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Episode #005

もう何度その扉を開けたのか。

最初にそこを訪れたのはまだ山麗に残雪が点在する春のかかりであったように思う。
先輩隊員であるタコノスケに紹介され、それ以来毎日のようにメギストリスにある討伐隊本部に顔を出している。

 

「デボネアさん、バイト…してみません?」

 

討伐隊の事務局員ポッカラがそう声をかけてきたのが、そんなある日のことだった。

 

何気なくその日掲載された討伐隊の依頼書を眺めていた矢先のことで、俺はただ視線だけが依頼書の上を彷徨ったが、数瞬の後ようやく言葉の意味を訊ねるように彼に視線を落とした。

 

プクリポ族であるポッカラはすっかり成人した大人であるが、その身長は俺の半分ほどでしかない。
自然見下ろす形になった。

 

「ギルザット地方のフォレスドン討伐依頼書、これを書き写す作業があるんですが、どうにも局員だけじゃ手が回らないみたいで。良ければデボネアさんに一日手伝ってもらえたら、と思うんですがどうでしょう?」

 

彼はそういって笑顔で微笑む。生命の危険を冒さず、それなりの報酬も手に入る。良い話だと思う。
それにしてもいつも手にする依頼書が手書きだとは。たまに解読が難しいような癖のある字の依頼書を目にすることもあったが、今回の俺のような冒険者がバイトで世に広めたものなんだろう。

 

「じゃ、今日はそれほど込み入った予定もないし、ご厄介になろうかな」

 

「はい!デボネアさん、キャラに似合わず女性的な字で読みやすいから局員だって大歓迎ですよ」

 

この人、結構よけいな一言が多いんだよな。

そんなことを思いながら、満面の笑みで俺を先導するポッカラの後を追った。


特殊なインクに羽ペン。討伐隊の落款。羊皮紙が…数百枚は束ねておいてある。

 

「…もしかして…こんなに書くの?」

 

書写は嫌いではないが、こんなに膨大な数を書き写したことはない。目の前に用意された羊皮紙の束に早くも逃げ出したい気分になりながら、俺は傍らのポッカラに視線を送った。

 

机を整え、書写の準備を手早く行いながら、ポッカラが笑う。

 

「大丈夫ですよ。ギルザットのフォレスドンは討伐隊としても最重要討伐対象と考えているのでいくら書写されても構いませんけど、百を超える数はそんなにでませんから」

 

百枚かぁ…と呟いた俺に畳み掛けるようにポッカラが話しかけてくる。

 

「報酬は依頼書1枚につき金貨1枚です。ご存知だと思いますけど、1人1枚ですからね。パーティで向かわれる場合は人数を確認してきちんとその分発行して下さい」

 

彼の視線が熟練の事務員のそれになっている。笑顔の下に『ミスは許しませんよ』という硬質の威圧感が潜んでいる。
生唾を飲み込み、俺は緊張した面持ちで席についた。

 

(こんなことならバイトなんかせずに討伐いっときゃよかったかなぁ…)

 

早くも逃げ腰になった俺だが、そんな心配を不審ととったのか一向に俺の依頼書を買い求める人間は現れなかった。

 

ぱらぱらと時折冒険者が依頼書を購入していく。

十数枚の依頼書をさばき、内心そろそろ切り上げるかな、と考えていた頃に見慣れた顔が討伐隊を訪れてきた。

 

蒼い髪を短めに切りそろえ、腰に短剣を佩いている。バネをたわめたような力感を感じさせるしなやかな長身。何気ない動きに一点の無駄もない。

エレナだった。

 

「おっ?デボさん。なに、バイト?」

 

他の依頼書に視線を送りながら、笑顔でこちらに歩み寄ってくる。
俺の手元に視線を落とし、内容を見て笑顔をはじけさせた。

 

「よかったじゃん。ラッキーだね」

 

「うん、でももうそろそろ…」

 

「じゃ、100万ゴールド貯めるまでは寝ずにやりなね」

 

俺の言葉を遮るように投げかけられた台詞に一瞬笑顔で応じかけたが、意味を理解して飲みかけていた冷えた珈琲を吹き出すところだった。

 

何を言うんだこの人は!

 

見上げた俺と、上から微笑むエレナの視線が交錯した。悪戯っぽく微笑む笑顔によどみがない。え、まさか…本気で言ってる?
言い返そうとした俺の呼吸を読んだのか、これしかないというタイミングでエレナは踵を返す。ついでに壁にかかっていた依頼書を一枚抜き取っていく。

一連の動作に彼女は最後まで俺につけいる隙を与えなかった。役者が違うとはこのことだろう。

 

「デボさん、バイト始めたんだって?手伝いに来たよ」

 

「私もちょっと知り合いに声かけてくるよ」

 

トロとエリエールが現れてからが本番だった。
気のいい彼らは俺の返事をまつことなく、俺の依頼書を広く宣伝するべく討伐隊をでて町へ繰り出していく。

実力があり、戦歴も古い。知己も多い彼らが声をかけると自然幾人もの冒険者が興味を持ち、やがて俺の前に列をなすようになっていった。

 

「デボさん、手が遅いよ!もっと書いて、ホラホラ」

 

エリエールがザラザラっと手に入れた金貨をおいていく。そしてその一方で書き上げた俺の依頼書を何十枚かもって再び街に繰り出していく。
トロも同様だった。
彼らは声をかけるだけに飽き足らず、どうやら街でそれらを引き換えてくれているらしい。俺の依頼書が飛ぶように売れていく。

 

目の前の行列も既に尻が見えない。
人だかりを前にして、俺は懸命にペンを走らせた。こんなことなら剣を振ってる方が幾分か気楽だ。

 

「デボさん、あと20。ほら急いでね」

 

陶器の鈴を鳴らすような良く通る声がして、見上げると淡い金髪に柔らかな微笑みを浮かべた女性が立っていた。

白磁の肌に大きな瞳。桜色の唇がいたずらっぽく微笑んでいる。

 

「ミカノさんまで!え、あ、はい。これどうぞ」

 

ミカノ。隊でエレナと双璧をなす熟練の冒険者。豊富な知識と戦局を見極める冷静な戦術眼のエレナに対し、一方のミカノはその風貌からは想像が出来ない圧倒的な火力が特長だった。グランゼドーラを彷徨う大型の魔物の渾身の一撃を片手剣でさらりといなしたことは隊でも語り草になっている。

 

その彼女までが俺の依頼書を片手に街へ繰り出していく。そんなに呼んでこられても、こっちの処理速度が追いつきません!

 

かつて駆け出しの冒険者だった頃、敵の力量を見誤って数匹の敵の中にただ一人自分だけが孤立する状況があった。

回復のすべもなく、殺意をもった赤い妖眼が俺を射抜く。あの戦慄が再び俺を襲う。

こんな街中で!生命の危機もないのに!

 

自身の前に列をなす冒険者たちが悪魔に見える。なぜだ?彼らは金貨をドロップしていくと言うのに!

 

「デボさん、手伝いいる?私も呼んでこようか?」

 

「凄い!行列30人はいるよ。もっと声かけてきた方がいい?」

 

リリア、ぽるか、ぷみさく。
馴染みの隊の仲間が、必死でペンを走らせる俺を心配しつつ、好意で声をかけてくれる。
俺にはそれにまともに返す余裕さえない。ありがとう、みんな。でもこれ以上集まってくると完全に詰みます。なので今は気持ちだけ、気持ちだけで十分です!

 

「デボさ~ん、早く書いてね~。まだまだ人呼んでくるよ」

 

「エリリン、やるなぁ。こっちも負けてられないや」

 

隊の中で随一を争う営業力をもつ2名は依然として元気に出入りを繰り返している。
広報に意外な楽しさを見つけてしまったのか、彼らは本業の冒険を差し置いて依頼書の宣伝にいそしんでいる。

 

あとでお礼しないとなぁ…

 

そう思うが、それについて深く考える余裕が俺にはなかった。ただひたすら機械的に羊皮紙にペンを走らせ、落款を押す。
羊皮紙、書く、落款、羊皮紙、書く、落款、羊皮紙…
その繰り返しに没頭した。

 

夜も更け、メギストリスの街頭に明かりが燈される。
空は燃えるような暁色から赤紫、そして群青に色を変え、今は抜けるような澄み切った漆黒の夜空に星々が瞬いている。

 

雲一つない夜空。地上では家路を急ぐ人の群れ、酒宴のにぎやかな街のざわめき。そういったものが混沌となって街を彩っていた。

 

「はい、よろしくお願いします…」

 

慣れない事務仕事で生気をなくした俺がゾンビさながら羊皮紙にペンを走らせていた。
視線を上にあげる余裕がない。体力はともかく精神的なダメージが視界をことさらに狭くする。時折襲う強烈な睡魔が記憶を断片的な曖昧なものにしてしまう。

 

柔らかなベッドが恋しかった。
出来れば傍らにしとやかな温もりがあれば最高。

それらが許されないとしても、カルラの淹れてくれる珈琲が欲しい。

 

「デボさん…お疲れ様!って大丈夫?」

 

現実逃避しかけていた俺をトロが心配してのぞき込んでくれる。目の前の行列はあと3人。ようやく終わりが見えた。

 

「ギルザットのフォレスドン討伐!報酬は金貨15枚!冒険者求む!」

 

エリエールの声が高らかにこだまする。
涙目になって見上げた視線の先で、エリエールが会心の笑みを浮かべている。確信犯かい!

 

声に反応して、また数人の冒険者が列に加わる。それをみてトロが救いの手を差し伸べる。

 

「デボさん、死んじゃうから。事務の知恵熱で寝込んじゃうよ」

 

「あはは。ごめんごめん。これで最後にしとくよ」

 

二人の会話を耳にしながら、俺は黙々とペンを走らせる。
ほどなくして、ようやくこの日の最後の落款を押すことができた。

 

「ご苦労様~!どう?随分稼げた?」

 

「ありがとう。みんなのおかげで。でも正直狩ってる方が性に合ってるってつくづく思ったよ」

 

「100万ゴールドに届いたの?」

 

「ん~…どうだろ?それは無理だと思うよ」

 

金貨は袋からこぼれているが、それはどう見ても100万の半分にも及ばないだろう。だが、かといって俺にこれ以上羊皮紙と格闘する勇気も根性も体力もなかった。

 

淀みきった俺の様子に、トロとエリエールの笑声がはじける。
その声が夜のメギストリスにとけていき、やがて俺たちも夜の街の住人となった。

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