Episode #019
『デボネアさま、すこし…お願いがあるのですけど、聞いて頂けませんか?』
その日、俺は収拾した小さなメダルを石板に交換するべくラッカランの島主ゴーレックの元を訪ねていた。
ゴーレックはバトルマスターの師範ジェイコフの親友にして、アストルティア屈指の豪商の一人だ。なぜだか小さなメダル収拾に心血を注いでいて、旅先で拾い集めたメダルを換金することは、冒険者たちにとって大きな収入源になっていた。
「んん?ササラナちゃん。どないしたん、思いつめた顔して…?」
島主と商談を終え、帰路についた俺を呼び止めたササラナの表情には、普段見せない思いつめたような陰がさしていた。
資産管理などに抜群の才能を見せる彼女は、ゴーレックからの信任も厚く、その柔らかい物腰は冒険者の中でも評判がいい。特に彼女が教えてくれる整理術のおかげで、俺たち冒険者の荷物はより一層コンパクトに収納が出来、旅にも大いに役立っていた。
『実は…』
足を止め、俯いて何かを悩む様子のササラナに話の先を促してやると、彼女はポツポツと呟くように話し始めた。
思いつめた視線には悲壮感さえ感じさせる。声は彼女の不安を宿し、ところどころ語尾が震えた。
『私の整理術は…元々母から教わったものです。幼なくして父に先立たれた私は、母と二人でカミハルムイに住んでいました。
その頃、母は優れた整理術を富豪の方に気に入られ、今の私のように資産管理を任されていたようです。私はそんな母が大好きでした。誇りでした。
母から教わる整理術は…まだまだ基礎的なのものでしたが、幼い私はそれを身につけたときに母に褒めてもらえるのが嬉しくて…明けても暮れても整理術のおさらいをしているような子供でした…。
そんな母がある時突然私の元からいなくなったんです。
ある晩、仕事の事情でカミハルムイをしばらく離れなくてはならなくなったからと、私をマトイおばさんに預け、それっきり姿を消してしまいました。
翌日、何人もの怖そうな人たちが母を訪ねてマトイおばさんの元を訪れました。中には剣をちらつかせておばさんを脅す人たちもいました。私はそれがただ怖くて怖くて…。
私は最初、母がとんでもないことをしてしまったのかと思ったのですが、マトイおばさんとご主人は決して暴漢たちの脅しには屈せず、幼い私に『あんたのお母さんは決して曲がったことをする人じゃない!あんたは彼女に誓って私たちが守ってあげるからお母さんを信じるんだよ』と言い続け、独り立ちするまで私のことを支えて下さいました。
もちろん私は今でも母を信じています。ですが…母がどうして私の元を去ってしまったのか。今、どうしているのか。
母から教わった整理術を世に広めていけば、いつか母にもう一度会えるんじゃないかと思って続けてきましたが…。
正直不安なのです。もし母が亡くなっていたとしても、私はその弔いさえしてあげられない。
デボネアさまは今やアストルティアの各地にも詳しいと伺っています。お仕事の合間でも構いません。どうか…どうか私の母の消息を調べて頂くことはできないものでしょうか…』
ササラナは感極まった様子で俺の袖を掴んだ。よほど一人で長い間悩み、思いつめてきたのだろう。
目にうっすらと涙をたたえ、すがるように袖を掴むササラナの両手の震えが、言葉以上に彼女の思いを伝えてくる。
「わかった。ちょうど今度の依頼でカミハルムイに行くことがあるしね。マトイさんにもう一度話を聞いて、追えるところまでお母さんの足取りを追ってみせるよ」
カミハルムイには実際は何の用事もなかったが、ササラナの思いを捨て置くことは出来なかった。
ちょうどしばらく大きな作戦もない。ササラナには整理術の恩があるし、何より女の子に悲しい涙は似合わない。
『ありがとうございます!…そうだ…マトイおばさんに会われたらこのピアスをお見せ下さい。マトイおばさんから頂いたものです』
そういってササラナは両耳に下げていた琥珀色のピアスを差し出した。
なるほど見ず知らずの俺がマトイを訪ねて行ったところで彼女が真実を話してくれるとは限らない。
「ありがとう。預からせてもらうよ。成功報酬は…そうだな、今度一緒に飯でも食べに行こか」
俺がピアスを笑顔で受け取ると、ササラナはうっすらと涙をたたえた瞳を潤ませて、はにかむように微笑を浮かべた。
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翌日、カミハルムイを訪れた俺は、王都の南西部に住むというマトイの元を訪れていた。
純白にわずかに血の色を宿した桜の花びらが今日も大路を華やかに彩っている。
「桜ってな~…ちょっと怖いねんな~…綺麗すぎて。どやっ!俺を見ろっ!みたいな鬼気迫る美があってな~…。綺麗なんだけど怖いねんな~」
『あんた…なに一人でぶつぶつ言うてるの?』
大路を南に歩きながら路傍を埋める桜につい一人独白してると、庭の手入れをしていた初老の女に声をかけられた。
エルフというよりむしろドワーフに近いような丸まった身体。人のよさそうなつぶらな瞳。頭頂部でひっつめられた髪がぴょこんと天を指している。
「あ~…えっと…もしかしてマトイさん?」
『んん?確かにあたしゃマトイだけど…あんた何者??』
思わず探していた当人に出会えた俺は、ササラナから預かった琥珀のピアスを差し出して、かいつまんで様子を伝えることにした。
当初、両の瞳に不審の色を隠さなかったマトイだが、話をしていくにつれ事態を了解したのか食い入るように俺の話に耳を傾けるようになった。
『ササラナのお母さん、エンジュさんはそれはそれは器量良しでね。人柄も良かった…。
でもある晩、お屋敷に泥棒がはいってね。その犯人がエンジュさんだって言ってそりゃぁ強面のならず者みたいな連中がうちに押しかけてきたさ。エンジュを出せってね。
確かにその日の晩に彼女は私たちに幼かったササラナを預けていったんだから無関係なんかじゃないだろうさ。でも絶対に犯人なんかじゃない。彼女はきっと何かに巻き込まれたんだ…』
確信をもって話すマトイに、俺はなぜ彼女がそこまでエンジュを信じられるかに疑問を抱いた。
血縁の情だけを鵜呑みに出来るほど、世の中は綺麗なもんじゃない。
『…あたしたちにはさ…ササラナと同じくらいの年の娘がいたんだ。でもね…ある日あたしと主人と娘の3人が一度に酷い疫病にあたっちまってね。
当時のことを思い出すだけで震えが来るほどの重い病さ。全身に岩を乗せられたような重さと、針でくまなく突き刺すような痛み。熱も酷いもんだったと聞いた。
街の医師が匙を投げるほどの疫病だったんだ。
それをエンジュさんは自分がうつる恐怖をおさえて寝ずの看病をしてくれたんだ。三日三晩…ほとんど不眠不休さ。
四日目の朝、ようやく目をあけることが出来たあたしに、彼女は泣きながら詫びてくれた。娘は…どうしても病の峠を越えることが出来ず、二日目の夜に息を引き取ってしまったって。
悲しかったさ。…そりゃ自分の心を殺されるのと同じだからね。
でも決死の看病を続けてくれたエンジュさんが泣いてくれて、どれほど私たち夫婦が救われたか…。
だからあたしゃどんなことを言われたって彼女を信じるし、ササラナのことを支えていきたいんだ…』
福々しい外見からは想像もつかないほどの凄惨な過去に思わず俺は生唾を呑んだ。
ササラナとマトイをつなぐ血縁を超えた固い絆の意味が、そのような過去にあったなんて…。エンジュは確かに素晴らしい人だったのだろう。
(こりゃ何としてでもエンジュさんの足取りを掴まないとな…)
内心決意を新たにした俺は、マトイにエンジュが勤めていた豪商のことを聞いた。
豪商はエンジュが失踪してから数カ月後に、カミハルムイを引き払ってメギストリスへと移り住んだらしい。
『何年か前に…風のうわさでお館さんは亡くなったって聞いたよ。その後のことはわからない。あたしたちには縁のない話だからね。エンジュさんを犯人扱いした輩なんて…。
…んん?たしかにそうか。エンジュさんの行方を知るためには、あの家に聞くのが一番早いかもしれないね。ただ…お館さんが亡くなってることを思うと…
たしか…そうだ、パッポルちゃん。パッポルって一人息子がいたはずだから、もし今もメギストリスにいるとしたら、彼が家を継いでるんじゃないかしら』
「パッポルね…ありがとう。おねーさん、また今度旅の土産でももってくるよ」
『ははは。おねーさんなんて呼ばれたのは随分久しぶりだね。ありがとう。ササラナの力になっておくれね』
マトイと笑顔で別れの挨拶をかわすと、俺は豪商の行方を追って詰所のあるメギストリスへと踵を返した。
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『パッポルぅ?ああ、お城の近くにある豪邸の若旦那のことじゃない。なんだ、デボ。何か用があるの?』
パッポルという名に聞き覚えがないかと詰所を訪ねたのだが、シャノアールがあっさりと記憶の中からパッポルの名を探り当てた。
流石に頼りになる姉さんだ。
年下の美女を捕まえて姉御呼ばわりをするのもどうかと思ったが、俺にとって剣の師であり冒険の達人でもある彼女にはどこかしら姉御的な風格が漂う。
自宅は存外女の子然としているのだが、大剣を振り回して魔物の群れに突入していく様子は、世間一般の女性像とは大きく隔たりがあるだろう。
ま、戦場に咲く花の魅力は、戦場に行ったものにしかわからんからな。
「シャノ、ちょっと付き合ってや」
『…ん?しゃーなしやで』
事情もろくに話をしないまま、俺はシャノアールをともなってパッポルの元を訪れた。
危険の有無さえも話さないままで同行を了承してくれる存在が何よりもありがたい。ササラナの一件は、いかに信頼できる相手と言えど、早々口外していいものでもない。なんせ俺自身の問題ではなく、ササラナ個人の名誉にかかわる危険性もあるのだから。
無論、パッポル相手に剣をちらつかせる必要はないと思うし、仮にそうなったとしてもそうそう遅れをとるとも思わない。が、ならず者まがいを使ってマトイを脅すような相手であれば用心に越したことはない。
隊でも屈指の剣客であるシャノアールがいれば、一軍を相手にしたとしても互角以上に渡り合う自信があった。今は何より心の余裕こそがものを言うのだ。
が、いざパッポルの元を訪ね、実際に当人に会って話をしてみると、これらの警戒は杞憂に終わった。
『エンジュさん…ですか。確かに当時のことは良く覚えています。父が彼女を血眼になって探したのも覚えていますよ。ただ…私はどうしてもエンジュさんが父の言うような犯人だとは思えませんでした。
ええ、彼女がうちで働いて下さっている時に、いろいろと私もお世話になったんです。ちょっと後片付けの苦手な子供だったんでね。エンジュさんが笑いながら手伝ってくれて、色んなことを教えて下さいました。あの人が犯人なわけはありません。
その後、エンジュさんを探している内に、父は何やら大きな失敗をやらかしたようです。
『ギルザットで魔物にカギを奪われた…』とか言っていたようですが…。私が捜索隊を指揮しようと提案したこともあるのですが、それは酷い剣幕で止められました。おかしな話ですね。
その後、父は体を壊し床に臥せるようになり、私も数年前まで商売で各地を転々としていましたのでカギの一件もそれっきりです。
エンジュさんの一件と父がギルザットで失くしたカギの一件が関係するとは思いませんが…』
パッポルはそう言って力なく笑った。
確かにおかしな話だ。エンジュの一件にしろ、カギの一件にしろパッポルの父はならず者の力を借りることはあっても、パッポルに関わらせようとしていない。
次代を担う子息を話の外に置くとすれば、あくまで個人的な話であったのか。いや…使用人が屋敷から何かを窃盗したとすれば、個人的な話ではありえない。
ギルザットで魔物がカギを奪うのも妙な話だ。
カギというからには何かしらの扉なり錠前をあけるためのものだろうが、魔物が錠前をあけることに興味があったとは考えにくい。
鳥類が巣にヒカリモノを収集するように、魔物が貴金属である鍵そのものに興味をもって奪いさったと考えるのが自然だろうか…。あくまで推測の域をでないのだが。
シャノアールが何かを思い出したかのようにはっと顔をあげた。
『デボ…以前あらくれチャッピーの巣で結構な数の貴金属が集められてるのを見たことがある。もしかするとギルザットのチャッピーの巣を叩けば、意中のカギが手に入るかもしれないよ』
「なるほど…チャッピーにそんな習性があるなら考えられるね。…てかシャノ、チャッピーの空き巣を狙うようなことしてたんか」
『もう時効でしょ。強盗したわけじゃないんだからいいじゃない』
シャノアールがチャッピーの巣から貴金属を拾い上げている様子を想像して俺は思わず吹き出した。
パッポルが怪訝な様子で顔をあげ、彼の死角でシャノアールの肘鉄が俺の脇腹に鋭く刺さった。
「ギルザットでのカギは我々の方で少し探してみることにします。パッポルさんは…その申し訳ないのですが、エンジュさんが失踪されるきっかけになった一件について、わかる範囲で調べて頂いてよろしいでしょうか?」
『わかりました。エンジュさんのことは私も少なからず気がかりです。できる限りのことはしてみましょう』
パッポルの居室を出て、俺は一路詰所へと向かった。
ギルザットのチャッピーの巣を手当たり次第に捜索する。言葉で言うのはたやすいが、実際に行動するとなれば相当な根気がいる。しかも相手は凶暴な魔物だ。
生半な連中では危険が増すばかりで大して実績をあげることは出来ないだろう。
『隊の連中なら、今日の夕方には結構帰ってくるんじゃないかな?』
何を伝えたわけでもないのにこちらの意をくんでシャノアールが言葉を発した。
なに?俺ってそんなに考えてることが筒抜けなん?
『ま、デボが考えそうなことだよ』
笑って歩く盟友の背中が妙に心強かった。
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「…と、いうことです。作戦は明朝8時から。各隊に分かれて手当たり次第にチャッピーの巣を確認してください。カギの様子はわからないけど、カギに類するものであれば私の方へ渡して下さい。それ以外の貴金属については各自の判断にお任せします」
幸いその日の詰所には多くの僚友が集まってくれた。
エレナ、ミカノ、トロ、あいあ、リリア、ぽるか…ぷみさくやクーニャン、エリエールにちなちなの顔も見える。
一堂に集結した仲間たちに俺は簡潔に事情を説明する。
この段に至ってはササラナの話も伝えないわけにはいかない。もちろん口外不要の案件だが、隊の連中なら何も言わなくても事情を飲み込んでくれるとわかっていた。
「チャッピーといっても多少の危険をはらんでいますので、各隊単独行動は控えて下さい。アトちゃん、ぽるちゃん、リリちゃんは迷子癖があるからちゃんとPTのメンバーについていくこと。いいかな?」
『うっ…』
『迷子癖なんかないもん!』
『ぽるかと同じ扱いを受けるなんて…ううっ』
一部から何やら恨みがましい声が聞こえてくるが、とりあえず聞こえない振りをした。
『これはお~きな貸しやで』
ユエが笑って肩を小突く。
「もうしわけない。ちゃんと体で返すよ」
『そやな…んじゃ心臓か肝臓かうっぱらってもらおか。狂った連中が喜んで換金してくれるやろ』
『ユエちゃん、デボさんの臓器なんか変な感染症もってるに決まってるじゃない』
『それもそうか…。役に立たん奴だな』
散々な言われっぷりだが、その言葉の後背にある親愛の情がありがたい。
『それじゃ皆さん、とりあえず今日はデボのおごりってことで!かんぱーい!』
シャノアールが椅子の上に立ち上がって高らかに乾杯を告げる。それに呼応して詰所内は乾杯の号令の大合唱だ。
うう…今日の飲み代、どれくらいになるんだろう…?
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翌日、俺たちは隊員総出でギルザットの捜索を行った。
今回は魔物駆逐ではなく、魔物の空き巣を襲うという情けない内容だが、僚友たちは嬉々として草原の中を駆け回っている。
途中、魔物と遭遇して戦闘になることもあったが、手練れ揃いの仲間たちにかかれば大して危険があるわけでもない。
むしろ執拗に巣を襲われる魔物の方がいい迷惑といったところか。
アトムとぽるかがお約束といった感じで迷走し、うっかりフォレスドンの群れを連れてくるというハプニングはあったが、それ以外に大きなトラブルもなく捜索は進んだ。
多少風雪にさらされて汚れた感はあるが、結構見事な宝石の付いたネックレスが出てきたり、小さなメダルが数枚でてきたり。
貴重な財宝の大抵はチアロが見つけ出してはいたのだが、皆そこかしこでそれなりの遺失物の収集を終えていた。
『これじゃない?カギって!』
夕刻になって、ようやくクーニャンがカギらしきものを発見した。
彼女が手にしたそれは、ドワーフ製の精緻な装飾の施された大振りなカギで、中央に真っ赤な宝石が飾られている。どういう細工なのか宝石の光の向こうにドルワームの紋章がうつり込み、光の加減で不思議な光沢を見せている。
その精巧な仕上がりはまさに芸術品と言っても過言ではないだろう。
「たぶん…これに間違いないね。ありがと、クーちゃん、みんな。お礼はまた必ずするよ」
『ふふっ、いいよ。おたがいさまだよ』
落日を前に俺たちは捜索を終え、飛石の力を借りてメギストリスに舞い戻った。
隊の面々はそのまま詰所へと向かい、いつものように不夜城の賑わいの一つになるに違いない。
一方の俺は、エレナとシャノアールという両雄を伴ってパッポルの館を訪れていた。同行を申し出てくれたエレナの理由は「どうせ私は飲めないからね」というものだったが、おそらく彼女はこのカギに何かしら感じるところがあるのだろう。
カギを見つけた時に彼女がはっと息をのんだ気配があった。
『これは…デボネアさん。さぁどうぞ』
俺たちを招きいれるパッポルが一瞬怯んだ様子を見せた。
確かにシャノアールとエレナに脇を固められた図というのはちょっと落ち着かないかもしれない。二人とも平服でいる時は眉目整った素敵なお嬢さんに間違いないが、武装そのままで来た今回は歴戦の勇士の凄みがある。
種族的に小柄なパッポルが二人を伺うように階段を上っていく様子にちょっと同情してしまった。なんとなくその気分はわからないでもないよ、と。
「私の隊でギルザットの魔物の巣をくまなく捜索したところ、このようなものが見つかりました」
『これは…』
差し出されたカギをみて、パッポルが目を見開いた。
俺にはこのカギがなんなのかさっぱり見当がつかないが、彼もエレナ同様なにか感じるところがあったに違いない。
『そのカギ…ドルワーム王国の特別金庫の鍵ではないですか?』
良く通る声で静かにエレナが言葉を発した。
決して大きくはないその声に、パッポルは雷に打たれたように小さく飛び上がる。見上げた瞳が何かに怯える色をたたえていた。
『…確かに私もこれがドルワーム王国の特別金庫の鍵だと思います』
エレナのまっすぐな視線を受けて、隠し切れないと観念したようにパッポルはカギの正体を認めてみせた。
うわさには聞いたことがある。
ドルワーム王国にある全く他者の圧力に屈することなく、契約者の品を確実に保管・管理するという特別な金庫の存在を。
カギを持たない場合は、国家や冒険者ギルド、魔術師教会など世界屈指の権力を相手にしても決して中身を開放することはないという独立機関。
噂では国家が転覆してしまうほどの秘密や、世界に破滅をもたらしかねないほどの魔力をもった呪物なども保管されているという。
並大抵の秘密であれば、そこまで厳重な金庫に保管する必要はない。
世界に冠する特別金庫に保管するということは、それほどに守るべき…いや隠すべき秘密が大きいということを示しているのではないか。
『そのカギがあるからといって特別金庫を開けられるわけではないと思います。契約者当人ではない以上、おそらく血脈や契約の内容についても調べられるでしょう。
万一、そのカギがあなたのお父様のものでなかった場合は、カギは単なる装飾品に成り下がります。ですが、もしあなたのお父様が契約者であった場合は…』
『そもそもこのカギを見つけてきてくださったのは皆さんです。知り得た情報は隠さずお伝えするとお約束します』
『お父様の名誉を傷つけるような情報であっても?』
『!!?…もちろん…父の名誉を傷つけることがあっても、真実を隠しておくことは私にはできない』
詰問する様子のエレナに、パッポルは感情を押し殺すように返答を絞り出した。
決して高ぶる様子を見せずあくまで視線を注ぐだけのエレナの静かな圧力が、目の前の小さな男を追い詰めていた。
たしかに俺自身、エレナには出す手すべてが読まれているように錯覚することがある。そうした時、彼女は「カンだよ」と笑うが、おそらくエレナ自身の優れた情報収集力とそれを整理して分析する知力の発露に他ならない。が、対峙したものにとってはその分析眼こそが最も恐ろしい。パッポルも今そういう畏怖を覚えているに違いない。
「わかりました。あなたにお任せします」
俺の言葉に、はっと視線をあげたパッポルの泣きだしそうな表情が何とも印象深かった。
その後、俺たちはことの進展があった場合の連絡先をパッポルに伝え、屋敷を後にした。
落日はすっかり地平の彼方に沈み、空を漆黒の帳が覆い、その遙かな高みに星々が赤や青、白の輝きを瞬かせている。
『しっかし、さっきのエレナさんの迫力…すげぇ』
「うん…指一本動かさずに獲物を追い詰めた感じだったよな」
『ヒドイな、私がパッポルさんを追い詰めたみたいじゃないか』
「いやいや、エレナさんにその意識はなくても、相手は勝手に追い込まれてたよ」
『てかエレナさん、どこまで話を知ってたの?』
『ん…?えとね…何年か前にカミハルムイで使用人が何かを奪ったって事件が起きたのは何かの記事で読んで知ってた。それがササラナさんと関係してたとは知らなかったけど。
それから、どこかの富豪がギルザットで魔物の襲撃を受けたことがあったことも、その時になぜだか官庁を使っての捜索隊が指揮されることもなく、妙な噂が立ってたことも少し覚えてた。
今回の話を聞いて、それらがパッポル父を要にして少し繋がって見えてきてたけど、そこにあの鍵が出てきたからね。おそらく特別金庫には官庁には明かせない類のモノが入ってる。
パッポルさんに悪い噂は聞かないし、誠実そうな人に見えた。だからこそ、暴かれた秘密が悪に類するものであった場合、うっかり魔がさすことがあると思っただけ。
事前に言っておけば、少なくともうっかりで道を踏み外すことはなくなるかもしれないじゃない?』
歩きながら淡々と説明するエレナに、俺もシャノアールも開いた口がふさがらない。
『やっぱエレナさんは凄いわ…』
「大師匠には絶対勝てないって俺良くわかったわ」
『大師匠じゃないし。さ、皆がお財布の到着を待ってるよ』
そういって屈託なく笑うエレナを俺は心底頼もしく感じた。
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パッポルから詰所に連絡が入ったのはそれから一カ月ほど経った時のことだ。
真相が概ね明らかになったので、ぜひ話を聞きに来てほしいとあった。
日時の指定はない。が、こちらの都合の良い日にできるだけ早く…パッポルの方で必ず日程は合わせますと添え書きがされていた。
俺はシャノアールとエレナに声をかけた。
往訪は一応先方に連絡を入れ、明日の昼に伺うと伝えた。
シャノアールはいつもと同じ様子で快くうなずいて見せたが、エレナは軽く微笑んで首を振った。
『私がいると、パッポルさんも必要以上に緊張されちゃうかもしれないからね』
パッポルのためを思ってのことであっても、前回彼を詰問してしまったことが彼女の中でかすかな後悔を生んでいるのかもしれない。
強すぎる光は時に対象を焼いてしまうということか。強すぎるというのも中々苦労が多いものだ。
結局俺は初回同様、シャノアールと二人でパッポルの元を訪れた。
俺たちの姿を見とめたパッポルが、首を伸ばして周囲を探すそぶりを見せる。
エレナは今回は来ないことを告げると、短い嘆息の後で明らかに落胆した様子でパッポルは肩を落とした。
おやおや…これってばエレナさんに魅せられちゃったってことでないかい?
内心で思わず北楚笑む。
「エレナさん…今日も来た方が良かったかもね」
『…んん?なんで?』
「!?…シャノ、お前そーゆーとこはびっくりするほどニブイよな」
『!?…うっさいよ』
客室に通された俺たちは前回同様すすめられた通りソファに腰を下ろす。
今回は二人とも平服できているので、それほどの違和感は感じない。芳醇な香りを醸す紅茶が運ばれて鼻腔をくすぐる。これ、絶対高いやつや…。
『やはりあの鍵はドルワーム王国の特別金庫の鍵でした。それも私の父が契約していました』
簡単な挨拶の後、意を決したようにパッポルはそう言葉を紡ぎだした。
素晴らしく空調のきいた客室にあって、額には汗を浮かべている。それが暑さからくるものではなく、内心の昂揚、おさえがたい衝動からくるものだとは容易に想像がつく。
パッポルの報告を要約するとこういう話だった。
パッポルの父は、致死性の高いメラゾ熱という難病のウィルスとワクチンを使って莫大な富を生み出すことを計画した。
すなわちウィルスで人々を罹患させたのち、高額なワクチンを売り捌いて巨富を得るという話で、まさに鬼畜の計画とも言える。
ウィルスとワクチンの入手までは計画通りに進んだのだが、ここで予定外の出来事が起こる。
それがエンジュの失踪事件だ。
エンジュは計画の存在に気づくと、ワクチンを手に行方をくらませてしまったのだ。
パッポル父は闇の請負人の力を借りてでもエンジュの行方を追い、その命を奪ってでもワクチンの奪還を謀ったのだが、その足取りは杳として知ることはできなかった。
ワクチンのないウィルスは単なる危険物に他ならない。
この世の中で最も安全と言われるドルワームの特別金庫へワクチンを収め、いよいよエンジュの捜査の手を広げようとしたまさにその時、パッポル父の乗った馬車が魔物の襲撃に遭ってしまった。
パッポル父自身は命を長らえることができたものの、数々の宝玉と一緒に肝心の特別金庫の鍵が魔物に奪われてしまったのだ。
官庁の手を借りればあるいは鍵の奪還は果たせたかもしれないのだが、理由を聞くことを畏れた彼はカギの捜索を後手に回し、エンジュの消息を優先することに決めた。
そんな中で彼はエンジュが既に他界していることを知る。
追手から逃れる最中に、彼女は魔物に襲われて致命の深手を負ってしまったのだ。愛する娘の名を呼びながら、彼女が息を引き取ったのがウェリナード王国の辺境にある小さな寺院の中だった。
そして彼女の遺品はヴェリナード教会に収められ、既に手出しできなくなったことも知ってしまった。
失意の底でパッポル父は何とかしてエンジュの遺品を手に入れようと試みたが、それを果たせないまま自身も病で床に臥せるようになってしまった。
『エンジュさんには本当に申し訳ない気持ちで一杯です。私の父が愚かなことを計画しなければ、彼女は魔物に襲われることもなかったでしょう。
ササラナさんの人生を狂わせてしまったのも、彼女から最愛の母を奪ったのも全て私たちが原因です』
悔恨に涙するパッポルは、膝の上で硬く両手を握りしめていた。
愛する家族の非道を知ってしまった衝撃は、おそらく余人には想像もつかない。彼もまた愚かな計画の犠牲者なのだ。
『メラゾ熱のウィルスはどうされたのですか?』
『ドルワーム王国の研究機関、ドゥラ院長へお渡ししました。おそらくメラゾ熱の解明にもっとも有望な方だと思いましたので。メラゾ熱の対処法が明らかにされれば、少なくともメラゾ熱で人生が狂わされる人はなくなるかもしれませんから…』
「ササラナさんにお会いしたいですか?」
『!!ササラナさんにっ!?会えるのですか?…いや私などが会ってもらえるとは…でも、許されるならば直接会って不明をお詫びしたい。私の父の罪が許されるとは思いませんが…!』
パッポルの言葉には誠意が込められている。
ことここに至ってササラナの元をパッポルが訪れることに障害はないと俺は思った。
「彼女はラッカランのゴーレック氏の元にいます…」
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夕刻、俺たちは鉄道に乗ってラッカランを訪れていた。
パッポルには翌日の往訪を提案したのだが、彼は頑なにそれを拒んだ。ササラナに詫びることは既に彼にとっての使命に近い。
『あっ…デボネアさま』
仕事の傍ら、ふと俺たちの来訪に気づいたササラナが軽やかな笑顔を見せる。
が、それも一瞬のことで、傍らで深く頭を垂れるパッポルを見て、彼女は暗然たる予想を抱いたに違いない。笑顔は隠れ、すぐにそこに沈痛な憂いの表情が浮かんだ。
『…母は…ヴェリナードで亡くなったんですね』
全ての顛末を聞いた後で、ササラナは静かにそう言葉を発した。
既に母の死を想像していたのだろう。内心の動揺を露わにせず落ち着いた様子でただそれだけで口を閉じた。
エンジュがササラナの名を呼びながら世を去ったと聞いた時は、流石に彼女も両手で顔を覆っていた。
あふれる涙がしなやかな指の間から滴り落ちる。
『全てはおろかな私の父の過ちです。どのような償いも致します…ササラナさん、私は貴方にどう償っていけば良いか…』
『償いなど…。どんな償いをして頂いたところで母はもう帰ってきません。過ぎ去った時間が戻らないのと同じように。
それに私は私の母が間違っていなかったことがわかっただけで満足です。母から教わった整理術を誇りを持って広めていきます』
視線をあげたササラナの眼に曇りはなかった。
まだ双眸は涙にぬれて、赤く充血してはいたものの、そこには晴れやかな力強さが戻っている。
『あ…でも一つお願いが…』
『!?なんでも致します。おっしゃって下さい』
『メラゾ熱の解明…メラゾ熱で命を落とす人が出ないように…それをお願いしてもよろしいでしょうか』
『わかりました。ドルワーム王国のドゥラ院長の協力を仰ぎ、終生の目標としてメラゾ熱の解明に尽くします』
ササラナが微笑み、パッポルの低い慟哭がことの終焉を告げていた。
決して明るい終幕ではないが、一つの悲しい過去が明るい未来の光明となった瞬間かもしれない。
数日後、討伐を終えて帰ってきた俺にエレナが空の酒杯と果実酒の入ったボトルを掲げて見せた。
促されるまま杯を受け、濃紅色の液体が満たされていくのを眺めていると、静かな声でエレナが口を開いた。
『メラゾ熱のワクチン…見つかったみたいよ』
「え!?どこでっ!!?」
思わず杯を乱す俺に、エレナはカウンターに視線を移しながら言葉をつなぐ。
あれから後、ササラナとパッポルはエンジュが命を引き取ったという寺院と共に訪れたと言う。
その際、エンジュの最後を看取ったシスターが、エンジュの最後の言葉を彼らに伝えた。
『病の満ちる時…希望の石碑の下を調べて欲しい』
希望の石碑がブーナー密林地区の北東にある碑だと現地のシスターが教えてくれた。
護衛を雇い、石碑の下を掘り起こしたササラナたちは、そこに厳重に守られたメラゾ熱のワクチンを見つけたという。
『ワクチンが手に入れば、ドルワームのドゥラ院長なら量産することも出来るだろう。近い将来、メラゾ熱で命を落とす人はいなくなるに違いないね』
全てを静かに予見するエレナの言葉が希望となって胸にしみた。
そうなればいい。そうなるべきだ。
希望に満ちた真夏の陽光が、詰所の玻璃を虹色に輝かせていた。