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Episode #002

その日は始まりから奇妙だった。
秋の日には
珍しく朝から気温も高く、湿気を含んだ空気が肌にまとわりついて離れない。
決して気持ち良い朝とは言えなかったが、カルラの淹れてくれた珈琲を飲んで一息つくと、俺はいつものように段平を背負い外へと飛び出していった。

 

カルラもそろそろ独り立ちの時期かな

 

道すがらそんなことを考えた。
カルラというのは我が家の家事全般を担当してくれる娘の名だった。
世界宿屋協会と冒険者協会が手を結び、魔物などの影響で身寄りをなくした戦災孤児の支援プログラムの一つとして、彼女のようなスタッフが留守がちな冒険者の家宅を維持、管理してくれている。
冒険者の中には粗野で乱暴な連中も少なくないため、両協会の審査もあるし所属する隊の公認も必要となるが、概ね評判も良く機能していると聞く。
カルラが我が家に来たのは3か月前。

以来我が家は目を疑うほどいつもきれいに片付いているし、ふとしたところに花が一輪さしてあるなど、女性ならではの気配りがきいていて居心地がいい。
若い冒険者の中にはそのまま伴侶に迎えるケースもあるようだが、それはそれで悪くない話のような気がしていた。
無論、俺にはそのつもりは毛頭ないが。
俺はあくまで支援するものとして、彼女をしばらく預かっているに過ぎない。いずれ彼女は独り立ちして自らの人生を自らの力で切り開いていかねばならない。

 

レンドアの宿屋の女将さんが看板娘が嫁いじまったって笑ってたっけか。今度話をもちかけてみるか。

 

カルラならきっと多くの旅人に愛されるはずだ。
彼女の淹れてくれる珈琲が飲めなくなるのは残念だが、それよりも彼女の幸せを願う気持ちの方が大きい。
彼女には血と鉄の匂いのする生活よりも、花と珈琲が香る世界の方が似合うはずだ。
そんなことを漠然と考えながら、俺は街への道を急いだ。


隊の詰所にはほどなくして着いた。
居合わせた隊員と他愛のない話をし、その後に討伐依頼の内容を確認した。いくつかの依頼を確認し、他の隊員とパーティを組んで討伐に赴いた。
背中の段平の重さが心地よい。

 

討伐は太陽が中天に差し掛かる前に目的地に辿りつき、まだ空が明るいうちにあらかたの始末がついていた。
首筋をじっとりと濡らす汗をぬぐい、段平を染める魔物の体液を振り払った。太陽は中天を西に随分と傾いていたが、いまだに天高く大気は嫌な熱気を含んでいる。
その後、いくつかの依頼書をこなした俺たちは、夕陽が空を赤く染める頃には報告を終えて酒場で杯を傾けていた。

仕事上がりの一杯はやはり格別だ。杯になみなみと注がれた麦酒をあおり、ヴェリナード名産の魚料理に舌鼓をうつ。俺たちのささやかな至福の時だ。

 

シャノアールが現れたのはそんな時だった。
一仕事を終えた後なのだろう。少し疲れた様子の彼女は、それでも俺たちを見とめると笑顔を見せた。
俺より年少ではあるが、隊員としてはずっと古株の歴戦の戦士だ。剣の腕は体内でも屈指。まだ俺が駆け出しの冒険者だった頃から世話になり、一種の師弟のような関係にある。
妙に人望のある彼女の元へは自然いくつかの討伐依頼が寄せられてくるのが常だった。

この日も例外ではなく、杯を傾け剣技について語り合いながらそれらの依頼書を眺めていたが、やがて一つの封書に目が留まった。

 

ロヴォス高原の遺跡に巣食うキングヒドラの討伐

 

キングヒドラ。毒をまき散らす三つ首の巨竜で油断のならない相手だ。
過去何回か討伐したこともあれば、手に負えず退却を余儀なくされたこともある。が、ここ数回は狩りこぼしたことがない。

 

「いっとく?」

 

シャノアールが笑う。見渡せば同じように杯を傾けている面子の中にリリア、エリエールといった熟練者の顔があった。
声をかけると彼らもこの申し出を快諾し、すぐさま討伐行に赴くことになった。空はもう群青にそまり、中天には星々が瞬き始めていた。
慌ただしく旅装を整え、転移の秘石でグランゼドーラへ飛ぶ。ロヴォス高原のその更に高みに目的とする遺跡はある。

岩山を切り開いて築かれた古代の遺跡は、まだなおその端々に当時の文明の面影を残していた。が、長く風雪にさらされていくつかは崩れ落ち、シダ植物などがはびこって迷宮の様相を呈していた。
ヒドラが現れたのはそんな遺跡の奥まった一角。薬草取りにやってきた村人が数人襲われて命を落としているらしい。

 

「準備はいい?」

 

遺跡の奥地で休むヒドラを見とめ、俺はパーティの面々に確認を促した。
この日は前衛に俺とエリエール、中軸にリリア、後衛の治癒士にシャノアールといった布陣だった。シャノアールの真価は前線にあってこそ、エリエールも後方にあってその勇を発揮するが、行きがかり上今回は配置を別にした。
それでも十分に勝算がある相手だと俺は踏んでいた。

 

開戦直後、後方からの障壁や護りの雲の魔法が飛ぶ。
三つ首あるキングヒドラ討伐の肝は、如何に挑発してその行動を操作するかだ。やや散開陣形をとった我々はシャノアールとリリアの回復魔法を後ろ盾に俺とエリエールの長剣で敵を削り、序盤はやや優勢に戦闘を展開していた。
敵の行動を阻害し、隙をみて重厚な斬撃を繰り出す。ヒドラの牙や爪の攻撃は重く、苛烈を極めたが2名がかりの回復が容易に陣形の崩れを許さない。牙と爪、鉄塊と魔法の応酬は激しさを増したが、それでも俺は自分たちの勝利を信じて疑わなかった。

戦況が一変したのはほんのわずかなほころびからだった。

 

ヒドラが中衛のリリアに狙いを定め、突進を開始してきた時、ほんの一瞬俺の中に迷いが生じた。
リリアへの攻撃の意思を阻害し矛先を別に向けさせるべきか、それともこの流れを活かし、彼女に集中していることを逆手にとって敵に痛撃をあたえるべきか。

 

俺とエリエールは後者をとった。
その矢先に、ヒドラの口から発せられた特大の火球が周囲を紅蓮に染めた。耐魔障壁をも突き破り俺とエリエールは耐え切れずにはじけ飛んだ。
昏倒するエリエール。その彼女に治癒を施すリリアの背に狂気にゆがんだ視線が6つ。後背から痛撃を受けリリアもたまらず大地に倒れ込んだ。
俺は瀕死の重傷を負い、四肢には重篤な火傷のあとがあった。シャノアールの治癒魔法が飛ぶ。強力な治癒術は俺の傷を瞬時に癒し、手足は再び活力を取り戻した。

次の瞬間、二つ目の火球が俺たちの頭上に降り注いだ。
 

目の前が暗転し、どこか遠くで鉄塊が大地を打つ音がする。それが自分が倒れた音なのだと気づくまでに数旬の空隙があった。かすむ目を開くと決死の表情で戦うシャノアールの姿が映った。
彼女は懸命に魔杖をふるったが、一度傾いた流れは容易には覆らない。
回復が敵の攻撃に追いつくことが出来ない。せめて前衛が敵の出足をくじくことが出来たなら戦況を変えることが出来たかもしれないが、その時二人の戦士は共に重篤なダメージを負って動くことが出来なかった。
そして最後の痛撃がシャノアールの体を捕えた。

 

圧倒的な敗戦だった。
くだらない俺の自負も戦士としてのプライドも根こそぎ持っていかれた気持だった。

 

***************


「イテテッ…ちょっとそこ、もうちょっと優しくしてや」

 

「うるっさいなぁ。ちょっと殴られた方が頭がすっきりしてまともになるだろ」

 

「くぅ~…火傷がひでぇよ、そっと軟膏でも塗ったろ~とはおもわへんか?」

 

「唾でもつけてたら治るんじゃない?」

 

「え?舐めてくれんの?」

 

「…バカ。いっそ喰われちゃえば?」

 

戦闘を終え、九死に一生を得た俺たちは、遺跡の片隅に腰かけて傷跡の治療を行っていた。
治療に当たるシャノアールの表情にやや陰りがある。

だが、前線にあってこそ真価を発揮するシャノアールを後衛にさげたのは俺自身。不得手とも言える回復であの状況を打破するのは困難を極めるだろう。
それよりも本職であるはずの前衛で判断を誤り、敵に攻勢にでるきっかけを与えてしまったのは他ならない自分自身だった。敗戦の責は俺にあると言っていい。

だが一方でどこか妙に明るい空気も漂っていた。

 

「こういうことがあるから、成功する喜びが大きくなるよね」

 

エリエールが大きく伸びをしながらつぶやいた。そのの言葉がその全てを表している。
圧倒的な敗戦であっても、その時々の経験が今後の戦闘に生きてくることもあるだろう。死戦を乗り越えた数だけ、俺たちはより強くなれる。

今の弱さはこれから強くなれる伸びシロを多寡を示していると言っていい。強くなれるかどうかはわからないが、切磋琢磨しあえる仲間がいることは間違いない。

 

「今度は倒すよ。何があっても…」

 

リリアの静かな決意の言葉が胸に響く。
そうだ、俺たちには次がある。そしてその次を共に歩むことのできる仲間がいる。

 

「さぁて、帰るか…」

 

汚れきった四肢を奮い立たせ、俺は段平を片手に立ち上がった。
その頭上、澄み切った夜空に天高く秋の星空が煌々と光り輝いていた。

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