Episode #015
グレン城。
オーグリード大陸の北部に位置し、遙か昔、500年前のレイダメテスの騒乱においても大陸公路を守る要衝として人々のよりどころとなった歴戦の名城だ。
褐色砂岩の城壁は今なお高く魔物の侵入を阻み、公路を行きかう人々の賑わいはたゆまぬ活気を見せている。
その日、俺は隊の仲間との討伐前に武器鍛冶ギルドの本営を訊ねるべくグレン城を訪れていた。
五大陸を結ぶ列車から下り、雑踏をかきわけるようにして階段を上る。階段を上りきった先に降り注ぐ陽光はすっかり春の温かさを含んでいた。
「あちゃ~…階段間違えたわ」
久々にグレンを訪れたためか、俺はうっかり西側の階段を昇ってしまったらしい。武器鍛冶ギルドを訪れるには東側の階段を利用した方がはるかに近いのだが。
今さら階段を下りて昇りなおすのもバカバカしいので、俺はそのままグレンの街中を東へと進むことにした。折角来たのだし、道中馴染みの顔を見てくるのも悪くない。
グレン駅の西口を出て、しばらく進むと街道の脇に佇むオーガの娘の姿があった。女優の卵シュリナだ。
今日も行きかう人々のしぐさを見て、芸の肥やしにしようと頑張っているのだろうか。
「…はぁ」
「…んん~?どした、シュリナ。元気ないやないか」
久々に会う彼女にいつもの活気はなく、うなだれた背中にどこか憂いが漂っている。
「なんだ?恋煩いか?よせよ、俺に恋したところで、旅から旅でろくに逢うことも出来ないんだからさ」
「そんなんじゃないですよ」
真っ向否定。コンマ3秒で撃沈。
こっちかて本気で言うてるわけやないんやから、少しはクスッと笑うくらいの愛想を見せんかい。
撃沈までの最短記録の更新に内心ショックを受けつつも、それ以上にいつもの生気のない彼女の様子がやはり気にかかった。
「悩み事やったらオッサンに言うてみ。解決にはならんかもしれんけど、少しは気晴らしになるかもしらんで」
「…ありがとうございます」
俺はシュリナの隣に場所を移し、同じように壁に背を向けて腰を下ろした。
こういう時は真向いに立つより、同じ方向に視線を合わせた方が相談する方も気が楽だろう。
「…この前、ちょっとした舞台のオーディションがあったんです。でも私それに落ちちゃって。選ばれたのは同じ組で受けてた子だったんですけど、やっぱり私から見てもその子はすごくて。この子なら選ばれるだろうなって思えるような子でした。…私より3つ年下で。でも…彼女を見てると、私って何もないなって思えてしまって…私…才能ないのかな…この道が向いてないのかも…」
シュリナはところどころ言葉を切り、ぼそぼそと力なく口を開いた。
瞳ににじんだ涙を拭うのが気配でわかる。俺は行きかう人々に視線を留め、シュリナの顔は敢えて見ないことにした。
「…なるほどね。そーいうことか」
隣で小さく鼻をすする音がして、次いでふぅっと長い嘆息があった。
「俺は頑張ってるやつに頑張れと言えるほど頑張ってないからな。気軽なことは言えないんだけど…。シュリナが才能がないって言うんならそうなのかもしれないね。向いてないと言うならそうなのかも。でも、俺個人としては『才能がない』って言葉は都合の良い逃げ口上に聞こえちゃうんだよね」
小さく息をのむ音がする。
「俺はさ、冒険者として日々過ごしてるわけで、一応前衛としてやっていこうと思ってる。俺に才能があるかどうかなんてわかんないけどさ。でも実際、結構頑張ってるつもりだけど、まだまだ足元にも及べない人がゴマンといるんだわな。
蛍雪のメンバーの中でだって、エレナさんやシャノ、ミカノさんなんかにゃ太刀打ちさえできゃしないよ。トロさんだって俺なんかよりはるかに重くて鋭い攻撃をする。前衛に限った話でもそんなのはいくらでもある。これが戦闘職全般になったら話にもならないよ。
いろんな役割を十全にできる人もいるのに、こっちは本職だってポカってる体たらくだしね。泣きたくなるよ。
でも…それを『才能がないから』って言っちゃうのは何か違う気がするんだよね。それって彼女たちが今に至るまで積み重ねた努力を無視する見方だと思う。
今、俺が及ばないのは、俺の努力がまだ彼女たちの努力に及んでないだけのことだと思うんだ。
仮に努力の量だけで言えば、俺の方が勝っていたとしてもそんなもんには意味がないしね。人それぞれ持ってるものは最初から違うんだし。努力を人と比べたところで虚しいだけだよ」
俺の長い独白にもにた言葉はシュリナに届いているだろうか。
しばらくの沈黙。行きかう雑踏の喧騒だけが春のグレンに響いていく。
「現時点でシュリナがその子に実力で及ばないというのならそうなんだろう。そこは俺にはわかんない世界だからね。でも…きつい言い方になっちゃうけど、今のその子の実力を超えるにはシュリナの努力が足りてないってことなんだと俺は思うよ」
遠くグレン駅の西口から現れた人影を見て、俺は腰の埃を払って立ち上がった。
紫檀の髪を耳元ですっきりと切りそろえた長身の女戦士が歩いてくる。おそらくエレナだろう。全身にまとう凛とした気配が遠くからでもはっきりとわかる。
「ま…その努力を続ける情熱をいつまでも持ち続けられるかどうかってのが才能なのかもしれないけどね。
シュリナがまだ女優を目指すっていうのなら『才能がある』ってことなんだろ。オーディションに落ちるとか、失敗を重ねるとか…そういうマイナスがあってもその道を目指し続けられるとしたら、それは得難い才能なんじゃないかと俺は思うけど」
エレナの方でも俺を見とめたのだろう。遠くから軽く右手を挙げて挨拶を交わす。
「だいたい舞台とかって一人の大女優で作るもんじゃないだろう?それ以外の多くの役者、俳優たちが力を合わせて作るもんだと思うんだけどな。
…俺はどんな役でもいい、シュリナが舞台に立つところが見てみたいよ。端役だろうがどうでもいい。村人そのイチみたいな役であったとしてもシュリナの演技を見てみたいな」
その道の険しさは俺には分からない。情熱があるからこそ苦しむ時も必ずあるのだろうと思う。
でも、だからといって諦めるのがいつも最良とは限らない。シュリナには多少の失敗なんかで自分の情熱をあきらめて欲しくないと思った。
「や、シュリナ。なになに?ま~たデボさんにセクハラでも受けたの?」
「ふん。さっきコンマ3秒で瞬殺されたわぃ」
「さっすが。でもまたどうせ節操なく女の子にちょっかい出すんでしょ。懲りないね」
「あったりまえやん。素敵な女性は真っ向から口説く。そりゃもう美を愛でる男のマナーやと俺は思うで」
「…まぁ世間一般のマナーとはだいぶ違うと思うけどね」
胸を張る俺にエレナがやれやれと嘆息する。
シュリナの消沈に気づかぬはずはないが、それを気づかぬ態で受け入れる大度がありがたかった。
「デボさん、そろそろ約束の時間だよ。試練の門討伐…」
「おっと…もうそんな時間か。ユエちゃんやぽるちゃんが待ってるかな」
エレナが腰の皮袋から転移の飛石を投げてよこす。
飛石の魔力で一気に仲間の元へ飛ぼうという算段だろう。
「そいじゃね、シュリナ。元気出していこう」
転移の飛石の魔力でふわりと宙に浮かんだ瞬間、ぽつりとエレナがつぶやいた。顔を上げたシュリナに軽く微笑んで片目をつぶってみせる。
「これだもんな。俺なんかじゃ到底かなわないよ。全部もってっちゃうんだもんなぁ」
エレナが飛石の魔力で遙か彼方へ転移を行うのを確認してから、彼女を追うように俺も飛石の魔力を開放する。見慣れた浮遊感があり、次いで足が地を離れる。
「またね、シュリナ」
「はいっ!」
本格的に浮遊するその直前、投げかけた俺の言葉にシュリナの力強い返事があった。
その瞳に彼女の本来の生気が蘇っている。目で確認することはもはや叶わなかったが、目で見ずともその声が雄弁にそれを物語っていた。
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「こんばんわわわわわわ~っ!」
無駄に元気一杯にリリアが扉を開けて飛び込んできた。
メギストリスにある隊の詰所。エレナと共に転移の飛石で飛んできたのだが、予定していたぽるか、ユエ以外にもシャノアールやあいあ、トロ、エリエールと言ったメンバーも一堂に集まっていた。
「いつも元気いっぱいやね」
笑顔でリリアに応じながらシャノアールが言葉を返す。
ぽるかと軽くハイタッチを交わし、リリアは荷物袋から討伐指令書を引き出した。
「ちょっとお願いがあるんだけど、ピラミッド探索、誰か手伝ってくれないかな?」
「はいはい!いくいくーっ!」
「行きたいですっ!」
エリエール、アトムが即座に応じる。
ピラミッド探索をピクニックか何かと勘違いしてるんじゃなかろうか。討伐行に行くにしては場違いなほどに陽気な返事だ。
まぁうちの隊らしいと言えばそうなのだが。
「エリたん、装備装備っ」
「オッ!これはマズイ」
善は急げとばかりに飛び出していこうとするエリエールに、あわててぽるかが制止の声を飛ばす。
見ればエリエールは部屋着とも言える軽装に盾と武器しか持っていない。いくらなんでもそりゃ緊張感がなさすぎですよ、お嬢さん!
「ピラミッドの魔物もエリたんの脚線美でイチコロだね」
「でしょ~♪ほら見てよ、この白い肌♪」
トロの言葉に、エリエールが気前よく応じてスカートの裾からすらりと伸びた脚を見せた。
男性陣から喝采が飛び、シャノアールが「おいおいっ!」とばかりにあわててツッコミをいれる。
(シャノも大変だな…)
「こはくちゃんはどう…?」
リリアが詰所の奥で杖の手入れをしていた女の子に声をかける。
髪を二つのお団子にして頭の上で結い上げている。形よく整った玉子型の輪郭、小さいが鼻梁の通った鼻、大きな双眸はまだあどけなさを残していた。
こはくは隊の中で随一とも言える若手の一員だ。
「えぇと…行きたいんですけど…明日、早起きしないといけないので…」
「お?何か予定あり?」
すかさずトロが質問の矢を飛ばす。
「いえ…早起きできないと、お母さんに前髪パッツンにされちゃうんです!」
思わず珈琲を吹き出した。
こはくと言えど戦場にあっては兇悪な魔物を相手に果敢に戦う冒険者だ。
歴戦に勇を成す強面の連中に比べれば、いくらか戦力としては発展途上であることは否めないが、彼女の挙げた武勲だけでもAランクのボスモンスターの首級がいくつも挙がる。
その彼女が最も畏怖するのが「お母さん」とでもいうのだろうか。
「でも前髪パッツンって最近のトレンドだよね」
「前髪切りすぎた~ってね」
「あ~でも前髪パッツンはやっぱ勇気いるよ」
先だって銀紫色の長髪をバッサリと切ってイメチェンを図ったユエなどが熱く応じている。
「こはくは起きれないから…ちゃんと寝なさい」
タ~タンが保護者らしくきりっとした言葉を発する。
「タ~さんも〝ちゃんと〟寝ないとね!」
「はうっ!」
俺が思わず発した切り返しにタ~タンは思わず言葉に窮する。
こはくちゃんが朝弱いというのも面白いが、保護者であるタ~さんは夜が弱いというのもまた興味深い。俺自身が言えた義理ではないのだけど。
「ま、今からピラに行ったら遅くなっちゃうしね。前髪パッツン防止のためにも、こはくちゃんはまた今度かな」
リリアが大人らしい収めを見せて、シャノアールが肯いている。
その後、多少のやり取りがあって、結局ピラミッド討伐はリリア、シャノアール、エリエール、アトムの4人が行くことになった。
「そんじゃ我々もそろそろ行きますかね」
予定の刻限を大きく過ぎていることもあり、エレナが杯を煽ってから立ち上がった。
ま、杯と言っても中に入っているのは酒精ではないのだが。
「むぅ…マズイ。ハラが減ってきた」
ユエが席を立ちながら、眉根を寄せて呟いている。
「そうめんでも食べときゃいいやん。得意のやつ」
「いや…あれのカロリーはなめたらアカン」
「道中食べながら行けばいいよ。メギス鶏の唐揚げもってるよ~。冷製唐揚げ!」
「ぽるたん…それってほんとにオイシイの?甚だ疑問なんだが…」
旅装を整えつつ、交わす会話が素麺だの唐揚げだの…。
ホント平和だ。つくづく思うがホント平和だ、このチーム。
愛用の得物を手にしながら俺はしみじみとそんな感慨にふけっていた。