Episode #011
アズラン、アズランの…ああ、そうそうここだ。
いあんの家の隣、チアロさんの家とは小川を越えてすぐの農村地区。
後方を歩くぽるか、アトムが妙にしおらしい。
まぁ何も言わないでおくが、涼しい顔をしてついてきているものの迷子属性の彼女たちだけではここに至ることが出来なかったかもしれないしな。
引率者として、ここは事情をわきまえて黙っておくのが粋ってものだ。
この日、俺たちは流感を患った友人リリアを見舞いに彼女の自宅を訪れていた。
「お花にも水をあげておかなきゃね…」
アトムが慣れた手つきで庭の花に水を注す。方向感覚は欠落していたとしても、それ以外の分野ではこうした気配りを欠かすことはない。彼女の数ある美点の一つだろう。
「お土産持ってる?」
「大丈夫。ここにあるよ」
「またあとで頭割りしてね。てかお任せしちゃったけど、何用意してくれたん?」
「ふふふ。それはナイショ♪」
アトムと並んで水やりを行っているぽるかが、手にした紙袋を掲げて満面の笑みを見せた。
ぽるかの余りある元気を浴びれば、流感で消沈しているリリアの気も少しは晴れるに違いない。
「トロさんもまたあとで来るって。デートが忙しいみたいで、この時間には間に合わなかったんだ」
「トロさん、友人多いしね。それにしてもデートかぁ。最近モテモテだね」
「トロさんは優しいからね。誰かさんとちがってえげつないセクハラしないし…」
「あ~、あいあさんね。今度注意しとかなきゃ」
「本人に自覚症状なし!末期です」
「あいあのことじゃないんだけど…」
アトムとぽるかは目配せしあってやれやれと苦笑を浮かべた。むぅ…今の会話の何がおかしいというのだろう。
呼び鈴を鳴らすと、リリア邸の執事がドアを開けてくれた。
既に何度か往訪し、面識を得ていることもあって、警戒されることなくそのまま中に通される。一瞬俺の顔をみとめた執事の眉間に浅いしわが寄ったようにも感じたが、まぁ俺の見間違いに違いない。
「リリちゃんの具合はどう?」
『今朝ほどになりまして、ようやく熱も落ち着いてまいりました。もう数日もすれば回復されるとは存じますが…』
「数日か…りりちゃん、冒険したいってゴネてるんじゃない?」
『さすがはぽるか様、私どもはもう少しお休み頂くようお願いしているんですが、どうもじっとしていられないご様子で…』
「ま、気持ちはわかるけどね。でも病気はしっかり治さないとね。りりちゃんは部屋かな?」
執事が首肯するのを確認して、俺たちは階段を上り、リリアの寝室へと足を運ぶ。
優秀な執事のおかげで回廊には埃ひとつ落ちていない。中ほどにおかれた一輪挿しに天葵の花が活けられている。
「りりちゃーん、具合はどう?」
先導したぽるかがノックをして扉をあける。
俺はというと『女の子の病室をいきなりお見舞いしちゃダメだからね!』ときつい注意を受けてアトムの後背に下がっていた。
病気で少しやつれたリリちゃんが見せるセクシーショットとかそういうのを期待してるわけじゃないやい。
病気を患った友人を純粋に友情から見舞ってるだけだい。寝衣の裾からのチラリズムをほんのちょっと見られたら満足です!
「んあっ!う、うん!もうだいぶ良くなった感じ!」
妙に慌てた感じの返答があって、硬質のものがゴトゴトと落ちる物音が続いた。騒音と並んでリリアの小さな悲鳴も響く。
不審に思ってのぞき込んでみると、ベッドの上でバツが悪そうに苦笑を浮かべたリリアがいて、床には小剣、錫杖といった装具が転がっている。
「んもー!リリちゃんは休んでなきゃダメじゃん!」
「いやっ!休んでたよ!休んでたけど、ほら…もうだいぶ体も動くようになったし、冒険者たるもの愛用の装備はいつなんどきもお手入れしておかないと…ほら…」
あたふたと釈明するリリアではあったが、憤然と仁王立ちするぽるかの気迫に負けたのか、すごすごとベッドの中に入り込んでいく。
小さく「ごめんなさい…」とつぶやく声がどうにもリリアらしく、俺たちは釣り込まれるように吹き出していた。
ま、そんなところだろうとは思っていたんだ。
「あれ?でもこれ、おかしくない?フェリシアのフェイスミルクが武器に塗り込まれちゃってるよ?」
「ええっ!!?そんなっ!フェリシアの新作!高かったのに!」
羽毛布団を跳ね上げて飛び起きたリリアが、アトムがほらと差し出した小瓶を確認してへなへなと床にしりもちをついた。
どうやら武具の手入れ用の機械油と間違えて大半を使いきった様子で、リリアは瓶を確認すると目に涙を浮かべている。
「さすがリリちゃん、女子力高いね。まさか武具にも美容ケアをするなんて!」
「よっ!さすがうっかりクィーン!うっかり姫の称号は伊達じゃないね!」
人の不幸に喝采をあげる俺とぽるかに恨みがましい視線を向けたリリアではあったが、再度小瓶に視線をやるとあきらめたようにがっくりとうなだれてしまった。
アトムが丸くなったリリアの背中をポンポンと叩き、そっとベッドに送り出してあげる。
ごほごほと小さく咳きこみながら、リリアは「またぽるかに『うっかり姫』呼ばわりされた~」と肩を落としつつベッドに潜り込んでいく。
「はは、まぁりりちゃん。今度フェリシアの新作ミルクは快気祝いに買ってあげるから、気を落とさないで」
「ありがと~…でもいいのかな。あれ、一本10万くらいするけど…」
「ええっ!!そんなにするの!?あんなちっこい瓶で???」
「うは~…フェリシアぼったくってるなぁ。…ま、トロさんだったらぽーんと買ってくれるよ。…たぶん」
「そだね!トロさんだったら10万くらい安いもんだね!」
しどろもどろに既に出費を第三者に押し付ける俺とぽるか。恥ずかしくないのか、まったく。
まぁ俺自身のことではあるのだけど。
「りりちゃん、元気出してね。これ…お見舞い…ってあれ?ぽるちゃん、これ中身はいってないよ?」
「ええっ!!?そんなはずはっ!!!」
ぽるかがテーブルに置いていた見舞いの品を手渡ししようと確認したアトムが困ったように苦笑を浮かべている。
紙袋の中身は協会に届いていたリリア宛の荷物の他には空っぽの紙箱のみ。可愛らしくリボンで飾り付けられているところをみると、おそらくはそれに見舞いの品が入っていたのだろう。
「…ああっ!そういえば、昨日悪くなっちゃだめだと思って中身だけうちの冷蔵庫に出したんだった!」
普通重さで気づくでしょ、それ?
リリア宛の荷物が見かけに反して意外と重かったので勘違いしてしまったのかな。
「いいよいいよ、気持ちだけで」
消沈するぽるかの様子に今度はリリアが笑い出す番だった。
どうやら熾烈なる「うっかりクィーンの称号争奪戦」は引き分けに終わりそうだ。ぽるかに至っては既に獲得している「ごばきゅぃーん」と「迷走女王」の称号と合わせるとこれで「クィーン三冠王」に輝いてしまいそうだが。
おそるべし。
本人としては迷走女王はアトムに、うっかりクィーンはリリアに押し付けたいところなのだろうけど。
「んで、お見舞いってぽるちゃんに準備をお願いしてたけど、何を持ってきてくれてたん?」
お見舞いの品の中身について聞いた時には、ナイショと微笑んでいたことを思い出し、俺はぽるかに水をむけた。
「うん…メギス鶏のからあげなんだけどね。最近メギで評判の…」
それって病人へのお見舞いの品か?
「凄いんだよ!冷やして食べた時の方が美味しいの!魔力も高まるし、りりちゃんにちょうどいいかなって。結構自信あったのになぁ…」
自信の持ち場所がだいぶ間違っているとは思ったが、それはちょっと置いておくとしよう。武士の情けだ。
「これ、シャノさんたちのお見舞い?」
ベッドの傍らに置かれているお見舞いの品の山を指さして、アトムが微笑んでいる。その笑顔が困惑に歪んでいるのは気のせいではない。
グランゼドーラ古酒『リリアの接吻』
巨大な黒うさぬいぐるみ、パッチワークのとげジョボー人形。
古代重層騎兵の戦いに学ぶ『ガートラント攻城戦(図説付)』
世界が欺かれた天才・鬼才の軍学『神算鬼謀100訣』
忘・新年会も怖くない!『ステップアップ☆マジシャン(初級編)』
他にも怪しげなポーズをとった黒檀の彫像も置かれている。それなりに値打ちの品だとは思うのだけど、両目と額で赤く輝く三眼が異様な妖気を発していた。
これってまともなお見舞いじゃないよね。
「今朝から隊のみんながいっぱい来てくれたんだ。エリちゃんとかシャノたんとか。エレナさんもチアロちゃんも来てくれた。あ、そのマジシャンの本はタ~タンが持ってきてくれたやつだよ」
個性豊かすぎます。蛍雪之功!
シェルさんとシャロンさんの姉妹は朝と夕に必ず見舞いに来ているようだし、トロさんも今日の夕には来ると聞いている。
ぷみさくたちも冒険の合間をぬって見舞いに来る算段をつけている様子だった。
「ま、りりちゃん。うっかりクィーンだかどうだか知らないけど、りりちゃんは皆が頼りにしてるんだからさ。焦らず、きちんと病気治してね」
「そだよ。りりちゃんがいないとオーブ探索に一人で行かなきゃいけないってシャノも寂しがってるしね」
「てかシャノの流感をもらったんじゃないの?治療費請求してもいいかも」
「それをいったら初っ端はエレナさんやん。軍神をも陥落させる細菌だぜ。そりゃちょっとやそっとの人じゃ太刀打ちできないって」
「エレナさんが倒れるほどだもんね。それじゃしょうがないか」
「そうそう。だからとりあえず無理しないで、しっかり休んで直すように!」
なんだか妙な流れにはなったが、リリアはなぜか納得した様子でベッドで横になっている。
柔らかな枕に上体を預け、「ピラでしょ…日課の討伐でしょ…王家も輝石貯まってきてるし…オーブもとらなきゃ…あ~早く良くならないかな」指折り数える様子からも少しは元気が戻ってきている様子が見てとれる。
油断はならないが、ま、あと数日もすれば流感も抜けるだろう。
快気の遠征も企画しないとな。焦らずに病気をきちんと直してくれることが条件だけど。
それまで俺も夜更かしを慎んで体調整えておかないと。
アトムとぽるか、それにリリアを交えた女子トークはしばらく終わりそうにない。
ソファでゆっくりと腰を落ち着けながら、俺は玻璃のむこうを流れる雲をただ追いかけていた。
天高く、純白の雲がゆったりと東の空へと流れていく。
山嶺は硬質の雪に覆われ、アズランの街中でさえ空気が肌を刺すほどに冷たい。冬の寒さはいよいよ厳しさを増している。
だが、仲間たちが集うこの空間は、穏やかで満ち足りた空気が漂っていた。
今年もこんな日々が続くといいなぁ…
そんな思いを抱きながら、俺は彼女たちの会話を子守唄にゆっくりと微睡の中に落ちていった。