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Quest #012

  • debo-nair
  • 2014年9月7日
  • 読了時間: 3分

心を開くということ

先日、ゲーム内での雑談で「心を開いているかどうか」とかいう話にちらっとなった。 心を開くとはどういうことか。 人に言えないことを打ち明けられる。屈託なく様々な話が出来る。素の自分でいられる。まぁこんなところだろう。 そこに至るまでに絶対的に必要なのは相手との信頼関係。 信頼関係のない相手には、よほどの考えなしでもない限り自分をさらけ出すことはできない。

んで、この信頼関係。 文字からみると「信じ頼むに足る」といったところか。 信頼関係を築くには相互理解が必要に思いがちだが、実際はそうではない。 信じることはできる。頼りにできるな、と感じることはできる。それは自分の問題だから。 信じられているか、頼りにされているか。これは自分ではどうすることもできない。それは相手の問題だから。

信じることと信じられることは因果があるようで実はない。

相手を信じ、相手に信じてもらえる自分でありたいと自信を律し振る舞うことはできるけれど、それでも自分を信じ頼ってもらえるかどうかは相手が決めることなので、どうすることもできない。

こんなに信じてるのに裏切るのか。

なんて感情は自分の価値観で相手をさばいているエゴに他ならない。

信じるかどうか。

他人が決めることではない。相手の為人を見て自分自身で判断し決断すること。 決断すれば迷うな。 裏切られたとすれば、それは自分の判断、決断が誤っていただけのこと。そこを受け入れないとね。 裏切りや失望やそれらを含め、今後どうするかを決めればいいだけのこと。問題は常にこれから先をどう過ごすかにあって、過去にあるわけじゃない。

ちと話が横にそれたかw 元に戻すと要するに「相手が心を開いているかどうか」なんてのは実は大した問題ではないということ。

信じるかどうか。

繰り返しになるがそこが本質だと思う。

女性と思っていた相手が男性だったら、今まで交わした言葉まで嘘になるのか。 その逆も然り。トロさんが女性であっても俺は一向にかまいませんよw! ゲーム上でやや普段の自分と異なる性格を演じていたとして、その人と関わることすべてが嘘になるのか。 共に過ごした時間、重ねられた思い出、感謝、共感、悲喜こもごもの様々な感情のすべてが嘘になるのか。

そうじゃないだろう。

相手が内実どうであれ、過ごした時間や重ねた言葉、自分が感じた思いは紛れもない事実。 それを受け入れて自分がどう思うか、どうするのか、が大事。

ゲームの中で過ごした時間。 その全てとは言わないけれど、多くの時間を私は「素の自分」で過ごしている。 あんな騒々しくて破廉恥でみっともなくてエロチシズム満載の状態が「素」っ!!と呆れられる方もいらっしゃると思うけれど、多少調子に乗っている部分はありこそすれ、過剰に演じている感は私の中にないので「素の自分の一部」なんだろうと思う。 恥ずかしくってありゃしないねw!

でもね。 そんな自分でいさせてくれているのはチームの皆それぞれのおかげなので。

心を開いてくれているか、なんて問題は私の中にはない。 素の自分でいさせてくれる皆への感謝があるばかりだ。 キレイゴトすぎるし、ちょっとかっこよすぎるけどw!

ま、でも実際みんなそんなもんでしょw 過ごした時間は裏切らないよ。

何を言いたいかどーにも良くまとめられなかったけれど、とりあえず今日はこの辺で。


 
 
 

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