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Quest #34

久しく書いていないブログに、ふとDQX以外のことを書いてみたくなった。 というか内心グログロとしてきてしまって、こうやってアウトプットしていかないと気分が悪い。腹立たしくってもやもやしてしまう。 誰かにわかってほしい、共感して欲しいというつもりはないが、吐き出さないと汚泥のように溜まってしまいそうなので。

ポジティブで明るい感じのものが読みたい方は、即座にブラウザバックされることをオススメします。

さて。

暑いせいというのも多少あるのかもしれないが、とにかく憤ろしくてたまらない。 というのも長崎で起きた同級生による女子高生の殺人事件の犯人が、今朝のニュースで医療少年院に送致が決まったとのことを聞いたからだ。

この手の事件が起きるたびに加害者の人権やら更生の余地やら精神疾患の有無やらが議論される。心神耗弱だの、まだ年齢的に更生ができるだどーだこーだ。

個人的には被害者や被害者遺族の人権が常に置き去りにされている印象を受ける。

正直、極論が過ぎるかもしれないけれど13歳以上で殺人事件を起こした場合、よほどの酌量の余地がない限り即死刑でいいと思う。

日本は…日本行政・司法は現代においてモラルの高さを自認したいのかもしれないけれど、やっちゃいけないことはやっちゃいけないと言って何が悪いのか。

酒鬼薔薇事件だってそう。

あの事件でむごたらしく殺された被害者。大切な我が子を理不尽に奪われただけでなく、その亡骸をさらし首のようにして弄ばれた怒りと悲しみはどんなに時が経ってもなくなるはずがないと思う。 まっとうな親であれば、我が子を奪われた怒りや悲しみがいかほどかを想像するのは決して難しいことではない。そしてそれを想像するだけで恐怖を感じずにはいられないだろう。

親でなくとも、兄弟や彼氏彼女、自分の両親が同じ目にあわされたらどう思うか。我が子が奪われた時の比ではないと思うが、何分の一かの想像にはなると思う。

その酒鬼薔薇自身は少年院の刑期を終え、出所して今や作家気取りに自署を出版しているという。 人権というならこの時の遺族の人権はどうなるのだろう?

仮に自分が被害者であったと想像してみる。

私なら犯人を殺さずにいる自信がない。 親類縁者、家族に迷惑をかけてしまうことを避けるためにギリギリのところで踏みとどまっていられるか、どうか。

無罪でいいから、はよ俺の手の届く範囲に釈放してくれ。 我が子以上の苦しみと痛みと屈辱を与えながら殺したる。指を寸刻みにし、爪を剥ぎ、骨を砕き、舌を切抜き、目を穿ってから、虫に食わせて殺してやる。まっとうな人間でもそんな狂気に憑かれてしまうんじゃないだろうか。

でもそんな狂気を実行にうつすには、守るべきものが多すぎる。その葛藤。

その苦悩は文字通り想像を絶する。 日々の生活に笑いはないと思う。殺すか、殺さざるか。殺したところで奪われたものが返ってくるわけではないと自らを戒め、慰め、前を向こうと努力するとは思うけれど、遺影を前にするたびに、同じ年頃の子供がはしゃぐのを見るたびに、幸せだった思い出を紐解くたびに、自身の暴走する殺意と憎しみとの戦いになると思う。

一方で加害者は社会的には制裁があるかもしれないが、テレビをみて笑うことも出来る。好きな食べ物を味わうことも出来る。運が良ければ人としての幸福をかみしめることも出来るかもしれない。

こんな不公平があっていいのか。

長崎の事件でもそう。

奪われた女子高生の未来は返ってこない。

女子高生の成長と共に味わうことのできたはずの喜びを彼女の両親はもうかみしめることが出来ない。

一方の加害者は精神的に更生するため医療少年院。 何年かしたら刑期を終えて、自由に人生を謳歌することが出来るのかもしれない。

この理不尽。

復讐したところで奪われたものが返ってくるわけではないと自身を慰めなければいけない遺族が、なぜ事件後も加害者によって苦しめなければならないのか。 加害者に苦しみを与えたいと思うのは、人道的に間違っているのだろうか。

法は何のために作られたのか。

誰かがお金を儲けるために、特定の人物の幸福のために法が定められているわけではない。

より多くの人々が、互いの大切なものを大切にして最低限の幸せが守られるために法律があるのではないのだろうか。

事故や偶発的な出来事によって、全く意図せずに被害者の命を奪ってしまった場合を除き、意図的な殺人に関しては13歳(中学生)以上の場合は即死刑でいい。 更生の余地を与える必要はない。加害者に更生の余地を残すくらいなら、被害者遺族の精神的健康に留意する方が順序ではないだろうか。

もちろん冤罪はあってはならないが、1年以内の執行で良いと思う。

継続的に加害者から苦しめられなければ、少しは遺族が前を向くことの障害は少なくなる。 13歳が幼すぎるとは思わない。20歳以下の加害者の場合は保護者も連帯責任で何らかの刑罰を受ければ良い。いや受けるべきだ。

13歳までに「最低限相手のことを思いやり、大事にするという気持ちを育てる」ことは、因数分解や英会話などよりも遙かに重要だと思うが、そうではないのか。

因数分解や光合成や化学反応式、歴史を学ぶ児童が、今を生きる友人の心の機微を理解できないのは異常だと思う。 親や小学校の先生、地域社会はそういうことをきちんと教え、導かないとダメなんじゃないか。

そのための酷法。

今の前例主義に伴う日本のぬるま湯につかりきった司法は、被害者にとっての酷法でしかないと思う。

結局やっぱり気分が悪い。

とりあえず今日はこの辺で。


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