Episode #016
「ふぅ~…なかなかレアはでないね~」
「まぁ運だからね」
乱戦の後、武装の乱れを直しながら誰にともなくぽるかが呟き、息一つ乱すことなく爆炎で戦闘を終結させたエレナがそれに応じた。
ユエは腰の革袋をのぞき込みながら、何やらごそごそと中をまさぐっている。
この日、陣容としてはややイレギュラーながら、前衛に爪を装備したぽるか。そのすぐ後ろに棍を持ち魔力付与を行う俺が続き、後衛にユエとエレナが両手杖を持って攻撃魔法を繰り出している。
高位の治癒魔法の使い手である僧侶がいない。立ち回りで敵を翻弄し、いかに攻撃を受けずに倒すかがポイントとなる布陣だと言える。
それでも既にアイスゴーレムやアビスソルジャーたちはもちろん、ゼドラゴンやディーバといったAクラスの敵も問題なく駆逐を終えている。予定している先で残しているのはブラバニクィーンのみ。
さすがに熟練の冒険者たちと内心舌を巻く思いだった。同じ隊の仲間でこれほど心強いことはない。
「さて…次はウサギか。この布陣でいけるかな」
「ん~、どうだろう。ま、何とかなるでしょ」
正直ブラバニクィーンは個人的にはあまり相手にしたくない敵だった。メインボスである黒ウサギの痛撃で瀕死のダメージを負うことも少なくない。しかもその取り巻きが魅了や混乱、眠りなどといった多くの状態異常を持ち攻撃に厚みをもたらしている。
生半可な準備で臨めば、熟練の冒険者であっても痛い目をみることが少なくない。
が、エレナはもちろん、その背を預かるユエも一向に怯む様子を見せない。さも当然とばかりに旅装を整えて、次の試練に備えている。
「そうだ…今日、デボさんにあった時、シュリナさんいつもの元気がなかったけど、何かあったの?」
「…んお?うん。まぁあれだよ。どの道も優れた奴がいて、思うようにならなくて凹む時もあるって話…かな」
「…なるほどね。ま、あんまり立ち入ったことは聞かないけど」
「ん?何?デボさんがまたふられたって話?」
エレナとのやり取りにユエが割って入る。
両目がいたずらっぽく微笑んでいる。何で俺がふられたって決めつけてるねん。まぁ事実ではあるのだけど。
「うん。そう。なんかコンマ3秒で瞬殺されたらしいよ」
「いいね、グッジョブ!」
ぽるかも便乗する。
「しっかし懲りないよね。節操なくちょっかい出しまくって、少しは凹むってことがないの?」
「愚問を。俺が口説くのは俺の方に振り向いてほしいからじゃないんだよ。美しいと感じたものに、素直に美しいと伝えているまで。こりゃもう男としてのマナーやと俺は思うで!」
「なんかさっきも似たようなことを言ってたな…」
エレナが心底呆れた顔でため息をついた。
はっはっは。男と女の関係を山に例えるとして、凹む暇があれば次の頂きを目指す方がよほど理にかなってる。そもそも滑落も遭難も山を登ろうとする段階で『あるべきこと』として覚悟してるはずやのに、結果にいちいち一憂するのは極めて男らしくない。
あきらめたら試合終了ですよ、って昔どこかの偉い人がいってたはずだ!
「あかん…なんかデボさんが求愛行動する野鳥か何かのように思えてきた…」
「そんなの野鳥に対して失礼だよっ!」
ユエとぽるかが言いたい放題を抜かしている。覚えてやがれ。
「あのさ…ちょっと質問」
次の試練への準備を整えつつ、ユエがおずおずと右手を挙げた。
ぽるかが威勢よく、はい、ユエくん!と指名している。いつからここは「ぽるかスクール」になったんだ。誤爆学校か。
「女の子に飛龍で上空から叩き落されるのと、カルサドラの火口に放り込まれるの、どっちがいい?」
何ちゅう質問だ。
「そんなもんな…聞くまでもないっちゅうねん。ユエちゃんとぴったりタンデムして飛龍に乗れるなら突き落とされても構わへん。ぽるちゃんとしっぽり混浴で寄り添えるなら火口に放り込まれたって大歓迎。当然です」
「ん…了解。ソロで火口に叩き落すわ」
「それがいいね」
二人の表情が妙に空々しい。自分たちから話を振っといてそれはないだろ。
「さ、それじゃそろそろ最後のシメと行ってもいいかな?」
妙な感じで会話が一段落した頃を見計らってエレナが試練の門への扉を開く。
バカな会話をしながらでも準備に余念がなかった面々は、言葉短くこれに応じる。開戦を前に既に平素の笑みはない。油断なく引き締まった戦士のそれに変わっている。
開戦。
ぽるかが体勢低く飛び出していく。両手に煌めく硬質の爪に俺の魔力付与が飛び、空気を切り裂くように青く燐光が帯を成す。
背後から二人の魔術師の詠唱が響く。早い。魔力が収束し、空気に緊張感が満ちていくような錯覚を覚えた。
最初の一撃はぽるかだった。
両爪が魔物の一体を深々と抉る。右、左、右と繰り出した爪撃がまるで一瞬の出来事のようだ。交錯した瞬間に肉片と魔物の体液が宙を舞い、耳障りな異形の咆哮がそれを追った。
反撃の隙を見せず、ぽるかの小さな体は既に相対した魔物との距離をあけている。
後背では既にエレナが高位魔法の詠唱を終えている。大地にはユエが張ったのであろう魔力拡大の五芒星が赤く色を成していた。
開戦前、二人の間で交わされた言葉はほとんどない。それでも何の打合せもなしでここまでタイミングを合わせてしまう連携にこちらはついていくだけで精いっぱいだ。
(シュリナ、世の中にはこういうバケモノみたいな人たちが一杯いるのよ。いちいち凹んでたらキリがないわな)
思わず脳裏にグレンで見たオーガ娘の姿がよぎる。
魔力の発現により空気中の水分が一瞬にして氷結する。それは魔物の体内とて例外ではない。魔力に形どられた鋭くとがった氷柱が、まるで棘のように魔物の表皮を食い破って突き出してきた。
一瞬、電気でも流されたように魔物の体が跳ね、その瞬間は全てが運動を止める。エレナに次いでユエも詠唱を終え、いまだ冷気が漂う空間をさらに青白く氷結させた。
魔物の反撃がぽるかをとらえたが、うまく上体を反らして痛撃を裂けている。
小柄な体は攻撃の重みという点ではマイナスに働くこともあるが、ぽるかはその体躯の利点を巧妙に活かし、防御に秀でる動きを見せていた。
無理に抗わず、時に大きくふき飛ぶことになっても打撃を受け流すことに集中している。
開幕数合。まだこちらに深刻なダメージはない。俺の回復魔法でも辛うじて戦端は保持できるか。
「敵の攻撃を分散させよう。お互い重ならないように注意して。味方を壁にして動ければベスト」
乱戦の中、エレナの冷静な声が飛ぶ。
戦場を俯瞰でとらえる彼女の眼には、この乱戦にあっても敵の脅威とこちらの戦力分布が明確に描かれているのだろう。
巧みに位置を変えながら冷厳なまでの意思と無駄のない指示で戦況を左右していく。まさに戦場のコンダクターだ。
エレナとユエの爆炎の魔法が動きが鈍ってきた敵を確実に仕留めていく。
二人は円の外周を描くように場所を変え、俺とぽるかがその中央でめまぐるしく互いの位置を交錯させた。
(こりゃそろそろ終いだな…)
戦況はこちらに大きく傾いている。開戦以降、要所要所を締めて主導権を決して逃がさない。
よほどのことがない限り、このまま終息していくと思われた。
刹那。
瀕死の魔物が放った魅了の呪縛がぽるかを捉える。
別の魔物からの追撃を避けることに集中していたため、呪眼をもろに浴びてしまったようだ。留まることのなかった身体が躍動を止め、ぽるかの瞳は光を失う。
正体を失った虚ろな双眸が、緩慢な動きで俺を捉える。両爪が持ち上がり、全身に再び力がたわめられた。
背筋を緊迫した悪寒がよぎる。
味方であれば心強いことこの上ないが、敵に回られると正直たまらなく厄介だ。
ポンッ!
まさにぽるかが俺に向かって疾走を開始する瞬間、するするっと滑るような動きで彼女の後背に回ったエレナが彼女の正気を取り戻した。
双眸に光が呼び戻され、焦点を失っていた視点がキョロキョロと周囲を確認する。
「あらら…私、もしかして惜しかった?」
「うん、惜しかった」
正気に返ったぽるかは瞬きほどの間で事態を把握したのだろう。エレナに目線で礼を言い、短く妙な会話を交わす。
なにが惜しいだ。あとできっちり折檻してやるっ!
ユエの放った爆炎が、ぽるかを魅了した元凶を貫く。残るは一体。
最後の一体、漆黒の魔兎の両眼は殺意と憤怒で深紅の炎をあげているようだ。
次の瞬間、魔物の体が一回り大きくなった。全身の力を一気に収束させる。そこにあるのは獰猛な殺意そのものだった。迫りくる死への恐怖も何もない。
背筋がちりちりと粟立った。
魔物の後肢が大地を蹴る。そのあまりのすさまじさに敷石の一部が蹴り飛ばされ、土埃が渦を巻く。
瞬間小さな影が魔物と交錯した。ぽるかだ。敵の筋肉の隙を突き、全身の力を霧消させるべく狙い澄ました一撃を放つ。が、体勢低く突進してくる魔物の速度は予想をはるかに超えていた。額に数条、薄く毛先をそぎ取ったのみでぽるかの鋼爪が虚しく宙をかく。
殺意の向かう先は…エレナ。
黒い塊が文字通り空を切り裂いて魔術師を襲う。
ドゴォォォォォォォン!!
ブラバニクィーンの体躯がエレナと重なったまさにその瞬間、周囲をつんざく爆音と紅蓮の光芒が視界を焼いた。
あまりのことに声を失う。
轟音に次いで、灼熱の火球と化した肉片がゴロゴロと石畳の上を転がっていく。その正体がさっきまで俺を戦慄させた脅威の主…ブラバニクィーンであることを理解するまで、たっぷり二回瞬きをするだけの時間が必要だった。
「…動物はよく燃える」
眉一つ動かすでなく、エレナのまったく普段とかわることのない一言がその一戦の終結を告げていた。
狂気の殺意を向けられ、その一撃を浴びるまさにその瞬間、間半髪の差で攻撃をかわし、超至近…ほとんどゼロ距離での爆炎の魔法をカウンターであわせた軍神の神技はまさに開いた口がふさがらない。
前髪についた多少の埃を軽く払う。なんら動じることもなく、食後のテーブルを拭くかの気軽さだ。一体どれほどの死線を乗り越えれば、あの境地に辿りつけるというのだろう。
「今晩のシメは味噌ラーメンにしよぅ!」
ユエの全く脈略もへったくれもない一言が戦場の緊張を解きほぐす。
仲間たちの笑いが響き、春風が火照った体に心地よい。俺の目指す頂きも見果てぬ雲の向こうにある。前途があることが今は妙に嬉しかった。
降り注ぐ陽光が、また新たな季節の到来を予感させた。