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Episode #026

※本文は多少ネタバレの要素を含みます。妖精図書館第3話の「ふたりの未来」をクリア後に読まれることをお勧めします。

 

アカシアの黄色い花が風に揺られて強い日差しを柔らかく反射している。
沿道に植えられたポプラが敷き詰められた石畳にまだらに影を落とす。城壁の外に点在する砂ナツメの樹がそよそよとかすかな音色を耳朶に乗せていた。


熱砂の王国アラハギーロ。
 

デフェル荒野の東に位置する巨大な砂漠に建国され、建国歴は200年を超える。

その王国の城門を2頭引の馬車4台が連なってくぐっていく。巻き上げた砂塵が風に舞い、灼熱の陽光をわずかに隠した。
慌ただしい様子に城門付近に居合わせた人々が怪訝そうに目を向ける。1台の馬車の天幕が大きくめくれ上がり、そこから姿を現した人影をみて周囲の雑踏から驚きの声が上がった。

 

「けが人を東町の詰め所へ連れていきな!担架に乗せてそっと運ぶんだ。アンタは一足先に医者のところにいって診療の準備をさせるんだ。毒に侵された人が多いからね。毒消し草だけじゃ手に負えないから、市場でありったけのニガヨモギも買い集めておいで!」

 

オーガ族を優に超える巨躯の持ち主。背負う武器は朴訥な鉄棍。
黒衣をまとった異相の持ち主は衛士にテキパキと指示を飛ばし、自身もまた魔術をもってけが人を癒していく。

 

数人の治癒を終え黒衣の主が一つ息を吐いて立ち上がると、積み荷の手配を終えた隊商の長が慌ててその傍らに駆け寄ってきた。

 

『賢者マリーン様、ありがとうございます!おかげさまで死者を出すことなく辿り着くことができました』

 

「…まぁ運がよかったね。あれだけの群れが一度に襲ってくることは稀とはいえ、少し気持ちに緩みがあったんじゃないのかい?慣れた道とはいえ城壁の外は魔物の縄張りだってことを忘れちゃいけないよ」

 

『はい…!お恥ずかしい限りです。本当になんとお礼を言ったらよいか…』

 

「ふふん。ま、これも天の配剤って奴だろうよ。たまたまあたしが通りかかったのもね。どれ、診療所の医者が泡食ってるだろうからちょいとそちらの様子も見てくるかね」

 

『ありがとうございます!これは少ないですが路銀の足しにしてください!』

 

隊長はそういって金貨の詰まった袋を差し出した。
賢者マリーンと呼ばれた黒衣の主は、一瞥して薄く口唇を綻ばせると、短く礼を言ってひょいと革袋を懐にいれた。
立ち去っていく後姿に深々と頭を垂れる隊長に、隊員の一人が声を忍ばせながら歩み寄った。

 

『隊長…あの方は一体何者ですか?あれだけの魔物に臆することもなく向かう武勇。治癒の魔術を操るだけでなく、医療自体にも造詣が深そうですが…』

 

『彼女は…賢者マリーンは放浪の賢者と呼ばれるお方だ…』

 

『放浪の賢者…!?それって古い伝説の方じゃないんですか?』

 

『うむ…私にも良くわからないが、現にあの方はこうして生きておられる。私がまだ駆け出しの頃にも一度お会いすることがあったが、今と全く変わることがない…』

 

『不老不死…ってことですか』

 

『かもしれん…。だが現にこうして我々は彼女のおかげで生きながらえることができた。まさに僥倖だよ…』

 

若い隊員は数刻前に自らの身におきた出来事を振り返って思わず身震いした。
山間の岩場を抜けようとしたその時に、突如として沸き起こった黒蚊の群れ。その一匹一匹が強い腐食毒をもつ。剣などの武器で立ち向かうにはあまりに小さく、天幕で防ぐには絶望的なまでに数が多かった。
隊商とは別にたまたま通りかかった彼女がいなければ…彼女の操る爆炎の魔術と結界の守りがなければあの場で全滅してしまってもおかしくはなかった。

 

隊長が僥倖と尊び、深く頭を下げる思いと同じくして、隊員も路傍に姿を消していく黒衣の背中に向かって深く頭を下げた。

 

*************************************

 

「よし…これで何とかなったね。おつかれさま」

最後の一人の治療を終え、マリーンはきしむ椅子から立ち上がった。
毒消し草とその効果を増すといわれるニガヨモギを煎じた異臭があたりを覆う。いつしか診療所には賢者の姿を一目見ようと群衆が押しかけていたが、その様子を意に介することもない。

 

と、その時である。
群衆を押し分けて、王家の紋章をまとった衛士が二人、マリーンの元へ進み出てきた。

 

『賢者マリーン。このたびは隊商の護衛…そしてけが人の治療とありがとうございました。国王より国賓として王宮にお招きしたいと書状を預かってまいりましたが、ぜひご同道をお願いできませんでしょうか』

 

「はは。この流れ者を国賓として招いてくれようってのかい。人助けってのはするもんだねぇ。よろしい。よろこんで伺わせてもらうよ」

 

にやりと笑う賢者の姿に釣り込まれるように周囲の人垣からも笑みがもれた。
マリーンは医師と患者の治療について少し打ち合わせを行うと、衛士に伴われて王宮へと向かうこととなった。

灼熱の太陽はすでに西の山嶺に沈み、辺りには濃紺の帳がおろされている。沖天には星々が煌々と輝き、沿道のたいまつがパチパチと爆ぜる音を立てた。

 

(アラハギーロ…太陽の民…あの人の王国…)

 

歩みながら思いにふけるマリーンの横顔にたいまつがゆらゆらと影を落とす。
かつてマリーンが賢者と呼ばれるより遙か昔…放浪を始めた頃に、国王としてこの地を収めた剣士の姿を彼女は遠く追憶の中に思い浮かべていた。

 

『賢者マリーンのおかげでまた大切な人々の命が無為に失われることなく永らえることができた。心よりお礼を言いますぞ!』

 

アラハギーロ王はそう言って人のよさそうな顔に満面の笑みを浮かべながら、宴席のマリーンに酒杯をすすめた。
杯を重ねるマリーンは時に笑い、時に王の質問に答えて見識をふるい、時に各地の情勢について思いを語った。アラハギーロ王国は開放的で陽気な気質と俗に言われるが、現国王もその多聞に漏れず、人懐っこい容貌から笑みが消えることがない。

 

ふとマリーンの視線が壁に掲げられた1枚の絵画の元で止まる。
席を立ち、そのすぐそばに歩み寄る賢者をみて、国王は怪訝そうな表情を浮かべたが、彼もまた同様に席をたって彼女の傍らに歩み寄った。

 

『…ああ、こちらは砂漠の狼王と呼ばれた賢君…アラハ・アルラウルの肖像ですな。私の遠い先祖にあたります』

 

「…ラウル…」

 

絵画には白銀の髪を短く切りそろえた精悍な男の姿が描かれている。
大剣を背負い、褐色の悍馬にまたがった男は鋭い視線を虚空に注いでいた。稀なる美男ではあるが、日に焼けた風貌に浮かぶ表情はどこか寂し気に描かれている。

 

『狼王はデフェル荒野を荒らした漂盗の民を鎮撫したり、数々の旅を重ねて今なおこの王国を支える数々の作物を持ち帰るなど、まさに稀代の名君と呼ばれるに相応しい方でした。一方で謎も多い方で、決して妻を娶らず、ある時弟皇子に玉座を譲られると、終生旅を続けられたとしても語り継がれている伝説の方です』

 

「…彼は…アルラウル王は王家の墓に眠っておられるのかな?」

 

『…いいえ。もちろんその名は霊廟に刻まれていますが、残念ながら亡骸はございません。ずっと何かを探しておられた放浪の方でしたが、最後の放浪より今なお戻られたという記録はないのです』

 

「…そうか。…どこか旅の果てで…」

 

続く言葉は夜の闇に吸い込まれていくようだった。
言葉を失った賢者を前に、国王が古の王についての話を紡いでいく。

 

『何せ二百年近くも前の方ですので、そのように考えるのが自然だとは思います。もちろん、貴女と同様に今なお流離っておられるのかもしれませんが…』

 

「…ふふ。あたしが二百を超えるババアだとでも言いたいのかい?」

 

『いえっ!けっしてそのような…これは私の失言でしたな。どうか気を悪くされないでください』

 

「冗談だよ…実際に彼とは面識があってね。ずいぶん昔のことになるが…命を助けられたことがあるんだ…」

 

『なんと…狼王と…それは数奇な巡り合わせですね…』

 

国王はそれ以上言葉を発することなく、ひたむきに絵画に視線を注ぐ賢者の傍らに佇んでいた。

 

*************************************

 

翌日、東の地平から太陽が上り、砂漠を渡る風に乗って蝶が水辺をひらひらと舞う頃、マリーンはアラハギーロ王国の書庫に立ち寄っていた。
国王自らが書庫への立ち入りを許したもので、王家の歴史を記した青史はもちろんのこと禁断の書物と噂されるものもある場所へも自由に出入りすることができる。
しかしながら、賢者と呼ばれるマリーンが今更特筆するべき書物は稀だったが、彼女はその一角を離れることができなかった。

 

砂漠の狼王アラハ・アルラウルの生涯を編纂した書物を食い入るように読んでいたのだ。

かつてジャイラ密林の奥地でともに旅し、そして別れたあの後、ラウルと呼んだ彼がその後どのような生涯を送ったのか。
マリーンは時を忘れてそれを読み進めていた。

 

数冊目の本を棚から引き出した時、その傍らにひっそりと収められた古い手帳の存在が目にとまった。心臓が早鐘を打つ。
しかし、手にした小さな黒い皮の手帳は真銀の鍵で閉ざされていた。ベルトを断てばあるいはその中身を見ることができるかもしれない。だがしかし、百年を超える時を経て誰にも解錠されることのなかった手記を読むことに躊躇いがあった。

 

きっとそれはアルラウル王の手記に違いない。

戸惑いながらそっと鈍色に輝く錠前に指を這わせた時、不意に高い音を放って鍵が二つに割れてしまった。
ベルトがするりとはずれ、記された中身がマリーンの元にさらされる。
自らの意志…だけではなく、何か別の力に誘われるようにマリーンは紙面をめくった。

 

記された文字は確かに彼女が知るラウルのものだった。
流麗だが、少し癖のある文字にふと笑みが浮かぶ。

 

手記には狼王とよばれたアルラウル王の放浪が記されていた。

 

リィンの姿を探し、レンダーシア大陸の僻地まで危険を省みずに流離った記録。
リィンと思われる銀髪の娘の情報が克明に記され、その噂を元に各地を旅し、遂に見つけることができなかった苦悩。
自らの姿を求めてさまよったラウルの姿が目に浮かび、マリーンは大粒の涙を落としていた。

その手記に記された一文を目にして、彼女は深く息を呑んだ。

 

呪い…姿を変える…リィンはもはやかつての姿ではない?…呪いを解くには…

 

懊悩したラウルが走り書いたものだろうか。
それ以降の手記にはリィンを探しての放浪の記録に加え、各地で魔族の呪いについて研究を重ねたことが記されるようになった。
頁を読み進めていくにつれ、ラウルが魔族の呪いについて身命を賭して探求していく姿がわかる。

 

手記がいよいよ残りわずかとなった時、あるページに記されたメッセージを読んでマリーンは膝から崩れ落ちた。


親愛なるリィンへ
いつか君がこの手記を読んでくれることを願って想いをつづります。
悔しいことにことの真相はわからないのだけれど、きっと君はもう私の知る姿ではないのだろうと思う。
もしそうなら…それでも私は君を見つけ出したい。見つけられると信じている。
けれども一方で…
君を探して旅する中で、呪いを解く方法についても研究を進めてきた。
私に残された時間はもう永くない。でもついに解呪の方法を探し出すことができたんだ。
以下のものを調合した秘薬を呑んで、ジャイラの奥地クドゥスの泉に身を捧げて欲しい。
神々の呪いですら解けるはずだ。
在りし日の君の面影を想って。

いつかまた共に世界を旅をしよう。                     ラウル


そこに記された品物の多くは…シャイニーメロンを含め、アルラウル王によってアラハギーロ王国にもたらされたものだとわかり、マリーンは愕然とする。
震える指先でラウルの筆跡を追う。
賢者として薬学・医学に精通した今のマリーンであれば、その調合は不可能ではない。

 

デフェル荒野の北西に位置するジャイラ密林は彼女にとって因縁の場所だ。
そこに刻まれた因縁があまりに暗く…深いためにこれまで意図的に避けてきたものの、アラハギーロ王国が城壁を築いてその地を警護していると旅のうわさで聞いたことがある。
彼が忌まわしき地を封ずるために築いたものだと思ってきたが…。

 

真意は別にあったのか。

 

リィンの姿を元に戻すために…戻すための秘泉を護るために…周囲から遠ざけたのではないだろうか。
ラウルが姿を消してから、すでに百年以上の時が過ぎているという。その間、彼女自身は思いを隠すようにレンダーシアを抜け、異種族の住まう他の大陸を彷徨っていた。
人である以上、ラウルはすでにこの世にはいないに違いない。
けれど、彼はきっと今もリィンを探し…待っているのだと思う。死しても彼が待つ…その地はあそこに違いない。

 

どんなに長命だと考えてもラウルがこの世を去ってから百有余年が過ぎている。
ようやく意を決してこの地を訪れてみたものの、これすらも運命の導きではないだろうか。

 

自らの忌まわしき姿から逃れるように各地を巡り、大陸を飛び出して諸国をさすらった月日の長さが後悔をともって押し寄せてくる。
しかし、その一方で生涯変わることのなかったラウルの想いの深さが何よりも愛おしい。

 

マリーンはわずかに逡巡し、懐に手帳を収めた。
本棚に戻そうか迷ったが、そこに綴られた想いを読み、また朽ちることのない真銀が二つに割れたことを思うと、手帳も彼女の元にあることを望んだように思えたから。

 

旅装を整え、国王の元に赴き別れの挨拶を告げる。
微笑みながらどこへ向かわれるのか、という国王の問いに彼女は笑って「ジャイラへ」と告げた。

 

*************************************

 

デフェル荒野の北西。ジャイラ密林。
そこに鎮座する忌まわしき遺跡の一角で、マリーンは夜の星空に浮かぶ白銀の月を見上げていた。

 

体中の水分を失うのではないかという止めどない涙の跡が頬に残っている。
泣きはらした目に冴えた砂漠の風が心地よい。それは遙かな昔にラウルが頬に触れた様子を思い出させた。

 

『リィン…それで人間の姿を取り戻すのかい?』

 

傍らに落ちた帽子がうごめいて声を発した。かつてマホッシーと呼び、その実は忌まわしき魔神ジャイラジャイラではあったが、奇縁因縁いずれかによって結び合わされて今なおこうして旅を共にする存在だ。

 

『魔族だから呪いをかけることはわかっても、解くことについてはわからないけど…きっとそれで呪いを解くことはできるよ…』

 

「随分親切ね…だったら最初に教えてくれればいいのに…」

 

『魔族にとって呪いは与えるもので、解くものじゃないんだ。だから解けるなんて考えたことがなかった。でもきっと呪いを解けば…』

 

「私は死んでしまう。…でしょ?」

 

『わかってたの?』

 

「なんとなくね。私は人としてはあまりに永く生きてしまった。それを可能にしたのは貴方の力よ。この力があったから救えた命もあるのよね…」

 

『人を救うなんて思ったこともなかったけどね』

 

「生き方までは貴方に奪わせないわ。私は頑固なの」

 

『…知ってる。頑固で強情だ』

 

「ラウルは私に人として死ぬ希望を残してくれた。私はもう死ぬことは怖くない。だって彼の元へ行けるのだから…」

 

『死を希望だなんて…君は変わってるね』

 

「私が死んだら…貴方はどうなるの?」

 

『呪いが滅びても魔族である僕が消えるわけじゃないからね。またマホッシーになって別の誰かに憑りついてやるさ』

 

「…あいかわらずサイテーね」

 

呟きに反してマリーン…リィンはくくくっと喉の奥を鳴らすように笑った。
魔法の帽子もそれに呼応するかのように石畳の上を跳ねる。

 

『魔族にとったらサイテーはリィンの方さ。魔族の力を使って人を助ける羽目になるなんて考えたこともなかったよ。まったく、この二百年…君を呪ったことを後悔しっぱなしだ』

 

「嫌われたものね…。だってせっかく与えられた力ですからね。好きなように活かしたいじゃない」

 

『ま、好きなように…為したいように為すのが魔族だけどね。でもまぁ、正直こんな強情な宿主から解放されて、もっと素直で邪悪な宿主に憑りつきたいよ』

 

「ひどい話ね…邪悪を願う人がいるとでもいうの?」

 

『…いるよ。人の心は光に満ちているけれど、そこにはいつだって闇もあるんだ。リィンだってわかってるだろ…』

 

「…そうね」

 

彼女は嘆息を漏らすと再び視線を沖天の月に戻した。
確かに人は善性に満ちている。しかし一方でその心には常に闇も潜む。妬み、嫉み、恨み、辛み、怒り、悲しみ、憎しみなど…。
彼女自身、異形の身に落ちた日々を呪わないではなかった。愛するものを護るため、自らが選んだ道でなければ踏み外さないではいられなかっただろう。
そもそも光の民と闇の民が争うことがなければ、彼女もラウルも非業を負うことはなかっただろう。

 

「さて…と」

 

『人間の姿を取り戻しにいくのかい?』

 

「ううん。それはもう少し後にする。ラウルが護り、育んでくれたこの世を貴方たちにかき回されるのは癪だしね…」

 

『え~っ!とっとと人間になって僕を解放してくれると思ったのに!』

 

「いずれそうするわ。もう少しだけやっておきたいことがあるから。それに今までだってラウルは待ってくれたから…きっとあと少しくらい待ってくれるわよ」

 

壁際に立てかけられた古びた大剣がその時、かすかに揺らめいて月光を反射した。
それはなぜか微笑んでいるように…やさしい光だった。

 

「じゃぁね、ラウル。行ってきます。いつかこの地に…世界を護るという勇者が現れたら…何をおいてもあなたの元へ駆けつけるから。それまでもう少しだから待っていてね」

 

冴えた空気が張り詰めた密林の夜に、天高くから月光が降り注いでいる。
それを受け止めるように…そして導くように遺跡を包む湖が満点の星空を映し出していた。

 

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