Episode #021
『よいしょっと…』
小さく声をあげ、金髪のエルフは手にした荷物を愛用のドルボードの荷台に押し上げた。
澄み切った蒼天の遙かな高みに、薄く刷いたように白い雲が漂っている。
振り返った拍子に細い肩に柔らかな髪がかかる。
大きく見開いた眼は力強く、冬の陽光を映して輝いていた。
「忘れものはない?」
『うん。まぁ小さなものは一つ二つあるかもしれないけど、テキトーに処分しちゃって』
俺の声にエルフは朗らかに言葉を返す。
『リリンのばかばかばか…ううっ…』
トロは目を赤くはらして俯いている。
金髪のエルフ…リリアはそんなトロの頬に優しく手を添え、指先でそっと涙を拭った。
『トロさん、ありがとう。でも別にいなくなるわけじゃないから』
『ま、これまで通りしんどい敵を討伐しなきゃいけない時には半強制的に協力してもらうしね』
シャノアールが笑顔に快活な声を乗せて呟く。
が、そんな彼女の蒼い瞳にもうっすらと涙がにじんでいる。人一倍寂しがりなんだから強がらなくてもイイだろうに。
『まだまだ色々とお世話になりたいです。隊を離れられてもよろしくお願いしますね』
ちなちながまっすぐとリリアを見つめて手を差し出す。
その手を両手で握り返しながら、リリアも大きくうなずいてみせる。
『もちろん。今までお世話になった隊から飛び出していくんだから、私だっていっぱい不安もあるし。勝手しちゃってこんなこと言えた義理じゃないかもだけど、皆にはこちらからよろしくお願いしたいくらい』
「義理なんて他人行儀なこと考えなくていいんだよ。リリちゃんが決めた道なんだから皆心から応援してるさ。俺たちに出来ることがあれば声をかけて。もちろんこっちも今までと同じように甘えると思うけどね」
『そうだね。リリの決めた道だから全力でサポートするよ。でも、この隊は貴女の故郷みたいなものなんだからね。それを覚えておいて』
俺の声に傍らのシャノアールが言葉を重ねる。リリアは双眸を伏せ、一瞬何かに耐えるように口元をきゅっと引き結んだ。
が、次に顔を上げた時には、晴れやかな笑顔を浮かべている。旅立ちに当たって決して涙をみせないと心に決めてでもいるのだろう。
『うん。ありがとう。私にとってもこの隊はかけがえのない存在だよ。でもま旅は人を成長させるって言うしね。ちょっと故郷から飛び出して自分で新しい世界に飛び込んでくるね』
その声は決して大きくなかったが、大地にどっしりと根を張ったような力強さを帯びていた。
『まぁ迷宮や辺境の討伐なんかでばったり会っちゃうこともあるだろうね』
リリアと最も付き合いの長いぽるかが軽やかに笑った。
リリアとは「うっかり女子」だの「ごばくぃーん」だのと憎まれ口をたたきあうほどの仲で、彼女自身そんな盟友が巣立っていくことに寂しさを感じないはずはない。
それでもぽるかは楡の大樹のように揺るがない。この小柄なエルフのどこにそんな力強さがあるのだろう。リリアとの絆を信じている力強さがその瞳の奥に光を灯しているように俺には感じられた。
「エレナさんやユエちゃんたちがいると良かったのだけど…」
『まぁね。でもま、冒険してたらそれもその内うっかりばったり出会うこともあるんじゃないかな』
『リリちゃん、今までありがとうね。迷子になった時、一緒に迷子になってくれてちょっと心強かったよ』
アトムの言葉に俺はぷっと吹き出した。それフォローになってないから。
シャノアールやトロもつられて吹き出している。リリアも思わず苦笑しながら差し出されたアトムの両手を握り返す。
『リリちゃんもアトちゃんに負けないくらいの迷子だからね!うっかりクィーンは伝説よ』
『うるさい。ぽるかに言われたくないやぃ』
変わらぬ悪態が微笑ましい。
『また一緒に冒険しましょうね。隊を離れたってそこは全く変わらないから…』
『うん。もちろんミカノさんには今まで通り一杯お世話になるつもりだから』
『私も…あまり一緒に冒険できなかったけど、また一緒にどこか行きましょうね』
『シェルさん…もちろんよ。シャロンさんにもぜひ。よろしく伝えておいて。ドレスアップもまた相談に乗ってよね』
ミカノ、シェルでリリアを囲む。
声こそかけないがタ~タン、あいあ、チアロ、ユズたん、らきしす、ぷみさくなど数多くのチームメンバーが詰めかけている。
『リリの席はずっと空けとくから』
ドルボードに軽やかにその身を跳ね上げたリリアに向かって、シャノアールが声をかける。
リリアは無言のまま微笑みを返す。
『リリちゃんが新たな世界に飛び込んでくれたら、リリちゃんを絆にして私たちの世界ももっと広がるに違いないね』
ぽるかがそう言ってリリアに握り拳を突き出してみせる。
小さくうなずいて、機上のリリアがぽるかの拳に自身のそれをこつんと合わせた。
「リリちゃんが知り合う素敵なお嬢さんに俺も今度紹介してな」
『ど~だろ。デボさんに紹介なんかしたら、デボさん私なんかほっぽらかしてその子に首ったけになっちゃいそうだしね』
俺の言葉にリリアがぷいっとそっぽを向く。
『ありえるね』
『ていうか間違いないね』
「ひっどいな」
ぽるかやシャノアールがリリアの言に同調してみせる。
いやいや、俺はそこまで節操無しではないと思うぞ。ほんの少しだけ女性限定のサービス精神が旺盛なだけだ。
『ていうかもっとヒューザ様ばりのイケメンさんを見つけてきて。そんでもって紹介してね』
『それ素敵ね。リリアさん、よろしく』
アトムの言葉にシェルが便乗する。
『イケメンならここにいるでしょ!』
『トロさん、真っ赤な目をしてそんなセリフは似合わないわよ』
『!!!』
リリアの旅立ちに涙を隠せなかったトロが気丈に振る舞ってみせるが、ミカノに容赦なく撃沈される。
まぁ正直なところ、皆気持ちはトロと同じなんだけどね。ごく自然に感情を表現できるトロの優しさがいっそ羨ましい。
『そろそろ時間かな。じゃ、リリ。胸をはっていってらっしゃい!』
『だね。そいじゃま、いってきまままままままっ!』
「せつない胸を大きく張ったね~」
『デボさん、それサイテーのセクハラだから』
『うん。全エルフを敵に回したね』
リリアとぽるかが息の合ったツッコミをみせ、俺はいつものように言葉を失った。
周囲を温かな笑いが充ちる。
その笑いを糧に変えて、リリアはドルボードのアクセルをふかした。
『ひゃあぁあぁあああぁぁぁぁっ!』
刹那、ドルボードが高速で旋回して向きを変え、あらぬ方向へと暴走を開始する。
街道を行く馬車や旅人が慌てて道をあけた。馬の嘶きに荷を取りこぼした商人の怒声が響く。ドルボードの巻き上げる砂塵に、リリアの「ごめんなさい~~~!」との悲鳴にも似た声が尾を引いて伸びてく。
呆気にとられる仲間たちを残し、愛すべきエルフのその小さな後姿はけたたましい喧騒にまぎれて、やがて雑踏の中へと溶けていった。
『迷子に…ならなきゃいいけど…』
『まさか…流石にメギストリスで迷子にはならないでしょ』
「いや…リリちゃんならありうるね…」
『うん…ありうるね』
しばしの沈黙の後、詰所の前はチーム全員の笑声に包まれた。
別れはいつも辛い。だが、旅立ちはきっと新たな出会いの始まりでもあるに違いない。
蒼天高くに冬の白雲が伸びるメギストリスで、蛍雪之功の仲間たちの笑声が響いていた。