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Episode #022

『誰かピラ7層から9層あたり行く人いないかな?』

 

カラコロと隊の詰所の扉が開かれた矢先、姿を見せたトロがそう言って声をかけた。
ピラミッド高層階。兇悪なモンスターたちが跋扈する魔窟である。

 

『あたしが行くよ』

 

悩むそぶりも見せずに奥のカウンターで果実酒の杯を傾けていたシャノアールが返答した。ほぼ即答に近い。
さすがに数多くの死線を乗り越えてきた歴戦の士だけのことはあるな、と内心唸っていたところに古豪の女戦士は意外な言葉をつなげてきた。

 

『デボも連れて行く』

 

ぶぼへっと俺は思わず飲みかけていた酒を吹き出すところだった。

 

おいおい、本気かいな。

 

俺自身、戦場に身を置いてきた時間は短くはない。手にした武器は数多の魔物たちの血と肉を断ち切ってきた業物だ。
 

が、一方でここしばらくは魔物の討伐はおろか、死を身近に感じるような窮地に身を置いてこなかった。冒険者たちがごく自然に身につけている動物的な勘…生死をわかつ空気を読み取る力が鈍りきっている。
 

現状、第一線で活躍する冒険者たちですら手を焼くほどの魔窟において、俺に仲間たちの背を守れるとは到底思えなかった。

 

『リハビリが必要だろ?』

 

そんな俺の葛藤をよそに、シャノアールが悪戯っぽく笑ってみせる。戸口に立つトロもなぜか笑顔だ。
 

こいつらはドSなのか。ドMなのか。

 

仲間たちの性癖はともかくとして、俺も覚悟を決めた。
これは要するに仲間たちの信頼の証だ。俺自身に対して仲間たちの『お前ならできるだろ?』という期待であり、俺の仲間に対する『こんな俺でも彼らとなら何とかなるかもしれない』という信頼。

 

休息は終わりだ。獲物をもつ手に汗がにじむ。
俺は同席していた弟子のデネブに短く指示を残し、杯をあおって空にすると重い腰を上げて席を立った。

 

*****************************************************************

 

中天に星々が瞬き始める頃、俺たちは転移の飛石の力を使い、レンダーシアのピラミッド前に辿りついた。
 

巨大な遺跡のシルエットが、煌めく星空の下で漆黒の存在感を顕わしている。アラハギーロの守衛が正門を固めているが、魔窟から滲み出している負の瘴気はとどめようがない。

 

さて…と。

 

俺は傍らでいななきを上げる黒馬の首筋を撫でた。
白のキラーパンサー〝シロ〟に変わって冒険の足を新たにつとめてくれているのは、ちまたでは黒竜丸と呼ばれている妖獣の一種だ。

 

漆黒の毛並に、灰白の鬣。身にまとった妖気が蹄に宿り、半ば宙に舞うように走る後ろには妖気の煌めきが残光を刻んでいく。
レンジャー協会が長い研究の果てにようやく騎獣として飼いならすことが出来るようになったもので、先日アラハギーロの市場で売りに出されていたのを買い求めたところだった。

 

『お~、黒竜丸じゃん』

 

「んむ。〝クロ〟いうねん」

 

『ひねりもへったくれもないな…』

 

「うっさいわ」

 

傍らのシャノアールと談笑をかわす。俺は巨大な黒馬の背にまたがり、見下ろす形になった盟友に手を差し伸べる。

 

『乗りや』

 

黒竜丸は騎獣として初めて2人乗りが出来ることで知られている。
確かにその背は大きく、しかも力強くて大の大人が2、3人乗ったところでびくともしないだろう。

 

シャノアールは猫科の獣を思わせるしなやかな動きをみせて、その長身を騎獣の上に跳ね上げてきた。彼女が腰をおちつけるのを感じて、俺は軽く馬腹を蹴った。
黒竜丸が小さな嘶きを上げて軽やかに疾走を開始する。

半ば浮遊している妖獣の背に揺られ始めると、俺の後背から小さく感嘆の声があがった。

 

『こりゃ楽だね』

 

同時に俺も思わず独白を洩らす。

 

「胸があたって気持ちいいな、こりゃ」

 

『アホか』

 

ツッコミにしては強すぎる一撃が後頭部を直撃する。
アブナイアブナイ。力加減を考えろよ、一瞬意識が遠のいただろ!

 

先発のトロは既に霊廟の前室にまで移動していた。
もう一人、ケイミーという小柄な女性を伴っている。フードを目深にかぶっているが人見知りだったりするんだろうか。

 

『おお…』

 

トロは黒竜丸の背にまたがった俺たちを見とめ、小さく声を上げる。

 

「トロさん、これいいよ。デートに最適♪」

 

『なるほど…さすが師匠』

 

トロは時折俺のことを師匠と呼ぶ。
彼は冒険者としての技量は俺の数段上を行く。実力として優れる彼に師事される覚えは全くないのだけれど、どうやらナンパだの日頃の言動に見える対女人特性を評価してくれているらしい。

 

単なる女性に対する重度の奴隷気質なだけなんだけど。

 

装備をあらため、ポーションなどを確認する。久々のピラミッド深層への討伐行に思わず生唾をのむ思いがする。
錫杖をもったトロが首肯き、ケイミーに目配せをする。振り返ったシャノアールがニヤリと目を細め、閉ざされていた遺跡の扉を押し開いていった。

 

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アストルティアにも雪は降る。

グレンの住宅地の一角などは大地深くに宿った雪の精の影響を強く受け、一年を通して一面を雪に覆われている。オーグリード大陸は五大陸の中でも特に雪の精霊の力が強いのかランガーオ山地のラギ雪原やランドンフットは永久凍土に閉ざされていた。

 

季節はとうに秋を過ぎて、本格的な冬を迎えている。
オーグリードに比べ、遥かに温暖なエルトナやプクランドでも強い寒波の影響をうけて路面が凍ることがあった。吐く息は白く宙を揺蕩い、人々は外套を厚くし、襟元を掻きよせるようにして冷気を防ぐ。

 

火の妖精の影響を強く受けるドワチャッカのみが、一年を通して雪を見ない。温暖な海流の影響で一年を通して穏やかなウェナには雪は降らないものの、年に数日間だけ強い寒波が押し寄せることがあるという。

 

その日、俺は日課である討伐を、後輩の戦士アルビレオと昨年入隊したユズたんと挑み無事に成果を収めていた。

 

メギストリスで協会に報告を果たし、その日の報酬を得る。
1日の収入自体はそれほどではないが、冒険者として生活していく上で協会の討伐要請は無視できない貴重な収入源の一つだった。

 

「だいぶ腕をあげてきたね。そろそろ単身でもあれこれ挑戦していいかもよ」

 

『ふふふ。これも師匠のおかげです』

 

「それ、その師匠っていうの禁止な。俺はそんな大したもんちゃう」

 

『自分やってシャノさんのこと、師匠!って呼ぶやん』

 

「いや、シャノは俺の剣の師やもん。嘘は言うてへん。でも俺はそないに大したことを教えられるわけちゃうやん」

 

『そかな~?そ~でもないと思うけど』

 

「とにかく禁止な。弟子入りするならトロさんとかシャノとかシェルさんにし。ぽるちゃんは実力はあるけどネタ星人だからあかんで。アトちゃんは気をつかいすぎるけど、人選としては良いと思う。エリちゃんだとユズちゃんがセクシー路線に行くことになるかもね。それはそれでいいと思うけど…」

 

『デボさん…時々顔がやらしいで』

 

「!!?やかましわい!」

 

メギストリスの街道を歩きながら二人で談笑していると、角を曲がったところで明るい薄橙色の長髪を結い上げたちなちなと行き違った。
 

ほとんど同時にちなちなもこちらを見とめたのか、微笑みを浮かべて片手をあげて挨拶を交わす。

 

「ちなちゃんやん?あれ?なんか髪型変えた?」

 

『ふふ…ですです。ちょっと着物が似合うように結い上げてみました』

 

「いいね!良く似合ってると思うよ。長い髪も結い上げるとだいぶイメージかわるもんだね」

 

『うんうん。すご~く可愛いと思います』

 

『ふふふ…ありがとうです』

 

かつては新米冒険者だったちなちなも今や熟練の冒険者だ。
今でこそ平服に身を包み、魅力あふれる女性そのものだが、一転戦場にあっては長斧を閃かせ、あるいは爆炎を操り敵を屠る激しさを宿している。

 

寒さを凌ぐため厚手の外套の襟元を寄せ、頬が冷気でわずかに朱く色づいている。
 

3人は陽光が長く石畳に影を伸ばす夕刻に、メギストリスの一角でしばし時を忘れて談笑にふけっていた。

冒険の合間のつかの間の休息というやつだ。

 

と、その時である。

 

微笑みを浮かべていたちなちなが、俺の後背の何かに気づき目を見開く。
怪訝に思い、振り返った先に長大なニワトリの冠を身にまとい、色鮮やかな黄色のシャツに白いタイトなスリムパンツという何とも凄まじい装いに身を包んだアトムが衣装屋の扉を開けて出てきたところだった。

 

『アトムさん…』

 

ちなちなの言葉に明らかにびくっと激しく体を硬直させ、アトムが機械仕掛けの人形のようにぎこちない様子で首をぎぎぎ・・・とこちらにむける。

 

目があった。

 

アトムの大きな瞳に瞬く間に涙が浮かぶ。

 

『見ないでぇ~~~~~~~っ!!!』

 

悲鳴をあげて疾走を開始したアトムの背を俺は追うことが出来なかった。リアルすぎるニワトリの被り物。奇抜すぎるカラーリングの衣装。妙齢の女性としては最も見られたくない一瞬であったに違いない。

 

『ぐぎゃっ!』

 

姿を消した先でニワトリの首をひねったような奇妙な悲鳴が聞こえた。
慌てて駆け寄ってみると、凍った路面で足を滑らし、腰を痛打したアトムが石畳に転がっている。

 

貸衣装の革靴は確かタップダンス用につるつるに仕上げてあったはずだ…。
あのスピードで凍った石畳の上を走ったら、例え熟練の旅芸人であろうともアトムと同じ結末を迎えるに違いない。

 

『アトムさん、大丈夫!?』

 

駆け寄ろうとした俺たちをアトムは涙目で制する。どうやら足を滑らした際に奇妙な姿勢で踏ん張った影響か腰を酷く痛めたらしい。

 

『ううっ…こんな姿を見られるなんて…ううっ』

 

涙を浮かべながら、アトムは懐から転移の飛石を取り出した。

飛石の魔力に身を包み、飛翔を開始するその直前、アトムは涙をいっぱいに浮かべた視線を俺に飛ばした。

 

『デボさんもニワトリかぶってる姿見せてよねっ!』

 

返答を待たず遥か彼方へと飛翔するアトムに、俺はついに言葉を返せなかった。

 

『デボさん、あれって…』

 

「うん。プクレット村の村長がどーせまた芸人大会の審査員を募集してるんだろ。俺も昔かぶらされたことがあるもん」

 

『アトムさん、優しいから…断れなかったんですね』

 

「そやねぇ…。プクレットの村長、可愛らしい年頃の女性をつかまえてあんなムゴイかぶりものをさせるなんて、人のよさそうな外見をして、実際はとんでもないサド男に違いないね」

 

『ですねぇ…』

 

『じゃ、アトムさんもああ言ってたし、デボさんも今度あれかぶって見せてよね!』

 

ユズたんが抜群にいたずらっ子な顔をみせて満面の笑顔でこちらを見ている。

ちなちなも同じ笑顔でこちらをみる。俺は生まれて初めて笑顔に恐怖を覚えた。

 

「いやいやいやいや…俺はもう審査員やったし!二回やる義理はないしっ!」

 

『アトムさん一人にあんな恰好させて可哀想とか思わないんですか?』

 

「いやいやユズちゃん、言ってることおかしいよ。それを言うならユズちゃんもちなちゃんも一緒やん」

 

『デボさんのニワトリ姿、私見てみたいです』

 

『うんうん。おねーさんの言うことを聞きなさい』

 

日頃穏やかなちなちなの笑顔の圧力。人を師匠と呼びながら、一転して俺を従えようとするユズたんの狂気。

メギストリスの街角が、俺にとって突如脱出不能な迷宮にも感じられた。

 

『ぐぎゃっ!!』

 

刹那、不意に響いた悲鳴に救われる形で視線を移すと、見慣れた長身の女戦士が石畳に盛大に尻もちをついていた。
 

アトムと同じく凍った路面に足を滑らしたのであろうか。紫紺のスカートのすそから見えるすらりと伸びた四肢が妙になまめかしい。

 

『ぁいったぁ…もう凍った道キライ。コワい。おウチに帰りたい…』

 

痛打した尻をさすりながら、シャノアールが恨み言をこぼして立ち上がる。金色の長髪が陽光を映して茜色に輝いている。

 

『しっぽ持つの禁止っ!』

 

「だれもそんなもん持たんがな…」

 

意味不明に鋭く制するシャノアールに俺が嘆息する。
ちなちなが微笑み、ユズたんが短く切りそろえた金髪をゆらせて笑声をあげた。

 

あるアストルティアの冬の一日。

夕闇に沈むメギストリスの石畳に、空からの純白のギフトが、軽やかにちらほらと舞い降りていた。

 

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