『アトムさん一人にあんな恰好させて可哀想とか思わないんですか?』
「いやいやユズちゃん、言ってることおかしいよ。それを言うならユズちゃんもちなちゃんも一緒やん」
『デボさんのニワトリ姿、私見てみたいです』
『うんうん。おねーさんの言うことを聞きなさい』
日頃穏やかなちなちなの笑顔の圧力。人を師匠と呼びながら、一転して俺を従えようとするユズたんの狂気。
メギストリスの街角が、俺にとって突如脱出不能な迷宮にも感じられた。
『ぐぎゃっ!!』
刹那、不意に響いた悲鳴に救われる形で視線を移すと、見慣れた長身の女戦士が石畳に盛大に尻もちをついていた。
アトムと同じく凍った路面に足を滑らしたのであろうか。紫紺のスカートのすそから見えるすらりと伸びた四肢が妙になまめかしい。
『ぁいったぁ…もう凍った道キライ。コワい。おウチに帰りたい…』
痛打した尻をさすりながら、シャノアールが恨み言をこぼして立ち上がる。金色の長髪が陽光を映して茜色に輝いている。
『しっぽ持つの禁止っ!』
「だれもそんなもん持たんがな…」
意味不明に鋭く制するシャノアールに俺が嘆息する。
ちなちなが微笑み、ユズたんが短く切りそろえた金髪をゆらせて笑声をあげた。
あるアストルティアの冬の一日。
夕闇に沈むメギストリスの石畳に、空からの純白のギフトが、軽やかにちらほらと舞い降りていた。
冬の旅立ち
『よいしょっと…』
小さく声をあげ、金髪のエルフは手にした荷物を愛用のドルボードの荷台に押し上げた。
澄み切った蒼天の遙かな高みに、薄く刷いたように白い雲が漂っている。
振り返った拍子に細い肩に柔らかな髪がかかる。
大きく見開いた眼は力強く、冬の陽光を映して輝いていた。
「忘れものはない?」
『うん。まぁ小さなものは一つ二つあるかもしれないけど、テキトーに処分しちゃって』
俺の声にエルフは朗らかに言葉を返す。
『リリンのばかばかばか…ううっ…』
トロは目を赤くはらして俯いている。
金髪のエルフ…リリアはそんなトロの頬に優しく手を添え、指先でそっと涙を拭った。
『トロさん、ありがとう。でも別にいなくなるわけじゃないから』
『ま、これまで通りしんどい敵を討伐しなきゃいけない時には半強制的に協力してもらうしね』
シャノアールが笑顔に快活な声を乗せて呟く。
が、そんな彼女の蒼い瞳にもうっすらと涙がにじんでいる。人一倍寂しがりなんだから強がらなくてもイイだろうに。
『まだまだ色々とお世話になりたいです。隊を離れられてもよろしくお願いしますね』
ちなちながまっすぐとリリアを見つめて手を差し出す。
その手を両手で握り返しながら、リリアも大きくうなずいてみせる。
『もちろん。今までお世話になった隊から飛び出していくんだから、私だっていっぱい不安もあるし。勝手しちゃってこんなこと言えた義理じゃないかもだけど、皆にはこちらからよろしくお願いしたいくらい』
「義理なんて他人行儀なこと考えなくていいんだよ。リリちゃんが決めた道なんだから皆心から応援してるさ。俺たちに出来ることがあれば声をかけて。もちろんこっちも今までと同じように甘えると思うけどね」
『そうだね。リリの決めた道だから全力でサポートするよ。でも、この隊は貴女の故郷みたいなものなんだからね。それを覚えておいて』
俺の声に傍らのシャノアールが言葉を重ねる。リリアは双眸を伏せ、一瞬何かに耐えるように口元をきゅっと引き結んだ。
が、次に顔を上げた時には、晴れやかな笑顔を浮かべている。旅立ちに当たって決して涙をみせないと心に決めてでもいるのだろう。
『うん。ありがとう。私にとってもこの隊はかけがえのない存在だよ。でもま旅は人を成長させるって言うしね。ちょっと故郷から飛び出して自分で新しい世界に飛び込んでくるね』
その声は決して大きくなかったが、大地にどっしりと根を張ったような力強さを帯びていた。
『まぁ迷宮や辺境の討伐なんかでばったり会っちゃうこともあるだろうね』
リリアと最も付き合いの長いぽるかが軽やかに笑った。
リリアとは「うっかり女子」だの「ごばくぃーん」だのと憎まれ口をたたきあうほどの仲で、彼女自身そんな盟友が巣立っていくことに寂しさを感じないはずはない。
それでもぽるかは楡の大樹のように揺るがない。この小柄なエルフのどこにそんな力強さがあるのだろう。リリアとの絆を信じている力強さがその瞳の奥に光を灯しているように俺には感じられた。
「エレナさんやユエちゃんたちがいると良かったのだけど…」
『まぁね。でもま、冒険してたらそれもその内うっかりばったり出会うこともあるんじゃないかな』
『リリちゃん、今までありがとうね。迷子になった時、一緒に迷子になってくれてちょっと心強かったよ』
アトムの言葉に俺はぷっと吹き出した。それフォローになってないから。
シャノアールやトロもつられて吹き出している。リリアも思わず苦笑しながら差し出されたアトムの両手を握り返す。
『リリちゃんもアトちゃんに負けないくらいの迷子だからね!うっかりクィーンは伝説よ』
『うるさい。ぽるかに言われたくないやぃ』
変わらぬ悪態が微笑ましい。
『また一緒に冒険しましょうね。隊を離れたってそこは全く変わらないから…』
『うん。もちろんミカノさんには今まで通り一杯お世話になるつもりだから』
『私も…あまり一緒に冒険できなかったけど、また一緒にどこか行きましょうね』
『シェルさん…もちろんよ。シャロンさんにもぜひ。よろしく伝えておいて。ドレスアップもまた相談に乗ってよね』
ミカノ、シェルでリリアを囲む。
声こそかけないがタ~タン、あいあ、チアロ、ユズたん、らきしす、ぷみさくなど数多くのチームメンバーが詰めかけている。
『リリの席はずっと空けとくから』
ドルボードに軽やかにその身を跳ね上げたリリアに向かって、シャノアールが声をかける。
リリアは無言のまま微笑みを返す。
『リリちゃんが新たな世界に飛び込んでくれたら、リリちゃんを絆にして私たちの世界ももっと広がるに違いないね』
ぽるかがそう言ってリリアに握り拳を突き出してみせる。
小さくうなずいて、機上のリリアがぽるかの拳に自身のそれをこつんと合わせた。
「リリちゃんが知り合う素敵なお嬢さんに俺も今度紹介してな」
『ど~だろ。デボさんに紹介なんかしたら、デボさん私なんかほっぽらかしてその子に首ったけになっちゃいそうだしね』
俺の言葉にリリアがぷいっとそっぽを向く。
『ありえるね』
『ていうか間違いないね』
「ひっどいな」
ぽるかやシャノアールがリリアの言に同調してみせる。
いやいや、俺はそこまで節操無しではないと思うぞ。ほんの少しだけ女性限定のサービス精神が旺盛なだけだ。
『ていうかもっとヒューザ様ばりのイケメンさんを見つけてきて。そんでもって紹介してね』
『それ素敵ね。リリアさん、よろしく』
アトムの言葉にシェルが便乗する。
『イケメンならここにいるでしょ!』
『トロさん、真っ赤な目をしてそんなセリフは似合わないわよ』
『!!!』
リリアの旅立ちに涙を隠せなかったトロが気丈に振る舞ってみせるが、ミカノに容赦なく撃沈される。
まぁ正直なところ、皆気持ちはトロと同じなんだけどね。ごく自然に感情を表現できるトロの優しさがいっそ羨ましい。
『そろそろ時間かな。じゃ、リリ。胸をはっていってらっしゃい!』
『だね。そいじゃま、いってきまままままままっ!』
「せつない胸を大きく張ったね~」
『デボさん、それサイテーのセクハラだから』
『うん。全エルフを敵に回したね』
リリアとぽるかが息の合ったツッコミをみせ、俺はいつものように言葉を失った。
周囲を温かな笑いが充ちる。
その笑いを糧に変えて、リリアはドルボードのアクセルをふかした。
『ひゃあぁあぁあああぁぁぁぁっ!』
刹那、ドルボードが高速で旋回して向きを変え、あらぬ方向へと暴走を開始する。
街道を行く馬車や旅人が慌てて道をあけた。馬の嘶きに荷を取りこぼした商人の怒声が響く。ドルボードの巻き上げる砂塵に、リリアの「ごめんなさい~~~!」との悲鳴にも似た声が尾を引いて伸びてく。
呆気にとられる仲間たちを残し、愛すべきエルフのその小さな後姿はけたたましい喧騒にまぎれて、やがて雑踏の中へと溶けていった。
『迷子に…ならなきゃいいけど…』
『まさか…流石にメギストリスで迷子にはならないでしょ』
「いや…リリちゃんならありうるね…」
『うん…ありうるね』
しばしの沈黙の後、詰所の前はチーム全員の笑声に包まれた。
別れはいつも辛い。だが、旅立ちはきっと新たな出会いの始まりでもあるに違いない。
蒼天高くに冬の白雲が伸びるメギストリスで、蛍雪之功の仲間たちの笑声が響いていた。
キュララナ狂詩曲
燦々と照りつける夏の陽光。
その日、俺は仲間と共にキュララナビーチを訪れていた。
目的は冒険者教会が行うというイベントに参加するためであったが、俺の目はもはや別のものに奪われている。
水辺に群れ集う水着の女たち。この際男は視界に入らない。
セクシーなツーピースもあれば、今年流行のフリルビキニもある。色とりどりの水着姿ではしゃぐ様子が太陽以上にまぶしく映る。浜辺を埋め尽くす黄色い嬌声にもはやイベントなどどうでも良くなっていた。もしこの時の脳内映像が周囲にばれでもしたら、即GM部屋に収監間違いなしだ。
視線を隠せるオーシャングラスを持ってきていて本当に良かった。
実は俺は協会主催のイベントが苦手だ。
よほどのことがない限り自ら進んでいくことはない。アトムやぽるか、そういった面倒見の良い仲間たちが誘ってくれて初めて重い腰を上げるのだが…
(このイベントに去年来なかった俺をぶっとばしてやりたい…)
俺が悔恨にうめいていたまさにその時である。
不意に浜辺の一部から異質な悲鳴にも似た叫び声が上がった。
次いですさまじい勢いで吹き上げる水柱。
協会の運営委員たちが血相を変えて駆け寄ってくるのが見えた。どうやら何かハプニングが起きているらしい。
『デボさん、大変だ…!エレナたんがっ』
当初、野次馬根性よりも眼前に広がる素晴らしい景色に眼福を肥やすことを優先していた俺だが、喧噪の中からトロが走り出てきたところで事態は急変する。
どこの馬の骨ともしらない連中の狂騒であれば放置するが、それが大切な仲間の一大事とあらば話は別だ。飲みかけの酒杯もそのままに俺はトロに促されるまま疾走を開始した。
真っ白い砂浜が足元をすくい、思うような速度で走れない。
「トロさん、一体エレナさんがどないしたん!?」
『イベントで流れ着いた宝物の中に、強力な呪いがかけられた呪物が紛れ込んでたみたい。うっかり装備したエレナたんが強烈な混乱の呪いにかかっちゃって手が付けられない!』
「んなもんパッとツッコミ入れて、正気に戻ったところで解呪すればえんちゃうん?」
『相手はエレナたんだよ…!ツッコミに行ったタータンがさっき返り討ちにあって今医療班に運ばれてる…!』
「!!?マジか…」
何とも間の抜けた話に聞こえるが、相手がエレナとあってはトロの緊迫の様子もうなずける。
あの軍神の矛先が自分に向けられたとしたら…おおぅっ、想像するだけで背中が粟立ってくる。バラモスやガイアを相手にしている方がよほど気楽だ。
凶行の現場から逃げ出す流れに逆らって、トロと二人で人ごみをかき分けて水辺に向かう。
(おおっ!こ、これは…!!)
皆が水着を着た状態で密着してすれ違うため、行きかうだけで結構刺激的な状態になる。柔らかな人波がなかなか肌に心地よい。夏のキュララナビーチって素晴らしいっ!!
時折チャラい水着に身を包んだ男どもの群れにもかちあったが、何とも貧乏くじを引いた気分になった。
(男が群れて走ってくるなよっ!男だったら雄々しく戦場で華と散れっ!)
要するに男が邪魔なだけであるが、それは今はどうでもよろしい。
「うげっ…これは凄まじいな…」
柔らかな人波を抜けた先、ぽっかりと人気の無くなった浜辺にようやくたどり着いた俺は、想像を超える様子に言葉を失った。
膝上…腿のあたりまで水につかった状態で、1mほどの流木を2本手にした水着姿のエレナさんが佇んでいる。
純白の色っぽいゴージャスビキニだ。しなやかな肢体が水滴を帯びてなかなか見事な色気を放っている。
が、さすがの俺もエレナの艶気にとろけている余裕はなかった。
周囲の水辺には彼女に返り討ちにあったのであろう男衆が両の手で余るほどぽっかりと水に浮いている。おそらく意識はあるまい。
土左衛門さながら波間を漂う犠牲者を救出するのに手を取られ、運営の係員もエレナ当人の処置に手が回らない。
「これは…俺たちで何とかするしかないようだな」
『う、うん…これ以上犠牲者を出しちゃいけないね』
『仕方がない。私も協力するよ』
いつの間にかトロの傍らにあいあが来ていた。
「あいあさん!心強いです。よかった…さすがに二人じゃ敗色濃厚…。今日はアトちゃんと一緒に?」
『うん。ナビってきた』
「んで、アトちゃんは今どこに?」
かつて暴れん坊と呼ばれ、隊の切り込み隊長として名をはせたアトムが入ればさらに戦力は強化される。そのことに期待して所在を聞いたのだが、あいあは苦笑を浮かべて首を振った。
『この人ごみと特徴のない景色だよ…アトムがはぐれずにいられるわけないじゃん…』
『そ、それもそうか…』
トロががっくりと肩を落とす。
残念、アトちゃんの水着姿を見るのはお預けか…。
「よし!編隊を組んでエレナさんを同時に襲おう。三方から同時に襲えばさすがに何とかなるに違いない」
『惜しむらくは四方じゃないところだね…あと一人いれば…』
「んむ…でもそんなことは言ってられないのはわかるよね?」
『うん…』
「こんなチャンスはそうはない。今ならエレナさんを半強制的に押し倒せる。しかも水着のエレナさんを…だ。今、まさに我々は千載一遇のチャンスを目前にしているんだ…!」
『!!?…そ、それは…!?』
「軍神を押し倒すチャンスだ。俺はこれに命を懸ける!」
『私も懸ける!ここで引いたら男じゃない』
『た、たしかに。生身のエレナたんに触れられる機会なんて、もう二度と巡ってこないかもしれないね…』
俺の声にあいあとトロが順を追って賛同を返す。
ふっ、さすがに俺が見込んだチームメイトだぜ。
『俺でよければ力を貸しますよ』
『アンディさんっ!』
いつの間にやってきていたのか、アンディが傍らで笑顔を浮かべていた。黒いサングラスを額にかけて、紅い膝丈の海パンを腰履きにしている。
憎らしいほどのイケメンっぷりだ。
「アンディさん…でもええん?アンディさんにはねおんちゃんが…」
『仲間のピンチです。俺だって蛍雪之功の一員だ…。指をくわえてみているわけにはいかない。それに…』
「…それに?」
『エレナさんには、ねおんにはない色気があるっ!』
「!!!!」
『!!!!!!!』
「…同志よ、君の覚悟に俺は敬意を表するよ」
『よして下さい。そんなの照れくさいじゃないですか…』
『よし、行こう!私たちでエレナたんを救うんだ』
トロが決意の鬨をあげ、他の三人が声をそろえてそれに応じた。握りしめた4つのこぶしが一つに突き合わされる。
その声が見事に調和している。仲間と意識を結集させて事に臨む。その昂揚感が今まさに心地よい。
「いくぞっ!フォーメーションE!エレナさんを押し倒せーっっっ!」
『『『おうっ!!!』』』
号令の元、俺たちは疾走を開始した。
重装備がない俺たちの動きは、通常の戦闘時よりも遥かに捷い。が、それを妨げるのが波打つ海水だ。足首程度までならさほど大きな障害にはならないが、エレナの位置する膝丈以上ともなると中々そうは言ってられない。
混乱状態にあるエレナの視点は虚ろに宙を彷徨っている。
戦闘時に彼女が張りつめている警戒の糸が感じられない。これならなんとかなるんじゃないか。
散開した仲間たちも巧みに位置取りを変えつつ、素晴らしい動きを見せていた。
手にした流木に返り討ちにあうことがあっても、他の誰かがエレナを押し倒すことができるに違いない。
(いっけぇええええっ!)
エレナの注意を引きすぎないように、敢えて掛け声を抑えて挑みかかる。
しかし、まさにその瞬間、エレナが眉ひとつ動かさず、両手の流木を高らかに突き上げた。
ランドインパクト!
4人がまさに宙に身を躍らせんとした直前、エレナの流木での一撃が大地をつかむ。
凄まじい衝撃波が突き上げ、海水もろともに巻き上げられて俺たちの体は宙を舞った。
エレナの周囲だけ一瞬海水がすべて干上がり、真っ白な砂底が露わになる。
大量の水と一緒に叩き落された俺は、瞬きほどの間ではあるが天地の感覚をなくしてエレナを見失う。
視界を廻らせて再びエレナを認めた時には、彼女は再び両手の流木を天を突き刺すように突き上げていた。
(そりゃないよエレナさんっ!!)
まさかの追撃、ランドインパクト2連発を受けてあいあとアンディが波間を漂う土左衛門と化す。おそらく直撃を受けてしまったのだろう。
てか流木なのにハンマーですか?しかも流木なのにこの威力ですか!?
同様にかろうじて意識をつなぎとめたトロも同じような表情を浮かべている。
戦意を喪失しかねない軍神との実力差。もはやエレナの柔肌がどうこう言ってられる余裕はない。
一度引いて応援を募ろうとしたまさにその瞬間、エレナが流木を構えたまま身をかがめる。
気力を充填し、地脈を流れる大地の力の上に衝撃を乗せる…。これってもしかして…
プ、プレートインパクト!!!?
ランドインパクト2発でも瀕死の状態にされてるのに、そんなの喰らったらマジで死にますっ!土左衛門もどきじゃすみませんっ!確実に昇天させられるっ!
一瞬にして走馬灯のように脳裏に光景がよぎる。
冒険者、混乱中の水着の仲間を押し倒そうとして返り討ち昇天!
スケベ心にご用心!真夏の浜辺の乱痴気騒ぎ。冒険者2名衝撃の溺死。
アストルティア新聞の三面を賑わす自分の記事。
旅の恥はかきすて、とは昔から言うけれど、旅人の恥を書き捨てられてはたまらない。
死を覚悟したまさにその瞬間、エレナの背後に水中から現れたユエが街で肩を叩く気軽さで、ぽんっとツッコミを入れた。
『エレさん、んなとこでデボなんかと遊んでないで、アトちゃんと向こうの浜辺で泳ごうよ』
『…!?あれ?私…?』
ユエが指差す先に、浮き輪に乗ったまま波に揺られて遊んでいるアトムの姿が見える。
童心にかえってわ~いとはしゃぐ姿が、死を覚悟した俺からすると同じ浜辺の出来事に見えない。
『…ええっ!?だから…キュララナビーチっ!ぽるか、一体どこにいるの?どこ?ってこっちが聞きたいわよ!えっ?ベロニャーゴ?ぽるか、それって猫島行っちゃってるじゃないっ!』
陸地で誰かと通信しているリリアの声が聞こえてきた。
おそらく相手はぽるかだろう。
エレナが正気を取り戻したことからくる喜びか、彼女を押し倒せなかったことへの失意か。
はたまた目前にせまった死を免れることのできた安堵によるものか。
おそらくそれらのすべてが一緒になった脱力感で、俺は仰向けに海へと倒れこんだ。
冷えた海水が全身を包む。浮き上がった先で目を細く開けると、澄み切った蒼穹に純白の積乱雲が浮かび、その傍らから真夏の太陽が顔を出していた。
唇をなめた舌先に、海水がぴりりと塩辛い。
(これだからイベントって好きじゃないんだ…)
イベント嫌いを痛感したある夏の日の出来事であった。
メラゾ熱が紡ぐ悲聞
『デボネアさま、すこし…お願いがあるのですけど、聞いて頂けませんか?』
その日、俺は収拾した小さなメダルを石板に交換するべくラッカランの島主ゴーレックの元を訪ねていた。
ゴーレックはバトルマスターの師範ジェイコフの親友にして、アストルティア屈指の豪商の一人だ。なぜだか小さなメダル収拾に心血を注いでいて、旅先で拾い集めたメダルを換金することは、冒険者たちにとって大きな収入源になっていた。
「んん?ササラナちゃん。どないしたん、思いつめた顔して…?」
島主と商談を終え、帰路についた俺を呼び止めたササラナの表情には、普段見せない思いつめたような陰がさしていた。
資産管理などに抜群の才能を見せる彼女は、ゴーレックからの信任も厚く、その柔らかい物腰は冒険者の中でも評判がいい。特に彼女が教えてくれる整理術のおかげで、俺たち冒険者の荷物はより一層コンパクトに収納が出来、旅にも大いに役立っていた。
『実は…』
足を止め、俯いて何かを悩む様子のササラナに話の先を促してやると、彼女はポツポツと呟くように話し始めた。
思いつめた視線には悲壮感さえ感じさせる。声は彼女の不安を宿し、ところどころ語尾が震えた。
『私の整理術は…元々母から教わったものです。幼なくして父に先立たれた私は、母と二人でカミハルムイに住んでいました。
その頃、母は優れた整理術を富豪の方に気に入られ、今の私のように資産管理を任されていたようです。私はそんな母が大好きでした。誇りでした。
母から教わる整理術は…まだまだ基礎的なのものでしたが、幼い私はそれを身につけたときに母に褒めてもらえるのが嬉しくて…明けても暮れても整理術のおさらいをしているような子供でした…。
そんな母がある時突然私の元からいなくなったんです。
ある晩、仕事の事情でカミハルムイをしばらく離れなくてはならなくなったからと、私をマトイおばさんに預け、それっきり姿を消してしまいました。
翌日、何人もの怖そうな人たちが母を訪ねてマトイおばさんの元を訪れました。中には剣をちらつかせておばさんを脅す人たちもいました。私はそれがただ怖くて怖くて…。
私は最初、母がとんでもないことをしてしまったのかと思ったのですが、マトイおばさんとご主人は決して暴漢たちの脅しには屈せず、幼い私に『あんたのお母さんは決して曲がったことをする人じゃない!あんたは彼女に誓って私たちが守ってあげるからお母さんを信じるんだよ』と言い続け、独り立ちするまで私のことを支えて下さいました。
もちろん私は今でも母を信じています。ですが…母がどうして私の元を去ってしまったのか。今、どうしているのか。
母から教わった整理術を世に広めていけば、いつか母にもう一度会えるんじゃないかと思って続けてきましたが…。
正直不安なのです。もし母が亡くなっていたとしても、私はその弔いさえしてあげられない。
デボネアさまは今やアストルティアの各地にも詳しいと伺っています。お仕事の合間でも構いません。どうか…どうか私の母の消息を調べて頂くことはできないものでしょうか…』
ササラナは感極まった様子で俺の袖を掴んだ。よほど一人で長い間悩み、思いつめてきたのだろう。
目にうっすらと涙をたたえ、すがるように袖を掴むササラナの両手の震えが、言葉以上に彼女の思いを伝えてくる。
「わかった。ちょうど今度の依頼でカミハルムイに行くことがあるしね。マトイさんにもう一度話を聞いて、追えるところまでお母さんの足取りを追ってみせるよ」
カミハルムイには実際は何の用事もなかったが、ササラナの思いを捨て置くことは出来なかった。
ちょうどしばらく大きな作戦もない。ササラナには整理術の恩があるし、何より女の子に悲しい涙は似合わない。
『ありがとうございます!…そうだ…マトイおばさんに会われたらこのピアスをお見せ下さい。マトイおばさんから頂いたものです』
そういってササラナは両耳に下げていた琥珀色のピアスを差し出した。
なるほど見ず知らずの俺がマトイを訪ねて行ったところで彼女が真実を話してくれるとは限らない。
「ありがとう。預からせてもらうよ。成功報酬は…そうだな、今度一緒に飯でも食べに行こか」
俺がピアスを笑顔で受け取ると、ササラナはうっすらと涙をたたえた瞳を潤ませて、はにかむように微笑を浮かべた。
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翌日、カミハルムイを訪れた俺は、王都の南西部に住むというマトイの元を訪れていた。
純白にわずかに血の色を宿した桜の花びらが今日も大路を華やかに彩っている。
「桜ってな~…ちょっと怖いねんな~…綺麗すぎて。どやっ!俺を見ろっ!みたいな鬼気迫る美があってな~…。綺麗なんだけど怖いねんな~」
『あんた…なに一人でぶつぶつ言うてるの?』
大路を南に歩きながら路傍を埋める桜につい一人独白してると、庭の手入れをしていた初老の女に声をかけられた。
エルフというよりむしろドワーフに近いような丸まった身体。人のよさそうなつぶらな瞳。頭頂部でひっつめられた髪がぴょこんと天を指している。
「あ~…えっと…もしかしてマトイさん?」
『んん?確かにあたしゃマトイだけど…あんた何者??』
思わず探していた当人に出会えた俺は、ササラナから預かった琥珀のピアスを差し出して、かいつまんで様子を伝えることにした。
当初、両の瞳に不審の色を隠さなかったマトイだが、話をしていくにつれ事態を了解したのか食い入るように俺の話に耳を傾けるようになった。
『ササラナのお母さん、エンジュさんはそれはそれは器量良しでね。人柄も良かった…。
でもある晩、お屋敷に泥棒がはいってね。その犯人がエンジュさんだって言ってそりゃぁ強面のならず者みたいな連中がうちに押しかけてきたさ。エンジュを出せってね。
確かにその日の晩に彼女は私たちに幼かったササラナを預けていったんだから無関係なんかじゃないだろうさ。でも絶対に犯人なんかじゃない。彼女はきっと何かに巻き込まれたんだ…』
確信をもって話すマトイに、俺はなぜ彼女がそこまでエンジュを信じられるかに疑問を抱いた。
血縁の情だけを鵜呑みに出来るほど、世の中は綺麗なもんじゃない。
『…あたしたちにはさ…ササラナと同じくらいの年の娘がいたんだ。でもね…ある日あたしと主人と娘の3人が一度に酷い疫病にあたっちまってね。
当時のことを思い出すだけで震えが来るほどの重い病さ。全身に岩を乗せられたような重さと、針でくまなく突き刺すような痛み。熱も酷いもんだったと聞いた。
街の医師が匙を投げるほどの疫病だったんだ。
それをエンジュさんは自分がうつる恐怖をおさえて寝ずの看病をしてくれたんだ。三日三晩…ほとんど不眠不休さ。
四日目の朝、ようやく目をあけることが出来たあたしに、彼女は泣きながら詫びてくれた。娘は…どうしても病の峠を越えることが出来ず、二日目の夜に息を引き取ってしまったって。
悲しかったさ。…そりゃ自分の心を殺されるのと同じだからね。
でも決死の看病を続けてくれたエンジュさんが泣いてくれて、どれほど私たち夫婦が救われたか…。
だからあたしゃどんなことを言われたって彼女を信じるし、ササラナのことを支えていきたいんだ…』
福々しい外見からは想像もつかないほどの凄惨な過去に思わず俺は生唾を呑んだ。
ササラナとマトイをつなぐ血縁を超えた固い絆の意味が、そのような過去にあったなんて…。エンジュは確かに素晴らしい人だったのだろう。
(こりゃ何としてでもエンジュさんの足取りを掴まないとな…)
内心決意を新たにした俺は、マトイにエンジュが勤めていた豪商のことを聞いた。
豪商はエンジュが失踪してから数カ月後に、カミハルムイを引き払ってメギストリスへと移り住んだらしい。
『何年か前に…風のうわさでお館さんは亡くなったって聞いたよ。その後のことはわからない。あたしたちには縁のない話だからね。エンジュさんを犯人扱いした輩なんて…。
…んん?たしかにそうか。エンジュさんの行方を知るためには、あの家に聞くのが一番早いかもしれないね。ただ…お館さんが亡くなってることを思うと…
たしか…そうだ、パッポルちゃん。パッポルって一人息子がいたはずだから、もし今もメギストリスにいるとしたら、彼が家を継いでるんじゃないかしら』
「パッポルね…ありがとう。おねーさん、また今度旅の土産でももってくるよ」
『ははは。おねーさんなんて呼ばれたのは随分久しぶりだね。ありがとう。ササラナの力になっておくれね』
マトイと笑顔で別れの挨拶をかわすと、俺は豪商の行方を追って詰所のあるメギストリスへと踵を返した。
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『パッポルぅ?ああ、お城の近くにある豪邸の若旦那のことじゃない。なんだ、デボ。何か用があるの?』
パッポルという名に聞き覚えがないかと詰所を訪ねたのだが、シャノアールがあっさりと記憶の中からパッポルの名を探り当てた。
流石に頼りになる姉さんだ。
年下の美女を捕まえて姉御呼ばわりをするのもどうかと思ったが、俺にとって剣の師であり冒険の達人でもある彼女にはどこかしら姉御的な風格が漂う。
自宅は存外女の子然としているのだが、大剣を振り回して魔物の群れに突入していく様子は、世間一般の女性像とは大きく隔たりがあるだろう。
ま、戦場に咲く花の魅力は、戦場に行ったものにしかわからんからな。
「シャノ、ちょっと付き合ってや」
『…ん?しゃーなしやで』
事情もろくに話をしないまま、俺はシャノアールをともなってパッポルの元を訪れた。
危険の有無さえも話さないままで同行を了承してくれる存在が何よりもありがたい。ササラナの一件は、いかに信頼できる相手と言えど、早々口外していいものでもない。なんせ俺自身の問題ではなく、ササラナ個人の名誉にかかわる危険性もあるのだから。
無論、パッポル相手に剣をちらつかせる必要はないと思うし、仮にそうなったとしてもそうそう遅れをとるとも思わない。が、ならず者まがいを使ってマトイを脅すような相手であれば用心に越したことはない。
隊でも屈指の剣客であるシャノアールがいれば、一軍を相手にしたとしても互角以上に渡り合う自信があった。今は何より心の余裕こそがものを言うのだ。
が、いざパッポルの元を訪ね、実際に当人に会って話をしてみると、これらの警戒は杞憂に終わった。
『エンジュさん…ですか。確かに当時のことは良く覚えています。父が彼女を血眼になって探したのも覚えていますよ。ただ…私はどうしてもエンジュさんが父の言うような犯人だとは思えませんでした。
ええ、彼女がうちで働いて下さっている時に、いろいろと私もお世話になったんです。ちょっと後片付けの苦手な子供だったんでね。エンジュさんが笑いながら手伝ってくれて、色んなことを教えて下さいました。あの人が犯人なわけはありません。
その後、エンジュさんを探している内に、父は何やら大きな失敗をやらかしたようです。
『ギルザットで魔物にカギを奪われた…』とか言っていたようですが…。私が捜索隊を指揮しようと提案したこともあるのですが、それは酷い剣幕で止められました。おかしな話ですね。
その後、父は体を壊し床に臥せるようになり、私も数年前まで商売で各地を転々としていましたのでカギの一件もそれっきりです。
エンジュさんの一件と父がギルザットで失くしたカギの一件が関係するとは思いませんが…』
パッポルはそう言って力なく笑った。
確かにおかしな話だ。エンジュの一件にしろ、カギの一件にしろパッポルの父はならず者の力を借りることはあっても、パッポルに関わらせようとしていない。
次代を担う子息を話の外に置くとすれば、あくまで個人的な話であったのか。いや…使用人が屋敷から何かを窃盗したとすれば、個人的な話ではありえない。
ギルザットで魔物がカギを奪うのも妙な話だ。
カギというからには何かしらの扉なり錠前をあけるためのものだろうが、魔物が錠前をあけることに興味があったとは考えにくい。
鳥類が巣にヒカリモノを収集するように、魔物が貴金属である鍵そのものに興味をもって奪いさったと考えるのが自然だろうか…。あくまで推測の域をでないのだが。
シャノアールが何かを思い出したかのようにはっと顔をあげた。
『デボ…以前あらくれチャッピーの巣で結構な数の貴金属が集められてるのを見たことがある。もしかするとギルザットのチャッピーの巣を叩けば、意中のカギが手に入るかもしれないよ』
「なるほど…チャッピーにそんな習性があるなら考えられるね。…てかシャノ、チャッピーの空き巣を狙うようなことしてたんか」
『もう時効でしょ。強盗したわけじゃないんだからいいじゃない』
シャノアールがチャッピーの巣から貴金属を拾い上げている様子を想像して俺は思わず吹き出した。
パッポルが怪訝な様子で顔をあげ、彼の死角でシャノアールの肘鉄が俺の脇腹に鋭く刺さった。
「ギルザットでのカギは我々の方で少し探してみることにします。パッポルさんは…その申し訳ないのですが、エンジュさんが失踪されるきっかけになった一件について、わかる範囲で調べて頂いてよろしいでしょうか?」
『わかりました。エンジュさんのことは私も少なからず気がかりです。できる限りのことはしてみましょう』
パッポルの居室を出て、俺は一路詰所へと向かった。
ギルザットのチャッピーの巣を手当たり次第に捜索する。言葉で言うのはたやすいが、実際に行動するとなれば相当な根気がいる。しかも相手は凶暴な魔物だ。
生半な連中では危険が増すばかりで大して実績をあげることは出来ないだろう。
『隊の連中なら、今日の夕方には結構帰ってくるんじゃないかな?』
何を伝えたわけでもないのにこちらの意をくんでシャノアールが言葉を発した。
なに?俺ってそんなに考えてることが筒抜けなん?
『ま、デボが考えそうなことだよ』
笑って歩く盟友の背中が妙に心強かった。
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「…と、いうことです。作戦は明朝8時から。各隊に分かれて手当たり次第にチャッピーの巣を確認してください。カギの様子はわからないけど、カギに類するものであれば私の方へ渡して下さい。それ以外の貴金属については各自の判断にお任せします」
幸いその日の詰所には多くの僚友が集まってくれた。
エレナ、ミカノ、トロ、あいあ、リリア、ぽるか…ぷみさくやクーニャン、エリエールにちなちなの顔も見える。
一堂に集結した仲間たちに俺は簡潔に事情を説明する。
この段に至ってはササラナの話も伝えないわけにはいかない。もちろん口外不要の案件だが、隊の連中なら何も言わなくても事情を飲み込んでくれるとわかっていた。
「チャッピーといっても多少の危険をはらんでいますので、各隊単独行動は控えて下さい。アトちゃん、ぽるちゃん、リリちゃんは迷子癖があるからちゃんとPTのメンバーについていくこと。いいかな?」
『うっ…』
『迷子癖なんかないもん!』
『ぽるかと同じ扱いを受けるなんて…ううっ』
一部から何やら恨みがましい声が聞こえてくるが、とりあえず聞こえない振りをした。
『これはお~きな貸しやで』
ユエが笑って肩を小突く。
「もうしわけない。ちゃんと体で返すよ」
『そやな…んじゃ心臓か肝臓かうっぱらってもらおか。狂った連中が喜んで換金してくれるやろ』
『ユエちゃん、デボさんの臓器なんか変な感染症もってるに決まってるじゃない』
『それもそうか…。役に立たん奴だな』
散々な言われっぷりだが、その言葉の後背にある親愛の情がありがたい。
『それじゃ皆さん、とりあえず今日はデボのおごりってことで!かんぱーい!』
シャノアールが椅子の上に立ち上がって高らかに乾杯を告げる。それに呼応して詰所内は乾杯の号令の大合唱だ。
うう…今日の飲み代、どれくらいになるんだろう…?
*****************************************************************************************
翌日、俺たちは隊員総出でギルザットの捜索を行った。
今回は魔物駆逐ではなく、魔物の空き巣を襲うという情けない内容だが、僚友たちは嬉々として草原の中を駆け回っている。
途中、魔物と遭遇して戦闘になることもあったが、手練れ揃いの仲間たちにかかれば大して危険があるわけでもない。
むしろ執拗に巣を襲われる魔物の方がいい迷惑といったところか。
アトムとぽるかがお約束といった感じで迷走し、うっかりフォレスドンの群れを連れてくるというハプニングはあったが、それ以外に大きなトラブルもなく捜索は進んだ。
多少風雪にさらされて汚れた感はあるが、結構見事な宝石の付いたネックレスが出てきたり、小さなメダルが数枚でてきたり。
貴重な財宝の大抵はチアロが見つけ出してはいたのだが、皆そこかしこでそれなりの遺失物の収集を終えていた。
『これじゃない?カギって!』
夕刻になって、ようやくクーニャンがカギらしきものを発見した。
彼女が手にしたそれは、ドワーフ製の精緻な装飾の施された大振りなカギで、中央に真っ赤な宝石が飾られている。どういう細工なのか宝石の光の向こうにドルワームの紋章がうつり込み、光の加減で不思議な光沢を見せている。
その精巧な仕上がりはまさに芸術品と言っても過言ではないだろう。
「たぶん…これに間違いないね。ありがと、クーちゃん、みんな。お礼はまた必ずするよ」
『ふふっ、いいよ。おたがいさまだよ』
落日を前に俺たちは捜索を終え、飛石の力を借りてメギストリスに舞い戻った。
隊の面々はそのまま詰所へと向かい、いつものように不夜城の賑わいの一つになるに違いない。
一方の俺は、エレナとシャノアールという両雄を伴ってパッポルの館を訪れていた。同行を申し出てくれたエレナの理由は「どうせ私は飲めないからね」というものだったが、おそらく彼女はこのカギに何かしら感じるところがあるのだろう。
カギを見つけた時に彼女がはっと息をのんだ気配があった。
『これは…デボネアさん。さぁどうぞ』
俺たちを招きいれるパッポルが一瞬怯んだ様子を見せた。
確かにシャノアールとエレナに脇を固められた図というのはちょっと落ち着かないかもしれない。二人とも平服でいる時は眉目整った素敵なお嬢さんに間違いないが、武装そのままで来た今回は歴戦の勇士の凄みがある。
種族的に小柄なパッポルが二人を伺うように階段を上っていく様子にちょっと同情してしまった。なんとなくその気分はわからないでもないよ、と。
「私の隊でギルザットの魔物の巣をくまなく捜索したところ、このようなものが見つかりました」
『これは…』
差し出されたカギをみて、パッポルが目を見開いた。
俺にはこのカギがなんなのかさっぱり見当がつかないが、彼もエレナ同様なにか感じるところがあったに違いない。
『そのカギ…ドルワーム王国の特別金庫の鍵ではないですか?』
良く通る声で静かにエレナが言葉を発した。
決して大きくはないその声に、パッポルは雷に打たれたように小さく飛び上がる。見上げた瞳が何かに怯える色をたたえていた。
『…確かに私もこれがドルワーム王国の特別金庫の鍵だと思います』
エレナのまっすぐな視線を受けて、隠し切れないと観念したようにパッポルはカギの正体を認めてみせた。
うわさには聞いたことがある。
ドルワーム王国にある全く他者の圧力に屈することなく、契約者の品を確実に保管・管理するという特別な金庫の存在を。
カギを持たない場合は、国家や冒険者ギルド、魔術師教会など世界屈指の権力を相手にしても決して中身を開放することはないという独立機関。
噂では国家が転覆してしまうほどの秘密や、世界に破滅をもたらしかねないほどの魔力をもった呪物なども保管されているという。
並大抵の秘密であれば、そこまで厳重な金庫に保管する必要はない。
世界に冠する特別金庫に保管するということは、それほどに守るべき…いや隠すべき秘密が大きいということを示しているのではないか。
『そのカギがあるからといって特別金庫を開けられるわけではないと思います。契約者当人ではない以上、おそらく血脈や契約の内容についても調べられるでしょう。
万一、そのカギがあなたのお父様のものでなかった場合は、カギは単なる装飾品に成り下がります。ですが、もしあなたのお父様が契約者であった場合は…』
『そもそもこのカギを見つけてきてくださったのは皆さんです。知り得た情報は隠さずお伝えするとお約束します』
『お父様の名誉を傷つけるような情報であっても?』
『!!?…もちろん…父の名誉を傷つけることがあっても、真実を隠しておくことは私にはできない』
詰問する様子のエレナに、パッポルは感情を押し殺すように返答を絞り出した。
決して高ぶる様子を見せずあくまで視線を注ぐだけのエレナの静かな圧力が、目の前の小さな男を追い詰めていた。
たしかに俺自身、エレナには出す手すべてが読まれているように錯覚することがある。そうした時、彼女は「カンだよ」と笑うが、おそらくエレナ自身の優れた情報収集力とそれを整理して分析する知力の発露に他ならない。が、対峙したものにとってはその分析眼こそが最も恐ろしい。パッポルも今そういう畏怖を覚えているに違いない。
「わかりました。あなたにお任せします」
俺の言葉に、はっと視線をあげたパッポルの泣きだしそうな表情が何とも印象深かった。
その後、俺たちはことの進展があった場合の連絡先をパッポルに伝え、屋敷を後にした。
落日はすっかり地平の彼方に沈み、空を漆黒の帳が覆い、その遙かな高みに星々が赤や青、白の輝きを瞬かせている。
『しっかし、さっきのエレナさんの迫力…すげぇ』
「うん…指一本動かさずに獲物を追い詰めた感じだったよな」
『ヒドイな、私がパッポルさんを追い詰めたみたいじゃないか』
「いやいや、エレナさんにその意識はなくても、相手は勝手に追い込まれてたよ」
『てかエレナさん、どこまで話を知ってたの?』
『ん…?えとね…何年か前にカミハルムイで使用人が何かを奪ったって事件が起きたのは何かの記事で読んで知ってた。それがササラナさんと関係してたとは知らなかったけど。
それから、どこかの富豪がギルザットで魔物の襲撃を受けたことがあったことも、その時になぜだか官庁を使っての捜索隊が指揮されることもなく、妙な噂が立ってたことも少し覚えてた。
今回の話を聞いて、それらがパッポル父を要にして少し繋がって見えてきてたけど、そこにあの鍵が出てきたからね。おそらく特別金庫には官庁には明かせない類のモノが入ってる。
パッポルさんに悪い噂は聞かないし、誠実そうな人に見えた。だからこそ、暴かれた秘密が悪に類するものであった場合、うっかり魔がさすことがあると思っただけ。
事前に言っておけば、少なくともうっかりで道を踏み外すことはなくなるかもしれないじゃない?』
歩きながら淡々と説明するエレナに、俺もシャノアールも開いた口がふさがらない。
『やっぱエレナさんは凄いわ…』
「大師匠には絶対勝てないって俺良くわかったわ」
『大師匠じゃないし。さ、皆がお財布の到着を待ってるよ』
そういって屈託なく笑うエレナを俺は心底頼もしく感じた。
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パッポルから詰所に連絡が入ったのはそれから一カ月ほど経った時のことだ。
真相が概ね明らかになったので、ぜひ話を聞きに来てほしいとあった。
日時の指定はない。が、こちらの都合の良い日にできるだけ早く…パッポルの方で必ず日程は合わせますと添え書きがされていた。
俺はシャノアールとエレナに声をかけた。
往訪は一応先方に連絡を入れ、明日の昼に伺うと伝えた。
シャノアールはいつもと同じ様子で快くうなずいて見せたが、エレナは軽く微笑んで首を振った。
『私がいると、パッポルさんも必要以上に緊張されちゃうかもしれないからね』
パッポルのためを思ってのことであっても、前回彼を詰問してしまったことが彼女の中でかすかな後悔を生んでいるのかもしれない。
強すぎる光は時に対象を焼いてしまうということか。強すぎるというのも中々苦労が多いものだ。
結局俺は初回同様、シャノアールと二人でパッポルの元を訪れた。
俺たちの姿を見とめたパッポルが、首を伸ばして周囲を探すそぶりを見せる。
エレナは今回は来ないことを告げると、短い嘆息の後で明らかに落胆した様子でパッポルは肩を落とした。
おやおや…これってばエレナさんに魅せられちゃったってことでないかい?
内心で思わず北楚笑む。
「エレナさん…今日も来た方が良かったかもね」
『…んん?なんで?』
「!?…シャノ、お前そーゆーとこはびっくりするほどニブイよな」
『!?…うっさいよ』
客室に通された俺たちは前回同様すすめられた通りソファに腰を下ろす。
今回は二人とも平服できているので、それほどの違和感は感じない。芳醇な香りを醸す紅茶が運ばれて鼻腔をくすぐる。これ、絶対高いやつや…。
『やはりあの鍵はドルワーム王国の特別金庫の鍵でした。それも私の父が契約していました』
簡単な挨拶の後、意を決したようにパッポルはそう言葉を紡ぎだした。
素晴らしく空調のきいた客室にあって、額には汗を浮かべている。それが暑さからくるものではなく、内心の昂揚、おさえがたい衝動からくるものだとは容易に想像がつく。
パッポルの報告を要約するとこういう話だった。
パッポルの父は、致死性の高いメラゾ熱という難病のウィルスとワクチンを使って莫大な富を生み出すことを計画した。
すなわちウィルスで人々を罹患させたのち、高額なワクチンを売り捌いて巨富を得るという話で、まさに鬼畜の計画とも言える。
ウィルスとワクチンの入手までは計画通りに進んだのだが、ここで予定外の出来事が起こる。
それがエンジュの失踪事件だ。
エンジュは計画の存在に気づくと、ワクチンを手に行方をくらませてしまったのだ。
パッポル父は闇の請負人の力を借りてでもエンジュの行方を追い、その命を奪ってでもワクチンの奪還を謀ったのだが、その足取りは杳として知ることはできなかった。
ワクチンのないウィルスは単なる危険物に他ならない。
この世の中で最も安全と言われるドルワームの特別金庫へワクチンを収め、いよいよエンジュの捜査の手を広げようとしたまさにその時、パッポル父の乗った馬車が魔物の襲撃に遭ってしまった。
パッポル父自身は命を長らえることができたものの、数々の宝玉と一緒に肝心の特別金庫の鍵が魔物に奪われてしまったのだ。
官庁の手を借りればあるいは鍵の奪還は果たせたかもしれないのだが、理由を聞くことを畏れた彼はカギの捜索を後手に回し、エンジュの消息を優先することに決めた。
そんな中で彼はエンジュが既に他界していることを知る。
追手から逃れる最中に、彼女は魔物に襲われて致命の深手を負ってしまったのだ。愛する娘の名を呼びながら、彼女が息を引き取ったのがウェリナード王国の辺境にある小さな寺院の中だった。
そして彼女の遺品はヴェリナード教会に収められ、既に手出しできなくなったことも知ってしまった。
失意の底でパッポル父は何とかしてエンジュの遺品を手に入れようと試みたが、それを果たせないまま自身も病で床に臥せるようになってしまった。
『エンジュさんには本当に申し訳ない気持ちで一杯です。私の父が愚かなことを計画しなければ、彼女は魔物に襲われることもなかったでしょう。
ササラナさんの人生を狂わせてしまったのも、彼女から最愛の母を奪ったのも全て私たちが原因です』
悔恨に涙するパッポルは、膝の上で硬く両手を握りしめていた。
愛する家族の非道を知ってしまった衝撃は、おそらく余人には想像もつかない。彼もまた愚かな計画の犠牲者なのだ。
『メラゾ熱のウィルスはどうされたのですか?』
『ドルワーム王国の研究機関、ドゥラ院長へお渡ししました。おそらくメラゾ熱の解明にもっとも有望な方だと思いましたので。メラゾ熱の対処法が明らかにされれば、少なくともメラゾ熱で人生が狂わされる人はなくなるかもしれませんから…』
「ササラナさんにお会いしたいですか?」
『!!ササラナさんにっ!?会えるのですか?…いや私などが会ってもらえるとは…でも、許されるならば直接会って不明をお詫びしたい。私の父の罪が許されるとは思いませんが…!』
パッポルの言葉には誠意が込められている。
ことここに至ってササラナの元をパッポルが訪れることに障害はないと俺は思った。
「彼女はラッカランのゴーレック氏の元にいます…」
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夕刻、俺たちは鉄道に乗ってラッカランを訪れていた。
パッポルには翌日の往訪を提案したのだが、彼は頑なにそれを拒んだ。ササラナに詫びることは既に彼にとっての使命に近い。
『あっ…デボネアさま』
仕事の傍ら、ふと俺たちの来訪に気づいたササラナが軽やかな笑顔を見せる。
が、それも一瞬のことで、傍らで深く頭を垂れるパッポルを見て、彼女は暗然たる予想を抱いたに違いない。笑顔は隠れ、すぐにそこに沈痛な憂いの表情が浮かんだ。
『…母は…ヴェリナードで亡くなったんですね』
全ての顛末を聞いた後で、ササラナは静かにそう言葉を発した。
既に母の死を想像していたのだろう。内心の動揺を露わにせず落ち着いた様子でただそれだけで口を閉じた。
エンジュがササラナの名を呼びながら世を去ったと聞いた時は、流石に彼女も両手で顔を覆っていた。
あふれる涙がしなやかな指の間から滴り落ちる。
『全てはおろかな私の父の過ちです。どのような償いも致します…ササラナさん、私は貴方にどう償っていけば良いか…』
『償いなど…。どんな償いをして頂いたところで母はもう帰ってきません。過ぎ去った時間が戻らないのと同じように。
それに私は私の母が間違っていなかったことがわかっただけで満足です。母から教わった整理術を誇りを持って広めていきます』
視線をあげたササラナの眼に曇りはなかった。
まだ双眸は涙にぬれて、赤く充血してはいたものの、そこには晴れやかな力強さが戻っている。
『あ…でも一つお願いが…』
『!?なんでも致します。おっしゃって下さい』
『メラゾ熱の解明…メラゾ熱で命を落とす人が出ないように…それをお願いしてもよろしいでしょうか』
『わかりました。ドルワーム王国のドゥラ院長の協力を仰ぎ、終生の目標としてメラゾ熱の解明に尽くします』
ササラナが微笑み、パッポルの低い慟哭がことの終焉を告げていた。
決して明るい終幕ではないが、一つの悲しい過去が明るい未来の光明となった瞬間かもしれない。
数日後、討伐を終えて帰ってきた俺にエレナが空の酒杯と果実酒の入ったボトルを掲げて見せた。
促されるまま杯を受け、濃紅色の液体が満たされていくのを眺めていると、静かな声でエレナが口を開いた。
『メラゾ熱のワクチン…見つかったみたいよ』
「え!?どこでっ!!?」
思わず杯を乱す俺に、エレナはカウンターに視線を移しながら言葉をつなぐ。
あれから後、ササラナとパッポルはエンジュが命を引き取ったという寺院と共に訪れたと言う。
その際、エンジュの最後を看取ったシスターが、エンジュの最後の言葉を彼らに伝えた。
『病の満ちる時…希望の石碑の下を調べて欲しい』
希望の石碑がブーナー密林地区の北東にある碑だと現地のシスターが教えてくれた。
護衛を雇い、石碑の下を掘り起こしたササラナたちは、そこに厳重に守られたメラゾ熱のワクチンを見つけたという。
『ワクチンが手に入れば、ドルワームのドゥラ院長なら量産することも出来るだろう。近い将来、メラゾ熱で命を落とす人はいなくなるに違いないね』
全てを静かに予見するエレナの言葉が希望となって胸にしみた。
そうなればいい。そうなるべきだ。
希望に満ちた真夏の陽光が、詰所の玻璃を虹色に輝かせていた。
ルナナとの邂逅
私の名前はルナナ。
ってわざわざ名乗る必要なんてないわね。この美貌、生まれながらにしての品性と培われた高い教養、そして神がかり的な閃きと感性。
全てを兼ね備えた賢者なんて私以外にそうはいないもの。
でもまぁまだ私の名前が全大陸に轟くには至ってないけど。伝説の途中ってところね。ふふ。
しっかしあのアブラねんどたち、どこへ行ったのかしら。
暑いからジュースの一つでも買ってきなさいって言ったのに。サーマリ高原に一人こんなうら若き美女を待ちぼうけさせるなんてイイ根性してるわよね。
って、あら?
あれってリリアじゃない。いいわ、あの子にルーラストーンを借りて近くの町まで飛んでっちゃいましょ。
飽きたわ、ここ。
リリアー!リリアーって…なに貴女その陰気でしょぼくれた顔は。
私とは違って親しみやすい美人って程度の貴女がさらにそんな表情してちゃひっかかる男もひっかからないわよ!
え?なになに?
冒険で一緒になった男からヒドイことを言われた、ですって?
貴女そんなこと気にしてるの?
男なんて女に尽くすために存在するんだから、どんな状況でも女に暴言吐くような男なんて、存在自体が害毒なのよ。害毒!
わかる?公害みたいなもんよ。存在自体が迷惑ね。
ってなに?手紙もらったの?
お詫びっぽい手紙?なにそれ、わけわかんないわね。
だいたい後で詫びるくらいなら最初っから言うなっていうのよ。それともよく思われたいのかしら。どっちにしてもちっさい男ね。笑っちゃうわ。
ちょっとその手紙見せてみなさいよ。
ぷっ!
ちょっとこの人本気?
キツイお言葉を…って自分の発言に「お言葉」って国語が根本からオカシイじゃない。
ふふっ
ちょっと貸して。赤ペン先生やったげる。え?赤ペン先生って何ですって。どうでもいいのよ、そんなことは。
ちーさいことをイチイチ気にしないで、スルーしちゃえばいいのよ。
イイ女の条件その1。
華麗なるスルースキルを磨くこと。
いい?ここテストに出るわよ。
え~…
まずは「キツイお言葉を申し訳…」
この場合にキツイというのはどうかしらね。詫びるのであれば、相手の立場にたってキツイではなく、「ヒドイ」でしょうね。
そしてお言葉…
自分の発言に「お言葉」ってバカまるだしね。お気の毒さま。
この場合は「ヒドイ発言をして申し訳ございません」が無難でしょうね。
で、チームリーダーにも散々怒られたって、どうかしらね。
この時は貴女とこの人だけだったわけで、チームリーダーさんは貴女とは交流がない。つまりこの人経由で情報が流れてるってことだから、それでチームリーダーが叱責する…なんてケースにはならないと思うわ。
要するにこれはアレね。
私のチームは道理をわかってる人がいるんですよってアピールね。
くだらないわ。
もしくは「それはちょっとどうかと思うよ」と言われたことを「散々怒られた」と表現してるのかも。
自分の行為の落ち度を指摘されることに慣れていないのかもしれないわね。
ってなに?
私がそんなことをいうか?ですって?
あたりまえじゃない。
言うに決まってるわよ。私をこんなやつと同列に考えないで。
私に落ち度なんてないの。
もし私がミスをしたとしたら、それはそのミスをフォローしきれない周囲の落ち度なのよ。
ジョーシキよ。じょ・う・し・き。
貴女も機会があったら、ちゃんと私のために尽くすのよ。
で…なになに?
あの時は自分で回復…?
あ~もうめんどくささマックスね、この男。
自分は道理がわかってるとでも言いたいの?詫びるためのメッセージで何を言ってるのかしら。バカじゃない?
結局この試練はクリアしたんでしょ?
そしたらそれでいいのよ。
お疲れ様、で。あの時はこうすべきだったああすべきだったって自分のルールで人を縛るんじゃないの!
仮にもう少し良い方法があったとしても、それは状況次第で結果が変わるものでもあるんだから、「~~~という方法も良かったかも」程度に伝えるべきだわ。それでわかる人にはわかるし、わからない人には何を言ってもわからないのよ。
鋭く指摘する振りをして、自分の発言に酔っぱらってるナルシスト男だわ、この人。キモチワルイ。
だいたいなによ、この「~~やと思うが」って。お前はデボかっ!
この手の言葉を使う男にろくなのはいないわね!デボは気がつけば女の子の尻をおっかけてるし。この前なんか死闘を前にして用意した食べ物が「バトルステーキ」なのよ。アンタ僧侶でしょうがっ!って思わず突っ込んじゃったわ。
え?
もちろん私の手伝いをさせたのよ。当たり前じゃない。
デボだって、私のために尽くせて喜んでるわよ。手伝わせてあげたんだから、感謝して欲しいくらいだわ。
あ、噂をすれば…。
ほらさっさとルーラストーン貸しなさいよ。赤ペン先生はもうおしまい!
デボがくると煩いから、その前にとっとと飛んできたいの。
あ~もう。ガタラの石がないじゃない。まぁいいわ。メギストリスで勘弁してあげる。
じゃぁね、リリア。
かまってあげたんだから、今度きっちり働きなさいよ。
*****************************
「あれ?リリちゃん、さっきここにルナナちゃんいなかった?」
デボネアはキラーパンサーから降りることなく周囲を見渡した。
ルナナは数秒前に転移の秘石の力で飛んで行ってしまったのだが、その理由が「デボにあうとメンドクサイ」だとはとても言えない。
「あ、そや。リリちゃん。詰所でシャノとぽるちゃんが探してたよ。S級のまもの討伐手伝えってさ」
伝え乍らデボネアは夏の日差しの中、眩しそうに目を細めた。高原を渡る風が肌に心地よい。
「おっと。俺はそろそろ行かないと!アトちゃんとシェルさん、クーちゃんとガイアぶっとばしにいってくるねん。リリちゃんもまた今度手伝ってや、頼りにしてるで」
こちらの返事を待つそぶりも見せず、デボネアはキラーパンサーを駆って疾走を開始する。
なんとまぁ慌ただしくて騒々しい男だと改めて思う。
高原を渡る風が肩まで伸びた髪を優しくなでる。平素は凶悪なフォレスドンが跋扈する危険地帯だが、この日はその影も見えなかった。
「それじゃま、いきますか」
リリアは懐から秘石を取り出してその魔力を解放させた。
全身を浮遊の魔力が包み込む。
降り注ぐ夏の陽光の元、リリアの身体は光の帯となって飛翔していった。
彼女を待つ仲間の元へ。
双つの討伐行
新緑の葉に初夏を感じさせる暖かな陽光が射し、メギストリスの石畳に葉陰が柔らかなまだら模様を写している。
夏本番を思わせる季節外れの酷暑が過ぎ、花冷えと言うにはこれまた著しく時期が遅れた冷え込みが今は町中を覆っている。
その日、俺は同じ隊の術者アルビレオと共にギルザットへと討伐に赴き、その成果の報告のために不夜城メギストリスを訪れていた。
早朝からの討伐行であったため、まだ太陽は蒼天高くにとどまっている。時刻は2時をすぎたところか。日没も随分遅くなった今では、まだもう一仕事も二仕事もできそうなほどだ。
冒険者ギルドへ赴き、簡単な手続きを行って討伐の成果を換金する。
ギルザット草原を跋扈するフォレスドンは凶暴なモンスターであることに間違いはないが、そのことがかえって俺たち冒険者にとっては貴重な収入源にもなっている。人々の不幸が飯の種だなどと不謹慎極まりない。魔物の脅威に脅える市井の人々からすれば、冒険者がやくざ者との扱いを受けることがあるのもやむを得ないとは思う。
とはいえ俺たちは冒険者だ。
討伐による報酬で少しは懐もあたたまったところで、俺はアルビレオを伴って隊の詰所を訪れた。
シャノアール、トロ、エレナ、リリア…、なじみの面々がすでにそこかしこで額をつき合せるようにして何やら話し込んでいた。笑声がはじけ、一方では真面目に戦術論を戦わせる声が耳朶をたたく。
普段と何一つ変わらない空気がそこにあった。
『たしか今日ってぽるかの誕生日じゃなかったっけ?』
『えっ?そうなん??』
『じ…実は今日、私ハタチになりました!』
『・・・・・』
「あ~、2回目のハタチね?なるほどなるほど」
『なんだとっ!』
『もしかしてタ~さんも誕生日だったりするんじゃない?』
『えっ?マジ?』
『お~!おめでとう!!』
突如として沸き起こった誕生のお祝いに、詰所はハッピーバースデーの大合唱だ。
基本的にお祭りが好きなんだよね、皆。気のイイやつらばかりなので、仲間の誕生日なんかは恰好のネタになる。
当然の流れのように祝宴の内容に話題は集中していった。現時点最高ランクのレーティングが設定されている三悪魔の討伐に行くのだとか、いやいやバラモス10連戦だとか不穏な声も聞こえてくる。スリリングな危険に身を投じることが喜びになるだなんて人としてネジの数本が飛んでるとしか思えない。
そんな矢先のことだ。
『…アルビレオさん、あんたに緊急依頼書が来てるよ』
守衛の一人がアルビレオの顔をみとめてそう声をかけた。
緊急依頼書。冒険者ギルドから無作為に送り付けられる時限付の討伐の依頼書で、えてしてその報酬は高い。そして報酬の高さはすなわち討伐対象となる魔物の凶悪さに比例していた。
「お?緊急依頼書なんてラッキーやん。何を仕留めてこいって言うてる?」
喧騒にまぎれるように俺は傍らの後輩の様子を伺った。依頼書の封を破り、中身を確認したアルビレオが少しこわばった笑顔を返す。
「…キラーマジンガ…です」
ぶぼっ!と俺は思わず口に含んだ麦酒にむせかえった。
現在Sランクにレーティングされるキラーマジンガは、数ある討伐モンスターの中でも群を抜いて凶暴な魔物の一つだ。生半可な練度で挑んで良い相手ではない。一歩間違えば死に直結するほどの強敵だ。
『ん?どした…?』
シャノアールが俺たちの様子とみとめて声をかける。事態を手短に説明すると、金髪の女戦士は口許に薄く笑みを浮かべた。
『いけるでしょ。アル君僧で』
ふむ…。
アルビレオもここ数か月で幾度も激戦を潜り抜けてきている。僧としての能力はまだ高いとは言えないが、それでも中庸の冒険者の域には達しているか。
『よし。ぽるたんとタ~サンのお祝いに三悪魔を狩りに行こう』
キラーマジンガ討伐の算段を立てている俺の傍らで、エレナが快活な声を飛ばした。
仲間から誕生日のお祝いの言葉を受けていた二人は、一方は飄々とした笑みをたたえ、もう一方は張り切って「はいっ!」と声を上げた。
『デボさん、介添えをお願いできるかな?』
軍神からのお誘いに胸が躍る。
一方でアルビレオの緊急依頼書の件も気がかりだ。緊急依頼書は時限が定められている。そしてその刻限はこうしている間にも刻一刻と迫っているのだ。
『んじゃこうしよう。アルくんの依頼書はこっちでサポートする。デボさんはエレナさん、ぽるたん、タ~さんで三魔喰ってきなよ』
三魔喰うって、七輪で魚を焼くのとは勝手が違うんだぞ、と内心思わないではなかったが、シャノアールの提案は正直嬉しかった。
ぽるか、タ~タンには常日頃からお世話になっている。重ねて誘ってくれたのは軍神と敬愛するエレナだ。この祝いの討伐行を逃すと大きな悔いが残ることは確実だった。
『ユエちゃん、リリ。魔、いけるね』
『無論承知の助』
『おっけ。サクッと燃やしてあげましょう』
軽やかに応じるユエとリリア。難関を前にしても普段と何ら変わらぬ仲間たちの言葉が心強い。
三魔討伐に関しては、タ~タンもぽるかも戦力的には申し分がない。重ねてエレナのサポートがあれば、いくら俺がへぼだとしてもそうは遅れはとらないだろう。
一方のキラーマジンガ討伐は、部隊の要と言える僧侶に未熟なアルビレオが配されたことに不安は残るが、脇を固めるのは蛍雪でも屈指の実力派揃いだ。個々の戦力はもとより、敵の特性や戦術論その他に至るまで一分の隙もない。
「ユエちゃん、もしアクセルギアでも獲れることがあったら、上手い酒でもごちそうするよ」
『ほほう!んじゃウマいマーボー食わせてくれ』
「ぶははっ!了解。今度オルフェアにある料理ギルド推奨の銘店の麻婆豆腐をご馳走しよう」
『うしっ。マイ火力できっちり黒焦げに焼き尽くしてあげよう』
にやりと微笑むユエとハイタッチを交わす。まるでそれを合図にするかのように、俺たちはそれぞれの討伐行に向けて動き出した。
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『いた…ヒドラに…バラモスブロス、ゾンビ…三魔が雁首揃えてご丁寧に…』
アラハギーロからはるかに西方。流砂の砂漠をこえた先の朽ち果てた古代遺跡の一角で、俺たちはようやく目的とした獲物を発見した。
キングヒドラ、バラモスゾンビ、バラモスブロスが紅蓮の瞳を輝かせながら、獰猛な殺意と瘴気をまとって唸っている。足元には魔物に捕食されたのか獣の残骸が散らばっている。羽毛とわずかな肉片とそこかしこに飛び散る血痕がいよいよ背筋を冷たくした。
『まず開戦は私が当たるね。皆はだいたいこの辺で。慌てなくても敵の方から寄ってきてくれるよ』
エレナが砂上に簡単な略図を書いて戦術を説明する。
『攻撃は複数で受けて分散するのね』
「ヒドラはダークだね。他もダークでいいんだっけ?」
『ゾンビはストームがいいかな。ブロスはダーク』
『ヒドラ落ちたら蘇生いけるかも』
『いや…ラス1になるまでは葉っぱで行こう』
『了解♪』
言葉短くいくつかのやり取りがなされていく。エレナの脳裏にはすでに駆逐までのプロセスが明確に描かれているのだろう。
短い紫檀の髪が熱砂の風に揺れ、砂が入るのを避けるために薄く眼を細めている。太陽が西の地平に沈もうと赤々と燃え、空は暁紅と紫紺とが覇権を争っている。おぼろに輝く月がさえぎる物のない空に怪しい光を灯していた。
(…俺のサポートで行くなんて、まったく皆、モノ好きにもほどがあるわな)
慣れない魔戦士としての立ち回りに不安が募る。その不安を知ってか知らずかぽるかは陽気な笑みを浮かべ、タ~タンは俺の傍らで手を合わせて合掌した。意味が分からない。
『行きます』
エレナのいつもと変わらぬ涼やかな声を合図に、俺たちは戦場へと踊りだした。
滑りやすい白砂の上、重さを感じさせない軽やかさで長身の女戦士が疾走を開始する。それとはやや異なる方向、少し斜方で俺を含む3人が一列に並び戦線を整えた。
キングヒドラの紅蓮の双眸がエレナの姿を見止めるのと、彼女の両爪での一閃が深々とその身を切り裂くのとがほとんど同時だった。大気を切り裂く鋭い一撃が魔物の甲殻を貫いて体液を飛散させる。エレナは片足でヒドラの右肩当たりを蹴り上げるようにして宙を舞い、軽やかに宙で一回転して俺たちのそばに音も立てずに着地した。
彼女を追うように魔獣の狂気を含んだ怒りの咆哮が古代遺跡を震撼させる。
エレナが事前に説明した通り、キングヒドラは迷わず俺たちのいる場所に突撃してきた。俺とタ~タンの視線が交錯し、軽くうなずきあった後、タ~タンの両爪が深々と肉を抉る。その爪先が漆黒の魔力に揺らめいていた。
ヒドラの痛撃は俺たちの体力の半ばを一瞬にして奪い取ったが、ほんの半瞬の間でぽるかの治癒の呪法が速やかに傷を癒していく。
ぽるかは「ごばくぃーん」だの「うっかり女子」だのと称されることが多く、それは文字通り事実に他ならないが、こと戦闘に関しては文句なしにすぐれた熟練の技量の持ち主だった。間髪いれぬ治癒の技に前衛は常に攻撃にのみ集中できる。
「ま、誤爆はぽるちゃんの魅力だけどね!」
『!…意味がワカラナイ!』
極限の緊張下で、緊張感のないやりとりを交わす。そのことに軽く笑みを浮かべながら、エレナがヒドラに追撃を加え、ぽるかに向けられた怒りの矛先を巧みに反らす。
そこに生まれたわずかな隙に、俺が渾身の耐性強制解除の呪法を突き込む。間髪入れずにタ~タンの渾身のライガークラッシュがキングヒドラに叩き込まれた。肉を断ち骨を砕く激しい裂断音を魔獣の咆哮が覆い隠す。魔物の傷口からあふれ出る暗紫色の体液に半身を染めながら、タ~タンの右腕が肘のあたりまで外皮を貫いて打ち込まれている。おそらくは心臓を貫いたのだろう。
ヒドラの3つの首が苦悶にのたうち、その口角から血泡があふれだしていた。
ヒドラの双眸が焦点を失い、四肢から力が抜け落ちていくのとバラモスゾンビが我々の元に襲いかかってくるのがほとんど同時だった。
俺は即座に呪法の詠唱を終える。燐光が仲間たちの武器を纏い、パリパリと嵐神の守護が刃を覆う。刹那、タ~タンが崩れ落ちるヒドラから右腕を引き抜くと、血に汚れ凄惨な様子のまま間髪入れずにバラモスゾンビに向かって一喝を放つ。
『内臓がないぞうっ!』
「!!!」
空気か凍り付く。
激闘の戦場に魔術師の持つ氷結呪文マヒャドデスをしのぐほどの冷気が漂う。よもやタ~タンの言動でバラモスゾンビが笑撃を受けたとは考えられないが、流砂に足をとられたのか、瞬間魔物の動きが止まり、奇妙な空隙が生じた。
『ナイスっ!』
エレナの旋回する棍が空を切る。両爪から魔力を帯びた長棍に換装を終え、地に伏したバラモスゾンビの頭蓋を唐竹割の要領で叩き落す。
その後方に迫るは紫炎の魔王バラモスブロス。
『ゾンビを狩る!でもブロスのネクロには常に気を払って。視界に入れておく感じでよろしく!』
エレナの渾身の一撃は、相当なダメージを与えたとは考えられるが、それでもまだバラモスゾンビに致命の一撃を与えるには及ばない。
より一層の怒りを両目にたたえ、バラモスゾンビの瘴気が咆哮と共に押し寄せる。討伐対象のうち、残る悪魔はあと2つ。落日の陽光のもと、アラハギーロの古代遺跡に激しく剣環が響き渡った。
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時を同じくして、アルビレオの緊急討伐書の一行も眼下に敵影を確認していた。
ドルワームの西、ゴブル砂漠を超え、ボロヌスの穴と称される洞窟の一角に古代魔装機が澱んだ瘴気を纏って徘徊している。溶岩流と硫黄の匂いがこもる洞窟内においそれと一般の人間は迷い込まないが、放置しておけばいつ何時悲劇が産み落とされるかもしれない。
『1機か…ま、リペアで2機になるもんと考えておいた方が無難かね』
『私とユエちゃんで陣を張って陽動するよ。ビオレ君は回復専念ね』
『ふふ…俺の火力で燃え散らかしちゃる』
シャノアール、リリア、ユエなどはすでに何度もキラーマジンガの駆逐を遂げていることもあり、その表情には余裕が浮かんでいる。
一方のアルビレオにとっては、Sクラスの魔物と相対したこと自体が数えるほどしかない。錫杖を握る手に汗が浮かび、喉の奥が焼け付くように乾いている。生唾を飲むことさえももどかしい。
『グランドは喰らったらもたない。幸いステップバックでかわせるとは思う。矢は喰らうもんと思っておくから回復頼むよ』
シャノアールの双眸がまっすぐにアルビレオに向けられていた。口許のやわらかな微笑に仲間に対する大きな信頼が見て取れる。
命を預ける、と言われて燃えない奴はいない。少なくともこの瞬間、アルビレオは身体の内側にふつふつと沸いてくる勇気の衝動を感じていた。
「やってみます!よろしくお願いします」
『OK』
切りそろえた紫銀色の単発を軽やかに揺らしてユエがにやりと目を細める。リリアが軽く首を回して伸びをとり、最後にシャノアールがキラーマジンガが潜む洞窟の影を見据えながら、挑発的な視線を浮かべてパキパキっと指を鳴らした。
『やっちまいなぁぁぁぁ!』
ハンマーと盾を携えてシャノアールが物陰から躍り出る。それに数歩遅れて追従しつつ、二人の魔導士が低い呪文の詠唱を終える。
魔力覚醒からの爆炎一閃。轟音と共に高熱が魔装機の装甲を焼き、周囲の壁面を瞬間暁に染めた。
呪法で自重を増したシャノアールはすでに接敵を終え、大型の盾を敵の装甲の一部に食い込ませて機動力をそいでいる。拮抗している間、自身の攻撃も半ば封じられることになるが、そのおかげで兇刃の脅威を感じることなく2名の魔術師が存分に魔力を振るうことができる。
キラーマジンガの両眼から弾丸がぐるりと円を描くように連続して放たれる。
接敵するシャノアールはこれをかわすこともできたであろうに、敢えてその身で痛撃を受ける。肩口から鮮血が散り、もう一発は装甲をかすめて硬質な金属音を放ってはねていった。
被弾する直前に詠唱を終えたアルビレオの治癒の呪文が、傷ついたシャノアールの肩に燐光を灯す。速やかに回復していく様子をみとめて、金髪の女戦士はにやりと口角を上げて笑った。
『ビオレ君、いい仕事!』
後方ではリリアが大地に描いた魔法陣の上で、ユエが両腕を振り下ろして特大の火球をキラーマジンガに向かって放っている。燃えたぎる隕石のような魔力の塊がシャノアールの頭上をかすめて魔装機を直撃した。火球が敵をとらえる瞬間には既にユエはその場にいない。代わって魔法陣の中央では両手で杖を構えたリリアがすばやく韻律を刻んでいる。先ほどユエが放ったのと同じメラガイアーの爆炎が瞬きほどの間をおいて、再びキラーマジンガに向かって降り注いでいく。
駆動系に致命の衝撃を受けて、キラーマジンガがエラー音を生じて活動を鈍らせていく。
けたたましい騒音を発して大地に転がった魔装機を前にして、一瞬アルビレオの緊張がゆるむ。が、ほっと一息する暇もなく、マジンガの両眼が激しく明滅を繰り返し、再起動を促す電子音がその体内から響いてきた。
突如として半身を大きく旋回させ、自身をさながら巨大なコマのようにしてキラーマジンガが活動を再開させる。
凶悪な一撃、グランドインパクトは洞窟内の石畳を弾き飛ばし、頭上からパラパラと小石が降り注ぐほどの衝撃を周囲にまき散らしたが、その瞬間には既に魔装機の傍らから全員が退いて事なきをえていた。
『ほい、リペアしくさった。もうひと押しといきますか』
シャノアールが右肩にハンマーを担ぎ上げ、石畳を蹴ってキラーマジンガに向かって疾走を開始する。
『アクセをよこせー!』
挑発的な笑みを浮かべてユエが劫火で魔装機を焼く。リリアが疾走し、シャノアールが体を張って敵の行動を阻む。
アルビレオは緊張で生唾を飲み込んだ。乾いた喉が音を立てる。
熱砂の砂漠が落陽の色に染まっていく。地平に沈む太陽を背に、熟練の冒険者たちによる古の魔装機駆逐行はいよいよ終盤を迎えていた。
自身に命の綱を預けてくれる仲間たちの期待に応えたい。錫杖を握りなおし、アルビレオの口から低く快癒の詠唱がつむぎだされていた。
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中天に銀色に冴えた真円の月が浮かんでいる。
不夜城メギストリスはとっぷりと夜が更けた今もその喧騒が収まる様子さえない。行き交う人々の賑わいが路傍に満ち、酒精と女たちの嬌声が夜の街を華やかに彩っていた。
冒険者ギルドの一角にある隊の詰所もいつも以上に歓声に沸いている。
『この前ぽるちゃんってばオーガキングの討伐と間違えて、山ほどオークキングを倒してたんだって。さすがだよね!』
『!!?なぜ知ってる!』
『内緒っていったのに~』
『犯人はお前か!』
『やっぱ焼酎はロックに限るね~』
『私は下戸だから酒の味がイマイチわからない』
『うん。やっぱりマーボーは旨い』
『マーボーか。豆腐は認めるが茄子は私は認めない』
『!?わかってない!わかってないぞ、きみぃ』
『ねね、マーボー。ちょっとそのボトルとってよ』
『マーボーって呼ぶなぁああああ!』
蛍雪之功の詰所はいつも活気に満ち満ちている。伝説の三悪魔と称されるほどの難敵を倒した一行も、太古の魔装機の生き残りを駆逐した面々も再び一堂に会して酒杯を交し合っていた。
その日の討伐行は予想外の報酬を隊員にもたらしてくれた。冒険の身を守る装具となるに十分量の魔晶石を手に入れ、皆の笑声が一層高まる。
アストルティアの長く激しい冒険の中、束の間の休息の夜がいつもと同じように仲間たちの歓声とともにふけていった。
魔兎の災難
「ふぅ~…なかなかレアはでないね~」
「まぁ運だからね」
乱戦の後、武装の乱れを直しながら誰にともなくぽるかが呟き、息一つ乱すことなく爆炎で戦闘を終結させたエレナがそれに応じた。
ユエは腰の革袋をのぞき込みながら、何やらごそごそと中をまさぐっている。
この日、陣容としてはややイレギュラーながら、前衛に爪を装備したぽるか。そのすぐ後ろに棍を持ち魔力付与を行う俺が続き、後衛にユエとエレナが両手杖を持って攻撃魔法を繰り出している。
高位の治癒魔法の使い手である僧侶がいない。立ち回りで敵を翻弄し、いかに攻撃を受けずに倒すかがポイントとなる布陣だと言える。
それでも既にアイスゴーレムやアビスソルジャーたちはもちろん、ゼドラゴンやディーバといったAクラスの敵も問題なく駆逐を終えている。予定している先で残しているのはブラバニクィーンのみ。
さすがに熟練の冒険者たちと内心舌を巻く思いだった。同じ隊の仲間でこれほど心強いことはない。
「さて…次はウサギか。この布陣でいけるかな」
「ん~、どうだろう。ま、何とかなるでしょ」
正直ブラバニクィーンは個人的にはあまり相手にしたくない敵だった。メインボスである黒ウサギの痛撃で瀕死のダメージを負うことも少なくない。しかもその取り巻きが魅了や混乱、眠りなどといった多くの状態異常を持ち攻撃に厚みをもたらしている。
生半可な準備で臨めば、熟練の冒険者であっても痛い目をみることが少なくない。
が、エレナはもちろん、その背を預かるユエも一向に怯む様子を見せない。さも当然とばかりに旅装を整えて、次の試練に備えている。
「そうだ…今日、デボさんにあった時、シュリナさんいつもの元気がなかったけど、何かあったの?」
「…んお?うん。まぁあれだよ。どの道も優れた奴がいて、思うようにならなくて凹む時もあるって話…かな」
「…なるほどね。ま、あんまり立ち入ったことは聞かないけど」
「ん?何?デボさんがまたふられたって話?」
エレナとのやり取りにユエが割って入る。
両目がいたずらっぽく微笑んでいる。何で俺がふられたって決めつけてるねん。まぁ事実ではあるのだけど。
「うん。そう。なんかコンマ3秒で瞬殺されたらしいよ」
「いいね、グッジョブ!」
ぽるかも便乗する。
「しっかし懲りないよね。節操なくちょっかい出しまくって、少しは凹むってことがないの?」
「愚問を。俺が口説くのは俺の方に振り向いてほしいからじゃないんだよ。美しいと感じたものに、素直に美しいと伝えているまで。こりゃもう男としてのマナーやと俺は思うで!」
「なんかさっきも似たようなことを言ってたな…」
エレナが心底呆れた顔でため息をついた。
はっはっは。男と女の関係を山に例えるとして、凹む暇があれば次の頂きを目指す方がよほど理にかなってる。そもそも滑落も遭難も山を登ろうとする段階で『あるべきこと』として覚悟してるはずやのに、結果にいちいち一憂するのは極めて男らしくない。
あきらめたら試合終了ですよ、って昔どこかの偉い人がいってたはずだ!
「あかん…なんかデボさんが求愛行動する野鳥か何かのように思えてきた…」
「そんなの野鳥に対して失礼だよっ!」
ユエとぽるかが言いたい放題を抜かしている。覚えてやがれ。
「あのさ…ちょっと質問」
次の試練への準備を整えつつ、ユエがおずおずと右手を挙げた。
ぽるかが威勢よく、はい、ユエくん!と指名している。いつからここは「ぽるかスクール」になったんだ。誤爆学校か。
「女の子に飛龍で上空から叩き落されるのと、カルサドラの火口に放り込まれるの、どっちがいい?」
何ちゅう質問だ。
「そんなもんな…聞くまでもないっちゅうねん。ユエちゃんとぴったりタンデムして飛龍に乗れるなら突き落とされても構わへん。ぽるちゃんとしっぽり混浴で寄り添えるなら火口に放り込まれたって大歓迎。当然です」
「ん…了解。ソロで火口に叩き落すわ」
「それがいいね」
二人の表情が妙に空々しい。自分たちから話を振っといてそれはないだろ。
「さ、それじゃそろそろ最後のシメと行ってもいいかな?」
妙な感じで会話が一段落した頃を見計らってエレナが試練の門への扉を開く。
バカな会話をしながらでも準備に余念がなかった面々は、言葉短くこれに応じる。開戦を前に既に平素の笑みはない。油断なく引き締まった戦士のそれに変わっている。
開戦。
ぽるかが体勢低く飛び出していく。両手に煌めく硬質の爪に俺の魔力付与が飛び、空気を切り裂くように青く燐光が帯を成す。
背後から二人の魔術師の詠唱が響く。早い。魔力が収束し、空気に緊張感が満ちていくような錯覚を覚えた。
最初の一撃はぽるかだった。
両爪が魔物の一体を深々と抉る。右、左、右と繰り出した爪撃がまるで一瞬の出来事のようだ。交錯した瞬間に肉片と魔物の体液が宙を舞い、耳障りな異形の咆哮がそれを追った。
反撃の隙を見せず、ぽるかの小さな体は既に相対した魔物との距離をあけている。
後背では既にエレナが高位魔法の詠唱を終えている。大地にはユエが張ったのであろう魔力拡大の五芒星が赤く色を成していた。
開戦前、二人の間で交わされた言葉はほとんどない。それでも何の打合せもなしでここまでタイミングを合わせてしまう連携にこちらはついていくだけで精いっぱいだ。
(シュリナ、世の中にはこういうバケモノみたいな人たちが一杯いるのよ。いちいち凹んでたらキリがないわな)
思わず脳裏にグレンで見たオーガ娘の姿がよぎる。
魔力の発現により空気中の水分が一瞬にして氷結する。それは魔物の体内とて例外ではない。魔力に形どられた鋭くとがった氷柱が、まるで棘のように魔物の表皮を食い破って突き出してきた。
一瞬、電気でも流されたように魔物の体が跳ね、その瞬間は全てが運動を止める。エレナに次いでユエも詠唱を終え、いまだ冷気が漂う空間をさらに青白く氷結させた。
魔物の反撃がぽるかをとらえたが、うまく上体を反らして痛撃を裂けている。
小柄な体は攻撃の重みという点ではマイナスに働くこともあるが、ぽるかはその体躯の利点を巧妙に活かし、防御に秀でる動きを見せていた。
無理に抗わず、時に大きくふき飛ぶことになっても打撃を受け流すことに集中している。
開幕数合。まだこちらに深刻なダメージはない。俺の回復魔法でも辛うじて戦端は保持できるか。
「敵の攻撃を分散させよう。お互い重ならないように注意して。味方を壁にして動ければベスト」
乱戦の中、エレナの冷静な声が飛ぶ。
戦場を俯瞰でとらえる彼女の眼には、この乱戦にあっても敵の脅威とこちらの戦力分布が明確に描かれているのだろう。
巧みに位置を変えながら冷厳なまでの意思と無駄のない指示で戦況を左右していく。まさに戦場のコンダクターだ。
エレナとユエの爆炎の魔法が動きが鈍ってきた敵を確実に仕留めていく。
二人は円の外周を描くように場所を変え、俺とぽるかがその中央でめまぐるしく互いの位置を交錯させた。
(こりゃそろそろ終いだな…)
戦況はこちらに大きく傾いている。開戦以降、要所要所を締めて主導権を決して逃がさない。
よほどのことがない限り、このまま終息していくと思われた。
刹那。
瀕死の魔物が放った魅了の呪縛がぽるかを捉える。
別の魔物からの追撃を避けることに集中していたため、呪眼をもろに浴びてしまったようだ。留まることのなかった身体が躍動を止め、ぽるかの瞳は光を失う。
正体を失った虚ろな双眸が、緩慢な動きで俺を捉える。両爪が持ち上がり、全身に再び力がたわめられた。
背筋を緊迫した悪寒がよぎる。
味方であれば心強いことこの上ないが、敵に回られると正直たまらなく厄介だ。
ポンッ!
まさにぽるかが俺に向かって疾走を開始する瞬間、するするっと滑るような動きで彼女の後背に回ったエレナが彼女の正気を取り戻した。
双眸に光が呼び戻され、焦点を失っていた視点がキョロキョロと周囲を確認する。
「あらら…私、もしかして惜しかった?」
「うん、惜しかった」
正気に返ったぽるかは瞬きほどの間で事態を把握したのだろう。エレナに目線で礼を言い、短く妙な会話を交わす。
なにが惜しいだ。あとできっちり折檻してやるっ!
ユエの放った爆炎が、ぽるかを魅了した元凶を貫く。残るは一体。
最後の一体、漆黒の魔兎の両眼は殺意と憤怒で深紅の炎をあげているようだ。
次の瞬間、魔物の体が一回り大きくなった。全身の力を一気に収束させる。そこにあるのは獰猛な殺意そのものだった。迫りくる死への恐怖も何もない。
背筋がちりちりと粟立った。
魔物の後肢が大地を蹴る。そのあまりのすさまじさに敷石の一部が蹴り飛ばされ、土埃が渦を巻く。
瞬間小さな影が魔物と交錯した。ぽるかだ。敵の筋肉の隙を突き、全身の力を霧消させるべく狙い澄ました一撃を放つ。が、体勢低く突進してくる魔物の速度は予想をはるかに超えていた。額に数条、薄く毛先をそぎ取ったのみでぽるかの鋼爪が虚しく宙をかく。
殺意の向かう先は…エレナ。
黒い塊が文字通り空を切り裂いて魔術師を襲う。
ドゴォォォォォォォン!!
ブラバニクィーンの体躯がエレナと重なったまさにその瞬間、周囲をつんざく爆音と紅蓮の光芒が視界を焼いた。
あまりのことに声を失う。
轟音に次いで、灼熱の火球と化した肉片がゴロゴロと石畳の上を転がっていく。その正体がさっきまで俺を戦慄させた脅威の主…ブラバニクィーンであることを理解するまで、たっぷり二回瞬きをするだけの時間が必要だった。
「…動物はよく燃える」
眉一つ動かすでなく、エレナのまったく普段とかわることのない一言がその一戦の終結を告げていた。
狂気の殺意を向けられ、その一撃を浴びるまさにその瞬間、間半髪の差で攻撃をかわし、超至近…ほとんどゼロ距離での爆炎の魔法をカウンターであわせた軍神の神技はまさに開いた口がふさがらない。
前髪についた多少の埃を軽く払う。なんら動じることもなく、食後のテーブルを拭くかの気軽さだ。一体どれほどの死線を乗り越えれば、あの境地に辿りつけるというのだろう。
「今晩のシメは味噌ラーメンにしよぅ!」
ユエの全く脈略もへったくれもない一言が戦場の緊張を解きほぐす。
仲間たちの笑いが響き、春風が火照った体に心地よい。俺の目指す頂きも見果てぬ雲の向こうにある。前途があることが今は妙に嬉しかった。
降り注ぐ陽光が、また新たな季節の到来を予感させた。
それぞれの日常
グレン城。
オーグリード大陸の北部に位置し、遙か昔、500年前のレイダメテスの騒乱においても大陸公路を守る要衝として人々のよりどころとなった歴戦の名城だ。
褐色砂岩の城壁は今なお高く魔物の侵入を阻み、公路を行きかう人々の賑わいはたゆまぬ活気を見せている。
その日、俺は隊の仲間との討伐前に武器鍛冶ギルドの本営を訊ねるべくグレン城を訪れていた。
五大陸を結ぶ列車から下り、雑踏をかきわけるようにして階段を上る。階段を上りきった先に降り注ぐ陽光はすっかり春の温かさを含んでいた。
「あちゃ~…階段間違えたわ」
久々にグレンを訪れたためか、俺はうっかり西側の階段を昇ってしまったらしい。武器鍛冶ギルドを訪れるには東側の階段を利用した方がはるかに近いのだが。
今さら階段を下りて昇りなおすのもバカバカしいので、俺はそのままグレンの街中を東へと進むことにした。折角来たのだし、道中馴染みの顔を見てくるのも悪くない。
グレン駅の西口を出て、しばらく進むと街道の脇に佇むオーガの娘の姿があった。女優の卵シュリナだ。
今日も行きかう人々のしぐさを見て、芸の肥やしにしようと頑張っているのだろうか。
「…はぁ」
「…んん~?どした、シュリナ。元気ないやないか」
久々に会う彼女にいつもの活気はなく、うなだれた背中にどこか憂いが漂っている。
「なんだ?恋煩いか?よせよ、俺に恋したところで、旅から旅でろくに逢うことも出来ないんだからさ」
「そんなんじゃないですよ」
真っ向否定。コンマ3秒で撃沈。
こっちかて本気で言うてるわけやないんやから、少しはクスッと笑うくらいの愛想を見せんかい。
撃沈までの最短記録の更新に内心ショックを受けつつも、それ以上にいつもの生気のない彼女の様子がやはり気にかかった。
「悩み事やったらオッサンに言うてみ。解決にはならんかもしれんけど、少しは気晴らしになるかもしらんで」
「…ありがとうございます」
俺はシュリナの隣に場所を移し、同じように壁に背を向けて腰を下ろした。
こういう時は真向いに立つより、同じ方向に視線を合わせた方が相談する方も気が楽だろう。
「…この前、ちょっとした舞台のオーディションがあったんです。でも私それに落ちちゃって。選ばれたのは同じ組で受けてた子だったんですけど、やっぱり私から見てもその子はすごくて。この子なら選ばれるだろうなって思えるような子でした。…私より3つ年下で。でも…彼女を見てると、私って何もないなって思えてしまって…私…才能ないのかな…この道が向いてないのかも…」
シュリナはところどころ言葉を切り、ぼそぼそと力なく口を開いた。
瞳ににじんだ涙を拭うのが気配でわかる。俺は行きかう人々に視線を留め、シュリナの顔は敢えて見ないことにした。
「…なるほどね。そーいうことか」
隣で小さく鼻をすする音がして、次いでふぅっと長い嘆息があった。
「俺は頑張ってるやつに頑張れと言えるほど頑張ってないからな。気軽なことは言えないんだけど…。シュリナが才能がないって言うんならそうなのかもしれないね。向いてないと言うならそうなのかも。でも、俺個人としては『才能がない』って言葉は都合の良い逃げ口上に聞こえちゃうんだよね」
小さく息をのむ音がする。
「俺はさ、冒険者として日々過ごしてるわけで、一応前衛としてやっていこうと思ってる。俺に才能があるかどうかなんてわかんないけどさ。でも実際、結構頑張ってるつもりだけど、まだまだ足元にも及べない人がゴマンといるんだわな。
蛍雪のメンバーの中でだって、エレナさんやシャノ、ミカノさんなんかにゃ太刀打ちさえできゃしないよ。トロさんだって俺なんかよりはるかに重くて鋭い攻撃をする。前衛に限った話でもそんなのはいくらでもある。これが戦闘職全般になったら話にもならないよ。
いろんな役割を十全にできる人もいるのに、こっちは本職だってポカってる体たらくだしね。泣きたくなるよ。
でも…それを『才能がないから』って言っちゃうのは何か違う気がするんだよね。それって彼女たちが今に至るまで積み重ねた努力を無視する見方だと思う。
今、俺が及ばないのは、俺の努力がまだ彼女たちの努力に及んでないだけのことだと思うんだ。
仮に努力の量だけで言えば、俺の方が勝っていたとしてもそんなもんには意味がないしね。人それぞれ持ってるものは最初から違うんだし。努力を人と比べたところで虚しいだけだよ」
俺の長い独白にもにた言葉はシュリナに届いているだろうか。
しばらくの沈黙。行きかう雑踏の喧騒だけが春のグレンに響いていく。
「現時点でシュリナがその子に実力で及ばないというのならそうなんだろう。そこは俺にはわかんない世界だからね。でも…きつい言い方になっちゃうけど、今のその子の実力を超えるにはシュリナの努力が足りてないってことなんだと俺は思うよ」
遠くグレン駅の西口から現れた人影を見て、俺は腰の埃を払って立ち上がった。
紫檀の髪を耳元ですっきりと切りそろえた長身の女戦士が歩いてくる。おそらくエレナだろう。全身にまとう凛とした気配が遠くからでもはっきりとわかる。
「ま…その努力を続ける情熱をいつまでも持ち続けられるかどうかってのが才能なのかもしれないけどね。
シュリナがまだ女優を目指すっていうのなら『才能がある』ってことなんだろ。オーディションに落ちるとか、失敗を重ねるとか…そういうマイナスがあってもその道を目指し続けられるとしたら、それは得難い才能なんじゃないかと俺は思うけど」
エレナの方でも俺を見とめたのだろう。遠くから軽く右手を挙げて挨拶を交わす。
「だいたい舞台とかって一人の大女優で作るもんじゃないだろう?それ以外の多くの役者、俳優たちが力を合わせて作るもんだと思うんだけどな。
…俺はどんな役でもいい、シュリナが舞台に立つところが見てみたいよ。端役だろうがどうでもいい。村人そのイチみたいな役であったとしてもシュリナの演技を見てみたいな」
その道の険しさは俺には分からない。情熱があるからこそ苦しむ時も必ずあるのだろうと思う。
でも、だからといって諦めるのがいつも最良とは限らない。シュリナには多少の失敗なんかで自分の情熱をあきらめて欲しくないと思った。
「や、シュリナ。なになに?ま~たデボさんにセクハラでも受けたの?」
「ふん。さっきコンマ3秒で瞬殺されたわぃ」
「さっすが。でもまたどうせ節操なく女の子にちょっかい出すんでしょ。懲りないね」
「あったりまえやん。素敵な女性は真っ向から口説く。そりゃもう美を愛でる男のマナーやと俺は思うで」
「…まぁ世間一般のマナーとはだいぶ違うと思うけどね」
胸を張る俺にエレナがやれやれと嘆息する。
シュリナの消沈に気づかぬはずはないが、それを気づかぬ態で受け入れる大度がありがたかった。
「デボさん、そろそろ約束の時間だよ。試練の門討伐…」
「おっと…もうそんな時間か。ユエちゃんやぽるちゃんが待ってるかな」
エレナが腰の皮袋から転移の飛石を投げてよこす。
飛石の魔力で一気に仲間の元へ飛ぼうという算段だろう。
「そいじゃね、シュリナ。元気出していこう」
転移の飛石の魔力でふわりと宙に浮かんだ瞬間、ぽつりとエレナがつぶやいた。顔を上げたシュリナに軽く微笑んで片目をつぶってみせる。
「これだもんな。俺なんかじゃ到底かなわないよ。全部もってっちゃうんだもんなぁ」
エレナが飛石の魔力で遙か彼方へ転移を行うのを確認してから、彼女を追うように俺も飛石の魔力を開放する。見慣れた浮遊感があり、次いで足が地を離れる。
「またね、シュリナ」
「はいっ!」
本格的に浮遊するその直前、投げかけた俺の言葉にシュリナの力強い返事があった。
その瞳に彼女の本来の生気が蘇っている。目で確認することはもはや叶わなかったが、目で見ずともその声が雄弁にそれを物語っていた。
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「こんばんわわわわわわ~っ!」
無駄に元気一杯にリリアが扉を開けて飛び込んできた。
メギストリスにある隊の詰所。エレナと共に転移の飛石で飛んできたのだが、予定していたぽるか、ユエ以外にもシャノアールやあいあ、トロ、エリエールと言ったメンバーも一堂に集まっていた。
「いつも元気いっぱいやね」
笑顔でリリアに応じながらシャノアールが言葉を返す。
ぽるかと軽くハイタッチを交わし、リリアは荷物袋から討伐指令書を引き出した。
「ちょっとお願いがあるんだけど、ピラミッド探索、誰か手伝ってくれないかな?」
「はいはい!いくいくーっ!」
「行きたいですっ!」
エリエール、アトムが即座に応じる。
ピラミッド探索をピクニックか何かと勘違いしてるんじゃなかろうか。討伐行に行くにしては場違いなほどに陽気な返事だ。
まぁうちの隊らしいと言えばそうなのだが。
「エリたん、装備装備っ」
「オッ!これはマズイ」
善は急げとばかりに飛び出していこうとするエリエールに、あわててぽるかが制止の声を飛ばす。
見ればエリエールは部屋着とも言える軽装に盾と武器しか持っていない。いくらなんでもそりゃ緊張感がなさすぎですよ、お嬢さん!
「ピラミッドの魔物もエリたんの脚線美でイチコロだね」
「でしょ~♪ほら見てよ、この白い肌♪」
トロの言葉に、エリエールが気前よく応じてスカートの裾からすらりと伸びた脚を見せた。
男性陣から喝采が飛び、シャノアールが「おいおいっ!」とばかりにあわててツッコミをいれる。
(シャノも大変だな…)
「こはくちゃんはどう…?」
リリアが詰所の奥で杖の手入れをしていた女の子に声をかける。
髪を二つのお団子にして頭の上で結い上げている。形よく整った玉子型の輪郭、小さいが鼻梁の通った鼻、大きな双眸はまだあどけなさを残していた。
こはくは隊の中で随一とも言える若手の一員だ。
「えぇと…行きたいんですけど…明日、早起きしないといけないので…」
「お?何か予定あり?」
すかさずトロが質問の矢を飛ばす。
「いえ…早起きできないと、お母さんに前髪パッツンにされちゃうんです!」
思わず珈琲を吹き出した。
こはくと言えど戦場にあっては兇悪な魔物を相手に果敢に戦う冒険者だ。
歴戦に勇を成す強面の連中に比べれば、いくらか戦力としては発展途上であることは否めないが、彼女の挙げた武勲だけでもAランクのボスモンスターの首級がいくつも挙がる。
その彼女が最も畏怖するのが「お母さん」とでもいうのだろうか。
「でも前髪パッツンって最近のトレンドだよね」
「前髪切りすぎた~ってね」
「あ~でも前髪パッツンはやっぱ勇気いるよ」
先だって銀紫色の長髪をバッサリと切ってイメチェンを図ったユエなどが熱く応じている。
「こはくは起きれないから…ちゃんと寝なさい」
タ~タンが保護者らしくきりっとした言葉を発する。
「タ~さんも〝ちゃんと〟寝ないとね!」
「はうっ!」
俺が思わず発した切り返しにタ~タンは思わず言葉に窮する。
こはくちゃんが朝弱いというのも面白いが、保護者であるタ~さんは夜が弱いというのもまた興味深い。俺自身が言えた義理ではないのだけど。
「ま、今からピラに行ったら遅くなっちゃうしね。前髪パッツン防止のためにも、こはくちゃんはまた今度かな」
リリアが大人らしい収めを見せて、シャノアールが肯いている。
その後、多少のやり取りがあって、結局ピラミッド討伐はリリア、シャノアール、エリエール、アトムの4人が行くことになった。
「そんじゃ我々もそろそろ行きますかね」
予定の刻限を大きく過ぎていることもあり、エレナが杯を煽ってから立ち上がった。
ま、杯と言っても中に入っているのは酒精ではないのだが。
「むぅ…マズイ。ハラが減ってきた」
ユエが席を立ちながら、眉根を寄せて呟いている。
「そうめんでも食べときゃいいやん。得意のやつ」
「いや…あれのカロリーはなめたらアカン」
「道中食べながら行けばいいよ。メギス鶏の唐揚げもってるよ~。冷製唐揚げ!」
「ぽるたん…それってほんとにオイシイの?甚だ疑問なんだが…」
旅装を整えつつ、交わす会話が素麺だの唐揚げだの…。
ホント平和だ。つくづく思うがホント平和だ、このチーム。
愛用の得物を手にしながら俺はしみじみとそんな感慨にふけっていた。
ドッグデイズ(後編)
漆黒の空に天高く星が瞬いている。不夜城メギストリスは今日も行きかう人の喧騒や酒場の賑わいで忙しない。
メタル狩りを終えた俺は、ほどなくしてミカノ、ヒロゆうと別れ、隊の詰所でシャノアールと談笑を交わしていた。
思えば二人で話すことも久々のような気がする。芳醇な香りを醸すメルサンディの白チーズを肴に、オルフェア産の山ぶどう酒の杯を重ねる。かつて共に歩んだ戦場の思い出話、隊員のこと、間抜けな失敗談など。
気がつけば数本の空き瓶が床に転がっているありさまだ。
「おや、ご両人。今日も無駄に元気そうだね」
討伐行を終えた帰りであろうか、詰所のドアを開いて現れたのは長身の女剣士…エレナだった。切れ長の瞳がいたずらっぽく微笑んでいる。
肩の荷をおろしながら守衛にいくつかの要件を告げ、流れるような動きでシャノアールの酒杯をぐいっとあおった。今日の仕上げの一杯…といったところか。
「今日はどっか行ってたん?ギルザッド?」
「いや…今日はちょいと野暮用でね。昔の馴染みとピラミッドに行ってきた」
ピラミッド…。
レンダーシア大陸のアラハギーロ地方にそびえる古代遺跡の一つだ。このほど第9層が新たに発掘され、日夜腕に覚えのある冒険者たちが内部の探索を行っていると聞く。
「9層はどうなん?」
「あれはいいね。なかなか楽しいよ」
エレナの瞳に挑発的な強い光が宿る。彼女の技量であれば、兇悪な古の魔物が徘徊するという第9層であっても十分に討伐が可能なのに違いない。
むしろそういった危険な場所にあってこそ、彼女の真価が発揮されると言っていい。
自身との実力差に一抹の嘆息を感じたが、一方でふと思い出した件があった。
「シャノ、エレナさん。これ行かない?」
俺とシャノアールの座っていたテーブルに腰かけるエレナを傍目に、ごそごそと俺は自身の荷物の中から一巻の討伐指示書を探し出していた。
記されたモンスター討伐局の落款はS。それはアストルティア冒険者協会が認める魔物の危険度ランクを示している。
討伐対象はキラーマジンガ。
こちらも近頃発見された新種の魔物だ。古に滅んだとされる魔装機の生き残りとも言われているが、古代兵器の復活が暗躍する悪魔の軍勢の仕業か、はたまた別の何かの陰謀なのかは今のところ判然としない。
いずれにせよ厄介な話だ。
Sクラスというと先般の討伐レーティングの見直しで若干ランクダウンしたとはいえ、キングヒドラに並ぶハイクラスの魔物だった。
「いいね。行こう」
にやりと笑うエレナ。シャノアールが笑って俺の方を小突く。話はまとまったようだ。
残る一人は…。
「ユエちゃん、行こう」
俺は詰所の奥で、一人素麺を食べている女性を見とめて声をかけた。
蠱惑的な紫紺の瞳を長い睫が覆っている。白磁のような滑らかな頭部を豊かな紫銀の髪が軽やかに包む。やや妖艶な色香が漂う痩身の魔剣士だった。
「ほえ?」
帰ってきた言葉は妖艶とは程遠かった。
ユエはエレナの旧知で近頃チームに加入したメンバーの一人だ。実力は折り紙付。軍神との声も高いエレナが背中を預ける存在といえば、自然俺などからすれば雲の上の存在に近い。
「なんで素麺なんか食べてんの」
シャノアールが笑声交じりに問う。時間は22時を回っている。なるほどこの時間に食べる食べ物としてはやや意表をついているかもしれなかった。
「最近ちょっとお腹が痛くてね。でも喰わんと動けない」
動かなくて良い時間だというのは余計なお世話なのだろう。俺は賢明にも出かけた台詞をぐっと飲み干した。
「マジンガ行くよ」
「ん…」
たったそれだけのやり取りで、ユエは意を決したようだ。
傍らの両手杖を手に、形の良い薄い唇をナフキンで拭う。
「構成は…物理?魔法?」
問いかける俺にエレナが「どっちでも」と笑って返す。この余裕。
「じゃ、俺とシャノが爪で前衛。ユエちゃんは魔戦でミドルバック。エレナさんは僧侶をお願い出来るかな?」
強敵討伐のもっとも重要な要は隊の生命線を握る僧侶。そこにエレナを据える。
火力の優劣は前線2人とミドルバックとのコンビネーションが左右する。ユエとは初合わせではあったが、シャノとは長く共に戦場を歩んできている。暗黙の呼吸もわかるつもりだ。
前衛2人の連携が正しければ、中列のユエの自由度は格段に増す。これでダメならそれは俺の力量が足りないせいと諦める他ない。
善は急げとばかりに慌ただしく旅装を整えて、早速出かけることになった。
目的地はドルワーム王都から北へ数時間の場所だ。睡眠は大陸横断列車のなかで摂るとするか。今からメギストリスを出て、夜明け頃にはドルワーム王国につけるだろう。
「明日は忙しくなるぞ~」
「夜更かし厳禁…ご協力ください」
シャノアールの明るい声。ユエは最後の素麺をすすり上げると、行儀よくごちそうさまと手を合わせた。
*******************************************************
翌朝、空が白み始めた頃に俺たちはドルワーム王都に到着した。
眠い目をこすり、重い身体を引きずるようにして駅を出る。古代の装置が町のそこかしこに残るドルワーム王都は正直言って苦手な街だった。
何がドアで何が壁なんだかイマイチわかりにくいんだよな…
郊外で移動のための駱駝の隊商を雇う。目的地である山岳地帯のふもとまではそれで行くことが出来るはずだ。
ドルボートに乗るのは山岳に入ってからでもいいだろう。
「あ、しまった。聖王忘れてきちゃったよ…」
シャノアールが舌打ちをする。聖王の爪、魔装機系にやや効果があると言われる高位の武具だ。
「ま、いっか。デボ製竜王で」
「しらんぞ、そんなもんが役に立つか」
シャノアールが腰間の武具を叩き、悪戯っぽくニヤリと笑った。
「エレナさん、マジンガ相手にどう立ち回ればいい?」
雑談をほどほどにして、俺はエレナに水を向けた。
エレナが僧侶として後衛を固めてくれているおかげで、討伐の成功率は格段に高くなっているはずだ。しかしながら油断は禁物。前衛が作戦もなく跳ね回ってはどんな優秀な冒険者であっても壊滅は避けられない。
「まず魔法陣を布いてユエがマジンガの気を引いて。前衛はマジンガの両脇を固める感じで出足を鈍らせて。ユエに集中するまでは特技は控えてね。集中したらユエは引きつつ自由に。前衛二人は壁の要領で火力集中」
「マジンガは仲間を呼ぶことがあるけど?リペアすることもあるよね」
過去にマジンガの討伐歴があるシャノアールが質問を重ねる。
「まずは集中して倒すことが肝心。リペア個体は打たれ弱いからその場合はそっちに火力集中。大丈夫、あわてなくても結構脆い」
「耐性強制解除(フォースブレイク)は?」
「ある程度自由でいいと思うよ。タイミングは前衛で合わせて」
「うぃ」
未知の領域だったキラーマジンガ討伐のイメージがパズルのピースが合わさるように出来上がっていく。
エレナはオーケストラを率いるコンダクターのように指示を与え、その中でシャノアールやユエの経験則で様々なプランが肉付けされていく。
廃墟と化した古代迷宮でキラーマジンガを発見した時には、俺の頭には既に討伐までの青写真が出来上がっていた。
「デボ、いくよ!」
言うや否やシャノアールは猫科の猛獣を思わせるしなやかな動きで飛び出すと、キラーマジンガに向かって疾走を開始する。
マジンガの無機質な紅蓮の眼球が動きを止め、肩部や腰部のギミックが慌ただしく動き出して臨戦態勢を整えていく。
ギィィィィン!
シャノアールと俺の竜王の爪がマジンガの表面に深い傷をつける。だがしかし、内部には一切のダメージを与えていないことは明白で、両腕の武器がめまぐるしく宙空を旋回する。
とっさに剣戟を避ける体勢を整えるが、高らかに掲げられた武器は俺たちのもとへとは下りてこなかった。
マジンガの頭部がまっすぐにユエに向けられている。
マジンガの胴部に身を預けるように接戦を繰り広げながら視界の端で彼女をとらえた。既に大地に赤く魔法陣が光芒を放っている。魔法陣の放つ光が魔物の目にどう映っているのかはわからないが、すでに前衛2人の存在など眼中にない様子だった。
傍らのシャノアールと視線が交錯する。
まばたきだけでうなずきあうと、同時にステップバックして激しい連撃を加えた。間髪入れずにユエの魔力付与が俺たちの武器に燐光を燈す。
(さっすが、いい仕事してくれるわ!)
Sクラスの魔物に狙いを定められることなど意に介していない落ち着きようだった。
ユエは滑るような足取りで魔力付与を行い、キラーマジンガをあざわらうかのようにギリギリの距離をかすめては安全な位置まで退いていく。
「あんまり距離つめすぎると危ないよ。十分な余裕をもっておいて」
防御障壁の詠唱を終え、前衛のHPをフォローしつつエレナが冷静に指示を出す。
自身は巧みにキラーマジンガの剣戟が届かないギリギリの位置をキープしている。まったく戦場が俯瞰で見えているとでもいうんだろうか、この人は。
「もしくは目が4つあるとかだよね、絶対!」
言いながら繰り出した俺の連撃は、キラーマジンガの右腕に深刻なダメージを与えていた。間接部から濃紺色の粘液が飛び、擦過音を立てながら動きを止める。
繰り出された左腕の曲刀をシャノアールの武具がはじき飛ばす。巧みに力点をずらされて曲刀が虚しく宙を切る。
たたらを踏むように上体がおよいだ魔物の腰部にシャノアールの渾身の一撃が叩き込まれる。
「気楽でいいや~!」
金色の髪が踊るように宙を舞う。この乱戦の最中にあってシャノアールはスリルを楽しむように縦横に爪を振るっていた。
(シャノも最近後衛に回ることも増えてきたからな~。敵だけに集中すれば良いってのが久々なのかね)
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「開幕、抜けてもイイから思いっきり敵にくっついてみて。あとパサーはいらないかな。かえって隙ができちゃうかも」
迷宮の一角。
最後のキラーマジンガの討伐を前に、エレナによって作戦の微妙な調整が行われる。
俺を含め、彼女に対する仲間の信頼は絶大だ。既にこの日数体のマジンガ討伐を済ませていたが、それでもなお仲間を危険にさらす無駄をそぎ落とすことに余念がない。
しかもSクラスの敵との乱戦の中で、まったく呼吸に乱れがない。かつてヘルバトラー討伐の際も、返り血一つ浴びない様子に戦慄したものだが、職を変えてもやはり底が知れない。
「生命線を預かる僧侶がそうそう攻撃をくらってちゃ話にならないよ」
エレナはそう言ってふふっと笑った。
(それが一番難しいと思うんですけど…)
「さっ、最後の一戦だ。きっちり仕留めて気持ち良く帰ろう」
シャノアールが言い、ユエが微笑んでそれに続いた。
それじゃもういっちょかましますか…。
「どっこいしょ…は~っ、年とると連戦がこたえるわ~」
「オッサン、オッサンw」
ユエの笑声が軽やかに弾け、シャノアールが吹き出しながら回廊に飛び出していく。
わずかに半歩遅れて俺が続き、エレナが、ユエが、しなやかな肉食獣の身のこなしで素早くこれに続いて走り出す。
視線の先にキラーマジンガの巨躯があった。
(こういうバケモノみたいな人たちに良いようにカモにされるお前が一番気の毒かもしれんなぁ…)
Sクラスの魔物に場違いな同情を感じつつ、俺はその日最後の戦闘を前に落日に両爪を閃かせた。
ドッグデイズ(前編)
遙か遠方に見える山麗の緑が日に日に色濃く染まっていく。
天高く突き出すように伸びた山頂付近はまだ白く覆われているものの、吹き下ろす風に肌を刺すような冷気は感じられない。かすかな温もりが春の息吹を伝えてくれるようだ。
その日、俺たちは魔物たちが混在する古代遺跡の迷宮において、メタルスライムを駆逐する通称メタル狩りを行っていた。
メンバーはシャノアール、ミカノ、ヒロゆうに俺の4名。
シャノアールを除く3名がメタルスライムに特効のメタルウィングを装備していた。
ほどなくして現れたエリアのボス的なモンスターについては生命力をギリギリまでそぎ落として死んだふりをすることでやり過ごす。
こちらも冒険者の間では「自殺狩り」などと称されるポピュラーな方法だ。
無論このメンバーであれば、通常の迷宮程度のボスであれば問題なく駆逐できるのではあるが、今回の主目的がメタルスライムそのものの駆逐にあるため、時間の短縮を考えて自殺狩りの手法が採用された。
「ああっ!何してくれんのっ!」
ボスの痛撃を受けて、上手い具合に死んだふりが出来そうなタイミングで、俺に向かってミカノのベホイミが飛ぶ。
無駄に全快。
回復を悟ったボスモンスターが再度俺に狙いを定めて痛撃を放つ。乱れ飛ぶベホイミ。
普段のPTであれば頼もしいことこの上ない回復魔法であったが、この自殺狩りにあっては単にひたすら攻撃を受け続ける羽目になるため安易に喜ぶことが出来ない。
「最後まで生き残ってもらいます」
ミカノの発言は一見『あなたは死なないわ、私が守るもの』的な深い愛情を意味するようにも取れるが、実際は『死ぬまで殴られ続けなさい』というサディスティックな側面を持つ。
(ミカノさんってばドSだよね。うんうん)
確信を新たにする傍らではメタルウィングを装備から外したヒロゆうが、自慢の両拳で渾身の連撃を放っている。
ターゲットを俺からヒロゆうに変更するボスモンスター。
おさきに
とばかりに先立つヒロゆう。
シャノアールもミカノも実に効率よく死んだふりをして敵をやり過ごしていく。
最後に残される俺。
大きく振りかぶったボスモンスターの痛恨の一撃が俺の脳天を直撃する。
(これでほんとに死んだら化けて出てやる…)
暗転する視界の中で、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
**********************************
狩り始めておよそ数刻が過ぎた頃、俺たちはようやく予定の討伐数に達し、メタル狩りも終わりが見えてきた。落日の陽光が西の空を茜色に染めている。
途中、ヒロゆうがメタルウィングの装備を忘れ、自慢の拳でメタルスライムを撲殺していくという変更点はあったが、ほぼ危なげなく駆逐は進んでいった。
自殺狩りの場合、大抵はHPの回復をせず、容易にボスをやり過ごすように準備をしていく。
今回に至っては、どこぞのドエスなヒロインの悪戯で、俺だけ無駄にHP全快なんて事態に陥ることも多々あったため、俺一人受けた青あざの数が多い。何の拷問プレイだ。
「そろそろ最後にしようか。最後はボスもぶっとばして終わるよ」
シャノアールの指示が飛ぶ。
おう、とめいめい景気よく答えてから、その日何度目かのメタルスライムの群れに俺たちは突撃していった。
見渡してももはや魔物の影はない。
これが最後のメタルスライム狩りだと思うと武器を持つ手に自然に力がこもった。
空中に放たれたメタルウィングが鋭角的な弧を描いてメタルスライムを切り裂いていく。
単発でのダメージはごくわずかであるが、複数人での重撃となると話は別だ。
もともとが打たれ弱いメタルスライムにとって、致命の攻撃に他ならない。面白いように倒されていく。
辛うじて致死を免れたメタルスライムから反撃の火炎が飛ぶ。いくら自殺狩りとは言え、熟練の冒険者である俺たちがメタルスライムの攻撃如きで倒れることはまずない。
そこに油断があった。
「ぐむっ!」
鈍いうめき声を残して倒れていくヒロゆう。
「あ」
ミカノの口が開いたまま固まった。どうやら先のボス戦の際の自殺以降、HPを全く回復させないままメタルスライム狩りに突入したらしい。いかに高位の冒険者であっても、それでは流れ弾に当たることもあるだろう。
ゆっくりとスローモーションで膝から崩れ落ちていくヒロゆうにPT3人の空白の沈黙がリンクする。
視線はヒロゆうに定まったまま、シャノアールのノールックの一撃が最後のメタルスライムを打ち砕いていた。
メタルスライム駆逐の最後の瞬間、歴戦の勇士ヒロゆうは見事なまでの名誉の戦死を遂げていたのだ。
「失敗…回復わすれてた」
思わぬミスに頭をかくヒロゆう。ネタの宝庫ですかっ!
「んも~ミカノさん!『あ』ってやめてよっ!不謹慎にも吹き出しちゃったやん!」
俺はその瞬間のミカノの独白がハマりすぎていて、しばし悶絶を禁じえなかった。シャノアールも声を殺して笑っている。
ミカノはというと賢者としてPTのHPを管理しているという意識が強かったためか、若干申し訳なさそうな表情をしているが、もちろん別に彼女の責任ではない。
次戦のボス戦までにヒロゆうの体力は回復され、その鬱憤を晴らすかのようにボス戦で暴れまわる彼の姿があった。
開幕後、1分を待たずにPTから怒涛の攻撃を受けたボスモンスターこそ憐れと言うべきだろう。
(後編に続く)
死なないという勝ち方
「さて…次が今回の依頼の最後の一戦だね。気ぃ引き締めていこう」
その日、俺はレンダーシアの各所を回る通称「試練の門」の巡回を任されていた。
隊員はヒロゆう、らきしす、そしてちなちな。俺を入れて4名の構成だ。
ヒロゆうは蛍雪之功の立ち上げを行った一人でもあり、最古参のチームメンバーで歴戦の勇士だ。かつては街で泥酔して路傍で寝転がってることも多かったが、最近は比較的規則正しい生活を行っているようだ。
らきしすは昨年の中ほどに加入した一員ではあるが、明るく人当りのよい人柄で、多くの職をそつなくこなす実力者でもある。戦闘職ではないが裁縫職人としての腕は高く、裁縫が苦手な女性陣の憧憬を集めていると聞く。
ちなちなはもっとも新しい隊員の一人。戦歴は浅いものの中々どうして陰ながらの努力者で、めきめきと頭角を現してきている感がある。先のヒロゆうがチームに引き入れたのではなかったかな。
俺としばしば討伐を共に行うぷみさくなどとも親交が厚いようだ。言葉数が少ないのは俺と全く反するが、最近共に討伐を行って、俺なりの戦闘術などを伝えたりしている。
ま、俺が戦闘術なんて茶番だけどね
エレナやミカノ、シャノにリリア、トロあたりであれば、よほど実践に即したレクチャーができるのは間違いないのだが、まぁ俺なんぞでも階段の第一段くらいのきっかけにはなるだろう。
『ちなちゃん、可愛いしね!』
トロがにやりと笑うのが思い浮かぶ。やかましいわ、まったくw
しかし、俺が一緒に行動するのは女性が多い。蛍雪という隊が女性上位というか女性が強いチームであることも多いが、なんといっても
俺様のテンションが違う!
ことが大きい…かもしれない。
ただでさえのべつまくなしに喚きたてる俺が、さらにテンション高いと悲惨なことになりそうだが、余人がどう思おうと俺が楽しければそれで良いのだ。
最低である。
そんなことを考えながら路程を急いだ。最終戦ゼドラゴンの待つ関門に辿りついた時も、隊員のHP、MPをざっと確認し、さほど考えるでなく門を開いた。
既に何門かを突破し、ユニットとしても機能し始めていることに慢心があったのかもしれない。
この時、俺はこの一戦に潜む大きな陥穽を見逃していたのだ。
開幕。
ゼドラゴンを守る2匹のキラーマシンがこちらを見とめて、刀を振り回しながら殺到する。
前衛が主の俺はこの日珍しく僧侶として、隊の命を預かっている。そこにそもそもの間違いを感じつつ、祈りの詠唱を終える。
傍らではらきしすが職業特性を活かしてまばゆい光芒の眼くらましを放つ。
ちなちなのさとりの詠唱を聞きながら、俺はキラーマシンの追撃をかわしつつ隊員と距離をとり、散開陣を布いた。
ゼドラゴンの怖いのはふみつぶし、ミサイルだけで即死はない。むしろ2匹のキラーマシンの攻撃がやっかいだな…
快癒(ベホマラー)の呪文を唱えつつ、俺は戦況に目を配る。
ちなちなは巧みに位置取りを変え、イオナズンの爆炎が敵を焼く。
らきしすもキラーマシンの凶刃をかいくぐり、光芒で敵の眼を欺いている。
ヒロゆうは強力な魔法で敵を…
あれ???
この関門の前に行った戦闘では魔法を放っていたヒロゆうの手に両手杖が見当たらない。
果敢にキラーマシンに特攻をかけては、己の両拳での連撃を放っている。被弾した後に唱える詠唱は、魔法使いのそれではなく、僧侶としての回復の魔法だった。
「ヒロゆうさん、いつの間に僧侶!?」
思わず俺は悲鳴にも似た悲鳴をあげた。
その時まで俺は彼が僧侶に転職していたことに気づいていなかった。完全に隊を率いる俺の落ち度だ。
隊員であるらきしす、ちなちなもこの転職には意表を突かれたのか、乱戦の中で数瞬の間我を忘れていた。
(まてまてまてまて!落ち着け俺。ここは戦術の再検討だ。勝つための算段をもう一度立てればいいだけのことだ!)
マホトラのころもで敵の打撃をMPに変えながら、俺は彼我の戦力を見つめなおす。
ヒロゆうさんの魔法が期待できない今、こちらの攻撃の核はちなちゃんの魔法。
敵の火力10に対し、こちらの火力が5といったところか。
バイキルトがない以上、素手での攻撃に期待するのは無謀。ヒロゆうさんの回復に期待して、こちらが棍で追撃にまわるか…。
でもさすがに回復が後手にまわるとマズイ。追撃はらきちゃんに任せるのが次善の策だな。
何よりもちなちゃんに攻撃に専念してもらわないと!
幸い僧侶2なので、即死クラスのダメージを繰り返しもらわない限り壊滅はない。ゼドラゴン側に新たな戦力の供給はない。
要するに、負けなければ勝つ。コレだ!
乱戦の先でらきしすと目が合う。
言葉をかわすことは一切なかったが、考えることが同じであったのか既に彼女の手には近接戦闘用の扇が閃いていた。
ヒロゆうも果敢に敵の凶刃をさばきつつ、一方でMPの乏しくなったちなちなに聖水を与えるなどのサポートを行っている。
強火力で敵を薙ぎ払う戦闘に慣れてきている俺にとっては新鮮な驚きのある乱戦となった。
火力に関しては、ちなちな、らきしす両名の奮戦があってもなお、敵勢に軍配が上がる。
時折致命傷に至る痛撃を受けながらも、何とか戦線を崩さずにしのげたのは、防御に秀でる僧侶2人体制というのが大きかったのかもしれない。
長時間の乱戦を凌ぎながら、キラーマシンの1体を戦闘不能に陥らせた時点で、戦況は大きくこちら側に傾いてきた。
ゼドラゴンのミサイルが大地に大穴を穿つも、ちなちなの爆炎とらきしすの巧みな連撃が敵の生命力を確実に削いでいく。
中天に上っていた太陽が西の地平に沈む頃、四肢を激しく振り回していた鉄竜もようやく完全に動きをとめた。
「ぷっは~!やっと勝てた~」
正直な感想だった。
途中から勝利は見えてきてはいたものの、やはり勝手が違う戦闘というのは手に汗がにじむ。この混戦を招いたのは何よりも俺自身の慢心に他ならないが、同時に普段得ることのできなかった充足を感じることもできた。
ヒロゆうが全身土と汗に汚れながらも飄々と右拳を掲げ、ちなちなは攻撃の一番手としての重責から解き放たれて、ようやくほぅと息をついている。
らきしすが瓦礫の中を軽やかに弾むように歩きながら、『まさか扇で攻撃するとは思わなかった~』と笑顔をはじけさせている。
踏み石は乱れ、そこかしこにキラーマシンやゼドラゴンの機械油が飛び散っている。
俺たちも自らの血と汗と埃に汚れてはいるが、勝利の余韻は極上の酒に並ぶ喜びを与えてくれていた。
満面の笑みで空を見上げる。
見上げた先の天高く、春を感じさせる真っ白な雲が、風に乗って東へと流れていた。
リリアの撹乱
アズラン、アズランの…ああ、そうそうここだ。
いあんの家の隣、チアロさんの家とは小川を越えてすぐの農村地区。
後方を歩くぽるか、アトムが妙にしおらしい。
まぁ何も言わないでおくが、涼しい顔をしてついてきているものの迷子属性の彼女たちだけではここに至ることが出来なかったかもしれないしな。
引率者として、ここは事情をわきまえて黙っておくのが粋ってものだ。
この日、俺たちは流感を患った友人リリアを見舞いに彼女の自宅を訪れていた。
「お花にも水をあげておかなきゃね…」
アトムが慣れた手つきで庭の花に水を注す。方向感覚は欠落していたとしても、それ以外の分野ではこうした気配りを欠かすことはない。彼女の数ある美点の一つだろう。
「お土産持ってる?」
「大丈夫。ここにあるよ」
「またあとで頭割りしてね。てかお任せしちゃったけど、何用意してくれたん?」
「ふふふ。それはナイショ♪」
アトムと並んで水やりを行っているぽるかが、手にした紙袋を掲げて満面の笑みを見せた。
ぽるかの余りある元気を浴びれば、流感で消沈しているリリアの気も少しは晴れるに違いない。
「トロさんもまたあとで来るって。デートが忙しいみたいで、この時間には間に合わなかったんだ」
「トロさん、友人多いしね。それにしてもデートかぁ。最近モテモテだね」
「トロさんは優しいからね。誰かさんとちがってえげつないセクハラしないし…」
「あ~、あいあさんね。今度注意しとかなきゃ」
「本人に自覚症状なし!末期です」
「あいあのことじゃないんだけど…」
アトムとぽるかは目配せしあってやれやれと苦笑を浮かべた。むぅ…今の会話の何がおかしいというのだろう。
呼び鈴を鳴らすと、リリア邸の執事がドアを開けてくれた。
既に何度か往訪し、面識を得ていることもあって、警戒されることなくそのまま中に通される。一瞬俺の顔をみとめた執事の眉間に浅いしわが寄ったようにも感じたが、まぁ俺の見間違いに違いない。
「リリちゃんの具合はどう?」
『今朝ほどになりまして、ようやく熱も落ち着いてまいりました。もう数日もすれば回復されるとは存じますが…』
「数日か…りりちゃん、冒険したいってゴネてるんじゃない?」
『さすがはぽるか様、私どもはもう少しお休み頂くようお願いしているんですが、どうもじっとしていられないご様子で…』
「ま、気持ちはわかるけどね。でも病気はしっかり治さないとね。りりちゃんは部屋かな?」
執事が首肯するのを確認して、俺たちは階段を上り、リリアの寝室へと足を運ぶ。
優秀な執事のおかげで回廊には埃ひとつ落ちていない。中ほどにおかれた一輪挿しに天葵の花が活けられている。
「りりちゃーん、具合はどう?」
先導したぽるかがノックをして扉をあける。
俺はというと『女の子の病室をいきなりお見舞いしちゃダメだからね!』ときつい注意を受けてアトムの後背に下がっていた。
病気で少しやつれたリリちゃんが見せるセクシーショットとかそういうのを期待してるわけじゃないやい。
病気を患った友人を純粋に友情から見舞ってるだけだい。寝衣の裾からのチラリズムをほんのちょっと見られたら満足です!
「んあっ!う、うん!もうだいぶ良くなった感じ!」
妙に慌てた感じの返答があって、硬質のものがゴトゴトと落ちる物音が続いた。騒音と並んでリリアの小さな悲鳴も響く。
不審に思ってのぞき込んでみると、ベッドの上でバツが悪そうに苦笑を浮かべたリリアがいて、床には小剣、錫杖といった装具が転がっている。
「んもー!リリちゃんは休んでなきゃダメじゃん!」
「いやっ!休んでたよ!休んでたけど、ほら…もうだいぶ体も動くようになったし、冒険者たるもの愛用の装備はいつなんどきもお手入れしておかないと…ほら…」
あたふたと釈明するリリアではあったが、憤然と仁王立ちするぽるかの気迫に負けたのか、すごすごとベッドの中に入り込んでいく。
小さく「ごめんなさい…」とつぶやく声がどうにもリリアらしく、俺たちは釣り込まれるように吹き出していた。
ま、そんなところだろうとは思っていたんだ。
「あれ?でもこれ、おかしくない?フェリシアのフェイスミルクが武器に塗り込まれちゃってるよ?」
「ええっ!!?そんなっ!フェリシアの新作!高かったのに!」
羽毛布団を跳ね上げて飛び起きたリリアが、アトムがほらと差し出した小瓶を確認してへなへなと床にしりもちをついた。
どうやら武具の手入れ用の機械油と間違えて大半を使いきった様子で、リリアは瓶を確認すると目に涙を浮かべている。
「さすがリリちゃん、女子力高いね。まさか武具にも美容ケアをするなんて!」
「よっ!さすがうっかりクィーン!うっかり姫の称号は伊達じゃないね!」
人の不幸に喝采をあげる俺とぽるかに恨みがましい視線を向けたリリアではあったが、再度小瓶に視線をやるとあきらめたようにがっくりとうなだれてしまった。
アトムが丸くなったリリアの背中をポンポンと叩き、そっとベッドに送り出してあげる。
ごほごほと小さく咳きこみながら、リリアは「またぽるかに『うっかり姫』呼ばわりされた~」と肩を落としつつベッドに潜り込んでいく。
「はは、まぁりりちゃん。今度フェリシアの新作ミルクは快気祝いに買ってあげるから、気を落とさないで」
「ありがと~…でもいいのかな。あれ、一本10万くらいするけど…」
「ええっ!!そんなにするの!?あんなちっこい瓶で???」
「うは~…フェリシアぼったくってるなぁ。…ま、トロさんだったらぽーんと買ってくれるよ。…たぶん」
「そだね!トロさんだったら10万くらい安いもんだね!」
しどろもどろに既に出費を第三者に押し付ける俺とぽるか。恥ずかしくないのか、まったく。
まぁ俺自身のことではあるのだけど。
「りりちゃん、元気出してね。これ…お見舞い…ってあれ?ぽるちゃん、これ中身はいってないよ?」
「ええっ!!?そんなはずはっ!!!」
ぽるかがテーブルに置いていた見舞いの品を手渡ししようと確認したアトムが困ったように苦笑を浮かべている。
紙袋の中身は協会に届いていたリリア宛の荷物の他には空っぽの紙箱のみ。可愛らしくリボンで飾り付けられているところをみると、おそらくはそれに見舞いの品が入っていたのだろう。
「…ああっ!そういえば、昨日悪くなっちゃだめだと思って中身だけうちの冷蔵庫に出したんだった!」
普通重さで気づくでしょ、それ?
リリア宛の荷物が見かけに反して意外と重かったので勘違いしてしまったのかな。
「いいよいいよ、気持ちだけで」
消沈するぽるかの様子に今度はリリアが笑い出す番だった。
どうやら熾烈なる「うっかりクィーンの称号争奪戦」は引き分けに終わりそうだ。ぽるかに至っては既に獲得している「ごばきゅぃーん」と「迷走女王」の称号と合わせるとこれで「クィーン三冠王」に輝いてしまいそうだが。
おそるべし。
本人としては迷走女王はアトムに、うっかりクィーンはリリアに押し付けたいところなのだろうけど。
「んで、お見舞いってぽるちゃんに準備をお願いしてたけど、何を持ってきてくれてたん?」
お見舞いの品の中身について聞いた時には、ナイショと微笑んでいたことを思い出し、俺はぽるかに水をむけた。
「うん…メギス鶏のからあげなんだけどね。最近メギで評判の…」
それって病人へのお見舞いの品か?
「凄いんだよ!冷やして食べた時の方が美味しいの!魔力も高まるし、りりちゃんにちょうどいいかなって。結構自信あったのになぁ…」
自信の持ち場所がだいぶ間違っているとは思ったが、それはちょっと置いておくとしよう。武士の情けだ。
「これ、シャノさんたちのお見舞い?」
ベッドの傍らに置かれているお見舞いの品の山を指さして、アトムが微笑んでいる。その笑顔が困惑に歪んでいるのは気のせいではない。
グランゼドーラ古酒『リリアの接吻』
巨大な黒うさぬいぐるみ、パッチワークのとげジョボー人形。
古代重層騎兵の戦いに学ぶ『ガートラント攻城戦(図説付)』
世界が欺かれた天才・鬼才の軍学『神算鬼謀100訣』
忘・新年会も怖くない!『ステップアップ☆マジシャン(初級編)』
他にも怪しげなポーズをとった黒檀の彫像も置かれている。それなりに値打ちの品だとは思うのだけど、両目と額で赤く輝く三眼が異様な妖気を発していた。
これってまともなお見舞いじゃないよね。
「今朝から隊のみんながいっぱい来てくれたんだ。エリちゃんとかシャノたんとか。エレナさんもチアロちゃんも来てくれた。あ、そのマジシャンの本はタ~タンが持ってきてくれたやつだよ」
個性豊かすぎます。蛍雪之功!
シェルさんとシャロンさんの姉妹は朝と夕に必ず見舞いに来ているようだし、トロさんも今日の夕には来ると聞いている。
ぷみさくたちも冒険の合間をぬって見舞いに来る算段をつけている様子だった。
「ま、りりちゃん。うっかりクィーンだかどうだか知らないけど、りりちゃんは皆が頼りにしてるんだからさ。焦らず、きちんと病気治してね」
「そだよ。りりちゃんがいないとオーブ探索に一人で行かなきゃいけないってシャノも寂しがってるしね」
「てかシャノの流感をもらったんじゃないの?治療費請求してもいいかも」
「それをいったら初っ端はエレナさんやん。軍神をも陥落させる細菌だぜ。そりゃちょっとやそっとの人じゃ太刀打ちできないって」
「エレナさんが倒れるほどだもんね。それじゃしょうがないか」
「そうそう。だからとりあえず無理しないで、しっかり休んで直すように!」
なんだか妙な流れにはなったが、リリアはなぜか納得した様子でベッドで横になっている。
柔らかな枕に上体を預け、「ピラでしょ…日課の討伐でしょ…王家も輝石貯まってきてるし…オーブもとらなきゃ…あ~早く良くならないかな」指折り数える様子からも少しは元気が戻ってきている様子が見てとれる。
油断はならないが、ま、あと数日もすれば流感も抜けるだろう。
快気の遠征も企画しないとな。焦らずに病気をきちんと直してくれることが条件だけど。
それまで俺も夜更かしを慎んで体調整えておかないと。
アトムとぽるか、それにリリアを交えた女子トークはしばらく終わりそうにない。
ソファでゆっくりと腰を落ち着けながら、俺は玻璃のむこうを流れる雲をただ追いかけていた。
天高く、純白の雲がゆったりと東の空へと流れていく。
山嶺は硬質の雪に覆われ、アズランの街中でさえ空気が肌を刺すほどに冷たい。冬の寒さはいよいよ厳しさを増している。
だが、仲間たちが集うこの空間は、穏やかで満ち足りた空気が漂っていた。
今年もこんな日々が続くといいなぁ…
そんな思いを抱きながら、俺は彼女たちの会話を子守唄にゆっくりと微睡の中に落ちていった。
死せる英霊に示す孝道
遙かな地平に赤々と燃えるような夕日が沈んでいく。その陽光を受けて、灰白の城壁が茜色に染まる。
不夜城メギストリスはこの日、いつもの喧騒にも増してにぎやかに戦勝気分に沸き立っていた。
国王プーパッポンの尊い犠牲の元、大臣イッドを実働部隊としてメギストリスを魔瘴の闇に沈めようとした冥王ネルゲルの奸計は破れ、長く城内に滞っていた頽廃感も霧消した。
城内の一室に籠っていた王子ラグアスが、長い沈黙を払って賢者フォステイルと共に勇躍して脅威の排除に大きな影響を与えたことも、住人たちにとっては明るい要因だった。
人々は偉大なる前王プーパッポンを讃え、新たに大いなる才覚の陽光を示したラグアス王子に喝采をあげて祝杯をあげた。それは人々が如何に長い間、不安な日々を過ごしていたのかを表している。そこに罪はない。
しかしながら、戦勝に浮かれる人々の賞賛を受けるたびに、ラグアスの胸中には言い知れない罪悪感が積もっていった。
偉業と讃えられるラグアスの実態が、父とそして母アルウェの献身の上にあることを彼らは知らない。
願いを叶えるというアルウェ王妃のノートに禁断の三つ目の願いごとを書き入れようとした瞬間、ノートは灰塵と化して消え失せていった。
いつの日か、自身に凄惨なる破滅をもたらすという三つ目の願いをラグアスがノートに書きいれようとした時、灰になって消えてくれと願ったのは他でもないアルウェだった。
謎に包まれた彼女の非業の死が、自身を護るための献身であったと知った時のラグアスの衝撃は言葉に言い表すことが出来ない。
私の至らなさが父母の尊い命を奪ったのだ…何が英雄だ…
人目を忍んで城塞の一角に佇むラグアスの手に、悔しさと情けなさ、自身に対する憤りが涙となって零れ落ちた。
王子として沈んだ顔は見せられない。だが、讃えられるたびに降り積もる自責の念が胸に重い。
いっそ自ら命を断つことが出来ればいいのにとさえ思うが、それが父と母の献身を虚無に投げ捨てる愚挙だということも十分にわかっている。生かされた命を捨てることは絶対にしてはならなかった。
「王子、こんなところにいらっしゃったんですか。侍従の皆さんが探しておられましたよ」
不意に声をかけられて、ラグアスは慌てて涙をぬぐった。
振り返った先に黒衣に身を包んだ戦士が立っている。デボネアだった。
今回の一件で最初から最後までラグアスを支援した冒険者のうちの一人だ。
「デボネアさん・・・すいません。ご心配をおかけしてしまって・・・」
「・・・いやいや。皆、恐怖を払うことが出来て嬉しいんでしょうが、町中どこでも王子やプーパッポン王を讃える声と共に酒盛りしてますよ。主役がいらっしゃらないと侍従の皆様はお困りのようですけど」
「・・・・・」
言葉が出なかった。そんなラグアスの様子にデボネアが怪訝そうな表情を見せる。目じりに残る涙に気づかれまいと、ラグアスは夕陽に顔を向け目を細めた。
「私は皆さんに讃えて頂けるようなことは何一つしていません。むしろ己の未熟さで父と母の命を奪った罪人です」
「・・・ふむ」
デボネアはそういって押し黙った。
彼はラグアスと共にイッドとも対峙し、その一部始終を目の当たりにしている。願いを叶えるというノートが消失する際に見せたアルウェ王妃の幻影も一緒に見ている。ラグアスの罪を知っていると言っていい。
「王子はプーパッポン王が亡くなったのも、アルウェ王妃の謎の死も全て自分に責任があると責めておられるんですね」
「そうです。その通りです。私は…母の尊い犠牲に守られた命であったにも関わらず、長く自室に引きこもってこの混迷を払えなかった。父の不興を畏れ、逃げたのです。そして父の死も防げなかった。とんだ親不孝ものです!皆さんに讃えられるような立派な王子なんかであるものかっ!私の愚かさが父や母の死を招いたというのに!」
おさえていた激情が言葉になって溢れ出すのをラグアスは止めることが出来なかった。普段は饒舌なデボネアが言葉少なに耳を傾けていてくれることが呼び水になり、嗚咽と共に滂沱と涙が零れ落ちた。
「王子は国を守るものとして勤めを十分に果たされたと私は思いますよ」
「…いえ…すべては父と母のおかげです。私は何一つ果たしていません」
「王子が自身で責めておられるのは、子として父や母の命を救えなかった…というより奪ったと感じておられることですか」
「!!」
端的に指摘されて思わずラグアスはデボネアを見上げた。デボネアはラグアスの傍らに佇み、平素は見せない真摯な表情でラグアスと視線を合わせると、柔らかく微笑んで地平に沈む夕日に目を戻した。
「親にとって一番辛いのは子供の死です。子は親にとってみれば、体の外に生まれた自らの命、魂と言ってもいい存在です。愛する我が子のために命を差し出さない親はいません。それは親として自らの魂を護るためにごく当然の行為だと私は思います」
穏やかな言葉が心に滲みる。だが、ラグアスはそうまでして愛を示してくれた父母に、何の孝行もしていない自分への絶望から言葉がでなかった。
「王子は親孝行を何もしていないと自らを責めておられる。それが私には滑稽に思える」
「何をっ!」
滑稽と言われ、思わずラグアスはデボネアを見据えた。一瞬父と母に対する冒涜にも感じられて、頭に血がのぼる。
「父や母が亡くなれば親孝行ができないとでもお思いか。王子の親孝行はまだ始まってもないと言うのに」
「!?…それはどういう…」
「少し別の話をしてもいいですか」
返答に困るラグアスに微笑みを返して、デボネアは静かに話し始めた。
港町レンドアにとある防具職人の娘がいる。
彼女には父と母の他に、少し年の離れた兄がいた。父は腕利きの防具職人として冒険者の中でも少し知られた存在だった。聞けばグランゼドーラの宮廷へも上納するほどの名工だったらしい。
娘と父親の間には多少の軋轢があった。それは思春期の娘としてはごく自然な反発であったのかもしれない。防具職人として研鑚の日々を送る父親の態度にいらだちを覚え、20を待たずに彼女は家を飛び出していた。
外に出て、様々な職種の人々と触れ合い、多くの世界にもまれるようになって、彼女の中に滞っていた父親への軋轢は次第に影を薄くしていった。ようやく父親と一個の人間として向き合える。そんな淡い期待とも喜びともつかない感情を抱き始めた時、唐突にその機会は奪われてしまった。
父親が急逝したのだ。疫病だった。
悲嘆にくれる家族を支えようとしたのは兄だった。大黒柱を失って失意に沈む家族と、工房とに喝を入れ、自身の覚悟も新たに彼は防具職人の道を歩み始めた。
が、そこにも悲劇が襲う。防具用の鉱石の買付に行った旅先で不慮の事故に遭い、兄は志半ばにして非業の死を遂げた。
伴侶と最愛の息子を相次いで失った母から、生来の明るさが消えた。涙を酒精で拭うような日々が続き、精神と肉体の両面から生気が損なわれていく。
その母を支え、廃業を免れられないと見えた工房を立て直したのが彼女だった。
彼女は父への伝えられなかった思いを胸に、兄への支えられなかった悔恨を糧に日夜鉱石とハンマーに没頭した。
当時、女だてらに防具職人の道を歩んでいた者はいない。そして幸か不幸か彼女はまだ20を過ぎて間もないほどの若さであった。自然職人の世界では軽んじられ、父の名に泥を塗ると侮蔑の言葉さえかけられることもあった。馴染みの工人のいくらかはそんな彼女を支えてくれたが、父や兄の気鋭をしたって集まってくれたものの多くは工房を去って行った。
それでも彼女は諦めない。母を支え、その一方で基礎の基礎から鍛冶について学び直し、日の出とともにハンマーを握り、星々の瞬く夜空が朝陽に白む頃にまどろむような日々が続いた。
そうして彼女は工人の信頼を自らの手で掴み、彼女の手で鍛え上げられた防具の数々が市井で評価を得るようになっていった。
ふと気づいた時、母に笑顔が蘇っていた。研鑚に励む彼女を支えることで、母には生き甲斐が蘇り、その事が活きる力を生み出していた。
今ではレンドアで彼女の名を知らぬものはない。彼女の手を経て鍛え上げられた防具の数々は多くの冒険者の手に渡り、魔物の凶刃からその命を護ってきた。そして彼女の父の名声も、彼女を世に送り出した偉大なる先人として、今なお高まりを見せているという。
「私も駆け出しの冒険者だったころ、彼女の防具に命を救われたものの一人ですよ」
そういってデボネアは微笑んで見せた。空は夕陽の茜から星々の瞬く群青へと移ろっている。城壁から見下ろした市街地には炊飯の煙がそれぞれの軒先から立ち上り、繁華街を行きかう人々の数も燈火に導かれるように賑わいを見せていた。
「王子がここで俯き、自身の非才を呪っていても何も変わらない。ですが、王子がこの後歩む道によっては王子を世に送り出したものとして、プーポッパン王の名声もアルウェ王妃への賞賛も不滅のものになるのかもしれない。死してなお忘れられない存在になるのは生前の本人の力だけではありませんよ。残されたものが残してくれた人への感謝を力に変えて励めば、それが賞賛に変わることもあるかもしれない。今はまだプーポッパン王もアルウェ王妃も親が子に愛情を示しただけのことです。それをメギストリス全体への愛情へと昇華するのは、王子の頑張り次第なんじゃないですかね。それが親孝行ってものじゃないかと俺は思います」
デボネアはここで言葉を切り、跪いてラグアスと同じ高さからその瞳をまっすぐに見つめた。
「いつしかあなたの功績を讃える人が現れた時、その時にこういえば良いじゃないですか。『私は彼らの子としてごく普通のことをしただけのことだ』なんてね。俺にとっては最高にかっこいい生き方です。できるかどうかわからないけれど、あなたにはそのチャンスが与えられたんだと思いますよ」
いつしかラグアスの双眸から零れ落ちていた涙が止まっていた。悔恨と自責でくすぶっていた自身の瞳が晴れ、新たな使命を与えられた高揚感に満ちてくる。それはかつて逃げ出したいとさえ思った王族の道だった。でも今はその王族としての道筋に光明がさして見える。
偉大なる父、慈愛に満ちた母が指し示してくれた明るい未来だ。
「ありがとう、デボネアさん。私は王族としてのお父様やお母様まで亡くなったものの列に加えてしまうところでした。私が王としてこの国の平和を築いていくことが、同じ王族であるお父様やお母様への感謝や賞賛に繋がることを失念していました。もう迷いません。できるかどうかわかりませんが、私は全力でこの国のために身を尽くします。少しでもマシな人間になることが、父や母への孝行につながるのですよね」
「その通りです。王子。いや…新たなるメギストリス王。そんなあなたを支える人もいるじゃありませんか。私も微力ながら務めさせて頂きます。さ、侍従の皆様が主役の登場を待っていますよ」
「ははは。わかりました。ですが、デボネアさん、あなたはこの国の家臣ではない。私に道を指示してくれる大切な友人だ。ですから、私のことも王ではなく、ラグアスとして接して頂きたい。できれば敬語も無用でお願いしたいくらいです」
「!?…それは…正騎士の皆さんに無礼者とつまみ出されてしまいそうですね」
二人は笑声をあげて笑いあった。
ラグアスにとって声をあげて笑うことが随分久しぶりのことのように感じられた。
「わかりました。まぁ謁見の際など状況を選びはしますが、敬語もなしのあくまで対等な友人として接しさせて頂くとします。そしてできることなら、その恩寵を私と同じ蛍雪の仲間にも与えて頂ければと思います。彼らもきっとあなたのことを大切に思っている。王族と対等な友人としては…少し品性が欠けることもあるかもしれませんが」
忍び笑いを洩らすデボネアの姿に、仲間への敬意と親愛が見てとれる。ラグアスの返事はもちろん「諾」であった。
「ではあらためて…行こう、ラグアス。皆が待ってる」
ポンと肩を叩かれて、ラグアスは破顔した。
プクランド、メギストリスに新たな時代が訪れようとしていた。
上位種掃討戦
窓から差し込む街の灯りが漆喰の壁におぼろげに模様を描いている。それがまるで生き物のように揺らいでは消えていく。
その様を眺めながら俺は酒杯を再び口に運んだ。酒精の焼けるような強い熱気が喉を流れていく。
ふと見れば薄闇の中にぼんやりと浮かんだベッドでシャノアールが柔らかな寝息を立てていた。
彼女の白い肌がまるでそれ自体が発光しているかのように淡く輝く。薄闇の中でみる彼女は昼間の戦場で見る姿と全く異なった一面を見せる。
秋の深まった夜のメギストリスは冴えた冷気を漂わせていた。俺は酒杯をテーブルに戻すと寝台へと向かった。
額にかかったひと房の金髪を撫で上げて、シャノアールの丸みを帯びたなめらかな額に俺はそっと唇を
「お前は何を書いとるんじゃああああ!!!」
怒号と共に後頭部に強烈な前蹴りを受けて俺はテーブル諸共に激しく前方へ吹き飛んでいた。
書きかけの原稿が宙を舞い、用意していたペンやインクが無残にも床に転がっていく。
痛撃に顔をしかめながら振り返ると、怒りか羞恥かで頬を上気させたシャノアールが立っていた。
「お前はいきなり何すんじゃ!挨拶代わりに人の後頭部を蹴り飛ばす奴があるかぁ!」
「んなこと関係あるか!お前はそこで何を書いとるんじゃ、言うてみぃ!」
「何をって…お前そりゃこれはあのほら、アストルティアの皆さんにも笑いと感動とほんの少しの官能をだな…」
言い終えぬ内に今度は拳が飛んできた。歴戦の戦士の拳はなかなかに破壊力がある。ボストロールの一撃にも迫るというものだ。
「お前が隊での出来事をちょこちょこと文章にまとめてるのは知ってる。それは許す!でもでもでもでもこーいうありもしない話を書くな!」
上気したシャノアールの顔は完全に桜色に染まっている。
数多く戦場を共にし、瞬きを惜しむほどの激戦も肩を並べて闘ってきたが、こうして息を乱す様子を見たことはなかった。戦友シャノアールの中に女性としての一面をあらためて認めたような鮮やかな驚きがあった。
「ん~、まぁほれ。まぁありもしない話だけど、たまにはこういう艶っぽい話があってもいいん…」
「除名してやる。チームから蹴り飛ばす」
「ひぃぃぃぃぃ!おまっ!それは横暴やん!」
「横暴ちがうわ!」
「わかった!それじゃこのシャノの記載のところをぽるちゃんに変更す…」
「やめて~~~!」
傍らで腹を抱えていたぽるかが今度は必至の形相で間に割って入った。
「えぇと…『額にかかった銀髪を玉ねぎを剥くように柔らかく…』と変更っと」
「その表現おかしいから!てか玉ねぎじゃないし!ちがうちがう、そういう問題じゃなくてその話への私の登場は断固拒否します!」
ぽるかの丸みを帯びた柔らかな髪型を最近俺は玉ねぎ頭と表現している。
元々は彼女の故郷の話で、そこが有名な玉ねぎ産地だったことに起因しているのだが、確かに艶やかな話で「玉ねぎ頭」の表現はそぐわない気がした。
「ぽるちゃんもダメならリリちゃんか。リリちゃんの場合なら金髪はそのままでいけるしな」
「却下!通報するよ」
ぽるかと共にいたリリアは矛先が自分に向かうことを予め想像していたのか、即答で指先を俺につきつける。
みんなもうちょっとユーモアとか俺に対する親愛の情とかかすかな恋心とかないんかい。
「え~!くっそ~。そんじゃここはエレナさんに出演してもらって…」
パリッ…
言い終える間もなく背後の死角から強烈な殺気が冷気をともなって吹き付けてきた。
この威圧感・・・てかこれってヒャド系の最高位呪文の前哨と違うか?
生命の危機を感じて、俺はその場で動きを止めた。死角からのエレナの視線が背中に痛い。
これ以上の冒険は冒険じゃすまなくなってしまう。
冒険者、官能小説のねつ造により街中で凍結死!!
そんな見出しでメギストリス新聞の一面を飾るのはよろしくない。
「そうか。チョコバッキさんとかうろごんりちゃんに出てもらったら問題なくない?」
「隊外だったらイイとか言う問題じゃない!その原稿は焼却!リリ、やっちゃって!」
「アイサー!」
シャノアールの合図にコンマ数秒の間さえあけることなく、リリアのメラの炎が俺の原稿を焼き尽くした。
初期魔法とは言え魔物の外皮をも貫く強火力だ。数枚の羊皮紙など瞬間で灰になってしまう。ついでに俺の指先も。
「街中で魔法使ったらダメなんだぞ。冒険者協会が街中での攻撃魔法の使用は禁止してるんだぞ」
「何もなかった。証人はない。証拠もない。よって何も問題はない」
涙目になった俺に対し、ふん、と鼻を鳴らし、シャノアールは部屋を出て行った。リリアがそれに続き、笑いをこらえたままぽるかが退室際にドアを閉じた。
エレナは最後まで殺気のみで姿を見せなかった。
ただ一人残された俺は床に散らばった文房具と粉塵と化した羊皮紙のカスを眺めていた。指先だけがヒリヒリと痛んだ。
***********************************
昼過ぎ、俺は旅装を整えて隊の詰所に足を運んでいた。
アストルティアでは珍しいはずの官能小説が文壇に登場することは、とりあえずあきらめよう。
これは敗退ではない!戦略的な後退だ。
内心でそう呟いたのは誰に聞かせるものか。自身でもそれはよくわからない。
指先の火傷を抱えたまま、詰所の扉をあけると中にはシャノアール、トロなど数名の馴染みの顔があった。
「お、三等兵。来たな。そんじゃいくか」
俺はいつから三等兵になったんだ。えらい階級低いやないか。
「ええけど。どこ行くねん?」
「力の指輪探索。セレドオーガキングの上位種を狙うぞ」
「おおっ、いいね。それ乗った」
力の指輪は俺のような前衛には必須の装具の一つだ。もちろん俺も所持してはいるものの良質とは言い難い代物で、機会があれば更新を目指してみたいと思っていたところだ。
「あと一人…だれか行かないかな」
「それならシャロンさんにしよう」
シャロン。
リリアの紹介で近頃入隊した新進の冒険者だ。姉のシェルと一緒に加盟して、それ以来何度か一緒に討伐行に赴いている。
性格は姉と同じく穏やかで社交的だが、柔らかい容貌の姉に比べ、シャロンは眼に強い光がある。この日は長く伸ばした紫紺の巻き毛を頭の上で高く結っていた。動きに伴って髪が揺れる様にネコ科の動物がまとう躍動的な美しさがあった。
「私、弱いですよ?役に立ちません」
いきなり矛先を向けられてキョトンとした表情でシャロンが答える。本心かも知れないが、それが謙遜でしかないことを何度か討伐行を行っている俺自身が知っていた。
「んなことないよ。一緒に行こう」
再度の要請を断ることはなかった。
かくしてシャノアール、トロ、シャロン、俺の4人でセレドの北端の洞窟へと向かうことになった。
先陣に斧を抱えたシャノアール、中衛に爪を装備した俺と魔杖を構えたシャロンが加わり、後衛の回復はトロが務める錐行陣だ。
転移の飛石でグランゼドーラへ飛び、馬車でセレドの街に向かう。
街へは立ち寄らず、そのまま街道を北上してリンジャの塔を目指した。リンジャハル海岸の手前で東に迂回し、目的地に辿りついた頃にはあたりが薄闇に包まれていた。
その日は狩りをすることなく野営し、朝になるのを待って俺たちはオーガキング探索を始めた。
オーガキングは両手に盾をもった大型の魔物で、防御力と体力はそこそこあるものの、今回の4人で後れを取るほどの脅威ではない。
洞窟内を単身で徘徊するオーガキングを排除しつつ、俺たちはその上位種の姿を求めて探索を続けた。
何体のオーガキングを駆逐しただろうか。
中天に太陽が昇り、それがやや西に傾いた頃、俺たちはようやく通常のオーガキングと同行する亜種の魔物を見つけることが出来た。
「いた!この先に一匹いる!」
最初に叫んだのは目のいいトロだった。
声にいち早く反応したシャノアールが疾走を開始する。俺とシャロンがそれを追う。走りながら高速で詠唱を終えたシャロンが指先をシャノアール、ついで俺へと差し向ける。
装備していた武具が青白い燐光と燈す。魔力付与の魔法だ。
「いいね!いい仕事!」
「普通です」
淡々と答えるシャロンの様子にぷっと吹き出す。
まず最初に血煙を上げて沈んだのはオーガキングだった。
上位種の動きを牽制しつつ、シャノアールと俺とで挟撃して確実に息の根を止める。驚異と言えない相手であってもちょろちょろと後背をとられるのは面白くない。
事前の打ち合わせをするまでもなかった。
上位種は外見はオーガキングに酷似しているものの、体躯は一回り以上大きく両盾を駆使しての攻撃も一層強烈になっていた。両腕の太さは楡の巨木ほどもある。まともに喰らえば深刻なダメージを負うことになるだろう。
俺はスピードを活かして間合いを詰めて両腕に装備した爪で斬りかかってみたものの、片方を盾で防がれ、もう一方も硬い外皮を少し傷つけただけで致命傷を与えるまでには至らない。
「逃がすなよ~。一気にいく!」
斧から爪に換装を終えたシャノアールが勇躍して飛び込んでいく。強烈な一撃はまたも盾に防がれたものの、俺の時は微動だにしなかった魔物の巨体が完全には殺し切れずに上体がおよぐ。
自分より二回り以上大きな魔物にたたらを踏ませるって、いったいどんなバカ力をしてるんだ、シャノ。
だが、魔物の返す一撃を受け損なって、今度はシャノアールが宙を舞う。
こちらはたたらを踏むどころではない。側方へ数メートルも吹き飛ばされながら体制を整えて転倒をしのぐ。間をおかずトロの回復魔法が飛び、シャノアールがうけた傷を即座に癒していく。
攻撃後の空隙をついて、今度は俺が魔物の懐へ飛び込んでいく。めまぐるしく立場と攻防を入れ替えてオーガキング上位種の掃討戦は進んでいった。
シャロンの魔法の支援を受けて、体が軽く、武器が帯びた青白い燐光が動かすたびに宙に線を描く。今度は左右の攻撃で確かな手ごたえを感じ、瞬間致命傷の予感があったのだが、見上げた先にあったのは狂気を含んだ魔物の赤い両眼だった。
痛撃による怒りが肉体的な損傷を一時忘れさせたのだろうか。
魔物はいよいよ猛り狂って両腕の楯を旋回し始めた。下手をすれば巨大な鉄の塊に連撃されることになりかねない。
戦慄を覚えて俺は数間後方に跳躍してスペースをとった。
「タフですね~」
「うん、不必要なまでにタフだね」
魔杖をもち、パーティの様子を見守っていたトロが目を見張る。Sレート以上の魔物であれば驚愕に値しないが、日頃近くを徘徊している魔物でここまでの耐久力を目にすることは稀だった。
「あたしが前で陽動する。デボは背後から急所をついて」
「うぃうぃ。上等兵どの!」
返事と行動が同時だった。
多くの戦場を共にしているシャノアールとなら前衛として打ち合わせることは何もない。上等兵と三等兵。階級が随分低いなぁとは思わないではないが、それについて今考える時ではない。
シャノアールの一撃は強さは先ほどのものと遜色なかったが、モーションが大きく、魔物は左の盾を上げてこれを防いだ。続く一撃は魔物の目元を狙って放たれたが、巨体に似合わない俊敏な動きで後方にのけぞってかわされてしまった。
殺戮に対する昂奮か、それとも敵の攻撃をかわしたことへの昂揚か、魔物の咆哮が石窟に反響してびりびりと大気を震わせる。
調子こいてろ。これでトドメだ!
シャノアールの攻撃に連動して、右側から盾の死角に潜り込んだ俺はそのままの勢いを活かして魔物の後背に回り込んでいた。
今やむき出しの頸部が前方にある。
彼女のやや大ぶりな連撃はこのための布石だった。
敵の急所に焦点を定め、俺は全身の力をたわめて弓なりに反る。渾身の一撃が頸部を貫き、それで戦闘が終息する・・・はずだった。
トンッ
俺の一撃の半瞬前、少しくぐもった音が耳朶を震わせた。
激しい戦闘の最中の奇妙な沈黙。
俺が狙いを定めていた頸部から静かに剣先が突き出していた。
一瞬前まで凄まじい勢いで旋回していた魔物の両盾が力なく地面に投げ出される。それに引きずられるように大樹の幹のような両腕がだらりと下がり、力感を失った巨体がゆっくりと倒れていった。
その全てがコマ送りのスローモーションのように流れていく。
俺の渾身の一撃はついに放たれることなく、俺は跳躍した姿勢のまま目標を失って着陸した。
「・・・すいません。獲っちゃいました」
シャロンが申し訳なさそうに佇んでいた。
彼女の細身の長剣が魔物の喉元から頸部を貫き、一撃で生命の根幹を断ち切っている。
シャノアールでさえ呆気にとられて目を丸くしていた。
長剣が引き抜かれると、オーガキングの上位種は完全に肉塊と化して大地に倒れて動かなくなった。あの激しい戦闘の中で、完全に気配を殺し、魔物ばかりか仲間である俺たちの空隙をついた一撃は驚嘆に値する。が、それを行った当人はなぜか申し訳なさそうに頭をかき、はにかんだ笑顔を浮かべていた。
「お~。これだと力の指輪、2つ分くらいはイケそうだよ!」
肉塊と化した魔物の体がズブズブと侵食されていく中で、トロが素早くその内側から鉱物のようなものを取り出していた。
鉱物は多岐にわたるが、魔物の体内に蓄積されるそれを運よく取り出すことが出来れば、それが魔力を帯びた装具の材料になる。この日、討伐した魔物から取り出した鉱物は力の指輪を形成するのに十分な量があった。
「驚いたな・・・完全に虚を突かれたよ。やるねぇ」
「いやいや・・・まだまだ未熟です」
戦闘を収束させた剣の主は最後まで照れ笑いを絶やさなかった。
峡谷を抜ける寒風が冬の訪れを告げ、遠くで獣の鳴き声が響いている。
石窟に笑声が弾け、それがこの日の戦闘の締めくくりとなった。
少年よ、大志を抱け
俺の名はマエタケ!
アズランで討伐支部の雑用とか手伝いをやらせてもらってる。
ゆくゆくは俺も冒険者になって、世界をまたにかけて飛び回りたいと思ってる。世界各地の都市にはそれぞれ行きつけの酒場があって、そこの歌姫なんかの憧れの存在になるって感じ?
くくく、いいね。夢があるね。やっぱ少年は大志を抱かなきゃね!
でもやっぱり目標とする職業はいるよね。
ほら、ビジョンっていうの?光り輝ける将来像?まぁそんな感じ。
目標とするものは見えてる。それに行き着くプロセスも。あとはその道を歩むだけだ、とか言ってみてぇじゃん、かっこいいじゃん!
ま、誰に言うかはわかんないけどさ。
んで、やっぱ今気になるのは冒険者の王道。基本の戦士かな。
戦士と言えばシャノさんだな。天馬の大剣背負ってよ、かっこいいじゃん。敵をズンバラリンってぶったぎるんだぜ。くぅ~~~っ!イカス!
それにあの黒衣からちらっと見える脚がなんか色っぺえ!装備の黒が肌の白を浮き立たせるって感じ?無骨な戦士の内側に潜むおさえがたい女の魅力?うふふふふw俺、やっぱ戦士目指すかな。
…と、ちょっと待てよ。
戦士二人ってあんまり聞かないよな。まぁないこたないけど戦士は別職の人とパーティ組むことが多い気がする。
ってことは別職の方がいいか。別職。
戦士と言えばやっぱ回復役?
回復役と言えば僧侶。いいよね、僧侶。癒しの術でパーティからも頼りにされてさ。
僧侶と言えばちゃこさんかな。ちゃこさん。
柔らか~い感じでほんと癒されるわぁ♪いつもなんか笑顔浮かべててさ。得意満面って感じじゃないのがいいんだよね。
『ふふ、しょがないですね』
とかって癒してくれそうじゃん。傷口に優しく触れて治療してくれそうじゃん。癒しの女神?うるおいの聖女?
いいよね、やっぱ僧侶。僧侶だよ。これ一択。
って、僧侶二人じゃAレート以上の敵討伐の時とかしか組まないんじゃね?やばくないそれ。
素敵な僧侶もいいけどさ、死んじゃったら元も子もないよね。俺、まだやりたいこといっぱいあるし。世界各地の歌姫が俺をまってるはずなんだし!
ってことは僧侶とか前衛じゃない方がイイよね。前衛じゃなくてそれでいて存在感のある職。
ってやっぱ魔法使いじゃん、魔法使いっ♪
これいいよ、これ。メラゾーマ!って火球ぶっ放して敵を黒焦げ。ついでに女の子の服も焼いちゃったりして♪うふふ。
ってそれだと怒られちゃうじゃん。だめじゃん、俺。ドン引きされちゃったら、せっかくの美女パーティも台無しじゃん。そこはぐっとおさえて敵だけを燃やさないとね。
魔法使いって言えば、やっぱリリアさんかな。
しっかりもので、ちょっぴりS。鋭い突っ込みがウリだけど、実は結構寂しがり屋って感じ?ローブの裾からちらりとのぞく白い足首とか、艶っぽいうなじとか?
あ~!そうそうあとメガネ!メガネポイントたかいよ、くぅぅ!
運動はそんなに得意な感じじゃなさそうでも、実は無駄のない動きで戦闘の要をなしてたり?火力は強くて実はパーティの剣みたいな感じ?脆いけど鋭い。
イイよね、その相反する二面性ってやつ?俺の炎で守ってやるよ、って言ってみてー!!やっぱ俺魔法使いになるっ!
ん~~?でも魔法使いって魔法封じられたら居場所なくない?
女の子の場合はそれでもいいけど、仮に前衛が女の子で、俺が魔法使いだったら立場なくない??やっばい!危ないとこ!やっぱ俺前衛にならなきゃ!
前衛って言えばやっぱ武闘家?爪武戦家。パーティの切り込み隊長的な。
戦闘開始直後に雷光一閃!鋭い一撃で敵を貫いていく感じ!やっぱイイ!これだよ、コレ!
武闘家って言えば、やっぱアトムさんだよね。蛍雪之功の暴れん坊?方向音痴だけど、舐めてかかったら痛い目みるわよ?みたいな。
普段はそんなに口数多い方じゃないけど、時々痛いとこついてきたり、要所でユーモアがあったり。迷子だからいつもパーティの後ろを歩いてるけど、戦闘になったら別人みたいに敵陣に突っ込んでいく!みたいな?
まぁ俺戦闘間近でみたことないけど!
あと、アトムさんって言えばあれだよ、あれ。
装束からのぞく白いおへそ♪あれ、色っぽい!無駄な肉がついてないけど、でも男とは全然違う柔らかいラインでさ!また小柄なのがいいんだ、小柄なのが!
くびれ!おへそ!白い肌!
くぅぅぅぅ!そりゃ男は虜になるって!
やっぱ俺、武闘家でアトムさんみたいな人と並んで闘う!模擬戦で組手とかもイイ!組み技、絞め技、固め技!イカスよ、これ。武闘家の時代がキタっ!
え~っ、でもちょっとまてよ。
武闘家って言えばやっぱ打撃だよな。この模擬戦やる相手がアトムさんみたいだったらいいけど、ドSで凶暴な鬼瓦みたいな奴だったらどうなの。
おれ、ぼこぼこじゃん。この甘いフェイスが潰されちゃう!世界の歌姫がっ!待て待て俺、早まるな。早まったら、世界の歌姫を悲しませるぞ!
そうそう、冒険者ってそんなにバリバリ戦闘員じゃなくてもいいじゃん。
華麗なるトレジャーハンター?これだよこれ。
あなたのハートを盗みに来ました。
これ!盗賊!!盗賊一択!
怪盗マエタケ!夜の紳士マエタケ!
…夜の紳士はちょっと違うか。ははは。これじゃデボとかあいあさんみたいになっちゃうじゃん。
いつも女の人と一緒だし、結構いいかもしれないけど!
んで、盗賊と言えばやっぱチアロさんだよね。屈指の大盗賊。世紀のトレジャーハンター!みたいな。
私に盗めないものなんてないわよ、なんて強気なことを言ってても、結構ぽてぽてした走り方だし!あれってウェディの特徴なのかな。あとウェディは美人多いよね。ツインテールも似合ってるし。
一緒に世界の怪盗めざしちゃう?
てか、盗めないものはないなんて豪語してる彼女のハートを俺が盗んじゃう?
私のハートを盗むなんて…
とか言われちゃうの俺!うっは!すっげぇ萌える!萌えまくっちゃう、俺。どうなっちゃうの!
やっぱ盗賊だよ、盗賊。ハート盗みまくりの恋の大泥棒!イヒヒヒヒヒっ!
んん!!?
でもでもでもでもちょっとまった。泥棒ってうっかり間違ったら捕まっちゃうじゃん。やっばいじゃん。
投獄された先で不器用だけど綺麗なお姉さん看守とかと恋に落ちるとかもいいけど、その可能性って低くない?低いよね、絶対。
てか投獄されたら、変な趣味のオッサンとか一緒に入ってたらヤバいじゃん。俺、尊厳のピンチじゃん!
やっばい。
危ないところやった。うっかり盗賊目指して踏み外したら、どえらい悲惨な分岐を迎えるとこやった。あぶねー!
男は盗賊目指しちゃだめだね。リスクでかいし!
そういうリスク冒さないで、でも過激な戦闘員っぽくないの…
あったじゃん、あったあった。旅芸人!
これ、いいよ。芸は身を助くってやつ?戦闘しなくても稼げそうだし。旅の一座とか。踊り子さんとの恋の分岐もいけてる感じ?
しかも結構戦闘でも役に立つよね。
あれだよ、あれ。エレナさん!プロフェッサーエレナ!軍神!戦乙女!
あの人いいよ。軽装でスカートひらひらしてるけど、返り血も浴びないし。でも短剣で敵をズンバラリンだってデボ言ってたし。マジやべーし。
怒らせたらアウトな感じ?でも面倒見いいしね。ユーモアセンスもある。ああいうのって旅芸人だから…じゃない気もするけど、いいか!
旅芸人。エレナさんに弟子入りして連れまわしてもらっちゃう?そしたら俺もゆくゆくは軍神になれちゃうかな?うっは、すっごくね。マジ。
あ、でも!
軍神って言えばもう一人いるじゃん。ミカノさん!
あの人いいよ、色っぽいし!強いし!白い肌と可憐に舞う金髪?可愛らしい顔して結構エグイ攻撃するみたいだし!
って、俺って白い肌フェチかな?まぁいいんだけど。エレナさんだと俺ちっこいから、結構見上げる形になっちゃうけど、ミカノさんだとそんなことないしね。
身長なんてちっこいこと気にしたくないけど、やっぱちょこっとは気になるじゃん?
ミカノさんって言えばバトルマスターだよね。バトマス。
両手で舞うように敵を切り裂く?戦場に咲く大輪の花?マジカッコいいやん、それ。
黒い装束に赤が映えるんだよね。スカートひらひらしてて色っぽさハンパねーし。
ニーハイのブーツ?ソックス?あれヤバいね。ちょっと刺繍がしてあるのが大人っぽいのかな。ファッションはよくわかんないけど。
スカートとニーハイからのぞく絶対領域から目が離せない!
街行く男どもの眼を釘づけ!でもそのミカノさんの視線は俺が独占!?これいいじゃん、最高じゃん!
でもな~、エレナさんとミカノさん。
どっちもすっごい素敵やけど、強すぎるからなぁ。弟子の頃はいいけど、一緒に並び立てるか不安やな~。
いつまでも使えないデキナイ子って感じだと辛いな。根っこは優しいから面倒みてくれるけど、面倒みて欲しくてそこ目指してるんじゃないしね。
色っぽいけどな~。二人ともスカートだし!悩む~~~~!
あ、スカートと言えば…
あったじゃん、あれあれ。スーパースター!
ステージ衣装のスカートがかわいいやつ!あれ超やっばい。太ももまで見えちゃうしね!見せパンかどうかわかんないけど、見えそうで見えないのは男の浪漫だよね!
デボの受け売りっちゃ受け売りだけどさ!でも真実だ。男の浪漫は太ももにある!って、なんか違うか。
スパスタって言えば、やっぱエリゃんかな。エリエール♪
華があるよね。やたらめったら金が似合うし。ピンクもいいけど。実際僧侶とかさせてもうまいけど、目立つって言うか存在感あるっていうか。ちっこいくせに!
ちゃこさんの僧侶はやわらかくって癒される感じ。エリちゃんはビシビシっとコントロールされる感じ。なのでスパスタのムチがやったら似合う。やっべーよエリエール。
スカートじゃないけど、あのゴージャス衣装とサングラス。黒服に守られるのも一番似合うよね。
夜っぽい感じ?朝弱め?
なんか結構お酒飲んでるし。あんま強くなさそうだけど!スパスタっていったらやっぱカーテンコールとお酒が似合わないとね。だってショービジネスだし。
カジノのバニーを従えても目立つくらいの個性がなきゃ!
俺はそれをエスコートする感じ?お互いにスーパースター?いいじゃん、これ。
やっぱ時代はスーパースター!
よし。じゃ今日は町でスパスタ探してこよう。
実際は俺が成長するまでの前座みたいなスパスタだけど。悪いねみんな!熟練のスパスタに会いたい!とかいっときゃ冒険者が連れてきてくれるしね。俺の前座。未来のだけど。
アズラン商店街のふくびき一枚でなんでも言うこと聞いてくれるから冒険者って暇なんだろな。ま、ありがたいけど。
あ、デボだ。あいつもどうせ暇だろ。声かけてみるか。
ちょろいもんだ。
かくしてアズランの夜は暮れる。これでいいのかアストルティア…。
少年よ、大志を抱け!
地竜と三頭竜討伐
愛用の長剣が中天に上った太陽の光を受けて鈍色に輝く。
この剣を佩くようになって随分になる。数多の戦闘を経て、無数の敵を屠ってきた。今では手足の一部に感じることもあり、また長年連れ添ってきた相棒のような親しみも覚えている。だがその本質は無慈悲な肉斬り包丁だ。
仲間と連れ添い、時に笑声のはじける日々をおくってはいるが、所詮冒険者なんてものは常に死と隣り合わせの危険をはらんだ世界だ。血と同じように鉄の味に満ちている。
こうして剣を手入れしていると、緩みかけた気持ちが自然と引き締まる。多くの命を断ってきた刃は、底冷えのする凄みと狂気を含んでいた。
「デボ、なんだキミは。真面目くさった顔して」
軽く声をかけられて振り向くと、緩やかな金髪に陽光を映したシャノアールが笑顔でこちらに歩み寄っていた。
いくつもの死線を乗り越えてきた戦士でありながら、その振る舞いは常に陽の気に満ちている。
「やかましいわ。この顔は生まれつき!佩剣の手入れは戦士のたしなみだろ」
「うん。今日はちょっと討伐にでもいこうかなと思って」
微妙に会話が噛みあっていない。が、それも彼女らしさかもしれない。
言葉と言葉の間の沈黙、数瞬の無言の内に込められた肯定と親近の深意が、逆を言えばこちらに彼女が無用な気遣いをしていないことを示していると俺は思う。自然体でいてくれることに少し喜びを感じながら、俺は剣についた打粉を拭う。
「いいね。俺もこの後ガイア討伐に行こうと思ってたところや」
ドラゴンガイア。
赤銅色の強靭な体躯、鋭い爪と牙から繰り出す圧倒的な破壊力。咆哮がともなう衝撃波一つで冒険者を吹き飛ばす厄介な敵で、討伐隊からもSクラスの認定を受ける兇悪な魔物だ。生半可な覚悟で挑めば返り討ちにあうことは間違いない。
が、俺はこれまでの討伐経験に裏打ちされた自信がある。エレナのような戦況を支配できるまでの実力はないものの、おいそれと戦線が破たんするようなこともないだろう。
ガイア討伐にシャノアールが賛同し、討伐対象が決まったところで隊の詰所に行き、活動する隊員の状況を調べる。
幸い詰所にいたぷみさく、クーニャンの二人の了承を得ることができた。
ぷみさくは武闘家上がりの僧侶で、過去になんどか討伐を一緒に行っており、回復役としての実力は信頼に値する。柔らかな眼差しの巨躯の男だが意外とユーモラスな一面をもつ好漢で、あくまで俺の想像だが、きっと自宅のプランターには色とりどりの花が咲きほこっているに違いない。それを毎日丁寧に水やりして育てているんだろう。もしかすると何か話しかけながら育ててるかもしれない。そういう優しさがぷみさくにはあった。
クーニャンに関しては、あまり連働したことがないが、入隊は俺よりも先輩に当たる。数々の冒険をこなしてきた歴戦の冒険者で、蒼髪を短く整え、女性としては長身の部類に入る。目元に涼やかな優しさがあり、口数は多くないが魔法での攻撃、僧侶としての回復、戦士での肉弾格闘、どれもそつなくこなす手堅い中堅の実力者だ。
陣形としては前衛が俺、中衛にシャノアール。後衛の攻撃役としてクーニャン。回復はぷみさくが担当することになった。
シャノアールは前線の勇ではあるが、4人の中で実力はとびぬけており、魔法での攻撃力も高い。今回は中衛の賢者として魔法攻撃と戦線サポート、回復の補助を担うことになった。
作戦が決まり、それぞれ装備をあらためる。
隊の武器庫で装備の換装を行う。俺は研ぎ澄ました佩剣を預け、無骨な戦鎚と邪眼の盾を装備する。邪眼と言われる魔力を帯びた深紅の宝珠が盾の中央で妖しく光る。
古の軍師の装備を模倣したとされる甲冑で全身を覆う。傍らを見ればぷみさく、クーニャンは既に装備を整え、荷の再確認を行っていた。
「ほないくか」
「まって~!えぇと…杖、杖どこだ?」
武器庫の奥がガタガタと騒がしい。シャノアールだ。
だから装備をちゃんと整理しとけと言うたろうが。
「あったあった。耐性…おお、即死ついてる。さすがあたし」
ガイアに即死系の耐性は必要ないが、帰路に別の魔物を駆逐していく可能性はある。さすがかどうかは意見の分かれるところではあるが、このあたりの準備は彼女の余裕の成せる業だろう。
シャノアールの装備が整うのを待ち、俺たち4人はガイアの徘徊する地点を目指した。ドラゴンガイアの生息が確認され、また討伐対象にあげられている中から地点を定め、行程を組む。慣れた冒険者たちだけにそのあたりは実にスムーズにいった。
14時過ぎ、ようやく俺たちは古代遺跡の一角に巣食う1匹のドラゴンガイアを視認した。赤銅色の巨体をゆらせながらのしのしと朽ち果てた遺跡を徘徊している。
戦術を再確認し、再度装備をあらためる。4人それぞれから異口同音に準備が整った旨を受け、最後にシャノアールから俺に気合の張り手が飛ぶ。
背中に一撃、渾身の平手打ち。
突撃の際のゲン担ぎのようなものだ。
それは頭のこともあり、尻のこともある。頬をはられたことはないが、まぁその内覚悟はしておいた方がいいかもしれない。
一撃に次いで、彼女の檄が飛ぶ。
「殺っちまいなぁ!」
女じゃないよね、ホント。
思わず苦笑しながら俺は疾走を開始する。部屋の内装やら、コーディネートした衣装やらにドキッとするほど女性らしい一面を見せることもあるが、その一方で女をどこかに捨て去ったアニキとしてのシャノもいる。
戦鎚一閃。
ドラゴンガイアの爪と鎚が弾け合う。それが開戦の合図となった。よろめきそうになるところを下肢に力を込めて立て直す。ガイアの返す一撃は俺の頭上を唸りを発してかすめていった。俺は全身でぶつかるように盾を構えて突進する。
前衛としての俺の役割はガイアの出足をくじき、魔法攻撃を行うクーニャンとシャノアールを守ること。敵の体力をそぎ落とすよりもガイアをその場に釘付けにするのが重要だった。
ぷみさくの魔法が飛び、王軍師の鎧に魔法の障壁がのる。相変わらずいい仕事してくれるね!
開戦前は幾分か緊張していたクーニャンも、小気味の良い詠唱から強力な火球をガイアに向けて発している。紫陽花色のローブが火球の赤を照り返しながら、爆炎にひるがえる。
シャノアールは時に爆炎でガイアを包んだかと思うと、一方で強力な呪言でガイアの張る魔法の障壁を掻き消している。慌ただしく戦場を舞う様子からは、とても出発前に杖を探して倉庫を漁っていたものと同一とは思えない。
短いが激しい戦闘は、概ね俺の予想通りに進んでいた。
ウェイトブレイク等の補助的効果を持つ攻撃や、ガイアの耐魔力を鈍らせようとした俺の試みも時にうまくいったが、一方で痛烈な反撃を受けることもあった。
エレナやミカノ、トロといった熟練者たちには遠く及ばない現実に思わず唸る。行動の正確さ、反応の迅速さ、戦況の把握。そしてそれらを冷静に実行に移す平常心。耐久性、火力といった基礎的なこといがいにもまだまだ至らないところが無数にある。
「てか、足りてることの方が少ない感じか!」
自嘲しながらもハンマーを振るう。まぁ、俺の実力不足は仲間たちが補ってくれる。個としての成長は大切だが、4人で力を合わせて目的を達成することはそれよりもさらに重要だ。
その日俺たちは力を合わせてドラゴンガイアを駆逐し、最終的には日没までにさらに2体、合計3体のガイアを討伐することが出来た。
台風が間近にせまっているのか、その日の夕日は血を刷いたように見事な紅に染まっていた。
商業都市メギストリス。
3体のガイアと雑多な魔物の討伐で得た報酬で俺たちは夜半酒杯を傾けていた。麦酒の苦みが心地良い。
シャノアール、ぷみさく、クーニャン、そして俺の4人はそれぞれ好みの酒をあおりながら討伐行や財宝の話、過去の思い出話に興じていた。そんな中でふと魔力を帯びたアクセサリの話になった。
今日討伐を行ったドラゴンガイアの持つ大地の竜玉は必需品と言ってよい代物だ。パズズやベリアル、アトラスを狩ることでもそれぞれソーサリーリング、バトルチョーカーなどのアクセサリの材料を手に入れることが出来る。強力な魔力を帯びたアクセサリはその呪物が秘めた力で冒険者を護る。常に死と隣り合わせの冒険者にとって財貨では買えない価値をもつのだ。
「クニャちゃんはハイドラベルトは持ってる?」
ハイドラベルトの原料はロヴォス高原などに生息するというキングヒドラを討伐することで入手することが出来る。
運が良ければ1体で十分量の材料が確保されるが、それはよほど良質な外殻が残されている場合に限られるため、通常では10匹程度駆逐することでようやく1つのベルトが完成する。
防御と重心の安定の保護魔法があり、前衛には必須と言ってよい呪物だった。
「なんじゃそれ??」
ジュレー島南岸でとれるという深紅鮭とデマトード高原のデマト玉葱のマリネに舌鼓をうっていたクーニャンが素っ頓狂な声を上げる。
その切替しの見事さに思わず傾けていた麦酒にむせびこんだ。この飾らなさがいかにもクーニャンらしい。
「キングヒドラ討伐で手に入れることが出来るよ。明日にでも行ってみる?」
「ほほぅ。でも私で大丈夫かな?」
クーニャンの言に俺は視線を傍らのシャノアールに映す。ガタラ梅の果実酒をロックであおっていたシャノアールが笑顔を浮かべてうなずく。シシャモをほおばっていたぷみさくも目で諾意を伝えてくる。
「大丈夫。力を合わせれば討伐できない相手じゃないよ。明日いこう」
「行ってみよう!」
クーニャンの差し出す酒杯に他の3つが音を立てる。翌日の計画が立ち、いよいよ酒宴は盛り上がっていった。
**************************
翌日、強風の吹きすさぶロヴォス高原の一角に俺たちはいた。
メギストリスで宿をとり、日が昇るのを待って俺たちはキングヒドラの討伐に向かった。この日の俺の背には愛用の長剣がかかっている。その重みが心地よい。
この日の布陣は前衛に俺とシャノアール。後衛にクーニャンとぷみさくの雁行陣。俺が火力重視の両手剣、シャノアールはかく乱に秀でた竜爪を装備していた。ガイア討伐の際の矢印型の鋒矢陣と異なり、2人の前衛を後衛一点に詰める二人の回復役がサポートする。
前衛は火力で敵をけずることも大事ではあるが、同時に敵の出足をくじいて後衛を護ることも重要になる。
「デボとあたしで敵の出足を遅らせるから、後衛の二人は上手いこと逃げながら、敵の注意をひきつけて」
「滅却や祈りなんかで上手く敵を挑発できれば、あとは俺たちを壁にして十分な距離を保ちながら逃げることに専心してくれていいからね」
シャノアールと俺が後衛の二人に戦術を説く。
自分はどう動く、こう動いてほしいという意思を明確に伝えておくことは、実力のあるなし以前に重要なことだ。それをこれまでの討伐行でいやというほど知らされていた。
「大丈夫、勝てるよ」
笑顔で拳を差し出すと、ぷみさくが笑ってそれに拳を重ねる。クーニャンも幾分か緊張した面持ちでうなずきながらそれに続く。
「いくぞ!絶対勝つ!」
最後にシャノアールが笑って一喝。握り拳を強く振り下ろす。おおっ!と鬨の声を上げて俺たちは疾走を開始した。
開始の一合は素早さに長けたシャノアールの一撃だった。
両手の竜爪がキングヒドラの鱗に鋭い切れ味を見せる。三つ首の巨竜が殺意に6つの眼を血走らせながら、鋭い牙がシャノアールを襲う。
俺の突き出した長剣がその内の一つの下顎を捕えた。
一瞬の隙をついて懐に飛び込んだシャノアールがキングヒドラの前肢に深々と爪を立てる。紫色の体液がシャノアールの白い肌に滲みをつける。
クーニャンの魔法障壁が前衛の二人を淡い燐光でおおう。ぷみさくの治癒の呪法が柔らかな癒しの力で俺たちの小さな傷も残さずにふさいでいった。
クーニャンはどうやら事本番にあたって動きが洗練される質のようだ。攻撃魔法を主軸に戦ったガイア戦と異なり、前衛の状況を把握しての護りに軸をおいた戦い方になったが、ぷみさくと比べても遜色ない冴えを見せている。
「デボ、上手くなったやん」
「どうも!師匠がいいもんでね!」
「ははっ、調子に乗ってると足元すくわれるよ!」
強力な連撃をかわしつつ、要所要所で鋭い一撃を加えながらシャノアールが叫ぶ。それに応じながら俺の長剣が唸りを生じてヒドラの前肢を切り裂いていた。
めまぐるしく立ち位置を入れ替えながらの攻撃は、何よりも前衛同士の連動が重要になる。言葉を交わすことで呼吸を読みやすくなり、二人の躍動を後衛のぷみさくとクーニャンが堅実な治癒術で支えてくれた。
序盤から手にした優勢を、俺たちが失うことは最後までなかった。
キングヒドラの三つ首が動きを鈍くし、その殺意を帯びた邪眼が焦点を失うまで、俺たちの連動は続いた。地響きを立ててキングヒドラが大地に臥し、傷口からあふれた酸の体液がその鱗殻を溶かしていく。
結果だけを見れば、俺たちはその日ハイドラベルトを手にすることは出来なかった。
手にした鱗片はわずかにその10分の1程度。先は長い。
だがこの日に得た4名での連動は、ハイドラベルトよりもさらに俺たちの冒険を支える糧になるだろう。
惜しくも不十分な材料しか手にすることが出来なかったクーニャンもそのことが分かっているのだろうか。笑顔が陽光を受けて鮮やかに輝いている。
シャノアールのねぎらいの言葉が激しかった討伐行の終わりを告げていた。
強風の中で迎えた終戦。
手にした鱗片よりも遙かに大きなもの、かけがえのない戦果を俺たちは確かにつかんでいた。笑声が強風に乗ってロヴォスの高原に溶けていった。
スリープレス・タウン
「随分形になってきたな。そろそろ単身でもいってみるか」
その日、俺は新兵デネブの調練に付き合って、ガートラントの郊外にいた。
デネブは先頃行われた若葉の儀を首席で終えたエルフの俊邁で、数週間前に入隊してきて以来こうして俺が調練を行っていた。
入隊後しばらくは基礎的な体力強化のために戦士としての訓練を重ねていたが、近頃ようやく本来の長たる魔法学の習得に入り本来の鋭才を発揮している。
俺自身は魔法学は苦手の分野で、せいぜい中級程度の治療学・回復術しか心得ていない。こうして調練に付き合っていられるのも今のうち、といったところだろう。隊の中には魔法学に優れた冒険者が幾人もいる。彼らに師事することで今はまだ眠っている彼女の能力も開花するに違いない。
エリちゃんやトロさん、リリちゃん、ぽるちゃんあたりに今度頼んでみるか。
額に汗して魔法学の調練に当たるデネブを見ながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
アトムに気づいたのはそんな時だった。
ガートラントの城門から彼女が少しうつむきながらトボトボと出てくるのを見とめ、俺は名を呼んで声をかけた。
桜色の髪が揺れ、顔を上げた彼女と目があった。軽く右手を上げて笑顔を見せる。
「デボさん!こんなところで珍しいね。デネブちゃんの訓練?」
「そそ。アトちゃんこそどしたの?なんか元気ないけど…?」
俺が水を向けると、彼女はちょっと苦笑いを浮かべて荷物の中から一枚の封書を取り出した。
「…んん?討伐依頼書?」
「うん。ヘルジュラ…でもね、これ…バドリーなの」
うなだれた彼女の真意に気づき、俺は思わず吹き出した。要するに彼女はバドリーに行く道がわからないのだ。
「デネブの訓練も終わるから、俺が付き合うよ」
「ほんと!?」
「うん、道案内は任せて」
礼を言って笑顔をはじけさせるアトムの傍らで、俺はデネブにいくつかの指示を出す。
そうして手早く身支度を整え、一路バドリー岩石地帯への道を急いだ。
真面目な面持ちで俺の後ろをアトムが追う。その様子を振り返って確認し、その懸命さにまたちょっと笑った。
戦闘にあっては俺よりもはるかに熟練の冒険者であるアトム。同様に方向感覚を喪失する迷子気質にいるぽるか。
両名の普段の立ち居振る舞いからそういう特性は感じられない。戦闘時にあっても時に獲物に狙いを定めた猛禽類を連想させる激しさをもつアトム、冷静な回復術に安定した火力を発揮して敵を殲滅していくぽるか。
隊員からの信頼も厚く、隊の中堅を成す優れた人材だ。両名とも物腰は穏やかで対人関係においては優れたバランス感覚を感じさせる。
でも二人とも目的地に辿りつくには右往左往を繰り返している。そのアンバランスさが面白い。
けれど…
一方で俺は思う。
彼女たちにそういう欠けた要素があるからこそ、俺のようなものは共に歩みやすいのかもしれない。
不完全さは時に魅力になる。
弱い部分があるからこそ、手助けする余地があるのだとも言える。俺たちは皆、すべからくどこか弱さをもっている。だからこそ人に頼り、手助けしてもらい、感謝を知る。
そんなことを漠然と考えながら、岩石地帯への道を急いだ。
バドリー岩石地帯はガートラント城の北西に位置する広大な荒野だ。
緑は少なく、むき出しの岩山を抜ける突風が、時折砂塵を巻き上げて周囲が砂色に煙る。岩山の影にもアトムの討伐対象であるヘルジュラシックやトリカトラプスといった兇暴な魔物が徘徊しており、生半可な力量では立ち入ることに大きな危険を伴う。
目的とする荒野に辿りつき、アトムは大きく伸びをとった。
これからが討伐本番だというのに、その表情は晴れ晴れとしている。まるで辿りつくまでの方が大仕事であるかのように。
実際討伐よりも、現地に辿りつくことの方が彼女にとっては難事なのかもしれないのだが。
討伐依頼はヘルジュラシックを50匹駆逐することであったが、ほぼ危なげなく俺たちはその依頼を達成することが出来た。
アトムが連れてきた魔術師たちは確実に敵を削り、彼女自身も鋼鉄の爪で縦横に敵を切り刻んだ。
俺はそんな中で未熟ながら回復役に徹し、後衛からパーティを支援した。デネブの指導を行う手前、多少なりとも実戦を積んで感覚を鋭いものに保っておく必要がある。未熟な回復役で緊張は否めなかったが、何とかその日戦線に大きな破たんをきたすことはなく俺たちは討伐行を終えることが出来た。
帰路は転移の飛石で一気に本営に飛ぶ。
討伐隊に報告を終え、報酬を手にしながら、俺はその後の予定についてアトムと言葉を交わしていた。
そこへ馴染みの討伐隊員が一名、何やら紙片を手に声をかけてきた。
「デボネアさん、アトムさん。今日からラッカランでビンゴゲームが始まるんですけど、どうです?」
娯楽島ラッカラン。
大富豪ゴーレックが領主を務める世界一の歓楽街だ。闘技場があり、アストルティア唯一のカジノもある。不夜城の別名で呼ばれ、富と栄光、挫折と没落が一夜にして飛び交う。
俺自身、過去に何度か足を運んだことがある。カジノで一晩で大枚をすった経験もあり、できればあまり立ち寄りたくない。が、そのカジノにこのほどビンゴゲームなる新しい娯楽施設ができたことは聞いていた。これには一抹の好奇心が首をもたげる。
「これ、ビンゴのチケットです。隊員の皆さんといってみて下さい」
隊員はそういって俺にチケットを押しつけた。
渡りに船とはこのことだろう。
カジノは正直ゴメンだが、隊の仲間たちで新種のゲームに興じるのは悪くない。
隊員に声をかけて参加者を募ってみたらどうだろう?という問いにアトムも笑顔で賛同した。
皆、こういう娯楽には飢えている。討伐に明け暮れた日々の中に時にこうした遊びがあっても悪くないはずだ。
俺は隊員宛の書き置きにメッセージを残し、本営を後にした。こうしておけば、多少なりとも隊員たちの参加を募ることも出来るだろう。
夕陽が地平に沈み、空が茜色に染まっている。
「それじゃアトちゃん、今日の夜、カジノでね」
「うん。今日はほんとにありがとうだした」
だした…。
うっかり舌を噛んだ彼女と目が合う。迷子の時と同じく心から情けなさそうな彼女に思わず吹き出した。そういえばぽるかも時々妙なことを口走るね。迷子属性って言葉も迷子になりやすいのかもしれないな。
愚にもつかないことを考えながら、俺は軽く手を振って俺は茜に染まる街並みへと踵を返した。
***************************
夜になり、空が漆黒に覆われても娯楽島ラッカランの喧騒には全く影響がないようだった。
行きかう人の足は耐えることがない。時に肩を落とし、うなだれて駅へと姿を消す人がいれば、喝采をあげて拳を天に突き上げる者もいる。
立ち並ぶ店からは肉汁と香辛料の芳香が漂い、街角に立つ女たちは蕩けるような艶で男たちの視線を集めている。天鵞絨でしたためた服からのぞくしなやかな肢体がなまめかしい。
「デボさん、目がやらしい」
「ヘンタイはっけーん」
馴染みの声に振り替えるとリリアとぽるかの姿。その後背にピンクのアフロに空色のローブという度肝を抜く出で立ちのタ~タンがいた。ド派手に着飾る人々が珍しくない娯楽島にあってもひときわ目立つ極彩色。聞けばフェリシアの若手美容師に任せたところあのような頭に仕上げられたのだそうだ。
「男が女に目を奪われるのはいたって正常。というかそうならない方が異常。美しいものを愛でる余裕はいつだって必要なんだよ。ね、あいあさん」
「うんうん、たしかに。それは間違ってないね」
屁理屈をこねながら、タ~タンの右隣にいるあいあに矛先を向ける。こういう大人の男論ではあいあとは妙にウマが合う。
彼が大きくうなずくのを見て、傍らのアトムがため息をついた。彼女は昼までの旅装を平服に改めていた。白のブラウスに黒のタイトスカート。黒のベストがシックに決まっている。
「こういうのはやっぱりばっちり決めてこないとね」
とはタ~タンの言。
たしかに、タ~タンが言うと異様な説得力があるな。
「お~、結構集まったね」
振り返るとそこに長身のエレナと、淡い金髪を軽くまとめたミカノがいた。
エレナは白地に銀の刺繍の入った軽装に身を包み、ミカノも黒字にチェック柄のスカートに柔らかなラインの上衣を合わせている。
黒地の甲冑に身を固めたトロの威容がひときわ目立つ。彼曰く
「今日は闘いだからね…」
とのことだ。何かカジノに因縁でもあるのだろうか。
「遅くなりましたぁ!」
明るい茶色の髪を揺らせながら、小走りにちゃこがやってきた。
結構あつまったな。シャノアールやエリエールといった連中も追ってくるだろう。
「タコさんは先に入って陣取りしてるそうです」
息を整えたちゃこがそう言ってほほ笑む。
「タコ…やる気マンマンだな」
「これでみんな来なかったら、あいつボッチでビンゴか…」
「それはそれで楽しいな」
エレナとそうやって意地の悪いことを相談しつつ、俺たちはまとまってカジノの扉を開いた。
新装オープンの案内表示に従い、階下のビンゴコーナーを目指す。
赤い絨毯の上を歩む仲間たち。
振り返ってみれば、その目がキラキラと子供のように輝いている。
結果はいざ知らず、たまにはこういう遊びがあってもいいはずだ。
気炎をあげて豪奢な扉を押しあけながら、俺はそんな思いに駆られていた。後押しする仲間の声。
俺たちは既にどんな財宝や栄光よりも素晴らしいものを手に入れているのかもしれないな。
不夜城の光芒が明々と夜を彩っていた。
メギストリス・ナイト・ライブ
もう何度その扉を開けたのか。
最初にそこを訪れたのはまだ山麗に残雪が点在する春のかかりであったように思う。
先輩隊員であるタコノスケに紹介され、それ以来毎日のようにメギストリスにある討伐隊本部に顔を出している。
「デボネアさん、バイト…してみません?」
討伐隊の事務局員ポッカラがそう声をかけてきたのが、そんなある日のことだった。
何気なくその日掲載された討伐隊の依頼書を眺めていた矢先のことで、俺はただ視線だけが依頼書の上を彷徨ったが、数瞬の後ようやく言葉の意味を訊ねるように彼に視線を落とした。
プクリポ族であるポッカラはすっかり成人した大人であるが、その身長は俺の半分ほどでしかない。
自然見下ろす形になった。
「ギルザット地方のフォレスドン討伐依頼書、これを書き写す作業があるんですが、どうにも局員だけじゃ手が回らないみたいで。良ければデボネアさんに一日手伝ってもらえたら、と思うんですがどうでしょう?」
彼はそういって笑顔で微笑む。生命の危険を冒さず、それなりの報酬も手に入る。良い話だと思う。
それにしてもいつも手にする依頼書が手書きだとは。たまに解読が難しいような癖のある字の依頼書を目にすることもあったが、今回の俺のような冒険者がバイトで世に広めたものなんだろう。
「じゃ、今日はそれほど込み入った予定もないし、ご厄介になろうかな」
「はい!デボネアさん、キャラに似合わず女性的な字で読みやすいから局員だって大歓迎ですよ」
この人、結構よけいな一言が多いんだよな。
そんなことを思いながら、満面の笑みで俺を先導するポッカラの後を追った。
特殊なインクに羽ペン。討伐隊の落款。羊皮紙が…数百枚は束ねておいてある。
「…もしかして…こんなに書くの?」
書写は嫌いではないが、こんなに膨大な数を書き写したことはない。目の前に用意された羊皮紙の束に早くも逃げ出したい気分になりながら、俺は傍らのポッカラに視線を送った。
机を整え、書写の準備を手早く行いながら、ポッカラが笑う。
「大丈夫ですよ。ギルザットのフォレスドンは討伐隊としても最重要討伐対象と考えているのでいくら書写されても構いませんけど、百を超える数はそんなにでませんから」
百枚かぁ…と呟いた俺に畳み掛けるようにポッカラが話しかけてくる。
「報酬は依頼書1枚につき金貨1枚です。ご存知だと思いますけど、1人1枚ですからね。パーティで向かわれる場合は人数を確認してきちんとその分発行して下さい」
彼の視線が熟練の事務員のそれになっている。笑顔の下に『ミスは許しませんよ』という硬質の威圧感が潜んでいる。
生唾を飲み込み、俺は緊張した面持ちで席についた。
(こんなことならバイトなんかせずに討伐いっときゃよかったかなぁ…)
早くも逃げ腰になった俺だが、そんな心配を不審ととったのか一向に俺の依頼書を買い求める人間は現れなかった。
ぱらぱらと時折冒険者が依頼書を購入していく。
十数枚の依頼書をさばき、内心そろそろ切り上げるかな、と考えていた頃に見慣れた顔が討伐隊を訪れてきた。
蒼い髪を短めに切りそろえ、腰に短剣を佩いている。バネをたわめたような力感を感じさせるしなやかな長身。何気ない動きに一点の無駄もない。
エレナだった。
「おっ?デボさん。なに、バイト?」
他の依頼書に視線を送りながら、笑顔でこちらに歩み寄ってくる。
俺の手元に視線を落とし、内容を見て笑顔をはじけさせた。
「よかったじゃん。ラッキーだね」
「うん、でももうそろそろ…」
「じゃ、100万ゴールド貯めるまでは寝ずにやりなね」
俺の言葉を遮るように投げかけられた台詞に一瞬笑顔で応じかけたが、意味を理解して飲みかけていた冷えた珈琲を吹き出すところだった。
何を言うんだこの人は!
見上げた俺と、上から微笑むエレナの視線が交錯した。悪戯っぽく微笑む笑顔によどみがない。え、まさか…本気で言ってる?
言い返そうとした俺の呼吸を読んだのか、これしかないというタイミングでエレナは踵を返す。ついでに壁にかかっていた依頼書を一枚抜き取っていく。
一連の動作に彼女は最後まで俺につけいる隙を与えなかった。役者が違うとはこのことだろう。
「デボさん、バイト始めたんだって?手伝いに来たよ」
「私もちょっと知り合いに声かけてくるよ」
トロとエリエールが現れてからが本番だった。
気のいい彼らは俺の返事をまつことなく、俺の依頼書を広く宣伝するべく討伐隊をでて町へ繰り出していく。
実力があり、戦歴も古い。知己も多い彼らが声をかけると自然幾人もの冒険者が興味を持ち、やがて俺の前に列をなすようになっていった。
「デボさん、手が遅いよ!もっと書いて、ホラホラ」
エリエールがザラザラっと手に入れた金貨をおいていく。そしてその一方で書き上げた俺の依頼書を何十枚かもって再び街に繰り出していく。
トロも同様だった。
彼らは声をかけるだけに飽き足らず、どうやら街でそれらを引き換えてくれているらしい。俺の依頼書が飛ぶように売れていく。
目の前の行列も既に尻が見えない。
人だかりを前にして、俺は懸命にペンを走らせた。こんなことなら剣を振ってる方が幾分か気楽だ。
「デボさん、あと20。ほら急いでね」
陶器の鈴を鳴らすような良く通る声がして、見上げると淡い金髪に柔らかな微笑みを浮かべた女性が立っていた。
白磁の肌に大きな瞳。桜色の唇がいたずらっぽく微笑んでいる。
「ミカノさんまで!え、あ、はい。これどうぞ」
ミカノ。隊でエレナと双璧をなす熟練の冒険者。豊富な知識と戦局を見極める冷静な戦術眼のエレナに対し、一方のミカノはその風貌からは想像が出来ない圧倒的な火力が特長だった。グランゼドーラを彷徨う大型の魔物の渾身の一撃を片手剣でさらりといなしたことは隊でも語り草になっている。
その彼女までが俺の依頼書を片手に街へ繰り出していく。そんなに呼んでこられても、こっちの処理速度が追いつきません!
かつて駆け出しの冒険者だった頃、敵の力量を見誤って数匹の敵の中にただ一人自分だけが孤立する状況があった。
回復のすべもなく、殺意をもった赤い妖眼が俺を射抜く。あの戦慄が再び俺を襲う。
こんな街中で!生命の危機もないのに!
自身の前に列をなす冒険者たちが悪魔に見える。なぜだ?彼らは金貨をドロップしていくと言うのに!
「デボさん、手伝いいる?私も呼んでこようか?」
「凄い!行列30人はいるよ。もっと声かけてきた方がいい?」
リリア、ぽるか、ぷみさく。
馴染みの隊の仲間が、必死でペンを走らせる俺を心配しつつ、好意で声をかけてくれる。
俺にはそれにまともに返す余裕さえない。ありがとう、みんな。でもこれ以上集まってくると完全に詰みます。なので今は気持ちだけ、気持ちだけで十分です!
「デボさ~ん、早く書いてね~。まだまだ人呼んでくるよ」
「エリリン、やるなぁ。こっちも負けてられないや」
隊の中で随一を争う営業力をもつ2名は依然として元気に出入りを繰り返している。
広報に意外な楽しさを見つけてしまったのか、彼らは本業の冒険を差し置いて依頼書の宣伝にいそしんでいる。
あとでお礼しないとなぁ…
そう思うが、それについて深く考える余裕が俺にはなかった。ただひたすら機械的に羊皮紙にペンを走らせ、落款を押す。
羊皮紙、書く、落款、羊皮紙、書く、落款、羊皮紙…
その繰り返しに没頭した。
夜も更け、メギストリスの街頭に明かりが燈される。
空は燃えるような暁色から赤紫、そして群青に色を変え、今は抜けるような澄み切った漆黒の夜空に星々が瞬いている。
雲一つない夜空。地上では家路を急ぐ人の群れ、酒宴のにぎやかな街のざわめき。そういったものが混沌となって街を彩っていた。
「はい、よろしくお願いします…」
慣れない事務仕事で生気をなくした俺がゾンビさながら羊皮紙にペンを走らせていた。
視線を上にあげる余裕がない。体力はともかく精神的なダメージが視界をことさらに狭くする。時折襲う強烈な睡魔が記憶を断片的な曖昧なものにしてしまう。
柔らかなベッドが恋しかった。
出来れば傍らにしとやかな温もりがあれば最高。
それらが許されないとしても、カルラの淹れてくれる珈琲が欲しい。
「デボさん…お疲れ様!って大丈夫?」
現実逃避しかけていた俺をトロが心配してのぞき込んでくれる。目の前の行列はあと3人。ようやく終わりが見えた。
「ギルザットのフォレスドン討伐!報酬は金貨15枚!冒険者求む!」
エリエールの声が高らかにこだまする。
涙目になって見上げた視線の先で、エリエールが会心の笑みを浮かべている。確信犯かい!
声に反応して、また数人の冒険者が列に加わる。それをみてトロが救いの手を差し伸べる。
「デボさん、死んじゃうから。事務の知恵熱で寝込んじゃうよ」
「あはは。ごめんごめん。これで最後にしとくよ」
二人の会話を耳にしながら、俺は黙々とペンを走らせる。
ほどなくして、ようやくこの日の最後の落款を押すことができた。
「ご苦労様~!どう?随分稼げた?」
「ありがとう。みんなのおかげで。でも正直狩ってる方が性に合ってるってつくづく思ったよ」
「100万ゴールドに届いたの?」
「ん~…どうだろ?それは無理だと思うよ」
金貨は袋からこぼれているが、それはどう見ても100万の半分にも及ばないだろう。だが、かといって俺にこれ以上羊皮紙と格闘する勇気も根性も体力もなかった。
淀みきった俺の様子に、トロとエリエールの笑声がはじける。
その声が夜のメギストリスにとけていき、やがて俺たちも夜の街の住人となった。
タ~タン・ジョーク
その日は朝から驟雨が大地をたたき、冷気を含んだ空気が白い靄をともなってアズランの湿原を包んでいた。
無論雨だからと言って魔物が徘徊をやめてくれるわけではない。早朝から隊員と共にガートランド北東の岩山地帯に赴き、甲殻の魔物サウルスロードを数十匹討伐している。
ただ、やはり雨の中の討伐行はいつも以上に体力を損なう。消耗した状態ではふとしたことが致命傷にもなりかねない。余力のあるうちに帰路に就き、夕刻から自宅に隊員を呼んで雑談にふけっていた。
暖炉にくべた薪がパチパチと音を立てて小さく爆ぜる。カルラの淹れてくれる珈琲は今日も上質な香りを醸していた。
「デボさ~ん!ちょっと二階に来て~」
そんな時だった。
二階に上がっていたぽるかとリリアから声がかかった。階下で談笑していた俺とあいあ、アトムとカルラはその声に従って階段を上る。
開けたフロアの一角にある映写機の前でぽるかとリリアが手招きしていた。
「カルラさん、今日とか最近にタ~タンさんって遊びに来なかった?」
「タ~タン様ですか?いらっしゃいましたよ。今日の昼頃お見えになられましたが。デボネア様をお待ちになられますか?と伺ったのですが、笑って出直すとおっしゃってました」
隊員同士の家を訪ねるのは特段珍しいことではない。
俺自身、隊の当人が不在であろうと隊員の住宅を訪ねることはしばしばあった。
「さすが…これを仕込んだのはその時だね」
「そだね!さすがとしか言いようがない」
カルラの言葉にお互いに目を合わせて笑う二人。全く意味が分からない。
あいあ、アトム、カルラの3名も同意見らしく、こちらは目を合わせても首をかしげるばかりだ。
「まぁまぁ、まずはこれを見ようよ」
その様子を感じ取ってか、リリアが笑って映写機のスイッチをいれる。
ぶぅんと動力源の魔法の水晶球が起動し、映写機がカラカラと動き出した。
ジ…ジジ…ジジジ…
ほどなくして映写機から発せられた光が壁に映像を結び始める。駆動音に紛れた音声がかすかに聞こえるが、それもほどなくして明瞭さを取り戻した。
ただ壁に映し出された映像はいまだにぼやけていて判然としない。
『…うきましたか。たしかにね、私もそう言いましたよ。ええ…』
どこか聞きなれた声だ。
あいあが、タ~さんの声だ、と呟く。確かに音声は他ならぬタ~タンのもののようだった。
時折焦点を結ぶ映像。映し出された場所に見覚えがある。どうやらサロン・ド・フェリシアのようだ。
『はっは~ん、そうきましたか。確かにね。
私もそう言いましたよ。ええ。明るい感じの色に変えたいなって。
そうそう、こうも言いましたね。
ちょっとイメチェンを図りたいんで、どうかなぁ~ちょっと遊び心があって、それでいてクールな感じ。
うんうん、アフロもいいですね。たしかいそう言いましたよ。はい。
でもこれなんですのん?
明るい感じの色ってこれドピンクですやん。ショッキングピンク。確かに明るい色ですよ。桜色ね。
でも時と場合ってあるやないですか。
私、こう見えて社会人ですねん。娘もおりますねん。ええ。結構若くみえますでしょ。よう言われますねん。そんな年の子供がおるようには見えへんわ~って。
そうそう、娘ですよ。年頃のね。
最近ちょっと生意気も言うようになりましたけど、可愛いんですわ、ってそんなことは今は問題ちゃいますわ。
このショッキングピンクの頭にして家かえって年頃の娘がどういう反応するか、貴方考えたことありますのん?
たしかに、たしかにですよ。
明るい色にしてくれ、言いました。それは認めます。言いましたとも。
でもほら、ものには限度ってもんがあるやないですか。
ちょっと明るい茶色、くらいだと、周囲の人も反応しやすいですやん。あ、髪の色変えたね、とかって。
でもそこにショッキングピンク来たら、どう反応せいって言いますのん。
あきらかにちょっとヤバい人キタ!みたいな空気になりますやん。
しかもこれなんです?
アフロヘア?
嘘ですよね。これ。
アフロヘアってまぁいわゆるボンバヘッドなわけですわ。爆発する頭。こうね、ふわっとした感じで輪郭がぼ~んって膨らんでて。
ボンバヘッ!
響きにこうクール感があるやないですか。ちょっとアウトローな。まぁ社会人にアウトロー求めるのもどうかと思いますけど。
でもこれってアフロヘア言いませんよね。
どう考えてもカリフラワーとかマッシュルームみたいな感じですやん。なんですのん、このバタ臭いライン。
ボンバー感がいっこもありませんやん。
ホイップクリームが頭にのっかってる感じですやん。
ピンクのホイップクリームですよ?そんなんどう考えても危険物ですやん。
大体兜入りませんわ。
いやいや髪ですから?入りますよ。兜に。でも横とか正面からはみ出しますやん。ピンクのカリフラワーだかマッシュルームだかが横からはみ出してる図なんて想像できます?
バンダナで強弱つけたら「頭がトイプードル」ですよ?笑いごとちゃいますよ。ほんま、泣きたいのこっちですわ
サロン・ド・フェリシア言うたら業界最大手ですやん。
五大陸はおろか辺境の寒村だって関係者がころがってますやん。そんなところがこんな仕事してええんですか?
やっぱお客さんの頭とか髪ってもうちょっと大事にせなあかんのとちゃいます?
髪の毛切ってから、『もうちょっと長めでお願いします』言われてもどないもこないもできませんやん!?
いやこれはパーマですよ。正直デザインパーマ系を想像してたんで、こんなに暴走パーマあてられるとは思いませんでしたけど。
パーマやったとしてもやっぱ髪のダメージとか気にせなあきませんやん?
これまたストレート戻しても、なんか熱の影響でシオシオになってそうですやん?どうしますのん、私らの年齢になったら、もう髪のコシが戻らへんって人も世の中にはいてますねんで。
って私は大丈夫です!私は大丈夫ですよ!?
ふさふさですし、毛根だってバリバリです。きっちりくっきり髪立ちますわ。って確認するのやめてくれます?見ればわかるやないですか。
禿げてません!
って、は~げ~て~ま~せ~ん!
ちょっと何わろてますのん。こっちは笑いどこちゃいますねん。
こう見えて私、結構もてますねん。ちょっと垂れ目で切れ長な目元がアンニュイな感じでしょ?
アンニュイ?ってなんですか?
そんなん知りませんわ。アンでニュイなんですよ。意味なんか知らんとってええこともあるんです。響きで勝負。
わかるでしょアンニュイ!なんかこうそこはかとないハイカラ感。
って完全に脱線してますやん、収拾ついてませんやん!
このピンクのカリフラワー頭で年頃の娘と、最近ちょっと怒りっぽくなった嫁さんの元へどないな顔して帰れっちゅう話ですやん。
やり直す?
ってこれからまた2時間かかるんちゃいますのん?
あきません。私も予定入ってます。この後隊の仲間と討伐いかなあきませんねん。
最近、出先で昼寝ばっかしてて挙句の果てに「寝落ち四天王」なんて称号もらいましてな。ってそんなんどうでもよろしいがな。
いや、泣かんでもよろしいがな。こっちも鬼ちゃいますがな。
また明日来ますよって、直してくれたら…え?やり直しの費用はスタッフの自腹?え?フェリシアってそんなきっつい会社ですのん?
んで、やり直しの費用ってナンボしますのん?
うん、冒険者協会の保険はおりませんわな。当然世界宿屋協会も見て見ぬ振りですわ。宿屋にしてみたら冒険者の髪なんかゴミでしかありませんからな。
みんな禿げてまえ!ってのが正直なところやと思いますわ。
って!ええ!!?
やりなおし6000ゴールドもしますのん??ぼったくりですやん??
てかそんなん上級な宿に4人で何泊できるっちゅう話ですやん。
はい、わかりました。我慢します。もうええですよ。これで。
そんなん気の毒ですやん、髪の毛直すのにあなたがこの先何日もただ働きせなあかんのなんて気の毒で耐えれませんわ。
え?年頃の娘もわかってくれますって、たぶん。
ちょっとポップな頭になっちゃったけどって。ええ、もしもの時はよろしくお願い致します。
あ、はいはい。割引券ね。
今度、また来ますよってに今度はもうちょっと社会に適した感じでお願いしますね。
ええ、ええ。
いや…紫はアカンと思います。会社の人、やっぱびっくりしますやん。
想像してみて下さいよ。俺の後ろに座ってる人とかがいるとしてですよ。
ぱっと目を上げたら、目の前に紫の塊ですよ?紫の雲。毒雲って冗談にもなりませんやん。カミハルムイに出張行く時なんかめっちゃ気にせなあきませんやん。あそこ毒にめっちゃナーバスなんですから。
はい、はい。
最後に記念撮影?はい、わかりました。
にっこり笑顔で?
あなた結構大物になりますわ。このタイミングで笑えってなかなか言えませんで。
はい。それじゃね。
はい、にっこり笑って~、はいチーズ!』
そこで唐突に映像が鮮明な像を結んだ。
壁に映し出されたのは爆発したまんまるなマッシュルームよろしく膨らんだドピンクの髪をしたタ~タンその人。
音声ではしぶしぶといった感じだったくせに、満面の笑顔でピースサインを決めている。
そして唐突に映像は途切れた。
「これ、映写機のとこにおいてあった」
リリアが何やら書き残されたメモを差し出す。
筆跡からしてタ~タンのものらしかった。
皆様の憩いに。
ささやかな笑いが一番の癒し、ですよね。
悪戯好きな隊員が残した秋のサプライズ。
夕日に沈むアズランの街に笑声がはじけ飛んだのは言うまでもない。
追憶のダークパンサー
アズランの湿原に低く垂れこめた霧が蒼穹からの陽光を受けていよいよ白さを増して輝いている。
その様子を眺めながらアトムははにかんだ笑顔を見せた。
「デボさん、これ…覚えてる?」
傍らに腰かけたアトムが差し出す封書を見て、俺はすぐその真意に気付いた。
冒険者協会発行の討伐依頼書。討伐対象はダークパンサー。
俺と彼女が共に掃討に当たった最初の魔物だ。
「覚えてるよ、大変だったよね」
「うん。二人してすっごい苦労したよね」
もうずいぶんと前のことのような気がする。
それは俺がまだ入隊して間もない頃、ヴェリナード領西のダークパンサーの討伐に向かった時のことだ。季節は冬の終わり、春の陽気に厳しい寒さが少し和らぎを見せた頃だったように覚えている。
冒険者として日々研鑚に励んでいた俺は、討伐隊から課せられた試練に息をのんだ。ダークパンサーは鋭く伸びた長い牙と鋼鉄をも切り裂くという強靭な爪をもつ凶暴な魔獣で、中堅の冒険者にとっては鬼門肌の強敵だった。
当時、戦士としても半人前の俺にとっては、大きな試練だったと言える。
冒険者協会で協力者を募り、大量の薬草と小瓶を買い込んで討伐行に赴いた俺は、最初の一、二戦で自身の目算がまだまだ甘かったことを知った。
強い。途方もなく強い。
当時の俺には残忍な黒豹の姿がそのまま悪夢の象徴となった。
一戦一戦が死戦。やっとのことでトドメを刺しても、すぐに別の敵に襲い掛かられる。必死の思いで退路を探し、岩陰に潜んで回復をはかった。
十分な体力が整ったところでまた一戦。そんな死闘を繰り返した。
アトムが現れたのはそんな時だった。
桜色の髪を潮風になびかせて現れた彼女は少し上気した顔で笑って見せた。
『隊でデボさんがダークパンサー討伐に向かったって聞いたから。良かった、ちゃんと辿りつけて』
俺よりはるかに戦歴を重ねているアトムは、この討伐行の難度がわかったのだろう。
彼我の力量を比べ、すぐさま旅装を整えて駆けつけてくれたのだった。そしてその行動の背後にもう一つの冒険があったことをその時の俺は気づいていない。
「あの時、よく俺のとこまで迷わずに来れたよね」
依頼書をひらひらと風にそよがせながら、どこか上機嫌に空をみあげるアトムに俺はいたずらっぽく言葉をかけた。
「ダクパンのとこでしょ~。ヴェリナードから近いじゃん。行けるよ…た、たぶん」
その言葉が急速に自信を無くしていくのを感じ、俺は思わず吹き出した。
アトムがむっと頬を膨らませたが、目が笑っている。
そう、彼女は基本的に方向感覚が人より劣る。戦闘時にあって敵の繰り出す攻撃を巧みにかわし、イキイキと猛攻をかける時の彼女からは想像もつかないが、生粋の方向音痴なのだ。
故に隊内では時に迷走系とかぐるぐる系などと呼称される。概ね呼んでいるのは俺ばかりだが。
アトムの加勢により、ダークパンサー討伐は一気に加速した。
だがしかし、それでも魔獣の攻撃は重厚かつ兇悪で、小柄なアトムが宙を舞うこともしばしばあった。彼女の鋼鉄の爪が魔獣の四肢を切り刻み、俺の剣が牙の攻撃を受け止める。
激戦を繰り返す中で少しずつ俺たちの連動は厚みを増し、魔獣を圧倒する数も増えた。
そして十数匹は狩ったであろうか。あるいはそれ以上であったかもしれない。切り裂いたダークパンサーの腹腔からキラリと光る天桜石を手に入れて、厳しかった討伐は終わりを告げた。
「行っとく?これ?」
アトムがいたずらっぽく笑う。
「…いや、よす。俺、そいつ嫌いやねん」
当時散々切り刻まれ、大地を這いつくばった記憶が生々しく呼び起されて、俺は渋面をつくった。今度はアトムの笑声が軽やかに響く。
今の俺の力量であれば、ダークパンサーは物の数ではないだろう。それでも精神的に刻み込まれた傷跡を払うことは容易ではない。
見上げた空に既に霧は晴れ、澄み切った蒼穹を遮るベールは何一つない。
俺はベンチから立ち上がると、腰から水筒を外して中の水をアトムの庭の一角に注いだ。
水はロヴォスの高原の湧水をくみ上げてきたものだ。菜園の作物にもきっと良い成果を残すだろう。
「これ、デボ汁ね。その内この庭から俺が生えてくるよ」
「…嬉しいこと…なのかな、それ」
苦笑するアトム。
その穏やかな振る舞いからは戦時の激しさは微塵も感じられない。
「さぁ~て、俺はこれから迷宮探索に行くけど、アトちゃんはどうする?」
「ん~、今日はあいあと討伐かな」
そっか、と微笑んで俺は水筒を腰に戻し、傍らの荷物を肩にかけた。
愛用の段平を背負い直し、いよいよ旅装を整えた俺にアトムの声がかけられる。
「いってらっしゃい」
「はいな。アトちゃんも気をつけてね」
馴染んだ言葉を互いに交わす。あれからどれくらいの月日が経ったのかは正確には覚えていない。
でも今こうして俺があるのは、彼女が共に苦難に立ち向かってくれたからに他ならない。俺も他の隊員に対して、同じように労を尽くせる存在でありたい。
懐から取り出した転移の飛石が輝きを増し、周囲が白熱して体が宙を舞う感覚にとらわれる。
手を振るアトムをアズランに残し、俺は飛石の示す先へと蒼穹を舞った。
キングヒドラ失征
その日は始まりから奇妙だった。
秋の日には珍しく朝から気温も高く、湿気を含んだ空気が肌にまとわりついて離れない。
決して気持ち良い朝とは言えなかったが、カルラの淹れてくれた珈琲を飲んで一息つくと、俺はいつものように段平を背負い外へと飛び出していった。
カルラもそろそろ独り立ちの時期かな
道すがらそんなことを考えた。
カルラというのは我が家の家事全般を担当してくれる娘の名だった。
世界宿屋協会と冒険者協会が手を結び、魔物などの影響で身寄りをなくした戦災孤児の支援プログラムの一つとして、彼女のようなスタッフが留守がちな冒険者の家宅を維持、管理してくれている。
冒険者の中には粗野で乱暴な連中も少なくないため、両協会の審査もあるし所属する隊の公認も必要となるが、概ね評判も良く機能していると聞く。
カルラが我が家に来たのは3か月前。
以来我が家は目を疑うほどいつもきれいに片付いているし、ふとしたところに花が一輪さしてあるなど、女性ならではの気配りがきいていて居心地がいい。
若い冒険者の中にはそのまま伴侶に迎えるケースもあるようだが、それはそれで悪くない話のような気がしていた。
無論、俺にはそのつもりは毛頭ないが。
俺はあくまで支援するものとして、彼女をしばらく預かっているに過ぎない。いずれ彼女は独り立ちして自らの人生を自らの力で切り開いていかねばならない。
レンドアの宿屋の女将さんが看板娘が嫁いじまったって笑ってたっけか。今度話をもちかけてみるか。
カルラならきっと多くの旅人に愛されるはずだ。
彼女の淹れてくれる珈琲が飲めなくなるのは残念だが、それよりも彼女の幸せを願う気持ちの方が大きい。
彼女には血と鉄の匂いのする生活よりも、花と珈琲が香る世界の方が似合うはずだ。
そんなことを漠然と考えながら、俺は街への道を急いだ。
隊の詰所にはほどなくして着いた。
居合わせた隊員と他愛のない話をし、その後に討伐依頼の内容を確認した。いくつかの依頼を確認し、他の隊員とパーティを組んで討伐に赴いた。
背中の段平の重さが心地よい。
討伐は太陽が中天に差し掛かる前に目的地に辿りつき、まだ空が明るいうちにあらかたの始末がついていた。
首筋をじっとりと濡らす汗をぬぐい、段平を染める魔物の体液を振り払った。太陽は中天を西に随分と傾いていたが、いまだに天高く大気は嫌な熱気を含んでいる。
その後、いくつかの依頼書をこなした俺たちは、夕陽が空を赤く染める頃には報告を終えて酒場で杯を傾けていた。
仕事上がりの一杯はやはり格別だ。杯になみなみと注がれた麦酒をあおり、ヴェリナード名産の魚料理に舌鼓をうつ。俺たちのささやかな至福の時だ。
シャノアールが現れたのはそんな時だった。
一仕事を終えた後なのだろう。少し疲れた様子の彼女は、それでも俺たちを見とめると笑顔を見せた。
俺より年少ではあるが、隊員としてはずっと古株の歴戦の戦士だ。剣の腕は体内でも屈指。まだ俺が駆け出しの冒険者だった頃から世話になり、一種の師弟のような関係にある。
妙に人望のある彼女の元へは自然いくつかの討伐依頼が寄せられてくるのが常だった。
この日も例外ではなく、杯を傾け剣技について語り合いながらそれらの依頼書を眺めていたが、やがて一つの封書に目が留まった。
ロヴォス高原の遺跡に巣食うキングヒドラの討伐
キングヒドラ。毒をまき散らす三つ首の巨竜で油断のならない相手だ。
過去何回か討伐したこともあれば、手に負えず退却を余儀なくされたこともある。が、ここ数回は狩りこぼしたことがない。
「いっとく?」
シャノアールが笑う。見渡せば同じように杯を傾けている面子の中にリリア、エリエールといった熟練者の顔があった。
声をかけると彼らもこの申し出を快諾し、すぐさま討伐行に赴くことになった。空はもう群青にそまり、中天には星々が瞬き始めていた。
慌ただしく旅装を整え、転移の秘石でグランゼドーラへ飛ぶ。ロヴォス高原のその更に高みに目的とする遺跡はある。
岩山を切り開いて築かれた古代の遺跡は、まだなおその端々に当時の文明の面影を残していた。が、長く風雪にさらされていくつかは崩れ落ち、シダ植物などがはびこって迷宮の様相を呈していた。
ヒドラが現れたのはそんな遺跡の奥まった一角。薬草取りにやってきた村人が数人襲われて命を落としているらしい。
「準備はいい?」
遺跡の奥地で休むヒドラを見とめ、俺はパーティの面々に確認を促した。
この日は前衛に俺とエリエール、中軸にリリア、後衛の治癒士にシャノアールといった布陣だった。シャノアールの真価は前線にあってこそ、エリエールも後方にあってその勇を発揮するが、行きがかり上今回は配置を別にした。
それでも十分に勝算がある相手だと俺は踏んでいた。
開戦直後、後方からの障壁や護りの雲の魔法が飛ぶ。
三つ首あるキングヒドラ討伐の肝は、如何に挑発してその行動を操作するかだ。やや散開陣形をとった我々はシャノアールとリリアの回復魔法を後ろ盾に俺とエリエールの長剣で敵を削り、序盤はやや優勢に戦闘を展開していた。
敵の行動を阻害し、隙をみて重厚な斬撃を繰り出す。ヒドラの牙や爪の攻撃は重く、苛烈を極めたが2名がかりの回復が容易に陣形の崩れを許さない。牙と爪、鉄塊と魔法の応酬は激しさを増したが、それでも俺は自分たちの勝利を信じて疑わなかった。
戦況が一変したのはほんのわずかなほころびからだった。
ヒドラが中衛のリリアに狙いを定め、突進を開始してきた時、ほんの一瞬俺の中に迷いが生じた。
リリアへの攻撃の意思を阻害し矛先を別に向けさせるべきか、それともこの流れを活かし、彼女に集中していることを逆手にとって敵に痛撃をあたえるべきか。
俺とエリエールは後者をとった。
その矢先に、ヒドラの口から発せられた特大の火球が周囲を紅蓮に染めた。耐魔障壁をも突き破り俺とエリエールは耐え切れずにはじけ飛んだ。
昏倒するエリエール。その彼女に治癒を施すリリアの背に狂気にゆがんだ視線が6つ。後背から痛撃を受けリリアもたまらず大地に倒れ込んだ。
俺は瀕死の重傷を負い、四肢には重篤な火傷のあとがあった。シャノアールの治癒魔法が飛ぶ。強力な治癒術は俺の傷を瞬時に癒し、手足は再び活力を取り戻した。
次の瞬間、二つ目の火球が俺たちの頭上に降り注いだ。
目の前が暗転し、どこか遠くで鉄塊が大地を打つ音がする。それが自分が倒れた音なのだと気づくまでに数旬の空隙があった。かすむ目を開くと決死の表情で戦うシャノアールの姿が映った。
彼女は懸命に魔杖をふるったが、一度傾いた流れは容易には覆らない。
回復が敵の攻撃に追いつくことが出来ない。せめて前衛が敵の出足をくじくことが出来たなら戦況を変えることが出来たかもしれないが、その時二人の戦士は共に重篤なダメージを負って動くことが出来なかった。
そして最後の痛撃がシャノアールの体を捕えた。
圧倒的な敗戦だった。
くだらない俺の自負も戦士としてのプライドも根こそぎ持っていかれた気持だった。
***************
「イテテッ…ちょっとそこ、もうちょっと優しくしてや」
「うるっさいなぁ。ちょっと殴られた方が頭がすっきりしてまともになるだろ」
「くぅ~…火傷がひでぇよ、そっと軟膏でも塗ったろ~とはおもわへんか?」
「唾でもつけてたら治るんじゃない?」
「え?舐めてくれんの?」
「…バカ。いっそ喰われちゃえば?」
戦闘を終え、九死に一生を得た俺たちは、遺跡の片隅に腰かけて傷跡の治療を行っていた。
治療に当たるシャノアールの表情にやや陰りがある。
だが、前線にあってこそ真価を発揮するシャノアールを後衛にさげたのは俺自身。不得手とも言える回復であの状況を打破するのは困難を極めるだろう。
それよりも本職であるはずの前衛で判断を誤り、敵に攻勢にでるきっかけを与えてしまったのは他ならない自分自身だった。敗戦の責は俺にあると言っていい。
だが一方でどこか妙に明るい空気も漂っていた。
「こういうことがあるから、成功する喜びが大きくなるよね」
エリエールが大きく伸びをしながらつぶやいた。そのの言葉がその全てを表している。
圧倒的な敗戦であっても、その時々の経験が今後の戦闘に生きてくることもあるだろう。死戦を乗り越えた数だけ、俺たちはより強くなれる。
今の弱さはこれから強くなれる伸びシロを多寡を示していると言っていい。強くなれるかどうかはわからないが、切磋琢磨しあえる仲間がいることは間違いない。
「今度は倒すよ。何があっても…」
リリアの静かな決意の言葉が胸に響く。
そうだ、俺たちには次がある。そしてその次を共に歩むことのできる仲間がいる。
「さぁて、帰るか…」
汚れきった四肢を奮い立たせ、俺は段平を片手に立ち上がった。
その頭上、澄み切った夜空に天高く秋の星空が煌々と光り輝いていた。
ヘルバトラー討伐
「うみぼうずの依頼書がある、ついでに狩っていこうか」
グランゼドーラ城の地下を抜けて海風の洞窟へと続く最後の玄室で、トロが荷物袋から討伐隊の封書を取り出して呟いた。
その日、俺は隊員であるぽるかの呼びかけに応じ、グランゼドーラ城の地下宝物庫に現れたというヘルバトラーの駆逐に向かう途中だった。
パーティを組んだのはエレナ、トロ、そしてぽるかの3名。一流の戦術家であり、隊内でもとびぬけた戦闘能力を持つエレナはもちろん、退魔装備に身を包んだトロも古参の隊員として仲間からの信頼度も高い熟練の冒険者だ。
俺が多少頼りないところがあるとしても、両名の実力があれば難敵ヘルバトラーを相手にしてもおそらく何とかしてしまうだろう。
俺にとってヘルバトラーの出現はこれが初めてではなかった。
過去に何度か駆逐を行っているが、一旦は形を潜めるものの、ある程度時間が経てばまた侵入を許してしまうようだ。
難攻不落と言われるグランゼドーラ城の栄光も今は昔、といったところか。
「ゴーグルもあるよ」
荷物袋からゴーグルを取り出しながら、再びトロが口を開いた。
トロの言う「うみぼうず」は宝物庫に続く海風の洞窟の一角に現れる半透明の液状モンスターだ。一旦地上に現れてしまえばゼリー状の体を視認できるものの、普段は地中に潜んで肉眼では見ることが出来ず、不意を突く形で冒険者を襲うやっかいな相手だ。
ただし特殊なグラスを通してみれば、うみぼうずが発する燐光を元に居場所を特定できる。居場所さえ特定できてしまえば物の数ではない。討伐隊からの依頼も俺たち4人であれば容易な仕事に思えた。
「お~、いるいる」
トロが嬉しそうな声をあげる。
ふと傍らのエレナが手にした見慣れない長剣が目についた。
「エレナさん、その剣は?」
「クレセント・エッジ。…見た目はね」
うみぼうず目がけて長剣を抜き放ちながら、エレナはいたずらっぽく目を細めた。
金色の流線を描いた優美な長剣は、背筋の寒くなるほどの切れ味を見せてやすやすとうみぼうずを切り裂いていく。ゼリー状にうごめくうみぼうずの鈍重な巨体が瞬時に2つ、3つの塊に切り裂かれ霧を散らすように消失する。
彼女の行く手をふさいだ魔物の方が気の毒なほどだ。
ほどなくして俺たちは目的とする玄室の前に辿りついていた。
海風の一角に巣食う巨竜については無視することに決めた。倒せない相手ではもちろんないが、無駄に体力を損なう必要もない。
「行きますね」
ぽるかの声には一抹の緊張が含まれている。
無理もない。彼女にとっては最初のヘルバトラー掃討戦だ。
重々しい音を立てて扉が開き、玄室の一角でうごめく巨大な影が動きを止めて二本の角の生えた頭部がこちらの方を振り返えった。
血走った両眼とこちらの視線が交錯する。瘴気が殺意を伴って、首筋がちりりと粟立つのを感じた。
既にエレナは長剣を抜き放って疾走を開始している。
俺も背後から愛用の段平を抜き放ちそれに続く。敵は3体。ヘルバトラーの脇を2体の人型が守っている。
乱戦になった。
人型の繰り出す剣戟をかわし、俺の肉厚の段平が敵の装甲を裂く。確かな手ごたえはあるが、まだ致命傷を与えられるほどのものではないと経験が教えてくれる。真っ赤な双眸に憤怒の色をたたえて人型が剣を繰り出す。
避けそこなって左半身に鈍い衝撃を喰らう。次いで傷口から生暖かいものが脈打つたびにドクドクとあふれ出してくる。
しくじったな…
左の腕から力が抜けていく。人型の放った一撃は深刻なダメージを俺の体に刻んでいた。
次の瞬間、あたたかな光が俺の半身を包み、痛みが速やかに引いていった。柄を持つ左手を握りなおしてみる。わずか数秒で左腕は十分な筋力を取り戻していた。
横目で視線をおくると、強力な治癒の魔法で俺の傷跡を瞬時に癒してくれたぽるかと目があった。その傍らで彼女がうなずくのに合わせてトロが魔法の詠唱を終えた。青白い燐光が甲冑の表面をまるで生き物のように覆う。障壁の魔法だ。
一方の人型の首を俺の段平が跳ね飛ばしたのを視界の端で確認しながら、エレナが薄く口を鳴らす。
どこをどう立ち回ればそうなるのか、彼女は一点の返り血すら浴びていない。まったく恐れ入った。トロが左手の盾で人型の斬撃を払いのけ、その反動で生じた隙にエレナの剣がするすると伸びて人型の首を跳ね飛ばした。
ぽるかの魔法が俺たちの小さな傷も残さず癒してくれる。残すはヘルバトラー本体一匹。
ヘルバトラーが咆哮と共に瘴気を体に集めている。魔瘴と呼ばれる呪いの範囲攻撃だ。
エレナを除く3名は踵を返して魔物との距離をあける。魔瘴の一番怖いのは効果の及ぶ数メートルの円陣の中。範囲の外へ出てしまえば効果は消失し無傷でいられる。
だが、エレナは敢えて魔物との距離を詰めていった。怪訝に思い声をかけようとした瞬間に、彼女の手にした獲物が長剣から巨大なハンマーへと変わっていることに気付いた。いつの間に!
エレナのハンマーは中空から勢いよくヘルバトラーの脳天をとらえ、その衝撃で魔物の四肢が伸びて痙攣をおこす。魔瘴は発動を待たず体内に集められた瘴気が周囲に霧散する。
スタンショット。熟練のハンマー使いが駆使する技の一つだ。
エレナが生んだわずかな隙は、我々にとって魔物に致命的なダメージを与えるには十分だった。
振り下ろされたハンマーは今度は逆に下方より突き上げられ、ヘルバトラーの下顎を割りおびただしい量の濃紫色の血液が宙を染める。
間合いを詰めた俺の渾身の一撃が腹腔を切り裂き、内臓にも大きなダメージを与える。傷口からずるりと滑り出した内臓は大気に触れると泡がはじけるようにブクブクと溶けだしていく。
深刻なダメージを抱えたヘルバトラーが完全にその動きを止めるまで、さほど時間はかからなかった。
「ふ~」
エレナが短く息を吐く。それがこの短いが苛烈を極める戦闘の終了を告げていた。玄室は再び静寂を取り戻し、俺たちは武器を払って武装を解いた。この平安が果たしてどれほどの間保たれるのかはわからない。
だがしかし、当面の脅威を取り除くことはできただろう。
「うわっ、サイアク…」
宝物庫に張っていた蜘蛛の巣が髪にからまり、エレナが情けない悲鳴を上げた。
乱戦に息一つ乱さない彼女が真に情けなさそうな顔をするのを見止め、俺たちは誰ともなく釣り込まれるように笑い出した。
その笑声が一つの冒険の終わりを告げていた。
プロローグ
窓からさす朝の陽ざしを瞼に受け、まどろんだ俺の視野がかすかに白く光をともす。
薄く目を開けると、柔らかな秋の陽光が斜めに光の帯を作っていた。朝の冷気と毛布の温もりが妙に心地よい。
何気なく視線を運んだ先、部屋の傍らに置かれた姿見が寝台の上の俺の姿を映す。
褐色の肌に緋色の瞳。髪に既に色はなく限りなく白に近い灰白の色がそこにあった。
もともと俺はエテーネと呼ばれる辺境の寒村で生を受けた。
エテーネはレンダーシアの内海に浮かぶ島で、文明の流入を拒絶することで、緩やかな大河のように流れる悠久の時の中で、つつましくも平和な生活を保っていた。
幼くして両親を失った俺を、深い愛情でわが子同然に育ててくれた大ババの長老。面倒見のいい学者肌の幼馴染。何かと言えば俺らのいちいちに小言で皮肉を言うくせに、誰よりも村の子供のことを考えていた爺さんたち。
裕福とは言えなくとも、満ち足りた毎日がそこにあった。
その全てがある日突然失われた。
禍々しい紫の雲が上空を覆い、落雷が驟雨のごとく降り注いで村中を焼いた。落雷は大地を蛇のように這って刈り草を焼き、家屋を炎が包み込んだ。
樹木は瞬間的に幹の中の水分を蒸発させ、三百年を生きた巨大な古木が一瞬で爆ぜる。人は生きたままわけも分からず劫火に焼かれ、周囲には肉が焦げるイヤな匂いが立ち込めた。
思い返すたびに吐きそうになる。悪夢がまさにそこにあった。
全身を劫火に包まれ、世界が黒と赤、最後に白で覆われたところで俺の記憶は途切れている。
次に気がついた時には見慣れぬオーガに姿を変えられていた。のちに賢者のジジイが教えてくれたことだが、神世の時代からこの血に流れる呪いの一種がネルゲルの魔力に反応していわば不死の生命を宿すことになったらしい。
自身の肉体を破壊され、魂の憑代を失っても、それに適した血肉を求めて魂が転生を繰り返すらしい。全く迷惑な話だ。
オーガに身を宿したのは、人間としての俺の肉体が修復するまでの仮初の憑代として、その体が適していたということらしい。
その呪いの代償として、俺の瞳と髪はその本来の色を失った。褐色の瞳は紅蓮の緋色を宿し、黒髪は燃え尽きた灰の色になった。ジジイの指し示す道を歩み、やっと己の肉体を取り戻したと思ったが、ようやく取り戻した肉体は既にかつての自分自身とは非なるものになっていたというわけだ。
当時、俺と同じくエテーネの島で劫火に身を焼かれた多くの人たちも、それぞれ何かを無くし、不死の呪鎖に繋がれているのだと聞く。
悪夢の元凶ネルゲルを天空を浮遊する古城で倒した時には、これで全てが終わったと思った。この体を蝕む不死の呪いも浄化されると。
だが現実には俺はまだ緋色の瞳と灰白の髪のまま、今もこうして暮らしている。
ネルゲル亡き今も、忌まわしき古城は天空を浮遊し、まだ時折冥王討伐の報を耳にする。
冥王もまた不死の肉体を手にしているのかもしれない。
その呪いの連鎖を絶つまでは、どうやら俺はこの忌々しい身体から解放されることはないようだ。
勇者姫アンルシアの覚醒を経て、ようやく魔王マデサゴーラ討伐への足掛かりを手に入れた。
だが、マデサゴーラ討伐が真に呪いの浄化に繋がるのか。それはまだ何もわからない。
わからないけれど、この歩みを止めるわけにはいかない。
この呪いの旅路がどこで終着を迎えられるのかはわからないが、踏み出した一歩分は確実に終わりに近づいているはずだ。
俺は短く息を吐いた。
吐くことで肺に朝の新鮮な空気が取り入れられる。穏やかな陽光を身に受けて新たな一日が始まろうとしていた。
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