top of page

Episode #010

遙かな地平に赤々と燃えるような夕日が沈んでいく。その陽光を受けて、灰白の城壁が茜色に染まる。

不夜城メギストリスはこの日、いつもの喧騒にも増してにぎやかに戦勝気分に沸き立っていた。

 

国王プーパッポンの尊い犠牲の元、大臣イッドを実働部隊としてメギストリスを魔瘴の闇に沈めようとした冥王ネルゲルの奸計は破れ、長く城内に滞っていた頽廃感も霧消した。

城内の一室に籠っていた王子ラグアスが、長い沈黙を払って賢者フォステイルと共に勇躍して脅威の排除に大きな影響を与えたことも、住人たちにとっては明るい要因だった。

 

人々は偉大なる前王プーパッポンを讃え、新たに大いなる才覚の陽光を示したラグアス王子に喝采をあげて祝杯をあげた。それは人々が如何に長い間、不安な日々を過ごしていたのかを表している。そこに罪はない。

 

しかしながら、戦勝に浮かれる人々の賞賛を受けるたびに、ラグアスの胸中には言い知れない罪悪感が積もっていった。

偉業と讃えられるラグアスの実態が、父とそして母アルウェの献身の上にあることを彼らは知らない。

 

願いを叶えるというアルウェ王妃のノートに禁断の三つ目の願いごとを書き入れようとした瞬間、ノートは灰塵と化して消え失せていった。
いつの日か、自身に凄惨なる破滅をもたらすという三つ目の願いをラグアスがノートに書きいれようとした時、灰になって消えてくれと願ったのは他でもないアルウェだった。

謎に包まれた彼女の非業の死が、自身を護るための献身であったと知った時のラグアスの衝撃は言葉に言い表すことが出来ない。

 

私の至らなさが父母の尊い命を奪ったのだ…何が英雄だ…

 

人目を忍んで城塞の一角に佇むラグアスの手に、悔しさと情けなさ、自身に対する憤りが涙となって零れ落ちた。

王子として沈んだ顔は見せられない。だが、讃えられるたびに降り積もる自責の念が胸に重い。

いっそ自ら命を断つことが出来ればいいのにとさえ思うが、それが父と母の献身を虚無に投げ捨てる愚挙だということも十分にわかっている。生かされた命を捨てることは絶対にしてはならなかった。

 

「王子、こんなところにいらっしゃったんですか。侍従の皆さんが探しておられましたよ」

 

不意に声をかけられて、ラグアスは慌てて涙をぬぐった。

振り返った先に黒衣に身を包んだ戦士が立っている。デボネアだった。

今回の一件で最初から最後までラグアスを支援した冒険者のうちの一人だ。

 

「デボネアさん・・・すいません。ご心配をおかけしてしまって・・・」

 

「・・・いやいや。皆、恐怖を払うことが出来て嬉しいんでしょうが、町中どこでも王子やプーパッポン王を讃える声と共に酒盛りしてますよ。主役がいらっしゃらないと侍従の皆様はお困りのようですけど」

 

「・・・・・」

 

言葉が出なかった。そんなラグアスの様子にデボネアが怪訝そうな表情を見せる。目じりに残る涙に気づかれまいと、ラグアスは夕陽に顔を向け目を細めた。

 

「私は皆さんに讃えて頂けるようなことは何一つしていません。むしろ己の未熟さで父と母の命を奪った罪人です」

 

「・・・ふむ」

 

デボネアはそういって押し黙った。

彼はラグアスと共にイッドとも対峙し、その一部始終を目の当たりにしている。願いを叶えるというノートが消失する際に見せたアルウェ王妃の幻影も一緒に見ている。ラグアスの罪を知っていると言っていい。

 

「王子はプーパッポン王が亡くなったのも、アルウェ王妃の謎の死も全て自分に責任があると責めておられるんですね」

 

「そうです。その通りです。私は…母の尊い犠牲に守られた命であったにも関わらず、長く自室に引きこもってこの混迷を払えなかった。父の不興を畏れ、逃げたのです。そして父の死も防げなかった。とんだ親不孝ものです!皆さんに讃えられるような立派な王子なんかであるものかっ!私の愚かさが父や母の死を招いたというのに!」

 

おさえていた激情が言葉になって溢れ出すのをラグアスは止めることが出来なかった。普段は饒舌なデボネアが言葉少なに耳を傾けていてくれることが呼び水になり、嗚咽と共に滂沱と涙が零れ落ちた。

 

「王子は国を守るものとして勤めを十分に果たされたと私は思いますよ」

 

「…いえ…すべては父と母のおかげです。私は何一つ果たしていません」

 

「王子が自身で責めておられるのは、子として父や母の命を救えなかった…というより奪ったと感じておられることですか」

 

「!!」

 

端的に指摘されて思わずラグアスはデボネアを見上げた。デボネアはラグアスの傍らに佇み、平素は見せない真摯な表情でラグアスと視線を合わせると、柔らかく微笑んで地平に沈む夕日に目を戻した。

 

「親にとって一番辛いのは子供の死です。子は親にとってみれば、体の外に生まれた自らの命、魂と言ってもいい存在です。愛する我が子のために命を差し出さない親はいません。それは親として自らの魂を護るためにごく当然の行為だと私は思います」

 

穏やかな言葉が心に滲みる。だが、ラグアスはそうまでして愛を示してくれた父母に、何の孝行もしていない自分への絶望から言葉がでなかった。

 

「王子は親孝行を何もしていないと自らを責めておられる。それが私には滑稽に思える」

 

「何をっ!」

 

滑稽と言われ、思わずラグアスはデボネアを見据えた。一瞬父と母に対する冒涜にも感じられて、頭に血がのぼる。

 

「父や母が亡くなれば親孝行ができないとでもお思いか。王子の親孝行はまだ始まってもないと言うのに」

 

「!?…それはどういう…」

 

「少し別の話をしてもいいですか」

 

返答に困るラグアスに微笑みを返して、デボネアは静かに話し始めた。

 

港町レンドアにとある防具職人の娘がいる。

彼女には父と母の他に、少し年の離れた兄がいた。父は腕利きの防具職人として冒険者の中でも少し知られた存在だった。聞けばグランゼドーラの宮廷へも上納するほどの名工だったらしい。

娘と父親の間には多少の軋轢があった。それは思春期の娘としてはごく自然な反発であったのかもしれない。防具職人として研鑚の日々を送る父親の態度にいらだちを覚え、20を待たずに彼女は家を飛び出していた。

 

外に出て、様々な職種の人々と触れ合い、多くの世界にもまれるようになって、彼女の中に滞っていた父親への軋轢は次第に影を薄くしていった。ようやく父親と一個の人間として向き合える。そんな淡い期待とも喜びともつかない感情を抱き始めた時、唐突にその機会は奪われてしまった。

 

父親が急逝したのだ。疫病だった。

悲嘆にくれる家族を支えようとしたのは兄だった。大黒柱を失って失意に沈む家族と、工房とに喝を入れ、自身の覚悟も新たに彼は防具職人の道を歩み始めた。

 

が、そこにも悲劇が襲う。防具用の鉱石の買付に行った旅先で不慮の事故に遭い、兄は志半ばにして非業の死を遂げた。

 

伴侶と最愛の息子を相次いで失った母から、生来の明るさが消えた。涙を酒精で拭うような日々が続き、精神と肉体の両面から生気が損なわれていく。

 

その母を支え、廃業を免れられないと見えた工房を立て直したのが彼女だった。

彼女は父への伝えられなかった思いを胸に、兄への支えられなかった悔恨を糧に日夜鉱石とハンマーに没頭した。

当時、女だてらに防具職人の道を歩んでいた者はいない。そして幸か不幸か彼女はまだ20を過ぎて間もないほどの若さであった。自然職人の世界では軽んじられ、父の名に泥を塗ると侮蔑の言葉さえかけられることもあった。馴染みの工人のいくらかはそんな彼女を支えてくれたが、父や兄の気鋭をしたって集まってくれたものの多くは工房を去って行った。

 

それでも彼女は諦めない。母を支え、その一方で基礎の基礎から鍛冶について学び直し、日の出とともにハンマーを握り、星々の瞬く夜空が朝陽に白む頃にまどろむような日々が続いた。

そうして彼女は工人の信頼を自らの手で掴み、彼女の手で鍛え上げられた防具の数々が市井で評価を得るようになっていった。

ふと気づいた時、母に笑顔が蘇っていた。研鑚に励む彼女を支えることで、母には生き甲斐が蘇り、その事が活きる力を生み出していた。

 

今ではレンドアで彼女の名を知らぬものはない。彼女の手を経て鍛え上げられた防具の数々は多くの冒険者の手に渡り、魔物の凶刃からその命を護ってきた。そして彼女の父の名声も、彼女を世に送り出した偉大なる先人として、今なお高まりを見せているという。

 

「私も駆け出しの冒険者だったころ、彼女の防具に命を救われたものの一人ですよ」

 

そういってデボネアは微笑んで見せた。空は夕陽の茜から星々の瞬く群青へと移ろっている。城壁から見下ろした市街地には炊飯の煙がそれぞれの軒先から立ち上り、繁華街を行きかう人々の数も燈火に導かれるように賑わいを見せていた。

 

「王子がここで俯き、自身の非才を呪っていても何も変わらない。ですが、王子がこの後歩む道によっては王子を世に送り出したものとして、プーポッパン王の名声もアルウェ王妃への賞賛も不滅のものになるのかもしれない。死してなお忘れられない存在になるのは生前の本人の力だけではありませんよ。残されたものが残してくれた人への感謝を力に変えて励めば、それが賞賛に変わることもあるかもしれない。今はまだプーポッパン王もアルウェ王妃も親が子に愛情を示しただけのことです。それをメギストリス全体への愛情へと昇華するのは、王子の頑張り次第なんじゃないですかね。それが親孝行ってものじゃないかと俺は思います」

 

デボネアはここで言葉を切り、跪いてラグアスと同じ高さからその瞳をまっすぐに見つめた。

 

「いつしかあなたの功績を讃える人が現れた時、その時にこういえば良いじゃないですか。『私は彼らの子としてごく普通のことをしただけのことだ』なんてね。俺にとっては最高にかっこいい生き方です。できるかどうかわからないけれど、あなたにはそのチャンスが与えられたんだと思いますよ」

 

いつしかラグアスの双眸から零れ落ちていた涙が止まっていた。悔恨と自責でくすぶっていた自身の瞳が晴れ、新たな使命を与えられた高揚感に満ちてくる。それはかつて逃げ出したいとさえ思った王族の道だった。でも今はその王族としての道筋に光明がさして見える。

偉大なる父、慈愛に満ちた母が指し示してくれた明るい未来だ。

 

「ありがとう、デボネアさん。私は王族としてのお父様やお母様まで亡くなったものの列に加えてしまうところでした。私が王としてこの国の平和を築いていくことが、同じ王族であるお父様やお母様への感謝や賞賛に繋がることを失念していました。もう迷いません。できるかどうかわかりませんが、私は全力でこの国のために身を尽くします。少しでもマシな人間になることが、父や母への孝行につながるのですよね」

 

「その通りです。王子。いや…新たなるメギストリス王。そんなあなたを支える人もいるじゃありませんか。私も微力ながら務めさせて頂きます。さ、侍従の皆様が主役の登場を待っていますよ」

 

「ははは。わかりました。ですが、デボネアさん、あなたはこの国の家臣ではない。私に道を指示してくれる大切な友人だ。ですから、私のことも王ではなく、ラグアスとして接して頂きたい。できれば敬語も無用でお願いしたいくらいです」

 

「!?…それは…正騎士の皆さんに無礼者とつまみ出されてしまいそうですね」

 

二人は笑声をあげて笑いあった。

ラグアスにとって声をあげて笑うことが随分久しぶりのことのように感じられた。

 

「わかりました。まぁ謁見の際など状況を選びはしますが、敬語もなしのあくまで対等な友人として接しさせて頂くとします。そしてできることなら、その恩寵を私と同じ蛍雪の仲間にも与えて頂ければと思います。彼らもきっとあなたのことを大切に思っている。王族と対等な友人としては…少し品性が欠けることもあるかもしれませんが」

 

忍び笑いを洩らすデボネアの姿に、仲間への敬意と親愛が見てとれる。ラグアスの返事はもちろん「諾」であった。

 

「ではあらためて…行こう、ラグアス。皆が待ってる」

 

ポンと肩を叩かれて、ラグアスは破顔した。

プクランド、メギストリスに新たな時代が訪れようとしていた。

 

Please reload

bottom of page