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Episode #009

窓から差し込む街の灯りが漆喰の壁におぼろげに模様を描いている。それがまるで生き物のように揺らいでは消えていく。

その様を眺めながら俺は酒杯を再び口に運んだ。酒精の焼けるような強い熱気が喉を流れていく。

 

ふと見れば薄闇の中にぼんやりと浮かんだベッドでシャノアールが柔らかな寝息を立てていた。
彼女の白い肌がまるでそれ自体が発光しているかのように淡く輝く。薄闇の中でみる彼女は昼間の戦場で見る姿と全く異なった一面を見せる。

 

秋の深まった夜のメギストリスは冴えた冷気を漂わせていた。俺は酒杯をテーブルに戻すと寝台へと向かった。
額にかかったひと房の金髪を撫で上げて、シャノアールの丸みを帯びたなめらかな額に俺はそっと唇を

 

「お前は何を書いとるんじゃああああ!!!」

 

怒号と共に後頭部に強烈な前蹴りを受けて俺はテーブル諸共に激しく前方へ吹き飛んでいた。

書きかけの原稿が宙を舞い、用意していたペンやインクが無残にも床に転がっていく。
痛撃に顔をしかめながら振り返ると、怒りか羞恥かで頬を上気させたシャノアールが立っていた。

 

「お前はいきなり何すんじゃ!挨拶代わりに人の後頭部を蹴り飛ばす奴があるかぁ!」

 

「んなこと関係あるか!お前はそこで何を書いとるんじゃ、言うてみぃ!」

 

「何をって…お前そりゃこれはあのほら、アストルティアの皆さんにも笑いと感動とほんの少しの官能をだな…」

 

言い終えぬ内に今度は拳が飛んできた。歴戦の戦士の拳はなかなかに破壊力がある。ボストロールの一撃にも迫るというものだ。

 

「お前が隊での出来事をちょこちょこと文章にまとめてるのは知ってる。それは許す!でもでもでもでもこーいうありもしない話を書くな!」

 

上気したシャノアールの顔は完全に桜色に染まっている。
数多く戦場を共にし、瞬きを惜しむほどの激戦も肩を並べて闘ってきたが、こうして息を乱す様子を見たことはなかった。戦友シャノアールの中に女性としての一面をあらためて認めたような鮮やかな驚きがあった。

 

「ん~、まぁほれ。まぁありもしない話だけど、たまにはこういう艶っぽい話があってもいいん…」

 

「除名してやる。チームから蹴り飛ばす」

 

「ひぃぃぃぃぃ!おまっ!それは横暴やん!」

 

「横暴ちがうわ!」

 

「わかった!それじゃこのシャノの記載のところをぽるちゃんに変更す…」

 

「やめて~~~!」

 

傍らで腹を抱えていたぽるかが今度は必至の形相で間に割って入った。

 

「えぇと…『額にかかった銀髪を玉ねぎを剥くように柔らかく…』と変更っと」

 

「その表現おかしいから!てか玉ねぎじゃないし!ちがうちがう、そういう問題じゃなくてその話への私の登場は断固拒否します!」

 

ぽるかの丸みを帯びた柔らかな髪型を最近俺は玉ねぎ頭と表現している。
元々は彼女の故郷の話で、そこが有名な玉ねぎ産地だったことに起因しているのだが、確かに艶やかな話で「玉ねぎ頭」の表現はそぐわない気がした。

 

「ぽるちゃんもダメならリリちゃんか。リリちゃんの場合なら金髪はそのままでいけるしな」

 

「却下!通報するよ」

 

ぽるかと共にいたリリアは矛先が自分に向かうことを予め想像していたのか、即答で指先を俺につきつける。
 

みんなもうちょっとユーモアとか俺に対する親愛の情とかかすかな恋心とかないんかい。

 

「え~!くっそ~。そんじゃここはエレナさんに出演してもらって…」

 

パリッ…

 

言い終える間もなく背後の死角から強烈な殺気が冷気をともなって吹き付けてきた。

この威圧感・・・てかこれってヒャド系の最高位呪文の前哨と違うか?
 

生命の危機を感じて、俺はその場で動きを止めた。死角からのエレナの視線が背中に痛い。
これ以上の冒険は冒険じゃすまなくなってしまう。

 

冒険者、官能小説のねつ造により街中で凍結死!!

 

そんな見出しでメギストリス新聞の一面を飾るのはよろしくない。

 

「そうか。チョコバッキさんとかうろごんりちゃんに出てもらったら問題なくない?」

 

「隊外だったらイイとか言う問題じゃない!その原稿は焼却!リリ、やっちゃって!」

 

「アイサー!」

 

シャノアールの合図にコンマ数秒の間さえあけることなく、リリアのメラの炎が俺の原稿を焼き尽くした。
初期魔法とは言え魔物の外皮をも貫く強火力だ。数枚の羊皮紙など瞬間で灰になってしまう。ついでに俺の指先も。

 

「街中で魔法使ったらダメなんだぞ。冒険者協会が街中での攻撃魔法の使用は禁止してるんだぞ」

 

「何もなかった。証人はない。証拠もない。よって何も問題はない」

 

涙目になった俺に対し、ふん、と鼻を鳴らし、シャノアールは部屋を出て行った。リリアがそれに続き、笑いをこらえたままぽるかが退室際にドアを閉じた。
エレナは最後まで殺気のみで姿を見せなかった。
ただ一人残された俺は床に散らばった文房具と粉塵と化した羊皮紙のカスを眺めていた。指先だけがヒリヒリと痛んだ。

 

***********************************

 

昼過ぎ、俺は旅装を整えて隊の詰所に足を運んでいた。
アストルティアでは珍しいはずの官能小説が文壇に登場することは、とりあえずあきらめよう。

 

これは敗退ではない!戦略的な後退だ。

 

内心でそう呟いたのは誰に聞かせるものか。自身でもそれはよくわからない。
指先の火傷を抱えたまま、詰所の扉をあけると中にはシャノアール、トロなど数名の馴染みの顔があった。

 

「お、三等兵。来たな。そんじゃいくか」

 

俺はいつから三等兵になったんだ。えらい階級低いやないか。

 

「ええけど。どこ行くねん?」

 

「力の指輪探索。セレドオーガキングの上位種を狙うぞ」

 

「おおっ、いいね。それ乗った」

 

力の指輪は俺のような前衛には必須の装具の一つだ。もちろん俺も所持してはいるものの良質とは言い難い代物で、機会があれば更新を目指してみたいと思っていたところだ。

 

「あと一人…だれか行かないかな」

 

「それならシャロンさんにしよう」

 

シャロン。
リリアの紹介で近頃入隊した新進の冒険者だ。姉のシェルと一緒に加盟して、それ以来何度か一緒に討伐行に赴いている。
性格は姉と同じく穏やかで社交的だが、柔らかい容貌の姉に比べ、シャロンは眼に強い光がある。この日は長く伸ばした紫紺の巻き毛を頭の上で高く結っていた。動きに伴って髪が揺れる様にネコ科の動物がまとう躍動的な美しさがあった。

 

「私、弱いですよ?役に立ちません」

 

いきなり矛先を向けられてキョトンとした表情でシャロンが答える。本心かも知れないが、それが謙遜でしかないことを何度か討伐行を行っている俺自身が知っていた。

 

「んなことないよ。一緒に行こう」

 

再度の要請を断ることはなかった。
かくしてシャノアール、トロ、シャロン、俺の4人でセレドの北端の洞窟へと向かうことになった。

先陣に斧を抱えたシャノアール、中衛に爪を装備した俺と魔杖を構えたシャロンが加わり、後衛の回復はトロが務める錐行陣だ。

 

転移の飛石でグランゼドーラへ飛び、馬車でセレドの街に向かう。
街へは立ち寄らず、そのまま街道を北上してリンジャの塔を目指した。リンジャハル海岸の手前で東に迂回し、目的地に辿りついた頃にはあたりが薄闇に包まれていた。

 

その日は狩りをすることなく野営し、朝になるのを待って俺たちはオーガキング探索を始めた。

 

オーガキングは両手に盾をもった大型の魔物で、防御力と体力はそこそこあるものの、今回の4人で後れを取るほどの脅威ではない。
洞窟内を単身で徘徊するオーガキングを排除しつつ、俺たちはその上位種の姿を求めて探索を続けた。

 

何体のオーガキングを駆逐しただろうか。
中天に太陽が昇り、それがやや西に傾いた頃、俺たちはようやく通常のオーガキングと同行する亜種の魔物を見つけることが出来た。

 

「いた!この先に一匹いる!」

 

最初に叫んだのは目のいいトロだった。
声にいち早く反応したシャノアールが疾走を開始する。俺とシャロンがそれを追う。走りながら高速で詠唱を終えたシャロンが指先をシャノアール、ついで俺へと差し向ける。

 

装備していた武具が青白い燐光と燈す。魔力付与の魔法だ。

 

「いいね!いい仕事!」

 

「普通です」

 

淡々と答えるシャロンの様子にぷっと吹き出す。

まず最初に血煙を上げて沈んだのはオーガキングだった。
上位種の動きを牽制しつつ、シャノアールと俺とで挟撃して確実に息の根を止める。驚異と言えない相手であってもちょろちょろと後背をとられるのは面白くない。
事前の打ち合わせをするまでもなかった。

 

上位種は外見はオーガキングに酷似しているものの、体躯は一回り以上大きく両盾を駆使しての攻撃も一層強烈になっていた。両腕の太さは楡の巨木ほどもある。まともに喰らえば深刻なダメージを負うことになるだろう。
 

俺はスピードを活かして間合いを詰めて両腕に装備した爪で斬りかかってみたものの、片方を盾で防がれ、もう一方も硬い外皮を少し傷つけただけで致命傷を与えるまでには至らない。

 

「逃がすなよ~。一気にいく!」

 

斧から爪に換装を終えたシャノアールが勇躍して飛び込んでいく。強烈な一撃はまたも盾に防がれたものの、俺の時は微動だにしなかった魔物の巨体が完全には殺し切れずに上体がおよぐ。

 

自分より二回り以上大きな魔物にたたらを踏ませるって、いったいどんなバカ力をしてるんだ、シャノ。

 

だが、魔物の返す一撃を受け損なって、今度はシャノアールが宙を舞う。
こちらはたたらを踏むどころではない。側方へ数メートルも吹き飛ばされながら体制を整えて転倒をしのぐ。間をおかずトロの回復魔法が飛び、シャノアールがうけた傷を即座に癒していく。

 

攻撃後の空隙をついて、今度は俺が魔物の懐へ飛び込んでいく。めまぐるしく立場と攻防を入れ替えてオーガキング上位種の掃討戦は進んでいった。
シャロンの魔法の支援を受けて、体が軽く、武器が帯びた青白い燐光が動かすたびに宙に線を描く。今度は左右の攻撃で確かな手ごたえを感じ、瞬間致命傷の予感があったのだが、見上げた先にあったのは狂気を含んだ魔物の赤い両眼だった。

 

痛撃による怒りが肉体的な損傷を一時忘れさせたのだろうか。
魔物はいよいよ猛り狂って両腕の楯を旋回し始めた。下手をすれば巨大な鉄の塊に連撃されることになりかねない。

戦慄を覚えて俺は数間後方に跳躍してスペースをとった。

 

「タフですね~」

 

「うん、不必要なまでにタフだね」

 

魔杖をもち、パーティの様子を見守っていたトロが目を見張る。Sレート以上の魔物であれば驚愕に値しないが、日頃近くを徘徊している魔物でここまでの耐久力を目にすることは稀だった。

 

「あたしが前で陽動する。デボは背後から急所をついて」

 

「うぃうぃ。上等兵どの!」

 

返事と行動が同時だった。
多くの戦場を共にしているシャノアールとなら前衛として打ち合わせることは何もない。上等兵と三等兵。階級が随分低いなぁとは思わないではないが、それについて今考える時ではない。

 

シャノアールの一撃は強さは先ほどのものと遜色なかったが、モーションが大きく、魔物は左の盾を上げてこれを防いだ。続く一撃は魔物の目元を狙って放たれたが、巨体に似合わない俊敏な動きで後方にのけぞってかわされてしまった。
 

殺戮に対する昂奮か、それとも敵の攻撃をかわしたことへの昂揚か、魔物の咆哮が石窟に反響してびりびりと大気を震わせる。

 

調子こいてろ。これでトドメだ!

 

シャノアールの攻撃に連動して、右側から盾の死角に潜り込んだ俺はそのままの勢いを活かして魔物の後背に回り込んでいた。

今やむき出しの頸部が前方にある。
彼女のやや大ぶりな連撃はこのための布石だった。

敵の急所に焦点を定め、俺は全身の力をたわめて弓なりに反る。渾身の一撃が頸部を貫き、それで戦闘が終息する・・・はずだった。

 

トンッ

 

俺の一撃の半瞬前、少しくぐもった音が耳朶を震わせた。
激しい戦闘の最中の奇妙な沈黙。

俺が狙いを定めていた頸部から静かに剣先が突き出していた。

 

一瞬前まで凄まじい勢いで旋回していた魔物の両盾が力なく地面に投げ出される。それに引きずられるように大樹の幹のような両腕がだらりと下がり、力感を失った巨体がゆっくりと倒れていった。
その全てがコマ送りのスローモーションのように流れていく。

 

俺の渾身の一撃はついに放たれることなく、俺は跳躍した姿勢のまま目標を失って着陸した。

 

「・・・すいません。獲っちゃいました」

 

シャロンが申し訳なさそうに佇んでいた。
彼女の細身の長剣が魔物の喉元から頸部を貫き、一撃で生命の根幹を断ち切っている。
シャノアールでさえ呆気にとられて目を丸くしていた。

 

長剣が引き抜かれると、オーガキングの上位種は完全に肉塊と化して大地に倒れて動かなくなった。あの激しい戦闘の中で、完全に気配を殺し、魔物ばかりか仲間である俺たちの空隙をついた一撃は驚嘆に値する。が、それを行った当人はなぜか申し訳なさそうに頭をかき、はにかんだ笑顔を浮かべていた。

 

「お~。これだと力の指輪、2つ分くらいはイケそうだよ!」

 

肉塊と化した魔物の体がズブズブと侵食されていく中で、トロが素早くその内側から鉱物のようなものを取り出していた。
鉱物は多岐にわたるが、魔物の体内に蓄積されるそれを運よく取り出すことが出来れば、それが魔力を帯びた装具の材料になる。この日、討伐した魔物から取り出した鉱物は力の指輪を形成するのに十分な量があった。

 

「驚いたな・・・完全に虚を突かれたよ。やるねぇ」

 

「いやいや・・・まだまだ未熟です」

 

戦闘を収束させた剣の主は最後まで照れ笑いを絶やさなかった。
峡谷を抜ける寒風が冬の訪れを告げ、遠くで獣の鳴き声が響いている。

石窟に笑声が弾け、それがこの日の戦闘の締めくくりとなった。

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